侵攻戦争の第一歩、対自由都市戦の為の軍議が行なわれた。要するにロックアース、ジオ、ハンナの三都市の内、どれを攻めようかという事だ。主立った部隊の再編成は殆ど済んでいるので、命令があれば全軍――とはいかないが――即日出撃可能な状態である。
プロヴァンス将軍から三都市の戦力等の概略の説明を受けた後、攻略する都市を問われた陛下の答えと言えば、
「めんどくさい。一遍に片付けられんのか？」
という、実に陛下らしいものだった。
「キング。確かに各都市の戦力は我軍に及ぶものではありません。しかし、攻城戦には相手の三倍の兵力が必要です。ましてや緒戦であり、ここで躓く訳にはまいりません。ここは投入可能な最大戦力を以って、必勝を期すべきです」
「ふん……おい、リック。お前はどうだ」
プロヴァンス将軍の意見は至極もっともなものであったが、陛下は満足出来なかったらしくアディスン将軍に話を振る。
「は、僕もバレス将軍と同意見です」
と、彼は簡潔に答える。他の将軍達も殆んどがその答えに頷く等、同意を示した。
なおも不満気な様子の陛下にアマリリス殿が意見を述べる。
「王……まずは三都市に対し降伏を促す使者を送っては如何でしょうか」
「使者だと？」
「はい。こちらの目的はあくまで自由都市をリーザスの支配下に置くことであり、何もその方法を武力に限る必要はありません」
代わりに彼女が謀略戦を仕掛けるという訳か。いや、既に手を伸ばし始めていると見て良いだろう。……怖い女性だ、まったく。
将軍達にも彼女の意見に反対する者もおらず、陛下も別段反対はしなかった、と言うか方法はどうあれ各都市を手に入れる事が出来れば方法に拘るつもりは無かったようだ。
「ふむ。それで奴等が大人しく降参するか？」
「それはこれからの交渉次第ですが、三都市の内、ジオが最も抵抗すると思われます。ここは我国と自由都市との交易の中継地として栄え、小国ではありますが昔から我国と対等との意識が強い都市ですから」
確かにあの都市は、繁栄が自分達だけではなく背後にある他の自由都市の看板もあってこそ、という自覚が薄く、やたらと気位が高い。降伏を勧告したところで「リーザス何する者ぞ」と蹴飛ばすのが落ちだろう。まあ、彼等は他の自由都市にもその調子だから、こちらが攻めても他の国が彼等を助ける可能性も低い。無論迅速に攻略する必要があるが。
「……よし、そいつらに大人しく降参すれば命だけは助けてやると伝えろ。それからバレス。……そうだな、リックとメナドとアスカ、それと傭兵部隊を付けてやる。直ぐにジオに向かえ！」
「は！ キング！」
新編成の黒軍赤軍第一部隊各四千、赤軍第二部隊五千、紫軍二千、傭兵部隊二隊で六千、合計二万一千。正直、一都市に対するものとしては過剰な程ではあるが、まあ構わないだろう。ただ、前半の降伏を促す文句はそのまま使う訳にもいかないが。
しかし、陛下が
「ああ、それと。征服後の略奪・暴行は厳禁だぞ」
と、言った時は正直驚いたが、その理由が
「何といっても手に入れた都市は全て俺様の物だからな！ がはははは！」
というのは納得してしまった。だが、理由はともかく略奪・暴行の禁止は間違った事ではない。結構な事である。
その後、細部を詰めて軍議は終わったが、
「おーたま、アスカどっかいくらか〜」
……一人だけ全く解っていなかった。
本日朝、ジオ攻略軍が国境に展開を終えると同時に、ジオに対して駐在公使を通じた降伏勧告が行なわれた。言い回しはソフトになっていたものの「命が惜しけりゃ手を上げろ」式の勧告に当然ながらジオが従う訳が無く、直ぐさま激烈な拒絶の返答がなされ、それを伝えられた陛下は怒って――筋が違うと思うが――こちらも即刻ジオ攻略の命令を下した。
可能な限り隠密かつ迅速に行動したとはいえ二万を超える軍隊の行動が外に漏れなかった筈は無いが、それでもジオがまともな防御戦の準備を整える事は不可能であったようだ。あっと言う間に赤軍に門を突破され、公邸にいた都市長を始め要職にあった者は全て身柄を拘束された。また、周囲は黒軍と紫軍に包囲され、ジオから逃げられた者はいなかったようだ。
死傷者も少なく、こちらが三百人程、ジオ側も千数百人程度、それも大部分が負傷で済み、プロヴァンス将軍の厳命もあり街や非戦闘員への被害も最小限と言って良いものだった。絶対に勝てるというだけの兵力と準備を整えてあった以上、この勝利は当然と言えるが、緒戦として上出来だろう。
報告を聞いた陛下もいたくご満悦な様子で、直ちにレッド攻略と緑軍を含む第二陣の進発準備、及びロックアースとハンナへの降伏勧告を急ぐよう命じた。両都市がどう出るかが問題だが、ジオの都市長が処刑された事を聞けば、その二の舞は避けるだろう。
陛下の要求で執務室に巨大な大陸地図が張られた。今後の戦略を練るため、と言うより眺めて楽しむのが目的であろう。早速陛下はジオの位置に旗付きのピンを刺し、それを眺めて悦に入っていた。その様はさながら子供向け魔法ヴィジョン番組に出てくる、世界征服を企む悪の帝王の如し。……実態もあまり変わらないが。
それを邪魔するつもりは無いので、自分の机で仕事を進めていると陛下が声を掛けてきた。傍に行くと陛下は地図を指差し、私に尋ねてくる。
「おい、ここはどうなっているんだ？」
示す先は大陸の中央、砂漠の都市シャングリラだった。その旨を言うと陛下は不機嫌そうに言葉を重ねる。
「そんな事は見れば分かる。そうじゃなくて、どうしてあそこには道が無いんだ？」
確かに地図には主要な街道が描かれているが、シャングリラに到るそれは無い。取敢えず、砂漠を渡るにはシャングリラの案内人が必要な事、未だかつてシャングリラに軍隊を送り込む事に成功した国は無い事を説明したが、陛下は不満そうだった。無茶を言い出さなければ良いのだが。
ロックアース、ハンナの両都市から、こちらの勧告に対して会談を行ないたい旨の返答があった。陛下は一応これを了承したが、代表者に対してリーザス城への三日以内の出頭を命じ――というのもおかしなものだが――これに従わない場合、敵対したものとして直ちに両都市を攻撃すると宣告した。
陛下らしいといえば陛下らしいが、呼び出される方は気の毒である。
ハンナ都市長モーツァルト氏がリーザス城に到着した。うし車を昼夜兼行で飛ばして来たらしく、謁見の間に通された時は相当疲労しているのが判った。その状態で陛下に脅迫されては反抗する気力も起きなかっただろう、直ぐに降伏を承諾した。まさか陛下はこれを狙って無茶な要求をしたのだろうか。
ただ、降伏は直ぐにしたもののそれにあたって（自分個人に）金を要求したが、それは陛下にとっても許容範囲だったらしく割とあっさりと認められた。
ハンナの統治に関しては当面の間はモーツァルト氏に委ねられる事となった。無論、リーザスから必要な人間が送られる事になる訳だが、これにはモーツァルト氏も驚いたようだった。これはアマリリス殿の献策によるものであり、そうである以上好意やそれに類するものなどでは有り得ない。第一の目的はハンナ市民を安心させる事にあるが、もし彼等が反リーザス的な意志を強めるのであればモーツァルト氏を市民の生贄に差し出してしまうつもりなのだ。そうなった場合、彼がリーザスから金を受け取った事は彼の生贄としての条件を高める事になろう。悪辣ではあるが効果的ではある。
それに素直に降伏すれば命どころか地位も保障されるとあれば、他の都市も降伏に傾くだろう。
ロックアースの代表者がリーザス城に到着。ただしそれは都市長ではなく、悪名高いＤＸの会会長グラック・アルカポネである。
彼はロックアースをリーザスに委ねる事を直ぐに承諾したが、当然ながら（人払いを必要とするような）条件を付けてきた。陛下はあまり考える様子も無くこれを認めてしまったが……。更にグラックはこれを文書とする事を要求してきたが、それはアマリリス殿が割って入り誤魔化してしまった。まあ、当然だろう。
その意味が良く分らなかったようで、その後尋ねてきた陛下に私は苦笑しながら答えた。
「ああいった連中に言質を取られると、碌な事になりませんから」
「別に、邪魔になったら潰してしまえば済む事だろう」
約束は破る為にある、と言わんばかりの台詞である。
「それはそうなんですが、それでも建前というものがあります。下らない事かもしれませんが、政治には建前だけでも信用というものが必要になってくる事がありますので」
それがあるのと無いのでは選択肢の幅を格段に違ってくる。政治だけに限らないが。
「陛下が言う通り、邪魔になったら彼等は潰してしまうべきです。その時、文書として密約が残っており、彼等がそれを公にした場合リーザスの信用が大きく落ちてしまうでしょう。ですが口約束なら何とでも誤魔化しが効きます。明確な物証が無い限り、やったやらないの水掛け論になるだけですから」
本当は口約束というのも、それなりに面倒なモノだが。
「……お前、結構酷い奴だな」
そう言った私を陛下は呆れたように見やって呟く。陛下に言われたくないものだが。
「これが人の道に外れている事は十分自覚しています。しかし相手もその辺は解ってますし、そもそも我々を信用している訳ではありません。利用しようとしているだけです。ならばこちらが遠慮するのは馬鹿というものです」
とはいえ、利用するのにもルールというか、暗黙の了解の様なものがあるのだが。
また、反乱に荷担した貴族の逮捕により、彼等の内の少なからぬ者がＤＸの会に取り込まれていた事が判明している。反乱の勃発とその鎮圧は図らずもそれを潰す事となった。ＤＸの会にしてみれば、これまでの投資がすっかり無駄になってしまった訳である。ここでリーザス国王に直接取り入る事は、その分を取り戻すに絶好の機会である。彼等の方も必死だろう。
その辺の事情を陛下に説明しようかとも思ったが、そうしたら今すぐＤＸの会を潰すと言いかねない。しかし、今この段階では拙い。少なくともロックアースを掌握し、彼等を何時でも潰せるようになるまでは。
リーザス城に魔人の襲撃があった。モンスターの集団がリーザス城を襲撃してきて、それを撃退した矢先だった。
羽根の生えた女性の魔人で、それが単身謁見の間に飛び込んで来たそうだ。幸か不幸か私はその場に居合わせなかったが。彼女はリトルプリンセス――魔王を探しており、それがリーザス城に居るから引き渡せと要求してきたそうである。無論、そんな事を容れる陛下ではなく、言下にそれを拒絶したそうだ。
その後、再び襲来したモンスターとの戦闘になったが、いかに陛下が有数の戦士とはいえ人の身で魔人を倒せる訳が無く、追い払うのが精一杯だったようだ。（追い払っただけでも大した物なのだが）
その後始末と今後の魔人対策を話し合っている時、モンスターに追われているという三人連れが保護を求めているとの報告があった。陛下はその内の二人が（美しい）女性である事を知ると、躊躇い無く彼等を保護する事を命じた。アマリリス殿はそれに対して懸念を示していたが。
保護された日光、来水美樹、小川健太郎（彼は重傷を負っていたが）の三人は、取敢えず城内に部屋を与えられた。しかし日光殿の『力のある方が王になるのを待っていた』とは……単なる社交辞令なのか、それとも深い意味があるのか。何れにせよ面倒が増えた事は間違い無いだろう。
昨日保護した来水美樹という少女が、どうやら魔王であることが確からしい、とアマリリス殿から陛下に報告があった。取敢えず陛下は様子を見るよう命じたが、大方後で手を出そうと考えているのだろう。
また、前日に続き魔人への対策が話し合われた。といっても人間が魔人に対して打てる手はそれ程多くない。封印結界で封じるか、「魔剣カオス」か「聖刀日光」を用いるか。後は「勇者」という奴である。この内、封印結界は確かに魔人を封じる事が可能ではあるものの、実際に封じられるか否かは相手の魔人のレベルと術者の技量次第であるし、予め準備をした上で結界の中心に魔人を誘い込まなくてはならない。カオス、日光は手元には無く、しかも日光は所在不明。カオスは本来リーザス城にあったそうだが、リーザス解放戦が終結した折り、レッドのとあるシスターに預けられたそうである。
「こうなると分かっていたら、無理にでも手元に残しておいたのですが……」
とは、アマリリス殿の弁である。まあ、いかに彼女とて万能という訳では無いという事だ。そして勇者は……果たして当てになる代物かどうか。
取敢えずは封印結界の使える術者の選抜、カオスに関してはレッドの攻略を急ぎこれを確保する事（緑軍を含む第二陣の進発は当面見合せる事になったが）、そして日光の探索と勇者に関する調査が指示された。そして各都市の防備強化。具体的にはバリスタ、カタパルトといった兵器の配備――これらの調達はプルーペットに任される事になる――、防御設備の構築、市民兵の動員等である。これらは魔人を倒す事は出来はしないが、少なくとも辟易させる事は出来るであろうし、その配下の魔物達には有効である。まあ、何もしないよりはマシであろう。
……しかし、魔王――来水殿に同行していた女性、「日光」と名乗ったが……果たして偶然なのだろうか。
やはり、あの日光殿が聖刀日光そのものだった。
朝（と言うには遅いが、まあいつもの事である）、やたらと機嫌良く執務室にやって来た陛下が聖剣ではなく見慣れぬ刀を下げていることに気付いた。
「……陛下、その刀は……？」
「ん？ これか？
……ふっふっふっ、聞いて驚け。これが聖刀日光だ！」
勿体振って答えた陛下であったが、
「はあ。ひょっとして先日の女性が聖刀日光だった訳ですか？」
「だぁーーーーっ！ 少しは驚くか感心するかしろっ！」
殆んど地団駄を踏まんばかりの陛下だったが、私としてもこれは性格であるので簡単に変えられるものではない。私の質問には本人が答えてくれた。
『はい、その通りです。改めて御挨拶させて頂きます。私は聖刀日光。魔人を倒す事が出来る、二振りの剣の一つです』
どういう経緯で陛下の帯剣となったかのかは分からないが、何があったかは……まあ、見当が付く。そう思いながら礼を返した。
「ああ、これは御丁寧に。私はアルフィアス・ハイアット。ランス陛下の副官を務めております。以後、お見知り置きを……」
「呑気に挨拶してるんじゃねぇ！」
日光殿に向って頭を下げた私の後頭部に、陛下の拳が降ってきた。
私に一撃をくれた陛下は肩を怒らせて執務室を出ていき、悶絶する事はどうにか免れたものの頭を抱えて唸っていた私にはそれを引き止める事は出来なかった。
……本当に陛下は、自分を中心に世界が回っていないと気が済まない方である。やれやれ。
午後にはＡＬ教団の幹部が使者として「寄付のお願い」にやってきた。実質「金を強請り」に来たのだが。この手の連中は妥協や駈引きが利かない分、ヤクザより質が悪い。自分達が絶対に正しい、と思っていればそうもなるだろうが。大体「神様」は人間の金を必要としてなどおるまい。無論、慈善事業等にもそれなりの金は使っているであろうが、少なからぬ額が幹部連中自身の為に使われているであろう事は、使者の御立派な絹服を見れば明らかだ。
当然ながら陛下も連中が気に食わないようであったが、とにもかくにも寄付を継続する事を承知した。しかしあの様子では、いつかＡＬ教団を潰せと言うかもしれない。
魔人が来訪。「来襲」ではなく「来訪」である。
本日もまたリーザス城に魔人が攻めてきたが、それとは別口で、一人は陛下と旧知らしい。あまり友好的な関係でないようだが。彼等は前魔王ガイの方針を受け継ぎ人間と魔物の共存？を望んでおり、その為、来水殿に魔王として覚醒してもらいたいらしいのだが……彼女の方は相当嫌がっている。まあ、無理もないが。
結局、魔人達は来水殿が自分の意志で魔王となるのを待つ、という事で、彼女の護衛としてリーザスに居着く事になった。人間同士の戦いには関るつもりはないが、敵対する魔人がやって来た場合は対処するとの事である。こちらの思う通りに動いてくれる訳ではないようだが、対魔人戦の戦力が格段に強化された事はありがたい。
しかし、来水殿の意志を尊重すると言いながら……本人はあれ程はっきり拒否しているのに、その気になるまで待つと言ってプレッシャーを掛けるのはどんなものだろう。そもそも来水殿はこの世界の人間ではなく、ガイが召喚した上で無理やり後継者にしたという。とすれば彼女には、魔人達の希望を叶える理由も義理も無い訳で……。どうも魔人の考えている事は良く解らない。まあ、人間の基準で魔人の事を判断する事が間違っているのかもしれないが。
理由はどうあれ、曲がりなりにも魔人を配下とした事で上機嫌の陛下――知り合いの方の魔人が女性である為と思われる――に声を掛ける。
「陛下……彼等を戦力として用いるのは当然ですが、他にも重要な事があります」
「ん？ 無論、サテラには俺様のハーレムの女という最も重要な役目があるな！ がはははは！」
魔人にまで手を出すつもりか、この方は。
「……あーー、それは確かに（陛下にとっては）重要ですが、私が言いたいのは情報です」
「情報？」
「はい。我々は魔人達と戦うに当たって必要となる、相手の情報を殆ど持っておりません。ここは彼等からその情報を引出しておくべきでしょう」
「ふむ……」
私の言葉に陛下は少し考える素振を見せる。
「よし、サテラの方は俺様がやっておく。お前は紫色の奴を相手しろ」
私に御鉢が回って来た。私は思わず助けを求めるようにアマリリス殿を見たが、彼女は眉一つ動かす事無く――しかし、全身で『あなたに任せます』と言っていた。
「……分かりました。お受けいたします」
援軍も退路も無い私はそう答えるしかなかった。
さて、魔人（しかも異種族）とどう話したものか。それに魔人と関ろうなどという物好きはそういないだろうから、私一人で相手をするしかないだろう。だがまあ、サテラ殿を相手にするよりはマシだろう。どうも彼女は私が苦手とするタイプの様であるし、後で聞いたところでは、彼女は先年ヘルマンと組んでリーザス城を落とした魔人の一人だそうだ。それを相手にするのは流石にキツイ。
ともかく明日行ってみるしかない訳だが……どうなる事やら。
結局のところ、メガラス殿との会見はぶっつけ本番、出たとこ勝負になった。まあ、これまで魔人と「お話」した人間など聞いた事などあるわけ無く、昨夜も色々考えてみたものの大した考えも浮かばず、面倒臭くなって寝てしまった。
まあ、取って食われるような事はあるまいと、ともかく腹を括って彼に当てがわれた部屋に行ってみる。出来れば、逃げてしまいたかったが。
二度ノックして返事が無かった為、さて留守か、と思っているところで中から声がした。
「……誰だ」
私の応えも少々遅れてしまう。
「ランス陛下の副官、ハイアットです。少々、宜しいでしょうか？」
「……入れ」
拍子抜けする程あっさりと招き入れられる。躊躇っていても仕方が無いので、さっさと扉を開けて中に入ると部屋の主が腕を組み椅子に座っているのが見えた。流石に立ち上がって客を迎えるような礼儀を期待するのは無理か、と思ったところで妙な違和感を覚えた。良く見ると椅子の背凭れが壊されていた。……確かに彼の背中の「羽根」は邪魔になる。そもそもリーザス城内の部屋は人間用であり、メガラス殿も含めたホルスに合ったものとは言えない。場合によっては彼等の意見を聞いてホルス用の家具を用意した方が良いだろうか。いや、冗談ではなく。
そんな事を何となく考えていると、向こうの方から用件を尋ねてきた。
「……何の用だ？」
「あー、はい。お尋ねしたい事がありまして。……敵である魔人の事なんですが……」
そこまで言って、彼の表情を窺う。当然と言うべきか、彼の昆虫の如き外骨格に鎧われた顔は内心を悟らせない。しかし拒絶の意思を示す事も無かったので、取敢えず言葉を進める。
「貴方とサテラ殿が来てくれた御蔭で、現在リーザスを襲撃している魔人達への対処が相当楽になりました。しかしながら、それは我々が彼等と戦わずに済む様になった訳ではありません。現状では攻撃のイニシアチブを襲撃してくる側である彼等が握っている以上、初撃は我々の守備部隊が引き受けねばなりません。加えて貴方達は、目的が来水殿の護衛である以上、そう積極的に動く訳にはいかない。まあ、そのままでも負けはしないでしょうが、何とか彼等に対して有効な手を打たないとこちらが消耗するばかりです。その為にはどうしても彼等についての情報が必要なのです。
……これは貴方達にとっても不利な事では無いと思いますが……」
メガラス殿には威圧感を感じるものの、敵意の類は認められなかった為、思っていたより簡単に言葉が出た。彼は無言のまま暫く私の言葉を吟味していた――と、思う――様だが、やがて口を開く。
「……いいだろう……」
そう言うと、敵である魔人達について語り始めた。無論の事、その話し方は淡々とした言葉数の少ないものであったが。また、出来れば魔人界の現状等についても聞きたかったが、今はそれは関係無いと言って話してはもらえなかった。まあ、彼等にとって状況はあまり良いものではないのだろう。ちなみに彼は私に椅子を勧めるような事は無かったので、勝手に椅子を引き寄せて座らせてもらった。
とにかくそれによると、人間界に出て来ていると思われる魔人は三人。どこまで正確なものかは判らないが、そのカミーラ、ラ・サイゼル、レイと言う魔人達の特徴や能力についても教えてくれた。何れも厄介な連中らしいが、中でもカミーラというのは魔人達の中でも屈指の実力を持っているらしい。面倒な事である。
一つ気になったのは、彼等がその盟主――ケイブリスと言うそうだが――に対して、決して好意を持っている訳では無いらしい、という事である。
必要な事を話し終えるとメガラス殿は口を閉じ、それ以上はいくら訊ねても無言のままだった。これ以上の情報を聞き出すのは無理と思い、私は腰を上げ礼を述べる。
「ありがとうございました。この話の礼はいずれさせて頂きますが……メガラス殿は酒を嗜まれますか？」
私の言葉に戸惑ったのか、彼の返事は少々遅れた。
「…………多少は」
「そうですか。ではいずれ奢らせて頂きましょう。失礼します」
そう言って扉のところまで行きノブに手を掛けたが、ふと思い付いたことがあり再び彼の方に向き直る。
「……そうそう、あと一つだけ。そもそも貴方達魔人は、何故二派に分かれて争う事になったのです？」
答えてもらえないかと思ったが、不意打ちになったのか彼は私のこの質問に答えてくれた。
「……前魔王、ガイ様の遺言だ」
「は？ …………貴方達が相争う事を望んでいたのですか、彼は？」
あまりに簡潔な答えに、私は戸惑ってしまう。
「……違う。ガイ様の望みは美樹様を魔王とし、魔物と人間が共存する世界を創ることだ。ケイブリス達はそれを不服として、ホーネット様に反旗を翻したのだ」
……成る程。しかし、遺言……ね……
「……何かおかしな事があるのか」
思わず妙な顔をしてしまった所為か。メガラス殿の方から尋ねてくる。
「ああ……いえ……おかしくは無いです。ただ、何と言うか……まあ、理解し難い、と思っただけです……」
理解し難いというのは、一つは遺言という代物自体について。ウチの親父など、何時だったか『俺の死んだ後の事なんぞ責任は持てん。俺が死んだらお前はお前の好きなように生きろ』と言って、実際遺言も遺さず逝ってしまったが…… いや、これも遺言の一種と言えない事も無い。まあ、親父と魔王を比較するなど、立場が違い過ぎる為意味が無いかもしれないが、私にしてみれば親父の方が……何と言うか好みである。
もう一つは魔王ガイが、その遺言を残した事で今の状況が現出した訳だが、果たして彼はこれを予測していたのか、という事である。異世界の無関係の人間を引き摺り込んだ事は、まあ置いておくとして、来水殿を（結果的に）未覚醒のまま放り出し、遺言に反対するであろう連中を放置しておくなど、魔人達が相争う事を望んでいるかのようである。彼女の覚醒を彼女自身の意思に任せるというのなら、最低限でも彼女の身の安全を確保し、場合によっては反対派の粛清ぐらい行っておくべきであろう。仮にも千年以上の年月を生きる魔王としては、何とも不手際が過ぎる。まさか長く生き過ぎて痴呆症に罹っていた訳でもあるまいに。あるいは何か深慮遠謀があったのかもしれないが、彼を見知っている訳でもなく、碌な情報も無い今の状態では判断が出来ない。
その辺の意見をメガラス殿に聞いてみたかったが、彼の立場では答えるのは無理であろうと判断し、話を打ち切って部屋を出た。
陛下に報告をと思い執務室に行ってみると、どこに遊びに行ったのか留守であったので、先程の話を取敢えず簡単な――あれ以上詳しく書くのは無理というものだが――レポートに纏めアマリリス殿の所に持って行った。二三質問を受けた後、陛下の所在について聞いてみる。
「先程サテラ殿と城外の訓練場に出たとの報告がありましたが……。しかし、そもそも陛下の所在の把握は貴方の職務ではありませんか？」
からかうような彼女の言葉。いや実際、からかっているのだろうが。好き勝手に動き回る上、行き先を一々私に告げる陛下ではないと判っているだろうに。
「まあ、それはそうなんですが。……ともかく、これで失礼いたします」
しかし、リーザス城内に居るならアマリリス殿がある程度陛下の動きを監視していてくれるが、外に出ればそうもいかない。いっそ私の下に何人か付けてもらった方が良いのかもしれないが、それが男では陛下が拒絶するだろうし、女性だった場合は…………。当面は、と言うかまず無理だろう。おまけに、私自身が他人を使うのが苦手であるし。頭の痛い事であるが。
執務室で待っていても良かったのだが、散歩代わりと思いそのまま訓練場に向かう。その入口を入ったところで陛下がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。そして訓練場の中央にはサテラ殿がいた。遠目でよく判らなかったが彼女はぐったりしている様で、その傍らには彼女のガーディアンが寄り添っていた。
近付いてきた陛下は私が一礼するのを気にも止めず、そのまま歩き去ろうとする。私は何やら機嫌の良さそうな陛下の後ろに続きながら、何事があったのか尋ねる。大方の見当は付いたが。
「ふふん。俺様と勝負して、負けたら何でも言う事をきくと言うんで、ちょっと遊んでやったのだ。所詮、俺様の敵ではなかったがな、がはははは！」
魔人と一対一で戦って勝ってみせるとは……。しかし、
「はあ。……それで一体どんな卑怯未練な手を使ったのです？」
「馬鹿者。俺様は常にせーせーどーどーとしか戦わん」
思わず「この大嘘吐き」と突っ込むところだった。この人の心の辞書には、一般の人間のそれとは異なる解説文が載っているに違いない。
まあ、見物人もいた様だし、何があったか調べれば直ぐ判るが、取敢えずその事は放っておこう。サテラ殿からも情報が引き出せそうだ、という事で充分である。陛下はそれが優先事項である事を忘れているようだが。
夕方になって、プロヴァンス将軍からレッドの街を占領したとの報告があった。もっとも、相手は無抵抗で降伏した為、進駐と言うべきだろうが。
それを聞いて機嫌の良くなった陛下だが、続く報告を聞くと激昂した。例のレッドにいるシスター――セル・カーチゴルフと言うそうだが――がカオスの引渡しを拒否したというのだ。何でもカオスは人の身で使うのは危険である、という事なのだが。だが、陛下は以前カオスを使った実績があるし、カオスの所有権はリーザス乃至陛下にあるはず。また、プロヴァンス将軍は魔人によるリーザスの襲撃を伝えたそうだが、それがどれ程深刻な事態か理解出来ないのだろうか。
一頻りプロヴァンス将軍の事を罵っていた陛下であったが、
「ええいっ、バレスなんぞに任せておけん！ 俺様が直接出向いてやる！」
と言い出した。まあ、そういう事であれば止める理由もない。
「分かりました。早速準備いたしますが、直ぐに出発いたしますか？」
私の問いに陛下は少し考える風であったが、
「……いや、今日は遅いから明日にする」
との事。恐らく、サテラ殿を早速夜伽に呼ぶつもりなのだろう。だがそんな事は私の関知するところではない。ただ「御意」と答えて、明日の準備を行なった。
しかし、カーチゴルフというシスターは何を考えているのだろう。私は幸か不幸か彼女と面識が無いのだが……ひょっとして、飢え死にしかけてる人間にパンではなくて神の言葉とやらを与えるタイプの「聖職者」なのだろうか。だとすれば、出来れば関わり合いになりたくないのだが。