本日、マリス・アマリリス殿より呼び出しを受けた。
「なにかやらかしたのか？」
というのがそれを伝えた後の課長の言葉だった。
確かにここは影の宰相とも呼ばれる彼女と繋がりが深い。しかし私自身に関しては単なる事務屋であり――少なくとも今は――諜報員や分析官ではない。ついでに言えば平でしかない。また彼女と個人的なコネクションがある訳でもない。
「さて。さっぱり見当が付きませんね」
したがって、私としてはそう答えるしかなかった。
アマリリス殿の執務室に行き、秘書の女性に名と来意を告げると直ぐ部屋に通された。
良く整理された部屋の中、七割方を書類に占領された机の向こうにこの部屋の美しい主がいた。
「ハイアットです。お呼びにより参上しました」
私がそう言うと、彼女は書類にペンを走らせる手を休め顔を上げた。詩才に乏しい私ではただ美しいとしか言いようのない顔と正面から向合う。考えてみれば廊下で擦違うくらいの事はあっても、今回のようにじっくりと彼女を観察するのは初めてである。ただ美しいだけではなく、その目には意志と知性の光りが見て取れる。また、机上の書類の量を見るだけでその処理能力の凄まじさが窺われる。はっきり言って私など及びもつかない才能の持ち主である。
彼女は何を考えているのか私に全く悟らせない完全なポーカーフェイスを保ったまま、一枚の紙を取り上げた。
「……アルフィアス・ハイアット。２９歳。剣戦闘と魔法技能を保有。現在ＬＶ３。係累無し。趣味は読書と散歩。
現在、情報局資料課に勤務。勤務態度は意欲・協調性に欠けるものの実績自体には問題無し。
高ストレス下でも体調を崩すことがないので『鉄の胃袋』等と呼ばれる」
どうやら私の履歴書と考課表らしい。
「……あまり、結婚相手向きの人物ではありませんねえ」
つい、悪い癖が出た。
彼女はちらりと私の方を見ると直ぐ書類に目を戻し続けた。
「……加えてかなりの皮肉屋で『余計な一言』が多い」
我が課長が寛大な人物なのは幸運というべきだろう。さて彼女の方はどうだろうか、と思っていると書類を机上に戻し言った。
「これだけ神経が太ければ大丈夫そうですね」
誉められているのか貶されているのか……私自身は繊細な方と思っているのだが。いずれにせよ碌でも無い事になりそうなのは間違いなかった。そしてその事を口にする。
「察するに碌でも無い事のようですが？」
彼女はそれに答えず、唐突に別の話を切出した。
「八日後、リア様が御結婚なさいます」
これには流石に驚いた。確かリア様はリーザス解放戦で司令官を勤めたランスという男にぞっこんであるという話は聞いていた。しかし、彼の方はリア様から逃げ回っているとの事だったが、とうとう結婚を承知したのだろうか。そういえばここ数日リア様は城の一室に引篭り、公式の場に出ていないとの事だった。ひょっとすると……
「……相手はランスという人物ですか？」
「そういえばあなたはリーザス解放戦に参加したのでしたね。彼と面識が？」
先程の書類に目をやり、逆に聞き返す。
「直接にはありません。ただの義勇兵として参加しただけですから」
まったく、我ながら柄にもない事をしたものである。若さ故の過ちとでも言うべきか。
それはともかく何度か顔を見ただけではあるがランスという男、容姿も行動も中々印象深い御仁ではあった。見掛けた時は、いずれも女の尻を追い掛けていたようだったが。
アイスの街の冒険者という事だが、剣の腕は一流、軍を指揮させても中々のものだという。その事は実際、猛将トーマ・リプトンを軍同士の戦いでも一騎打ちでも勝って見せたのだからまず間違い無いだろう。話では魔人をすら倒したというが……
アマリリス殿は一つ頷き話を進める。
「貴方の言うの通り、リア様はランス殿と御結婚なさいます。そして同時にランス殿はリーザス王位を継承する事になります」
「それはまた…… おめでたい事ですね」
まあ、葬式などよりはめでたい事だろう。多分。
「……しかし、それと私をここに呼んだ事とどう関わりが？」
「貴方にはランス殿――ランス王の副官を務めて貰います」
「……はあ？」
唐突なその言葉に一瞬思考が停止し、私は間の抜けた言葉を出すしかなかった。
「……しかし副官とはどういうことです？ 私は軍籍にありませんが」
私は文官であるから同様の仕事であれば秘書官であろう。
「ランス王は即位後大規模な外征を行なうおつもりです。その為貴方には政治方面のみならず軍事方面での仕事もして貰います。つまり軍属という事にもなります」
「…………」
このリーザスにおいて外征とは…… リーザスはこの数百年何度もヘルマンの侵攻を受け、その他にも小競り合いの類は相当あったが…… 確かにランスという御仁、エネルギーが有り余っていたようではあったが。それにしても、何故私を彼の副官に……
そこまで考えて先程アマリリス殿が読み上げた書類を思い出した。
「つまりその仕事は、ある程度自分の身を守れる必要があり、死んで泣く身内が出る可能性があり、胃を痛め付けるもの、と解釈してよろしいですか？」
「そう解釈して頂いて結構です」
身も蓋もなく答えるアマリリス殿。しかし率直で結構な事だ。それに中々面白そうでもある。
「まあ、それだけではありませんが…… 貴方念話は使えますね？」
「補助魔法具を使えば……」
「外征という事になれば当然ランス王はリーザス国外に出る事になります。その時私も共に行ければ良いのですが、そうもいきません。その為貴方には私との連絡係を務めて貰いたいのです」
「なるほど。やるべき仕事は判りました。しかし厄介さが変わる訳ではありませんね。……この件に関して私に拒否権は？」
言外に彼女には私に対して命令する権限が無い事を匂わせる。興味は出てきたが好き好んで面倒事を背負い込む趣味はない。とはいえ既に半分やる気にはなっていた。ちょっとした遊びのようなものだ。それに、多少は労働条件を良くしておきたい。
「リア様の勅命です」
あくまで拒否すれば、私は首チョン。そして代りの人間が苦労する事になる訳だ。自分が不幸になって、更に他人までも不幸になるというのはアレである。私は天井を眺めながら頭を掻いた。
「危険手当の他、特別賞与を出します。それと年金の増額を」
そんな私の様子を見たアマリリス殿が、傾きかけた天秤の片方に錘を載せた。
「……よろしいでしょう。アルフィアス・ハイアット、ランス王の副官を拝命します」
「結構です。それでは明日ランス王に引き合わせます。今日中に今迄の仕事の引継ぎを済ませて下さい」
そう言うとアマリリス殿は、私が部屋に入ってから初めての笑みを浮かべた。
どうやら彼女に上手く乗せられたらしい。まあ、彼女の方が私より数段上なのは判っていた事だ、別に悔しくも思わない。
いずれにせよ、平穏な日々は終わりを告げ、疾風怒濤の季節がやってきたということだろう。出来ることなら少し離れたところから見物したいものではあるが、特等席を与えられたと思う事にしよう。場合によっては自分の命でそのチケットの代価を購う事になるかもしれないが…… ま、いいか。
「ふん、俺様は野郎なんぞに用は無いぞ」
それが彼の御仁の私に対する第一声だった。
「大体、秘書というならムチムチのねーちゃんと決まっているだろーが」
実に正直極まる人物である。若い男にとっては傍に居るのが、むさ苦しい男より見目麗しい美女の方が好ましいであろう事は確かである。私自身そう思う。
ランス殿の意見に内心頷きながら彼を観察する。容貌は整っており二枚目と評しても良いが、悪いと表現しても差し支えない鋭い目付きとふてぶてしい口元がその外見を一層印象深い物にしている。雰囲気としては悪餓鬼がそのまま大きくなったとでも言うべきだろうか。ただ、些か邪気が多いようだが。
「無論ランス殿の好みは承知しております。しかしその場合、その彼女の仕事に支障が出る事が多々あるであろうことが明白でしたので」
表情一つ変えず淡々と答えるアマリリス殿の言葉に、ぐっと言葉を詰まらせるランス殿。
しかし、男なら大丈夫で女性では仕事に支障が出る……とは？
「それでは、私は他に仕事がありますのでこれで失礼いたします」
そう言うとアマリリス殿は頭を一つ下げ部屋から出て行き、後には私とランス殿が残された。
「おい」
「は」
「お前も用が無いなら出てけ。男の顔なんぞ見ていてもつまらん」
私に向かって犬猫を追い払う様に手を振るランス殿。
「……その前に幾つかお訊きしたい事が」
「ん、なんだ」
「貴方は即位後外征を行なうつもりである、とアマリリス殿から聞きましたが本気でしょうか？」
「当り前だ。俺様は冗談は言わん」
「何故ですか？」
「俺様は世界で一番偉いのだ。だから全世界を俺様の物にするのは当然だ」
そう言ってランス殿は思い切り踏ん反り返った。
正直、このまるっきり我侭な餓鬼の台詞そのままの答えには眩暈を感じた。しかし、長くなるかどうかは分からないが、これから付き合っていかねばならない人物である。しかも私の命に関ってくる可能性がある。場合によってはさっさと見切りを付ける必要があるかもしれない。そう考えて彼を試してみる事にした。
「……それは結構ですが、些か難しい事ですね」
「なにぃ、俺様には出来ないと言うのか！」
「いえ、問題は貴方ではなくリーザス軍にあります」
と言うよりリーザス王国に、と言うべきだろうか。
「……ふん。確かにバレスの様なボケ老人を将軍にしているようじゃリーザスは駄目かもしれんな」
「ああ、いえ、そういう事でもなく」
「ならなんだ。はっきり言え」
どうやら、部下の意見を聴く程度の度量はあるらしい。
「まず、将兵の頭数です。現在リーザス軍の常備兵力は純粋な戦闘部隊だけで一万二千程度。これに対してヘルマン、ゼス共にその兵力は四万乃至五万以上と見積もられています」
攻者三倍の原則を出すまでも無く、これではとても話にならない。無論、両国とも西を魔物の世界と接しており、そこから兵力を引き抜く事は難しいし、作戦次第で敵兵力を分散させ決戦兵力で優位に立つ事は可能だが。
「増やせばいいだろう」
「そう簡単にはいきません。確かにリーザスはその国力に比べて常備兵力が少なく、その分動員力に余裕がある訳ですが、動員される市民兵は士気・能力共に問題があります」
他国に攻められたという状況なら、少なくとも士気の方は何とかなるのだが。
「ふーん」
「これはリーザス軍が国土防衛を目的としてきた為ですが、それに関連して補給の問題があります」
「補給？」
「ええ、現在のリーザス軍は基本的に国内で戦闘する事を前提としている為、大規模な外征に必要な兵站補給システムを持っていないのです。ですから現在の状態で他国に遠征した場合、短期間で将兵は飢える事になりかねません」
「ふん、腹が減っては戦は出来ん、か……」
兵站の重要性を少なくとも感覚では理解しているらしい。これで「食い物の事など知った事か」などと言うようなら、さっさと見捨てるつもりだったが。
「ならどうする？」
「は？」
「どうしたら良いか意見を聞いてるんだ」
「……これ以上の意見は職分を越えますが」
ついでに言えば私は軍人として専門教育を受けた訳ではない。単なる耳学問である。
「構わん。言え」
「……市民兵の動員は当然ですが、その殆どは補給部隊、支援部隊にする事になりますね。質の良い連中を選抜して、それは戦闘部隊に廻せば良いかと。
そして、まず自由都市地帯を攻略し経験と戦度胸を付けさせることです。個々の自由都市の戦力は大した物ではありませんし、連合されない限り勝てるでしょう」
……そして彼等を血と勝利に酔わしてしまえば良い。流石にここまで口にする事は出来なかった。まあ、私が言うまでもなく、この程度の事はアマリリス殿が考えているだろうが。
ランス殿の顔を見ると不機嫌そうな顔をしている。何が不満なのだろうか。
「それと、即戦力としては傭兵を雇うという手があります」
「傭兵ね……」
「リーザス軍ではあまりない事ですが、自由都市が傭兵を雇う可能性がありますから、その前に彼等をこちらに引き込んでおいた方が良いでしょう」
「ふん……」
ランス殿は鼻を鳴らすと背凭れに寄り掛かり上を向いた。
そのまま暫くそうしていたが顔をこちらに向けると私に命じた。
「いいだろう。マリスを呼べ」
「は」
私は短く返事をするとアマリリス殿を呼ぶ為部屋を出た。これ以上のことはアマリリス殿と将軍達の仕事だろう。私も今日は給料分以上の事をしてしまったかもしれない。
軍にランス殿直属の部隊が創設される事になった。黒青赤白紫に続く第六の軍であり、緑を軍団カラーにするそうである。また、登用される者は家柄や身分に関係無く実力を最優先にするそうである。実力はともかく柄の悪い集団になりそうだ。
昨日今日と大した仕事が無い。取るに足らない雑用ばかりだ。ただ、どうやらランス殿は書類仕事をした事が無い様なので一々教えなければならないが、それとて大した量ではない。どうやらアマリリス殿が処理できる事はそちらで処理しているらしい。そうでなければあの程度では済まないだろう。
私の部屋はランス殿の執務室の外にある為、必要が無い限り一人で居られるし、そもそもランス殿が執務室にいる事はそう多くない。流石に居眠りをする事は出来ないが、仕事が無ければ読書を楽しむ事は出来る。
もっとも、私が女だった場合貞操の心配をしなくてはならなかったようだが。先日の仕事に支障云々の理由が良く分かった。
プルーペットという商人が城に来た。自由都市地帯からリーザスにかけて手広く商売をやっており、リア様もちょくちょく利用されているようだ。
今日はリーザスの新王となるランス殿のご機嫌伺いを兼ねていた様だったが、二人は面識があったらしい。しかし、あまり友好的な関係とは言い難いらしく、些か険悪な雰囲気だった。キサラなる女性の借金が云々といった事でランス殿に半分脅されていたが、プルーペットの方は内心はともかく見た目は一向に恐縮していなかった。その外見の所為かもしれないが。
結局、その女性の借金をランス殿が肩代わりする事で話が着いたようだ。ついでに――いや、こちらの方が本筋だが――傭兵の手配をプルーペットがすることになった。
また、プルーペットは一緒に連れてきた女性を頻りに勧めていたようだがランス殿は首を縦に振らなかった。女好きとばかり思っていたが違うのだろうか。尤も自分のハーレムに寄越せとは言っていたから、或いは金を払うのが嫌だったのかもしれない。
本日、リア様とランス殿――これからはランス王か陛下と呼ぶべきか――の結婚式が行なわれた。全くもって儀式と言うのはうざったくて肩が凝る。まあ、結婚式は葬式より遥かにマシだが。
お祭り騒ぎとなっている城内で忌々しげな顔が幾つか見られた。不満が顔に出ていた者は極少数だったが、内心同じ考えの者は少なくないだろう。彼等は例外なく貴族であり、おそらく陛下の事を「出自も定かではない成り上がり者」と見ているのだろう。彼等とて先祖が「成り上がった」からこそ、今現在自分が貴族を名乗っていられる筈だが。
それと、陛下自身も不機嫌に近い表情であった。一体、この結婚はどういう経緯で行なわれる事になったのだろう。
今日の即位演説については何と言ったら良いのか。陛下があそこまで正直な人物だったとは……。周りの大半の人は不満と反感を抱いたようだがそれも当然だろう。
これから一波乱あるのは必定だろう。いや、一波乱程度で済むかどうか。
アマリリス殿も演説直後は流石に多少呆然としていたようだが、既に国内の情報収集などに動き出しているようだ。
軍に不穏な動きが有るらしい。白軍を中心とした兵力が演習の名目で城外に出るそうである。十中八九、いや間違い無く反乱の為の行動だろう。しかし、それを伝えた時の陛下の返事は「放っておけ」というものだった。
「しかし今の内なら首謀者を拘束する事も可能です。実際に事が起こってからでは傷が大きくなると思いますが」
「構わん。俺様に逆らう奴は徹底的に叩きのめしてやる」
そう言うと陛下は獰猛な笑みを浮かべた。
確かに、既に火は点いてしまっている。ここで中途半端に消火して長く燻らせるより、一度燃え上がらせて完全に消してしまった方が良いかもしれない。どちらが良いたかは全てが終わってから分かるだろう。無論、被害が最小限になるよう手を打つ必要はあるが。