ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾四話 C-Part
シンジ達三人は、大破した人型兵器のパイロットが収容されているという病院に来ていた。
その『戦略自衛隊病院』は、ＮＥＲＶ付属病院と違って電子化が進んでないらしく――シンジは『未だ手書きのカルテが幅を利かせているのだろう』などと思ったりした――情報を得る為にコンピューターでチョイチョイ、という訳にはいかなかったのだ。……言い出しっぺは、勿論アスカである。
受付けは閉まっていたが、探すと案内図があったのでＩＣＵは直ぐに分かった。
点滴を受け呼吸器を付けられた少年の脇で、リツコと医者らしき人物が話しているのを、ガラス越しに見下ろす。
「……で、コイツはなんだってあんなモノで暴れてたワケ？ やっぱり、ＥＶＡの破壊が目的？」
「いや、それにしては――」
「そんな筈ありません！」
アスカの疑問に答え掛けたシンジが振り返ったのと、新たな人物の叫びが響いたのは同時だった。
「そこに横たわってる人は、あたしの友達です！」
花束を抱えたマナがいるのを見て、シンジは何と無く溜息を吐いてみた。
「シンジ君は……私の事、信じてくれないの？」
病院の屋上でマナにそう言われたシンジは、入院患者の洗濯物がはためく様を眺めながら無言で頭を掻いた。アスカはマナを睨むように、レイはシンジを静かに見ている。
「取敢えず……何を？」
「なに――って……」
まずはそう訊いてみるが、マナは戸惑う。
「彼が霧島さんの友達だ、という事は信じられる事かもしれないけど、彼の目的については別だよ。彼の事を知らない以上、憶測だけで判断は出来ない」
「で、でも……っ！」
シンジの冷静な――冷徹とさえ言える言葉にマナは反論しかけるが、途中で口篭もった。向けられた目に耐えられず、視線を逸らす。
「彼がロボット兵器のパイロットであり、この病院に収容されたという事は、戦自の関係者だ、という事。なら、霧島さんを信じた事で、場合によっては戦自とコトを構える事になるけど……」
「そんなっ……それは……」
完全に俯いてしまったマナを、シンジはそれ以上言う事無く見詰めた。
とは言うものの、トライデントとやらのパイロットの目的が、ＥＶＡの破壊である事はあるまいとシンジは見ている。少なくとも、戦自が計画した上で、では無い。戦自自身にとっても今回の騒ぎがイレギュラーである事は、戦自部隊の動きを見ていれば見当が付く。
一つ息を吐いてシンジが続けようとした時、別の声が割り込んだ。
「いけないな、シンジ君。女の子を泣かせちゃ」
などと何時ぞやのお返しのような事を言って現れたのは、無論加持である。
「誰！？」
見知らぬ人物の出現に、マナは警戒心を露わにするが、
「落ち目の大関スケコマシね」
「……ポチ？」
間髪入れぬアスカとレイによる紹介（レイのは今一つ意味不明だったが）に、余計警戒心を募らせた。
端的かつ的確に彼を表現するものだったが、しかし加持はシクシク泣きながらしゃがみ込み、床にのの字を書き始める。
「え？ ど、どうしたの、この人？」
「ま、因果応報の見本――って奴かな……」
シンジと加持を交互に見遣るマナに、そう言ってやると加持に近付く。
「まあ、加持さん。『零れた水はまた汲めばいい』、とオオタコーチも言ってるじゃないですか」
「う、ありがとう、シンジ君。……ところで“オオタコーチ”って誰だい？」
肩を叩かれて慰められた加持は、何とか気を取り直して立ち上がった。
「で、加持さんはどうしてここへ？」
「ああ、ロボット騒ぎの少年の件で、ちょっと呼ばれたんだ。相手が人間だからな」
言いながら煙草のパッケージを取り出し、一本抜き取って口に咥えると残りをシンジに手渡す。シンジは自然にそれを受取り、ポケットに突っ込んだ。
「その彼が、彼女の友達だそうで」
「そうか、状況は不利だな……」
紫煙が静かに立ち昇る。
ややあってマナがポツリと零した。
「ごめんなさい……。みんな私の所為かもしれない」
顔を見合わせるシンジと加持。僅かな仕草で、加持は「任せた」とシンジに伝える。
「……『信じる』のは良いけど、それ以上は霧島さんが何をしたいのか判らないと、僕も動けないよ」
それを聞いた加持が、「四十点……だな」と呟くのが耳に入る。が、シンジは気にしない。節操無く他人に優しくして、耳触りの良い言葉で誤魔化すなどやるつもりは無いし、やれるとも思えない。
俯いたマナに視線が集まる中、加持が事態を纏めるように声を上げた。
「とにかく、早くこの病院から出るんだ。後は普通に生活してればいい。ただし君はもう病院へ来てはダメだぞ？」
病院を出たマナは、「家まで送ろうか」というシンジの申し出を断わり、悄然とその場を立去った。
その背中を見送り、シンジは後ろの二人に振り返る。
「それじゃ、僕達も帰ろうか」
殊更何でも無いように言ったシンジに、アスカが問う。
「ねえ、いいの？ 放っておいて……」
レイは何も言わなかったが、やはり何か言いたげな顔をしていた。
「言ったろ。今は動けない」
日常生活でのちょっとした悩みとは、訳が違う。相談に乗るとか、少しばかり手を貸す程度で済む事ではない。
それに何より、事に対する見返りが欲しいとは言わないが、意味ぐらいは欲しい。今はそれが無い。
「まずは、情報。折角、加持さんが情報を仕入れてくれた事だしね」
そう言って、シンジはポケットを叩いた。
「……餌が悪いのかしらね？」
“椅子”に座り芦ノ湖に向けて釣り糸を垂れる零号機を眺めながら、ミサトはそうのたまわった。
一体何の餌だとシンジは訊きたくもあったが、口にはしなかった。
「……こんな物を開発しているとは、知りませんでしたが」
第五使徒戦で拘束具を強化されていた事に気付かなかったばかりに、危うく茹で上げられかけたシンジは、その後技術部の動向についてはしっかりとチェックを入れている。にも関わらず、この「垂直式使徒キャッチャー」なるものは、初めて目にするものだった。
「ふふんっ。これはね、技術部じゃなく、作戦部で独自に開発したものよ！」
団扇片手に胸を張って言うミサト。シンジは溜息を隠す為に、紙コップを口に運んだ。
大方、第八使徒の事があって――なのだろうが、泥縄としか思えない。それも『泥棒を見て縄を綯う』どころか、『泥棒に入られた翌日縄を綯う』だった。
はっきり言って、金と時間と労力の無駄としか思えない。そんな事をするくらいなら、『作戦部』としてやる事をきちんとやって欲しい。今ここでこんな事をしているのもそうだが。
（一番良いのは、葛城さんをクビにする事なんだろうけど……）
横で湖の方を睨んでいる垂直式馬鹿を見て、シンジは無言で頭を振った。
ミサトの事は取敢えず頭から追払い、水面下にいるであろうモノに考えを巡らす。
加持のお陰で、ソレがやはりイレギュラーな事態によって、ここに潜んでいる事は分かった。マナの正体も……。
だからといって、どうしろというのか。この事態に介入して、事を収めるというのか。
別にシンジは、正義の味方のボランティアを生業にしている訳ではない。何もかも出来る訳ではないし、何より優先して守らねばならない者もいる。
シンジは黙っていたが、ミサトが苛立たしげに足を組替えるのを見て、忠告するように言ってやる。
「程々にして切り上げた方が良いんじゃないですか？ ＥＶＡを動かすのも、タダじゃないんですから」
「冗談じゃないわ、ここまで来て諦めるもんですか。これは女の意地よ」
「……はぁ」
「碇司令は何か隠してるわ。だから焦らしてやるの」
『何を今更』と内心で嘆息する。ゲンドウが“何か”隠しているのは今に始まった事ではないし、この程度で尻尾を出すような男でもない。
シンジのゲンドウに対する評価は『悪巧みしか能の無い、小心者』だが、決して甘く見てはいない。この十年間、その“悪巧み”の才能でＳＥＥＬＥや各国政府などと渡り合ってきたのであるし、“小心者”は勇気に溢れている者より相手取るには厄介だった（ただしゲンドウの場合、その小心も度が過ぎている部分があるが）。
はっきり言って、ミサトなどでは『腹の探り合い、化かし合い』で勝負にもなるまい、とシンジは判断している。――恐らく今も、一滴の汗すら流させていないだろう。そもそも焦らすような真似が出来るなら、ミサトはとっくに始末されているだろう。
もっとも、ミサトが適当に馬鹿な事をやってくれれば、シンジが動く為のカモフラージュになる――かも知れない。実際、シンジがここにいるのは、独自にロボットやマナの事を調べる、その途中であった。
爪を噛むミサトを一瞥すると腰を上げる。その場を離れる前に通信機のマイクを取った。
「綾波、僕は帰るけど、晩御飯何か食べたい物ある？」
『……何でも良い』
スピーカーから流れてきた応えに苦笑する。『碇君の作ったものなら、何でも良い』というニュアンスであるのを察したシンジだったが、もっとはっきり意思表示をしてくれればな、とも思う。
「ちょっと、シンジ君。私用で機械を使わないで」
文句を付けたミサトの喉を、少しばかり摘まんで黙らせる。こんな事にＥＶＡを使っている作戦部長などに、何かを言われたくはない。
妙な声で「あうあう」と唸っているミサトを尻目に、シンジはテント脇に停めてあったバイクに跨ると、そこを走り去った。
暫くは何事も無く、数日が過ぎた。無論水面下では、シンジを含め複数の思惑が蠢き、絡み合っている。
マナは、未だ何も言わない――どころか、学校にも姿を見せなくなった。
そして、ある深夜。三度ロボット兵器――トライデントが姿を現した事で、動きは再び加速を始めた。
トライデントが戦自の戦車部隊と戦闘を繰り広げている事は、直ぐにＮＥＲＶ本部に伝わった。広がりつつある破壊を懸念するように、青葉が報告するが、
「好きなようにさせておけ」
ゲンドウはいつものように傲慢な応えを返した。それに対して、一応常識的に聞こえる意見を述べる冬月。
「しかし連中にＥＶＡの施設を傷付けられたら厄介だぞ。修理の費用も嵩む一方だ。あそこの作戦行動は無茶苦茶に破壊しまくるからな」
「奴等のプライドを潰すには丁度良い。間違いは体で覚えるべきなのだ」
自覚していなければ、進歩もあるまい。相も変わらず自分達の事を、事象の地平の向うまで放り出している二人だった。
恐らく彼等も、シンジ達がせっせと足元に掘っている落し穴に転がり落ちてから、自分達の間違いに気付く事になるのだろう（それでも気付かない可能性があるが）。
「戦自の少年兵――か。何処もやっている事は同じね」
「まあね」
我が身と比べたのか、発令所の片隅で待機中のアスカが吐き捨てるように言い、シンジがそれに応える。
時代と場所によっては『少年兵』など珍しくもないが、
「セカンドインパクトからこっち、日本でも子供の命が安くなったからね」
経験に乏しく寄る辺も無く利用し易い子供は、そういうモノを必要とする組織には重宝なのだろう。使い捨ての消耗品として。
「……それで、アイツらをどうするの？」
アスカが訊いてくる。
『アイツら』の身元は既に知っている。今、街で暴れている『ムサシ・リー・ストラスバーグ』。大破したトライデントから回収され、病院に収容された『浅利ケイタ』。彼等が戦自の脱走兵である事は。そして、『霧島マナ』が彼等の仲間である事は。
「助けてやる……べきなんだろうね。実を言うと準備はしている。時田さんに頼み込んで、彼等の新しい戸籍なんかを用意してもらってね」
そう言ったシンジに、レイが無言で尋ねる。「ならば、どうして直ぐに助けてやらないのか？」と。シンジならばＥＶＡを使わなくても、トライデントを押さえ込んで彼を連れ出す事も簡単、とは言わないまでも不可能ではない筈だった。
「彼等だけなら、ね」
シンジは説明する。戦自の少年兵はマナ達だけではない。そして、彼等は戦自にとって表沙汰になっては不都合な事である。マナ達の事が切っ掛けになって、それが明らかになったら（或いは明らかになってしまうと戦自が判断したら）彼等はどうなるか。悪くすると『戸籍の無い、幽霊のような存在』から、『本物の幽霊』になりかねない。
マナ達を助けるのなら、そちらのフォローもしない訳にはいかない。シンジは「面倒な事だよ」、と嘆息する。
「それに、だ。彼等が身一つで逃げ出してくれたのなら、まだ良かったんだよ」
ならば戦自にとっては、先の事に加え規律と面子、そしてちょっとした責任の問題だけで済んだ。だが、高価な試作兵器を奪われ、それが選りに選ってＮＥＲＶの縄張りである第３新東京に逃げ込み、挙句に暴れ回って人死にまで出した、となるとそうもいかない。たとえマナ達を死んだ事にしても、そう都合良く納得して諦めてくれるものか。
まあ、シンジは戦自（だけに限らない）が手の出せない場所――メリダ島を持っている。そこに匿えば、まず彼等の身は安全だろう。だがそれは彼等を別の檻に入れる事であり――檻の中が嫌だと逃げ出した彼等に対する扱いとしては、甚だ不適当である（とシンジは考えていた）。
未だ続く戦闘の模様を映し出しているスクリーンを見て、シンジは頭を掻き回す。自分が彼等と同世代である事は、取敢えず置いておく。とは言え、
「まったく、考え無しのガキが、始末も付けられないくせに。――と言っても、彼等の境遇を考えれば、気持ちは解らなくもないんだけどね」
解るだけに大声で喚くような事も出来ない。
これまで力で押さえられる立場の彼等は、トライデントに乗って思ったのだろう。「これさえあれば」と。また、身一つで逃げられそうも無いから、トライデントを奪いもしたのだろう。
だが、彼等は理解していない――識らないというべきか。力を揮うというのは恐ろしい事だと。どんな力も限界――出来る事と出来ない事があるという事を。
それを識った時は取り返しが付かない時だ、というのは珍しくも無い。そして、揮う力が大きければ大きい程、気付いた時の後悔は大きい。
そう言ったシンジの横顔を、アスカとレイは無言で見詰めた。
「……碇君は……」
口を開いたレイだが、それだけで言い淀む。訊きたい事を察したシンジは苦く笑う。
「うん、経験済みだよ。僕はそれ程出来の良い人間じゃないからね。自分で痛い目を見なければ解らなかった」
世の中にはそんな事例はいくらでもある。きちんと目を開け耳を澄ませていれば、回避は出来る筈なのに。人の愚かさ、と言うべきか。無論、無自覚に力を揮いながら、気付く事無く一生を終えられる“幸福”な人間も居ようが。
それとは別に、シンジは今回の事の収め方を考える。場合によっては、自分が手を汚すしかあるまい。その事を心の内で密かに決める。
押し黙った三人に、その時手持ち無沙汰らしいミサトが、呼びもしないのに近付いてきた。
「あ〜ら、三人共何話してるのかなぁ？ アタシに教えてくんない？」
などと能天気にのたまわったミサトに、シンジは無言で一瞥しただけで目を逸らし、アスカは犬でも追い払う様に「シッシッ！」と手を振る。そしてレイは。
「……教えてあげないよ。じゃん」
三人のやったどれが最もダメージを与えたのか、ミサトは泣きながら発令所を飛び出していった。それを見送った後、シンジはレイに忠告した。
「綾波、ＣＭネタは風化が激しいから、使う時は気を付けた方がいいよ」
「……分かったわ」
「って言うか、いつの奴よ？」
結局、街に繰り出したトライデントは暴れるだけ暴れて、再び芦ノ湖に消えていった。
待機を解かれた三人も家に帰り、アスカとレイは「夜更かしは美容の敵」とばかりにさっさと寝たが、シンジはそうはいかない。ＮＥＲＶに予定外の拘束をされたが為に潰れた予定を取戻すべく、またも徹夜をする羽目になり――翌日、その為に不足したものを解消するべく当然の如く教室で睡眠を取っていた。
だが、何か切羽詰った気配が慌しく近付いてくる事で、それは中断された。
「……おはよう、霧島さん」
暢気とも言えるシンジの挨拶に、しかしマナはそれに応えなかった。焦った声と顔で告げる。
「シンジ君……。居ないの」
「はいっ？」
いきなりそんな事を言われても、流石にシンジにも意味不明である。
「いない――って誰が？」
「集中治療室のケイタが」
「……ああ」
その名を聞いて、ようやっと納得した。身体を起こして、マナに向き直る。
「病院に行ったのか」
「だって、いないんだもん！」
（いや、『だって』と申されましても……）
シンジはそう思ったが、思うだけに留めた。相手がパニックを起こしかけている事に気付いたからである。こういう時は、行動した方が良い。
「受付で訊いたら、そんな人は入院してないって……」
「じゃ、一緒に行ってみようか」
マナがそれ以上言おうとするのを押し留め、立ち上がって促す。
「ちょっと待ちなさいよ。アタシも行くわよ！」
その行く手を阻むように、腰に手を当てたアスカが仁王立ちしていた。後ろにはレイも控えている。
何か言い掛けたシンジだったが、こちらも説得は無駄だと察し、口を閉じて肩を竦めた。
「……いないでしょ？」
不安と焦燥を滲ませたマナが言う通り、ＩＣＵは蛻の殻になっていた。
「病室も探したんだけど……」
どうやって調べたのだろう、と思う。隠すつもりなら部屋の入口の名札は役に立たない。一々扉を開けて、中を覗いたのだろうか。そんな事を思っていた所為か、
「……霊安室は？」
つい、そんな事を訊いてしまう。
「シンジ君！」
「ごめん」
咎める顔と口調を向けるマナ。シンジも自分の言った事が悪趣味であったのを自覚していた為、素直に謝る。
取敢えずその事は置いておいて、どうするか沈思する。受付で聞いても――口止めされているのか、そもそも知らないのか――埒が明かないようであるから、正攻法では無駄であろう。適当な人間を捕まえて、シメてみるしかないか。
物騒な事を考え始めたシンジの耳に、アスカが囁く。
「ねぇ、監視か何か付けとかなかったの？」
「う〜ん。どの道、動けはしないんだから、考慮に入れなかった」
シンジが使えるモノも、そう多くは無い。そういうものに力を割く訳にもいかなかった。
「ＮＥＲＶに連れて行かれたとか、聞いてない？」
それを期待しているのか、マナが訊いてくる。
「いや、ＮＥＲＶに動きは無い。彼を連れて行ったところで、別にＮＥＲＶの利益になる訳で無し……」
「あいつら、自分達の得になる事しかやらないからねぇ……」
マナが考えているのと違った意味と情報源からシンジが答え、アスカも腕を組んで頷く。もっとも、慈善団体でもない限り、組織が自己の利益を優先するのはおかしくないが。
「もしかして、引き戻されたのかも……。奴等に」
そう言って俯いたマナに、視線が集まる。『奴等』と言うのは、訊かなくとも分かるが、
「アンタねぇ……。何も言わないで、ただこっちを利用しようなんて、ちょっとムシが良過ぎない？」
堪えかねたアスカは声を大きくした。ＮＥＲＶの例があるので、このような手合いに対してはどうにも不快感が募る。
更に俯きを深くするだけで沈黙するだけの相手に、尚も言おうとしたアスカだが、目の前に突き出された手に気勢を削がれた。視線をその掌から肩へ。そして顔へと移すし、更にシンジの向いている方に目を遣る。
黒服を来た男が二人、こちらに向かってくる。揃って『脳まで筋肉』『暴力専門』『下っ端』、そういう言葉が書かれた見えない札を下げているような連中だった。サングラスの向こうに隠れた目は窺い知れなかったが、顔は真っ直ぐマナに向けられている。
「余り情報源として役に立ちそうも無いけど……」
呟くと、シンジは身体を黒服達と三人の間に入れた。
僅かに筋肉を緊張させるが、それでもこちらを子供と侮っているのか歩みは止めない。その彼等に向かって、シンジは出来るだけ愛想良く（成功したとは言い難いが）言ってやった。
「彼女を連れて行きたいようですね。出来れば僕も同行させて頂けませんか？ ああ、僕はＥＶＡのパイロットですけど」
それを聞いて、問答無用でマナを拉致しようとしていた彼等は、ほんの少し戸惑いの表情を浮かべ、お互いに顔を見合わせた。
シンジ達を病院外に連れ出した黒服の二人は、駐車場の片隅に停めてある黒塗りの車の所に来ていた。（シンジはアスカとレイを残して置くつもりだったが、それはアスカ達自身が許さなかった）
一人がシンジ達の監視と警戒に当たり、もう一人は何処にか連絡を取ろうとする。が、スイッチを入れる寸前、相棒がくず折れるのを目にした。
「なっ――！」
声を上げる暇もあればこそ。彼は自分の身体のどこかに衝撃があったのを感じると、意識を手放した。
最後に見たのはシンジの笑顔。シンジのシャツのボタンが千切れており、その口が「おやすみなさい」と動いたのは、分からなかった。
倒れた黒服から取敢えず武器だけ取り上げると、シンジはトランクを開け二人をそこに放り込んだ。蓋を閉じて振向き、やけに馴れた手際を見てポカンとしているマナに、声を掛ける。
「ほら、霧島さん。車に乗って」
「え……あ……」
何とか我に返えると、既にアスカとレイは車に乗り込んでいた。運転席に半分身体を入れたシンジが再び促すと、マナは半分混乱したまま彼等に倣った。
「……うっ」
唸りながら薄目を開けた男は、そこから入ってきた光に網膜を刺激され、目を閉じてしまった。目蓋を通しても感じる明るさに眉根を寄せると再び、今度はゆっくりと目を開ける。
目の前には、少年の顔があった。数秒でそれが誰か認識する。
「貴様っ！」
掴み掛かろうとして、しかし彼は自分の身体が言う事を聞かないのに気付き、愕然とした。拘束をされている感触は無い。だが、改めて試してみても、指一本すら動かせない。
男のそんな様子を気にした風も無く、少年――シンジは話し始めた。
「いきなりで申し訳ありませんが、貴方はジュネーブ条約に基づく取り扱いを認められません――というか、基本的人権もありません。従って、こちらの質問に速やかに答えるのが身の為です」
抜け々々と言ってのけるシンジに、男は歯を噛み鳴らしながらも数少ない可動部分である目を動かし、何とか状況を把握した。シンジの背後に山が連なっている。自分は上半身を起こしており、背を車に寄り掛らせられているらしい。少し離れた所で同様の姿勢を取らされている相棒は、意識が無いようだ。
「別に大した事は訊きません。貴方の所属、浅利ケイタの居場所、霧島さんを拉致しようとした目的。これだけです」
そんな男に、淡々と問い掛けるシンジ。尋問――と言うには穏やか過ぎる喋り方に、身動き一つ出来ない男はせめてもの抵抗とばかりに、フンッと鼻を鳴らした。
所詮はガキ……。そう思っての事だったが、直ぐにそれが間違いである事を思い知らされた。
シンジの気配が、冷たいものに変わる。男の片手を取り、小指を掴むと無造作にその関節を外す。
「っ！？」
突然の事に男が悲鳴を上げる間も無く、シンジは続いて薬指を外す。そこで漸く男は声を出した。
「ぐあぁっ！」
苦鳴を耳にしても、シンジは眉一つ動かさない。更に残りの三本の指を外した。のた打ち回る事すら出来ない男を見下ろし、尋問を再開する。
「話して頂けないのなら、このまま外せる関節は全て外します。それでも駄目なら、爪を剥がして骨を砕きます。ショックで死んでも構いません。もう一人の方に御協力願うだけですから。……ちなみに死体は、一寸刻みにして野犬の餌です」
平然と言ってもう片方の手を取った悪魔のようなガキを、男は脂汗を流しながら見る。それを見返す目には、凍るように冷たい光があった。
その手が未だ無事な指に掛けられた時、男は降伏した。
山間を抜ける道路に設けられた駐車場兼休憩所。そこに一台だけ停められた車の陰から聞こえてくる悲鳴を、マナは盛んに気にしていた。
そんなマナに、ジュース片手のアスカが話し掛けた。
「で？ ここまでアタシ達を巻き込んでおいて、まだお惚けを決め込むつもり？」
「そ、それは……」
言い淀むマナ。
「言っとくけどね、アンタが普通の転校生じゃない事くらい、とっくにお見通しだったわよ！」
「――碇君が」
胸を張って言ったアスカだが、横から突っ込まれて振向く。そこではレイが素知らぬ顔で（地かもしれないが）、ジュースを口に運んでいた。
「そ、そうとも言うわね」
詰まりつつ誤魔化すアスカ。そうも何も、シンジが指摘するまで全く気が付かなかったのが真相だが。アスカはレイの視線を受けながら言葉を継ぐと、マナを睨み付けた。
その視線に耐えられずマナは「……そうなんだ」とだけ呟いて俯き、そんな彼女にアスカは更に苛立ちを募らせる。
（えい、どうしてくれようこの女……）
『キャン、と言わせてやろうか』などとアスカの思考が些か物騒な方に傾き始めた時、いつの間にか悲鳴が聞こえなくなった辺りで、シンジが立ち上がったのが見えた。思わず力を抜くアスカ。レイも同時にそれに気付き、マナは二人の様子から事を察し振り返る。
歩み寄るのを迎える三人の誰かが言葉を掛ける前に、シンジは首を振りながら口を開いた。
「浅利ケイタの行方は分からない。霧島さんを連れて行こうとした目的も知らない――そうだ。……元から期待はしてなかったけど」
そこまで言って、その場の雰囲気が予想以上に悪い事を感じ取る。浅利ケイタがどこに連れて行かれたのか、最も知りたい筈のマナもシンジと顔を合わそうとしない。
取敢えず、アスカとレイに目で問う。が、アスカは決まり悪いのを誤魔化すように鼻を鳴らし、レイの方は今一つ雰囲気が読み切れていないのか黙って見詰め返す。
四人が四人ともが其々押し黙り、無音がわだかまる。
何処と無く抜けた間を、マナの呟きが崩した。
「……気が付いてたんだ」
「ああ……まあ、ね……」
短く尋ねる言葉から直ぐに察しを付け、シンジは頬を掻きながら頷いた。
「いつから……？」
「最初から」
続く質問に、キッパリと言う。
「教室で見た時に変だと思った。屋上で話して確信した」
「えっと、あれ……？ “シンジ君が”気が付いたの？」
てっきりＮＥＲＶの方に正体を捉まれていたと思っていたマナは、意外な事に驚く。
「…………敵わないなぁ、シンジ君には」
頷くシンジを見てマナはそう言うと、鬱な気持ちを吹き飛ばすように笑い声を上げたが、そこまでだった。再び沈んだ声で尋ねる。
「私を泳がせてたの……？」
「泳がせていたと言うか……別段こっちを傷付けるつもりが無いようだから、放って置いた――と言うのが正確なとこかな。あんまりにも素人丸出しだったから、陽動という可能性も捨て切れなかったけど」
「そう――なの……？」
「接触した初日から、核心の事を聞いてくるもんじゃない。霧島さんには悪いけど、『スパイごっこ』のレベルだね」
「…………」
あんまりと言えばあんまりなシンジの評価である。とは言え、シンジは今回の事で１rも油断はしていない。マナが本当に囮だった場合、痛い目を見るのは自分達であったから。
黙ったマナに、何呼吸かおいて言う。
「それで……霧島さんの事については、大体の所は分かっているけど。改めて、話して貰えるかな？」
促されても暫く逡巡していたマナだが、やがてポツリポツリと話し始めた。
シンジの日常を監視する為送り込まれた、戦自の少年兵である事。得た情報はロボット兵器の開発部に行き、操縦席の改良に用いられる事。
これを聞いた時、シンジ達三人は其々嘆息した。ＥＶＡの『シンクロ･システム』は現行の機械のコントロール・システムと比べて、言わば規格外の代物である。精々が「何かの参考にならない事もない」、といった所だろう。直ぐに使えるものと言ったら、インテリアのデザインや緩衝装置の辺りだろうが、これも態々ＥＶＡのパイロットをスパイして手に入れる程の物ではない。
果たして、何を考えてマナを送り込んだのか。
「な、なに……？」
思わず額を寄せ合って囁き交わす三人に、マナは戸惑いの声を漏らした。
「いや、何でも無い。続けて」
「う、うん……」
気を取り直して続ける。ロボットの操縦兵となったが、マナ自身は一ヶ月もしない内に内臓をやられてリタイアした事。ケイタが脱走を試みて失敗し、それから彼に対する風当たりが強くなった事。
「……私とムサシとケイタの三人は、いつかロボット兵器で脱走してやろう、って冗談で言ってたのに……それを本当にしてしまうなんて……」
挙句にこの大騒ぎか、とシンジは思わずこめかみに手をやる。
「私も共犯だから追われて当然よね……」
そう吐き出した自嘲含みの言葉を最後に黙り込む。
その場に満ちた重い沈黙は、シンジが声を発する事で破られた。
「……事情は解った。それで、霧島さんはこれからどうしたいの？」
「え……」
シンジは疑問を呈したものの、マナが何を望んでいるかくらいは気付いていた。しかし、
「言っておくけど、ＮＥＲＶはアテに出来ないよ」
冷たいと言って良い程、静かな声で告げる。
「連中――は自分の得になる事しかしないから。霧島さんが、何か取引き材料でも持っていれば別だけど」
そんな物無い事などシンジは疾うに承知している。当然のようにシンジの言葉に戸惑うマナ。だが、ある事を思い出して声を出す。
「あ、でも、シンジ君のお父さん――って……」
「他人だよ、アレは」
シンジは、マナの期待を込めた言葉を肩を竦めながら斬捨て、更に戸惑いの色を深めたマナを横目に言を接ぐ。
「霧島さんが知らなかったのは、ちょっと意外だけどね。確かにアレは血統上の父親ではあるけど、今は寧ろ“敵”でしかない。だから、悪いけどこちらから何か頼んで、弱みを見せる訳にはいかない……」
見せればゲンドウの事、嬉々としてそれに付け込んでくるのは間違い無い。契約の改正くらいは要求してくるだろう。その様子――いつものポーズでの――を想像して、シンジは内心で密かに苦笑した。
それを聞いたマナは、「そんな……」と呟いたきり、俯いて黙り込む。そうなるのも仕方が無い事であるが、気落ちされても事実が変わる訳でもない。
上を振り仰いだシンジは、地上の鬱々とした空気を知らぬげな青空に向けて、大きく息を吐き出した。黒い影が視界を過ぎり、旋回しながら降下してくるのに一つ頷き、
「……取敢えず、ここでこうしてても仕方無いし、追手も掛かってない事だし僕の家に行こう」
言って三人を促すように、停めた車に向けて歩き出す。
アスカが「ほらっ、ボケッとしてないでさっさと来なさい」などとマナに言うのを聞きながら、シンジは車の陰に放り出しておいた男達を足で除ける。ゴミのような扱いをされても、男達はピクリとも動かない。死んでいない事は、顔色や僅かに上下する胸を見れば判るが。
車に乗り込もうとしたレイがそれに目を留め、既に運転席に座っていたシンジに尋ねる。
「碇君、あれ……」
それだけだったが、シンジはその短い言葉と目線だけで言いたい事を察した。自分も転がった男達に、再び一瞥をくれる。
「命には別状無い。放っておいて大丈夫だよ。一年ぐらい寝ている筈だけどね。――多分」
「……たぶん？」
何処となく自信無さげなシンジの物言いに、レイは小首を傾げる。シンジはその、様子に少し笑って説明を加える。
「こういうのは数時間――長くても数日というのしかやった事無いから。理屈では大丈夫な筈だけど、実際はどうだか……。まあ、解除はいつでも出来るから、もし一年経っても目が覚めなければ起こしてやるから心配は要らない」
ただし一年後、シンジ自身が生残っている必要があるが。
その事は口にする事無く、乗るようレイを促す。次いでアスカとマナも乗り込んだのを確認すると、車を出す。
相変らず沈んだ様子のマナをバックミラーを通して見遣っていると、そこに打ち捨てられた黒い固まりがチラリと映り込んだ。
……『命に別状は無い』と言っても、意識が無い以上長期間に渡って彼等が生存するには、それなりの措置――点滴のような――が必要になる。その辺りは戦自に任せるしかないが……放っておかれた場合は彼等の就職先の選択の失敗、という事で己の過ちを嘆いてもらおう。
などと、些か無責任に考えながら、シンジは車を駐車場から道路に出した。
マナを伴ったシンジ達は途中何事も無くマンションに到着したが、車中で一言も喋らなかったマナはここでも暗い雰囲気を身に纏っていた。
夕食を終えても変わらずの鬱陶しいとも言えるその空気に、アスカなどは怒鳴り声を上げたくもなったが、シンジに目で窘められ辛うじて抑えた。
そのマナがシンジに勧められて風呂に入るべく洗面所に姿を消すと、先に上がったアスカが濡れた髪をタオルで拭きながら尋ねる。
「で、結局どうするわけ？」
「勿論助けるさ。懐に入った窮鳥を放り出すような真似は出来ないからね」
コップに牛乳を注いで差し出しながら答えるシンジ。タオルを首に掛け、それを受取ったアスカは少し眉根を寄せた。
「なら、はっきりとそう言ってやった方が良いんじゃない？ いつまでもアレじゃ、鬱陶しいわよ」
「まあ……そうなんだけどね」
シンジは顎に手を当て、少し考える仕草をする。確かにアスカの言う通り、はっきりと「助けるから心配するな」と言ってやれば、マナも少しは元気を出すであろう事は間違い無い。それが分かっていて、何故そうしないかと言うと。
「……ちょっとばかり“覚悟”が足らないかな――て」
言った事の意味が解らない様子のアスカとレイに、自分でも振り返るように言う。
「まず、利用しようというのは構わないんだけど――」
「構わないの！？」
「構わない。ただその場合、利用された方が思う通りに動いてやる義理は無いしね」
利用されても、その事自体にシンジは憤る事は、まず無い。害が無ければ放って置くし、害があったら素知らぬ顔で利用し返すか、質が悪ければ相応の報復措置を取るだけの事。
「それに今回の事は、たとえ頼まれたとしても……“子供のお願い”にしては、少しばかり事が大き過ぎるからね。最悪、こちらの命が懸るくらいに」
自分の『頼み』で相手が命を落とすかもしれない。その場合、それを背負う覚悟があるのか。その辺りをマナが考えているように見えない事が、シンジは気に掛かった。
「ただし」と付け加える。マナにしてみれば『シンジを通じて、ＮＥＲＶに頼みたかった』のであろうし、まさかシンジが父親である“筈”のＮＥＲＶ総司令と断絶状態にあるとは思ってもみなかったのだろう。
更に、マナがこれまで『上官と命令に服従する』という環境にいた事も、考慮に入れるべきだろう。彼女は『兵』でしかないし……ある行動にどんな意味が有りどんな影響をもたらすのかを考え、それに対して責任を取るのは兵の役目ではない。
である以上、マナがそこまで考える事が出来なくても、責める事は出来ない。
ただ、少しばかりシンジの趣味に合わない。見返りが欲しいなどと言うつもりは無いが、僅かなりとも考えて欲しい。そういったところだった。
「もっとも、度が過ぎると、覚悟がある事を『言い訳』にされちゃうから、それも困るんだけどね」
シンジの言葉に二人――特にレイは無言のまま、思いに沈む。それを見遣ってシンジは息を吐き出し、自分の分も牛乳を注ぎつつ言う。
「とは言え、やる事は変わる訳でもないんだけどね。……それにしても『ムサシ・リー』――だったけか。さっさと機体を捨てて逃げてくれていれば、手間が省けたんだけど」
どの道、燃料・弾薬の残りは恐らく後一会戦分が精々。しかも、あのデカブツを整備も無しに動かしているのだから、次に起動した時まともに動くかどうか。そんな代物に執着しても、無意味どころか有害なのだが。しかし、
（無理だろうな……）
そう思う。なんと言っても、彼には他に頼れる物が無いのだ。
シンジは、コップの中身を一息に飲み干した。
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