ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
拾参第話 A-Part
カーテンの隙間から漏れる銀光が、顔に掛かった事を瞼を通して知り、アスカは薄く目を開けた。
眠っていた訳ではない。ここ暫く、アスカは寝付きが良くなかった。
タンクトップに短パンというしどけない姿にタオルケットを絡ませ、何度か寝返りを打つ。やがて小さく唸り声を上げると、意を決したように上半身を起こす。
乱れ、顔に掛かった髪を鬱陶しげに払うと、リビングに繋がる引戸に目を向けた。
立ち上がるのが面倒なのか、四つん這いでそちらに向かうと、戸に耳を押し当てるようにして向こう側の気配を窺う。その先では、この家の家主が未だ眠らずにいる筈だった。
アスカ達が眠る頃にはどこかに出掛けている事も多いシンジも、今日は外に出る事無く家でなにやら作業している。もっとも、いつふらりとどこかに行ってしまうとも限らないが。
暫くそうしていると、やがて気配はダイニングに移る。そちらで微かな物音が生じ、何分か待ってもそれがダイニングから動かないのを確認すると、そろそろと戸を開ける。
無灯のリビングに、頭だけ突き出しシンジのいる方へ顔を向けるが、
「っ！？」
不意に電子レンジが立てた音に驚き、部屋に引っ込もうとして頭をぶつけた。
「……何やってんの？」
声を抑えて痛みに耐えていると、上の方から声が掛けられる。僅かに含まれた笑いの気配に、思わずムッとして顔を上げるが、シンジの顔を直に見るとバツが悪くなり口篭もる。
「……気付いてたの？」
「まあ、しきりにこっちを窺っている気配がしていたからね。……それより牛乳を温めたんだけど、飲む？」
そう言ってシンジは両手に持ったマグカップの内、片方を掲げて見せた。
カップを口に運びながら、言葉を発する事無く時折シンジの方に目を遣るアスカ。一方のシンジも無言のまま、こちらはコーヒーから立ち上る湯気を顔に当てていた。
部屋は流石に明かりを灯していたが、漂う雰囲気は明るいとは言い難いものだった。
「ねえ……」
「ん……？」
それを振り払うように口を開いたアスカだったが、短く答えたシンジが顔を向けと口篭もる。それでも、何とか躊躇を言葉と共に体外に押し出した。
「…………加持さんの事……シンジは何時から知ってたの？」
「まあ……あの人が日本に来て直ぐに、かな」
尋ねられ、シンジは小さく首を傾げて答える。
「加持さんが弐号機の運搬と合わせてアダムを本部に持ち込んだのは――ああ、今更隠しても仕方ないから言うと、弐号機はアダムを運ぶ為の囮だったんだ――分かっていたから、それから重点的に調べてね。……もっとも、僕が調べるまでも無く、碇司令の方も先刻承知の事だったけど」
「…………」
何でシンジがそれを告げなかったのか。今なら聞くまでも無い。
アスカは手の内にある温もりを両手で玩ぶようにしながら、その事を心の内で転がしてみる。
長い時間掛けて飲んでいたそれは、随分と冷めてきていた。
コトンと音を立ててカップをテーブルに置くと、漏れ出すようにゆっくりと喋り始める。
「アタシね……ママがお墓に入れられる時……パパが新しいママを連れてきた時、思ったの……。『アタシは子供じゃない。自分で考えて、一人で生きる』って……。でも――」
俯いた拍子に髪が落ち掛かり、アスカの顔をシンジから隠す。
「――でも結局、ＥＶＡに縋って、加持さんに――大人に縋って……。バッカみたい」
アスカの肩が小さく震えるのを見て、シンジは黙ってカップを下ろした。ゆっくりと手を伸ばし、アスカの髪に触れる。
一瞬、ビクリと身を竦ませたアスカだが、それを拒む気配は無い。髪を梳くように撫でるシンジの手に、黙って頭を委ねる。
シンジもそうしながら、頭の中で言葉を選んでいた。
「……そう、自分を卑下するもんじゃない」
漸く出てきた言葉の陳腐さに、顔には出さず自嘲する。
「どんな人間だって、多かれ少なかれ何かに縋って生きているんだから」
それは“人”であるとは限らない。物であったり、主義思想・信念といった抽象的なモノである場合もある。それが悪い、などとは思わない。それも生きていく為の方便だろう。
――まあ、程度が過ぎなければ構わない、だろう。おそらく。
「……じゃあ、シンジはどうなの？」
今度は辛うじて泣く事を堪えたアスカが顔を上げ、尋ねる。
シンジは何かに縋っているようには見えない。一人で何でも出来るように見える。
「そんな事は無いと思うけど……」
そう言われて、シンジは首を傾げる。
「ファウストやスルトには十分面倒を掛けてるし、一人で出来ると思うならアスカや綾波を引き入れる事だって、そもそもしやしないよ」
テーブルについていた腕を放し、背凭れに身を預け天井を見る。
「僕は全知全能じゃないし、万能ですらない。自分に限界が在る事は弁えてる。……人間、一人で生きていけないのも、良く分かってるしね」
ただ、シンジのそれは“頭で”の事で、本当の意味で“分かって”いるか、となるとそれは疑問である。本人は気が付いていないようだが。
そのまま視線を上に固定していたシンジだが、自分の顔に向けられた気配を感じた。そちらを見て、妙な表情をしているアスカに尋ねる。
「何？」
「ん……アンタがそういう“当り前”の事を言うと、な〜んか違和感があるのよね……」
「……ああ、世間一般で言うようなのとは違うよ。そう言う意味なら、それこそジャングルだろうが砂漠だろうが――陸棲哺乳類が生存可能な環境なら、一人で放り出されても何とか生きていける。ただ、絶対的な孤独に近いものを体験してるから……」
シンジの言った事に、無言のまま疑問をぶつけてくるアスカ。
「大した事じゃない。ただ単に感覚を全部遮断されただけ。……あれは、きつかった。自分の意識以外が、全く存在していないって言うのは。やる度に、発狂寸前になったし」
それに比べれば、この世は何と“自分以外のモノ”に満ち満ちている事か。シンジはそれを思うと、感嘆の吐息が漏れそうになる。
「…………ふ〜ん。それも修行？」
「ま、ね……」
小首を傾げて尋ねたアスカに、曖昧に頷いたシンジは次の瞬間笑い出す。
「な、なによ……？」
「……いや……我ながら、あの時は随分と情けなかったな、て。みっともなく泣き叫んで……」
（「もう、嫌だ」なんて、現実を拒否しておきながら……ねぇ……）
笑いを収める事無く、その時を振り返る。あの時は、結局自分は何も知らない子供でしかなかったのだろう。……今が、あれからどれほど変わっているかは、分からないが。
そんな事を考えるシンジを、何か訊きたそうな顔で眺めていたアスカだが、やがて大きく息を吐き出すと温くなったカップの中身を一息に飲み干す。
「なんか、どうでも良くなってきちゃった、アンタの顔見てたら」
「……そりゃ良かった」
頷いたシンジに首を振ったアスカは、カップを置いて立ち上がった。
「もう寝るわ」
「うん、おやすみ。…………アスカ？」
一度挨拶してから、呼止める。
「なによ？」
「……添い寝してあげようか？」
さり気無い一言に、アスカは一瞬キョトンとし、次の瞬間一気に顔を紅潮させた。
「バ、バカっ！」
照れ隠しか、アスカは大声を出すとそのまま足音高く自室に引き上げ、音を立てて戸を閉めた。
シンジはもう一頻り笑ったが、アスカの姿が消え布団に潜り込む気配がすると、それを収める。席を立ちコーヒーを淹れ直してくると、リビングを挟んでアスカの部屋の向かいに目を遣る。
そちらの部屋の主もまた悩み、この所寝付きが良くないらしい。しかし、悩むようになった、その事自体は悪い事ではない。が、
（あまり、悩み過ぎても……自分だけで抱え込んでしまうのも、良くないんだけど。分からないなら、僕に聞いてくれて良いんだけど……）
無論、水を向けさえすればレイも話してくるだろう。だが、シンジとしては出来る事なら、レイの方からそういう事を話すようになって貰いたいと思っている。
リビングを横切りベランダへの窓を開けながら、そんな事を考え苦笑した。
（本来なら、他人の人生相談に乗れる程、僕自身が経験を積んでる訳じゃないんだけどなぁ）
年齢的にはどちらかと言えば、シンジとて相談する側の人間なのだ。生憎とこの街にはその相手がいない。ここは学校すら敵地だった。在りもしないものを求めても意味が無い。何とか手持ちで遣り繰りするしかなかった。
一口飲んだカップをベランダの手摺に置き、身体を寄掛からせて街を眺める。
この先、自分達を取り巻く状況は、厳しくなる事はあっても、楽になる事は無い。この状態で、果たして自分が保てるのか。そしてアスカとレイを支えてやれるのか。
少し肌寒い風に、考えを途切れさす。
「度し難い――いや、歪んでいるな……我ながら……」
発令所のＭＡＧＩの据えられたフロアはこの日、一種の戦場となっていた。
各々のＭＡＧＩに四五人のオペレーターが取り付き、其々の作業に没頭している。それが随分と長い事であるのを示すように、テーブルには幾つものファイルやメモが散ばり、そこに携帯端末やコード類が加わって混沌とした様相を呈していた。
「……流石マヤ。速いわね」
書類をチェックする手を休め顔を上げたリツコが、キーボード上を軽やかに踊るマヤの指を見て呟く。
「それはもう、先輩の直伝ですから」
褒められたマヤは声に嬉しさを滲ませながらも、ディスプレイから目を離す事も手を止める事も無く応える。
「あ……そこ、Ａ−８の方が早いわよ。ちょっと貸して」
そう言って立ち上がったリツコは、マヤの肩越しに手を伸ばした。
片手だというのに、先程のマヤを凌駕する速度で入力していくリツコ。
良く知っている事ではあるが、自分には及びもつかないリツコの技に、マヤは改めて感嘆した。
「さっすが先輩」
誰もが手を休める事無く作業を続ける中に、ノコノコとやって来る人物がいた。
「どう？ ＭＡＧＩの診察は終わった？」
「大体ね。約束通り、今日のテストには間に合わせたわよ」
掛けられた呑気な声に、振向きもせず応えるリツコ。
「さっすがリツコ。同じ物が三つもあって大変なのに」
どこか棘のある言葉を気にした風もなく、ミサトは傍らにあったカップに断わりも無く手を伸ばした。リツコはそれを視界の隅で認めると、ミサトがカップに口を付けたのを待って忠告を発する。
「冷めてるわよ、それ」
「うぇ……」
口に入れたものを吐き出す訳にもいかず、ミサトは液体を喉に流し込み、顔を顰めた。そんなミサトに、作業を終えたリツコは改めて意識を向けた。
前回の使徒戦以来、調子を崩し――“電波”という言葉を耳にしたり、レイと対一で会うと動悸・息切れ・眩暈・咳・くしゃみ・鼻水・鼻詰まり、といった症状を引き起し――ていたのも、カウンセリングと投薬により復調したようだ。いや、心持ちハイになっているような気がしないでもない。
何せ、専門のカウンセラーなどが存在しないＮＥＲＶである。ミサトの“治療”も、リツコが本業の合間に手ずから行ったワケだが……。果たしてこれで良かったのか、些か不安が頭を過ぎるリツコだった。
モニターの表示が替わると同時に、電子音が鳴り出し、人間達がそれを確認する。
「ＭＡＧＩシステム、三基とも自己診断モードに入りました」
「第１２７次定期検診、終了。異常無しです」
「了解、お疲れさま。みんな、テスト開始まで休んで頂戴」
リツコの声を耳にしたオペレーター達は、揃って息を吐き出し身体の力を抜く。発令所の空気は、緩むと同時に一仕事終えた後の充実した雰囲気に満たされた。
「ええぇぇ〜っ！ また脱ぐのぉ〜っ！？」
殺風景な部屋に立つアスカの口から、心底うんざりした声が吐き出される。
だが、スピーカーからはリツコの無機的な応えが返ってきた。
『ここから先は超クリーンルームですからね。シャワーを浴びて、下着を履き替えるだけじゃ済まないのよ』
「なんでオートパイロットの実験で、こんな事しなくちゃなんないのよ〜」
『時間はただ流れていく訳けじゃないわ。ＥＶＡのテクノロジーも進歩しているの。新しいデータは常に必要なのよ』
そうは言うものの、実のところ今回の実験は必要なものではない。余人が知る事ではないが、これはダミーシステムの為の実験である。したがって、ダミーの開発が頓挫した今となっては、大して意味のある事ではない。
ならば何故、今回の実験が行なわれているかというと、「中止する理由が無い」からに過ぎない。表向きの目的が「オートパイロットの開発」という事になっており、また随分と以前からスケジュールが組まれている為、今更“本当の理由”で止める訳にはいかなかったのだ。
まあ、或いは何か役に立つデータが採れるかもしれない――という、消極的な理由もあるが。
その辺りの事情を知っているアスカは、白々しい説明に怒鳴り付けそうになるのを何とか抑えると、プラグスーツを脱ぎ出した。
クリーンルームへのゲートが開くと、何一つ身に付けていないアスカとレイが姿を現す。アスカはトレードマークであるインターフェイス・ヘッドセットさえ着けていない。
「ほら、お望み通りの姿になったわよ！ 十七回も垢を落とされてね！」
『では二人共、この部屋を抜けてプラグに入って頂戴』
叩き付けた言葉に返ってきた冷たい台詞に、アスカは内心で唸り声を上げる。丁度胴の部分にパネルがあり、肝心の部分は見えないようになっているとは言え、流石に真っ裸というのは気恥ずかしい。この場にシンジがおらず、いるのは同性のレイだというのが救いだが。
そのレイの方は、何ら気にした様子も無く黙って前方を見詰めている。
『ホラホラ、アスカ。時間が押してるんだから……急いで急いで』
アスカの心情を知ってか知らずか、殊更軽く声を掛けてくるミサト。
その声に足を踏み出し掛けていたアスカは、何かを思い付いてニヤリと笑った。隣のレイを突付いて動きを止めると、自分は脇から何かを取り上げ、それを着込む仕草を始めた。
『……何やってんのよ、アスカ？』
その動作の意味が分からないのか、暫く間を置いてミサトが尋ねてくる。
「何って、今回は新型のプラグスーツの試験でもあるんでしょ？」
『へっ……？』
「何でも“馬鹿には見えない”プラグスーツだそうだけど――」
アスカは見下したような目をカメラに向ける。
「ひょっとしてミサト……。アンタ、コレが見えないの？」
『見えるわよっ！ 決まってんじゃ――』
ムキになったミサトの声が「ガスッ」という音と共に途切れ、続いて何かが床に落ちる重い音が聞こえた。以後、静寂を吐き出すスピーカー。
俯き、小さく肩を振るわせ出すアスカ。
その震えは、徐々に大きくなっていく。
「ぷっ……」
堪え切れなくなって吹き出すと、後は歯止めが効かなかった。身体を折って腹を抱えると、もう片方の拳で壁を叩いて爆笑する。
「ま、まさか……し、信じるとは、お、思わなかったわ……。あははははっ！」
レイは何度か目を瞬かせると、そのアスカの様子を小首を傾げて見ていた。
『…………アスカ。馬鹿をからかうのは止めて頂戴』
「わ、分かってるわよ……ぷくく……」
やがて聞こえてきた陰々滅々とした声に、アスカは漸く体を起こす。
壁に手を付き蹌踉くようにして通路に出たアスカに、それまで黙って見ていたレイが声を掛ける。
「……何がおかしいの？」
「後で教えてあげるわよ、ゆっくりとね。……ぷっ」
まだ笑いが治まり切らないアスカは、心持ちキョトンとした顔のレイの肩を一つ叩いて促すと、自分も足を運び出した。『さて、この事をどうやってシンジに話そうか』と考えながら。
管制室は、何とも言えない空気に包まれていた。
原因は、床に転がっているミサトと、それを生じさせたリツコにある事は間違い無い。
「あの〜、先輩……。葛城さんをこのままにしておいて大丈夫でしょうか……？」
リツコが手にしたクリップボードの角に付いている紅い何かを気にしながら、マヤが恐る々々声を掛ける。
「そうね、こんな部屋の真中じゃ邪魔だし、隅の方にやって頂戴……」
「は、はいっ！」
邪魔とかそういう意味で言った訳ではないのだが……マヤは飛び上がって返事をすると、他のオペレーターに目で合図した。
数人掛かりで部屋の隅に運ばれるミサトを横目で見ながら、リツコはこめかみを指で押さえる。
「新型プラグスーツの試験」など今日の実験項目に入ってない事は、作戦部に回した書類にきちんと目を通せば分かる事である。相変らずそういうものを見ないミサトに頭痛を感じてしまう。
それ以前に、あんな馬鹿な事を真に受ける方が、どうかしているが……。
（ひょっとして、私の“治療”が何か間違えたのかしら……？）
リツコは堪え切れなくなった吐息を、大きく体外に吐き出した。
模擬体に挿入されたパイロットの映像は、いつもと異なりサーモグラフィのみが映し出されている。無論、プラグからのデータはそれだけでなく、管制室のモニターには夥しい数値が送られてきていた。
「各パイロットエントリー準備完了しました」
「テストスタート」
リツコの合図と共に、一段と緊張に包まれる室内。その頃には、それまで後頭部を押さえブツブツ文句を言っていたミサトも、漸く大人しくなっていた。かと言って、管制室の空気に染まる訳でもなかったが。
「オートパイロット記憶開始」
「シミュレーションプラグ、ＭＡＧＩの制御下に入りました」
管制室の窓の外は水に満たされ、その中には幾つものパイプとコードで繋がれたＥＶＡの素体――模擬体が佇んでいる。その首筋にアームが伸ばされ、プラグが近付いていく。
「シミュレーションプラグを挿入」
「システムを模擬体と接続します」
「シミュレーションプラグ、ＭＡＧＩの制御下に入りました」
モニターが人の目には追い切れない速さで、次々と表示を変えていく。コーヒー片手にその様を眺めながら、ミサトは感嘆の声を上げる。
「おおぉ、速い速い。ＭＡＧＩ様々だわ」
「初実験の時、１ヵ月も掛かったのが嘘みたいね」
リツコはそれに同意すると、プラグに通信を繋いだ。
「気分はどう？」
「何か違うわね……。感覚がおかしいのよ。右腕だけはっきりして、後はぼやけた感じ」
「……レイ、右手を動かすイメージを描いてみて」
「はい」
アスカの返事に少しだけ考え込んだリツコは、レイに要求する。
それに応じて、模擬体の右腕が大儀そうに動いた。
「データ収集、順調です」
「問題は無いようね……。ＭＡＧＩを通常に戻して」
「ＭＡＧＩシステム、対立モードに戻ります」
リツコの指示にマヤが操作すると、画面が切り替わり三基のＭＡＧＩが審議を開始した事を知らせた。
それを見ながら、リツコが零すように言う。
「ジレンマか……。作った人間の性格が窺えるわね」
「何言ってんの。造ったのはアンタでしょ？」
聞き咎めたミサトが口にした疑問に、リツコは僅かに気分を害して応える。
「アナタ、何も知らないのね」
「な〜によぉ……」
それを敏感に感じ取ったミサトは、頬を膨らませる。
「私みたく、ベラベラと自分の事、話さないからでしょ」
「そうね……」
どこにでも顔を突っ込みたがるくせに、肝心な事は知ろうとしない親友に、あまり気の乗らない様子の言葉を返す。もっとも、ミサトが“肝心な事”を知ろうとする性格であったなら、疾うの昔にＮＥＲＶから消える事になっていたろうが。
果たして、ミサトにとってどちらが良かったのか。その答えが出ぬまま、リツコは続ける。
「私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を造ったのは、母さんよ」
「ん……？」
唐突に妙な気配を感じ、シンジは顔を上げた。
シンジが居るのは本部の資料室。
実験に参加する事無くこんな所にいるのは、今回が決めてある週一のそれでは無いからである。ゲンドウやリツコ達も、実験に徹底的な説明を求めるシンジ（建前だけでもリツコと同格のＰＡＳＳを持つ）を敢えて加えるのも煩わしく、必要不可欠のものでない限り参加を要求する事は無い。
ただ、シンジの方も通常のシンクロテスト等ならともかく、今回のように常と異なる実験が行なわれる場合は、レイとアスカを守る為にも本部に居るようにしていた。
「…………」
立ち上がり、辺りの空気を嗅ぐような感じで、無言のまま首をゆっくり巡らせる。見る者が居れば、その仕草を奇妙に思ったろうが、幸いその場にはシンジしかいなかった。
やがて、その視線は床のある一点に固定される。
見えない何かを見極めようとするかのように、目が細くなった。
「また水漏れ？」
「いえ、浸食だそうです。この上のタンパク壁」
顔を曇らせたリツコに、発令所からの報せを受けたマヤはそう説明する。
「まいったわね……」
リツコは出そうになった溜息を押さえて、考えを巡らすが、
「……テストに支障は？」
「今のところは、何も」
「では、続けて」
「はい」
マヤの応えを聞いて決断したリツコの言葉に、再びオペレーター達が動き出す。
『実験続行。ＭＡＧＩの命令は現行のまま、ホールド』
「シンクロ位置正常。シミュレーションプラグを模擬体経由で、ＥＶＡ本体と接続します」
「ＥＶＡ零号機、コンタクト確認」
「ＡＴフィールド、出力２ヨクトで発生します」
目に見えぬＡＴフィールドが、ＭＡＧＩの処理により画面上で視覚化される。
と、それが合図であったかのように警報が鳴り出し、部屋の人間の脳を掻き回す。
「何っ？ どうしたの！？」
『シグマユニットに汚染警報発令！』
『第８７タンパク壁が劣化！ 発熱しています！』
『第６パイプに異常発生！』
「タンパク壁の浸食部が増殖しています！ 爆発的スピードです！」
次々とスピーカーから吐き出されるアナウンスにマヤの報告が被り、モニターはそれを肯定する画像を映し出す。
「実験中止！ 第６パイプを緊急閉鎖！」
こうなっては実験どころでは無い。リツコは間髪入れずに命じるが、事態は単なる異常事態ではなかった。
人間達の対応を嘲笑うかのように、それは進んでいく。
「駄目です！ 侵食は壁伝いに進行しています！」
「ポリソーム、用意！」
焦りが表に出始めたマヤと異なり、リツコは未だ冷静だった。侵食を迎え撃つべく、実験場内に作業ロボットを出させる。
「レーザー出力最大。侵入と同時に発射」
「侵食部６の５８に到達。……来ます！」
誰もが息を止め、唾を飲む一瞬。だが、事態はそれを裏切った。
『きゃぁぁぁぁっ！』
突然のレイの悲鳴に、気が逸れる。慌てて向けた視線の先で、巨大な腕が動き始めていた。
その模擬体には件のシミが取り付き、それは背中から、更に頭部に広がっていこうとしていた。
「侵食部、更に拡大！ 模擬体の下垂システムを侵しています！」
マヤの声を背中で聞きながら、ミサトは管制室に迫ってくる模擬体の腕を見詰めていた。
リツコは無言のまま緊急パネルを叩き割ると、そこに納められた赤いレバーを力任せに引いた。
くぐもった爆発音と共に模擬体の腕が千切れ、力を失う。
「レイは！？」
「無事です！」
「全プラグ緊急射出！」
二本のプラグはまるで煙を吐き出すかの如く、気泡を後ろに引きながら上方に打ち出された。
息吐く間もなく更に指示を出すリツコ。
「レーザー急いで！」
ポリソームの頭に当たる部分に付けられたレンズが、位相を揃えた光を撃ち出す。
水によって減衰しながらも、最大出力で放たれたレーザーは、確実に侵食部を焼いていく。
『これで何とかなる』、とそれを見ていた者達は思った。
しかしそれは、早計だった。
「ＡＴフィールドっ！？」
「まさかっ！？」
侵食部の直前に現れた細かい幾つもの多角形に、ミサトとリツコは愕然とする。レーザーを弾きながら輝くそれは美しいとさえ言えたが、彼女達にとっては忌まわしく不吉なものだった。
「……なに、これ？」
本当は分かってはいるのだろう。だが、ミサトは疑問を口にする。
「分析パターン、青。間違いなく――使徒よ……」
モニターに映し出されたものを見ながら、リツコは険しい顔でそれに答えた。
Top/Next