ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾弐話 B-Part
「ぷ……くくっ……」
「なんや、いきなり笑い出しおって。気持ち悪いのぉ……」
「うっさい、バカジャージ！」
パンを齧る手を止め呟いたトウジをアスカが殴り、それを止めに入ったヒカリも加わると校舎の屋上は一気に騒がしくなった。
「なあ、シンジ。何かあったか、惣流のヤツ？」
「……多分、昨日の葛城さん達の事だと思うけど――」
ケンスケの質問に、シンジは口の中のものを飲み込んでから応える。
「――食事時の話題にするには、ちょっとね……」
「ふーん……、葛城さんってシンジの家の隣のお姉さんだったっけ？」
そんな騒ぎに関係無く、レイだけはマイペースに箸を運んでいた。
「でも、ま……あれで、ちっとはミサトのヤツも大人しくなるでしょ」
空にした弁当箱を片付けもせず、足を投げ出すようにして座り、空を見上げながらアスカが言うが、
「そうかなぁ……？」
シンジは首を捻って疑問を呈する。
「あれが薬になるくらいなら、疾うの昔にどうにかなってるよ。僕が痛い目に遭わせたのも一度や二度じゃないし」
にも関わらず、尚もシンジに突っ掛かってくるのは、根性があると言えなくもない。ゲンドウなどは一度殴られて以来、こちらが面会を求めても応えようとしない。
「むぅ……ミサトってば『懲りる』とか『反省』とかって言葉を知らないのかしらね」
「そりゃ、お前やろが」
トウジの突っ込みに再び暴れようとしたアスカだが、今度は素早くシンジがその腕を抑えて止めた。振り返りシンジの顔を睨みはしたものの、アスカは大人しくなる。
「まあ、少しはマシになって欲しいのは確かだね。三佐に昇進もしたことだし、いい加減下士官レベルの仕事をされちゃ、こっちだって迷惑だ」
「へぇ〜〜。ミサトのヤツ、昇進なんかしたんだ……って、昇進〜〜っ！？」
「……襟章が変わってたろ。気が付かなかった？」
「なんや。あの人が偉くなるんが、そないにおかしな事なんか？」
絶叫するアスカに、シンジは軽く答え、ＮＥＲＶの内情を知らないトウジは首を傾げる。
「だって、ミサトなのよ！ 指揮は騒ぐだけで役に立たないし、立てる作戦は成り行き任せの行き当たり場当たりの運任せ！ これでどこをどうしたら昇進になるのよ！？」
これが降格や解任ならアスカも大いに納得した所だが、どこをどう考えてもミサトと昇進が結び付かず、その理不尽さを声を大にして表した。
「確かにそうなんだけど、一応公式記録では葛城ミサト作戦部長の指揮の元、使徒殲滅に成功――という事になっているからねぇ」
「ちょ、ちょっと待てよシンジ。仮に、おまえ達の言う事がホントだとして……どうしてそんな事が罷り通ってるんだ？ 信賞必罰は組織じゃ鉄則だろ？」
「そういう常識が通用しないのが、ＮＥＲＶのＮＥＲＶたる所……。葛城さんの事も『無能』と断じて処分するのは簡単だけど――」
ケンスケの疑問に、シンジは街の中心――ＮＥＲＶ本部が在る方を眺めながら応える。
「――じゃあ、実績も無い青二才に過ぎない彼女を作戦部長に抜擢したのは誰だ、って事になっちゃうからね」
その“誰”かは……言うまでもない。
人間は誰しもが無能な部分を持っている。組織というのはそれを前提として、その影響がが最小限で済むように、或いは是正するようなシステム（上手く働くかはともかくとして）を持っている。『信賞必罰』等がそうである訳だが、ＮＥＲＶはそういったものがまともに働いていない。これについてはＮＥＲＶが表と裏、二つの目的を持ち、それが乖離し過ぎている事が理由の一つ、とシンジは見ている。
たとえば「有能」で「実績」のある人間を作戦部長に据えるなど、ＳＥＥＬＥやゲンドウには出来ない事だった。その人間が有能であればＮＥＲＶの欺瞞――あくまで子供をパイロットにする事を前提としたＥＶＡ、真直ぐに第３新東京を目指す使徒、秘密主義と異常な排他性等々――に気付く可能性が高い。気付けばその改善を求める事は目に見えているが、ＮＥＲＶとしてはそんな事を受け入れる訳にはいかない。結果、不信感を増大させる事に繋がる。
また、実績があるという事は、即ちＮＥＲＶの外からの人材という事であり、それは外部とのコネクションを持つという事でもある。そんな人間に他組織と協調されては、これもまた不都合である。
その点、ミサトは歪んだ復讐心を持つが故に、使徒という存在があるだけで勝手に都合良く踊ってくれる。何もしないでも、自分達の御先棒を担いでくれる。また、外部とのコネが無い為（それどころか自身の傍若無人な振舞いにより、戦自であれ国連軍であれミサトに好意的な者は殆んど存在しない）、必要とあれば容易く孤立無援に追込める。
そして、葛城調査隊の生残りであり、故葛城博士の息女という事も見逃せない。事情を知る者であれば周知のその事実は、『対使徒組織』という看板を飾る装飾品として、真に好都合だった。言ってみれば、シンジ達チルドレンが『猟犬』兼『生贄の羊』なら、ミサトは差し詰め『客寄せパンダ』と言った所だろうか。
何れにせよミサトは、ＳＥＥＬＥとゲンドウにとって、実に都合の良い『人材』だった。……本来の『作戦部長』という職務からすれば本末転倒と言えるし、ミサト本人にとっては甚だ不本意であろうが。
ミサトには、一度“研修”でも受けさせた方が良いのではないか、と思う。歩兵一個分隊を指揮させ（それ以上は危な過ぎて不可）、実戦に放り込む。砲撃や空爆に追い捲られ、機銃弾幕に射竦められ、兵が目の前で物言わぬ肉隗に変わるのを見、悲鳴と断末魔を聞き、硝煙と血の匂いを嗅ぎ――スクリーン越しでは決して味わえない戦場の恐怖と狂気を味わい、尚且つ生残る事が出来れば、少しはマシな指揮官になる……かもしれない。戦闘機にも勝る環境で操られ、肉弾戦を演ずる、あの巨人の兵士の指揮官として。
トウジ達がいるこの場ではそこまで口に出せないが、それでもシンジが言った事だけでも聞いた人間が不安になるには十分だった。
「な、なんだかＮＥＲＶに世界の命運を託して大丈夫かな〜、って気になるんだけどな……」
「大丈夫じゃないね。全くもって……」
「トップが究極無責任男だしねぇ……」
ケンスケの言葉に、シンジとアスカは顔を見合わせて頷き合うが、
「……でも、私達もＮＥＲＶの所属……一応」
レイの冷静な指摘に息を吐き出した。
「……ああ〜〜、アタシの勝利と栄光に満ちた人生が……」
「……一つ間違えれば、人類史上最悪の犯罪に荷担した……という事になりかねないしね」
シンジとアスカは囁き交わすと、身体を床に投げ出し仰向けになった。
無言になった屋上、その遥か上の蒼穹をかなりの速さで流れていく白雲を眺め、もう一度二人して溜息を吐く。
「よ、良く分からないけど……大変ね、三人とも」
ややあって、ヒカリはシンジ達三人を見遣った後、困ったようにそう言った。
山に囲まれた第３新東京は、日が没するのも早い。
二十四時間活動するこの街でも、空が朱に染まるこの時間は家路に着く者がそこかしこで見受けられ、この時に特有の慌しさに包まれる。
そんな空気の中、のんびりと歩を進める大小の影が二つ。
「クェクェ！」
「そうね、碇君のお料理は美味しいもの。今日のお夕飯は何かしら……？」
「クェッ、クワワァーー！」
「そう、それが良いのね……。でも、ダメ。私、お肉食べられないから……」
「クア〜〜……」
本当に会話が成立しているのか、いないのか……。時偶、擦違う人達が奇異の視線を向けるが、気にせず（気が付かず）歩く一人と一羽。ペンペンにせがまれて散歩に出ていたレイは、やがてマンションの程近くにある公園に着いた。
だが、そこに足を踏み入れようとして、動きを止める。
そこには先客が一人。入口には見覚えのある青い車が停まっている。
その人物は備付けのベンチに座り、脇にヱビチュの入った袋を置き、時折そこから缶を取り出しタブを開けると一気に中身を呷っていた。
空になった缶が放り投げられ、レイの足元まで転がってきた。
レイはその様子を無言のまま見詰める。
この場所は、以前シンジがレイを抱締め諭してくれた――いわば、此処はレイにとって聖地である。その聖地を、目の前の闖入者は無遠慮に犯し、汚している――文字通り。レイはその事に（論理立てて思考した訳ではないが）不快感を感じていた。
足元の空缶を拾い上げ、それから漂う匂いに僅かに顔を顰めると、無言のままゆっくりとベンチに近付き、そこで足を止める。釣られて付いてきたペンペンもやはり無言。
やがて新たな空缶が製作され、またも無造作に放り投げられる。
「クワッ！」
それが頭に命中しそうになったペンペンは、思わず声を上げて飛退いた。
その声に振向いたミサトは、思いも寄らぬ人物の出現に驚く。
「ペンペン！？ ……と、レイ？」
「……」
何も言わずに見詰め返すレイに、ミサトは気圧され冷汗を流す。
「……い、何時からそこにいたの？」
「……去年……」
取敢えず尋ねたミサトは、返ってきた答えに顔を引き攣らせた。その鼻先に空缶を差し出すレイ。
一瞬、訳の分らなかったミサトだが、
「え……あ？ ああっ……そ、そうね！ 空缶は屑篭に入れないとねっ！」
慌てて目の前の物と周りに散らばった物を掻き集め、手近の屑篭へ持って行った。
「はは……、えっと、座んない？」
戻って来るとベンチに座り直し、横の席を叩いてみせる。
レイは暫く黙ってそれを見た後、ペンペンを抱き上げるとそこに腰を下ろした。
「……」
「え〜〜……」
「…………」
「あ〜〜……、レ、レイが冗談言うなんて……ちょっち意外だったわね〜〜」
「…………」
何とか会話の糸口を作ろうとするミサトだが、レイの方は一向に口を開く様子は無い。レイの膝の上のペンペンは、見上げるようにして首を動かして二人を見る。
「ひょっとして……アタシ、レイに嫌われてるのかしら……？」
そう言われて、漸くゆっくりと言葉を発したレイだったが、それはミサトの予想外のものだった。
「肉、嫌いですから……」
「……どういう意味かしら？」
「麦酒を飲む牛……松坂牛……美味しいお肉。でもダメ。私は食べられないから……」
「…………」
初めは理解出来なかったミサトだが、聞いた事を脳裏でゆっくりと反芻するに連れ、意味が浸透していく。
「だ、だぁれが牛ですってぇ〜〜っ！！」
「……」
「シンジ君ねっ！ シンジ君が言ってるのねっ！？」
「……いえ、アスカです」
熱り立って立ち上がったミサトに、テレビを見ながらそれを言っていたアスカの様子を思い出しながら告げる。
「アぁ〜スぅ〜カぁ〜……！！」
「ク、クワワ〜〜」
おどろおどろしいミサトの叫びに、ペンペンが怯えた声を出した。
「良い事、レイ。あの二人の言う事なんか信じちゃダメよっ！」
「……何故ですか……？」
一騒動が終わり、息を切らせ目を血走らせたミサトがレイの両肩に手を乗せてそう言うが、言われたレイは首を傾げた。
「何故って……」
言葉に詰まる。
「……あのさ、シンジ君に『自分を信じろ』とでも言われてるの？」
レイに「命令に絶対服従」というイメージしか持っていないミサトは、シンジが余計な事を言っているのではないかと疑い尋ねた。
「いえ。『自分で考えて、信用出来ると判断したなら信用すればいい』と言われました」
「…………じゃあ、アタシは信用出来ないって言うの？」
「……『信用を得るには、それを証明する必要がある』とも言ってました」
「…………」
問い掛ける紅い瞳に、何も言えなくなる。
ミサトとレイの関係は「作戦部長」と「ＥＶＡパイロット」であり、それ以上でもそれ以下でもない。今のようにＥＶＡ絡みでない事を話したのも、数える程しかない。それだけではとてもではないが、葛城ミサトという人間が『信用に足る』事を示す事など出来ないし、そもそもそんな事を考えた事も無かった。
レイだけではない。シンジにもアスカにも、それは大して変わりなかった。そのくせ自分の意に従わせようとする事が、間違っているのは分かっていた。――理性では。
だが、理性で分かっていても感情が付いていかない。自分の言う事を聞こうとしないシンジ達に対する反感を隔意を、崩す事が出来ない。
自分が間違っている事は分かっている。分かってはいるが……それが何とかなるのなら、そもそもＮＥＲＶになど居はしない。
話が途切れたミサトは、傍らの袋から新たなヱビチュを取り出し、口を付ける。
「……あ、レイも飲む？」
「……」
ミサトが別の一本を差し出すが、勿論レイは受取ろうとしない。気不味げに差し出したヱビチュを彷徨わせるが、結局元に戻す。
会話の無い張詰めた雰囲気に――実際レイがミサトを邪魔だと思っている所為か――ミサトは居た堪れなくなって、何とか言葉を探す。
「えっと、レイは此処に良く来るの？」
「……はい」
「でも此処って遊べる訳じゃないでしょ。いつも何してるの？」
周りをグルリと見回してミサトが尋ねる。
レイは夜の準備を始めたビルの群れ、その上に広がる朱く焼けた空を暫し眺めると、静かに言葉を紡いだ。
「……晴れた日は、良く届くから……」
やがて視線を空から外そうとした時、背後でけたたましくタイヤが鳴る音が聞こえ、レイは身体を捻ってそちらを見た。
火でも付いたような勢いで走出したルノーを見送ったレイは、胸のペンペンと顔を見合わせた後、横に置かれたミサトの“忘れ物”に目を遣る。
その下では飲みかけの麦酒缶が、地面に液体を零しながらゆっくりと転がっていた。
「クェ？」
「……問題無いわ」
首を傾げ問うような仕草をするペンペンに、レイは落着いて応えた。
地球上で最大のクレーターとなったそこは紅い水に満たされ、大小様々の塩の柱が何者かの墓標のように林立している。空を覆う曙の女神の薄衣も、死衣の如き不吉さで光を放つ。嘗ての白い大陸は、最早その面影を留めていなかった。
そこを航行する小艦隊。空母を中心に置いたそれは、本来の任務には無かった。
空母の飛行甲板を占領するのは、艦の全長に匹敵する長大な物体。布に包まれたそれが、ワイヤーによって括り付けられている。
搭載する航空兵力によって敵を撃滅する事を目的に作られた彼女は、現在は単なる輸送艦としての役目を押付けられていた。だが彼女に乗り込んでいる男達が、それについて文句を言う事も今は無い。彼等は唯ひたすらに、この“海”から一刻も早く抜け出す事を願っていた。
彼女の隣を進む巡洋艦。そこに誂えられた観測室。
そこでもいつもの位置、いつものポーズで立つ冬月は、変わり果てた“南極”の光景を眺めながら呟く。其処はセカンド・インパクト直後に訪れた時と、変わる事は無かった。
「いかなる生命の存在も許さない死の世界、南極。いや、地獄と言うべきかな」
かつてこの地を支配していた極低温は、それによって此処を「無菌大陸」と呼ばしめていた。だが、それでも生を営む者達がいない訳ではなかった。故に「地獄のような」と形容する者がいても、決して其処は地獄ではなかった。
此処を地獄に変えたのは人類。そしてそれに荷担した男が此処にいた。
「だが、我々人類はここに立っている。生物として、生きたままだ」
こちらは、流石に立ったままではいつものポーズを取れないゲンドウが応える。
「科学の力に守られているからな」
事情を知る冬月は、自然言葉が皮肉なものになる。
「科学は人の力だよ」
「その傲慢が十五年前の悲劇、セカンド・インパクトを引き起したのだ」
更なる傲慢さをもってサード・インパクトを引き起そうとしている自分を、自覚しているのかいないのか……。ガラスの向うに広がる悲劇の跡を見ながら続ける。
「結果、この有様だ。与えられた罰にしてはあまりに大き過ぎる。まさに死海そのものだよ」
「だが、原罪の汚れ無き、浄化された世界だ」
「俺は罪に塗れても、人が生きている世界を望むよ」
冬月が言葉を切ると、観測室は途端に静かになる。
「……ところでな、碇」
「……？」
再び口を開いた冬月は、並走する空母を見遣ると一度咳払いした。
「いや、槍を持って帰るのは良いんだがな……。アレをどうやって使う気だ？」
「……」
無論、本来のシナリオでは、これにレイと零号機を当てる筈だった。しかしそうした場合、現在の状況では槍とリリスの存在が、レイからシンジに伝わる可能性が高い。そうなれば、当初から使徒が第３新東京に侵攻して来る事に疑問を呈し、且つ使徒と戦わずに済ます事を選択肢として挙げてきたシンジならば、何らかのリアクションを取ってくる事が考えられる。
もし、シンジが疑問に対する回答を求めてきても、自分達は応えられない。結果、シンジがＮＥＲＶから離れる事になっては――今の段階では――非常に拙い。事は秘密裏に行う必要があった。
いや、そもそも今のレイが自分達――ゲンドウの言う事を聞くかどうか、先ず以って疑問だった。
もっとも、ゲンドウ達が抱えている秘密など、シンジには殆んど既知の事である。それを知らないゲンドウ達の思考と努力は、端から見れば滑稽な物でしかない。――当人達は知らず、至って真剣であるが。
ゲンドウも冬月が考えている事ぐらい分かっているのだろう。背後からもその身体が僅かに強張っているのが見て取れた。
（試して拒絶されたら……コイツにはキツかろうな……）
拒絶の言葉が返ってくる事を恐れ何も出来ないでいる男の背中を見ながら、冬月は内心で独言ちた後、帰国後に待っている問題に対処するべく頭を切り換えた。
と言っても、ターミナルドグマに機械を持ち込んで、それを使うくらいしか方法は無いのだが……。
（赤木君と相談して、何とかするしかないな……。しかし、その操作は私か碇がやるのか……？）
「……問題無い」
冬月の内心の愚痴と、小さく吐いた溜息が聞こえたかのようなタイミングで、ゲンドウがお得意の台詞を発する。
ゲンドウの後頭部を殴り付けたくなる衝動を、背中で組んだ手に力を込める事で押さえ込んだ冬月の耳に、その時警報の音が入ってきた。
第一種戦闘配置が発令されたＮＥＲＶ本部。
先日食らった免許取り消しの所為で消沈していたミサトも、流石に気持ちを切り換え発令所に飛び込んできた。
「五分前に突然現れました」
ミサトが日向の言葉に頷くのに続いて、更に報告が入る。
「第六サーチ衛星、軌道に乗りました。接触まであと二分」
発令所中が其々の仕事をしながらも固唾を飲んで待つ間、接近した衛星が使徒を各種センサーで捉え、データを地上に送信する。
「目標を映像で捕捉」
青葉の声と共にメインスクリーンに映し出される使徒。
地球と宇宙空間をバックに浮かぶ、画家――そうでなければ子供の悪夢じみた姿に、誰もが息を飲む。
「……こりゃ、凄い」
「常識を疑うわね」
オレンジ色の巨躯は、その差渡しに比べると厚みが殆んど無い。目玉模様の描かれた胴体と思われる部分が中央にあり、その両側に広げられた掌のようなものが付いている。
これまでの使徒の姿もかなり異様なものであったが、ミサトの言うように今回は輪を掛けて非常識だった。
二つの衛星が、その使徒を前後から挟み込むような位置に来ると、目標の走査を開始した。と思う間も無く、衛星は見えざる手に潰されたように破壊される。
「ＡＴフィールド！？」
「新しい使い方ね」
破壊までの短い時間に送られてきたデータから、使徒が行った事を悟り驚愕するミサトと、それを冷静に評価するリツコ。
その遥か上空では、今しも使徒が自らの身体の一部を切り離し、切り離された部分は重力に引かれるままに落下していこうとしていた。
「大した破壊力ね。さっすがＡＴフィールド」
重力の井戸。そのどん底の一室で、足元に映し出された破壊の跡を眺め遣り、呆れたようにミサトが言う。
自身の一部を爆弾としたそれは一回だけで終わらず、確実にこの場所を狙って誤差を修正していっているのが見て取れた。
続いて映し出されたのは無数の火球に包まれる使徒の姿。だが、哀れな平地人共の必死の攻撃にも、瞬き一つした様子も無い。
「……以後、使徒の消息は不明です」
「……来るわね、多分」
「次はココに、本体ごとね」
多分も何も無い。使徒の目標は第３新東京以外に無い。
「その時は、第三芦ノ湖の誕生かしら？」
「富士五湖が一つになって、太平洋と繋がるわ。本部ごとね」
「衛星軌道上の相手じゃ、ＥＶＡは手が出ない……か」
「……そうでもないわよ」
何気無いミサトの呟きに、意外な答えが返ってきた。驚きの視線を向けるミサトをチラリと横目で見ると、リツコはモニターにウィンドウを一つ出す。
「……ナイフ？」
そこに映し出された棒状の物体を見て、ミサトは首を傾げる。
「と言うより、手裏剣かしらね。もう一つはコレ」
新たなウィンドウに表示された代物に、今度は目を丸くするミサト。
「……て、鉄球にしか見えないんだケド……」
日向と青葉も無言でそれに同意する。誰がどう見ても鉄球にしか見えない。一緒に表示されたスケールからすると、丁度ＥＶＡサイズの砲丸だろうか。
「ええ、その通り。一応表面に耐熱コーティングなんかをしているから、そのままじゃないけど」
既に知っているマヤ以外は、どう言ったらいいか分からずに互いに顔を見合わせた。
「原始的かもしれないけどね、ＥＶＡのパワーで投げれば、下手な大砲より余程威力は有るわ。後、投槍と投槍器も有るけど、こちらはまだ開発中」
「い、いつの間にそんな物作ってたのよ……？」
「何言ってるの。兵器の開発は常に行なってるわよ。もっとも、これはシンジ君のアイデアだけど……」
「シンジ君が？」
リツコは、真面目な顔になって訊くミサトに頷いた。
「第五使徒の時に彼が言ったのよ。あの加粒子砲でもって、衛星軌道からの砲撃をしていたら……ってね。……で、その後ＥＶＡの遠距離攻撃武器について話し合ったんだけど、結局実体弾に関してはＥＶＡの腕力による投擲こそが手持ちの中で最大の威力を持つ……という結論になったのよ」
「はぁ……」
ＥＶＡの武器と言ったらこれまで銃火器、さもなくば指向エネルギー兵器しか考えていなかったミサトは、意外とも言える事実に気の抜けた返事で応えた。とは言え、それらの武器に価値が無くなった、という訳ではないが。
「んで……使えるの？」
「使用可能か――という意味なら、イエス。今回使うとしたら“鉄球”の方だろうけど、試作品とは言え調整が必要な物じゃないし。でも、効果があるか――と言うなら、それは疑問ね。あのＡＴフィールドを打破るのは難しいし、そもそも位置が把握出来ていないんじゃ命中させる事は不可能だわ」
「……なによ、役に立たないじゃない」
文句を言ったミサトに、リツコはこめかみに青筋を浮かべる。それを言ったらミサトの立てる「作戦」は、これまで役に立ってはいない。お気楽な事を言える立場では無い筈だ。
「……碇司令は？」
リツコの内心に気付かず、話を変えたミサトだが、
「使徒の放つ強力なジャミングの為、連絡出来ません」
「電波長距離無線は駄目です。有線以外……――葛城さん！？」
日向の一言に、突然頭を抱え蹲った。
「……何をやっているのよ」
歩み寄ったリツコは、ミサトが何か呟いているのを知ると腰を屈め耳を近付ける。
「電波はイヤ、電波はイヤ、電波はイヤ、電波はイヤ、電波はイヤ、電波はイヤ……」
「……」
リツコは背筋を伸ばし溜息を吐くと、白衣のポケットから使い捨ての注射器と針、そしてアンプルを取り出した。素早く注射器をセッティングして薬品を吸い上げると、徐にミサトの首筋に注射する。
「はうっ……」
更に胸倉を掴んで身体を引き上げると、日向が止める間も無く容赦無く往復ビンタでミサトの頬を張り飛ばした。その甲斐あってか、次第に目の焦点が合ってくるミサト。
「……司令とは連絡不能。ＭＡＧＩは全会一致で撤退を推奨。……どうするの？ 今の責任者はアナタよ」
冷たい声で現状を確認し判断を要求するリツコに、ミサトだけでなく部屋の全員が震え上る。それに押され半分混乱しながらも、ミサトは必死になって頭を回転させた。頬の痛みも気にならない。
「……えっと、そうね………………。日本政府、各庁に通達。ＮＥＲＶ権限における特別宣言Ｄ−１７。半径五十q以内の全市民は直ちに避難。松代にはＭＡＧＩのバックアップを頼んで」
「ここを放棄するんですか？」
「いいえ。ただ、みんなで危ない橋を渡る事は無いわ」
言っている内に顔が上気し、少しハイになってくるミサト。それを見て、少し首を傾げながらリツコが呟く。
「……打ったのは鎮静剤の筈だけど……。臨床試験をしていないのは拙かったかしら……？」
陸路と空路の移送手段が全力で働き住民を運び出した結果、第３新東京から人影が消えた。日に焼かれた街路が虚しく陽炎を上げ、蝉の声が木霊する。
足下にある「蝿の王」不在の万魔殿でも同様である。その人通りが無くなった廊下に、化粧室の一つから二つの声が響いてきた。
「……勝算は０．０００１％。万に一つなのよ」
リツコは鏡に映った自分を見ながら、ミサトが提案した作戦の成功率の低さを改めて指摘する。
「０、では無いわ。ＥＶＡに賭けるだけよ」
「葛城三佐！」
「現責任者は私です」
顔を向けて叫ぶように言うが、ミサトは頑なだった。
「…………」
「やる事はやっときたいの。使徒殲滅は私の仕事ですもの」
「仕事？ 笑わせるわね。自分の為でしょ？ あなたの使徒への復讐は」
「…………」
その皮肉にも耳を貸す気配は無い。結局ミサトは、リツコに顔を向ける事も無いまま部屋を出て行った。
「……ミサト。シンジ君がアナタの『仕事』に付き合ってくれると思うの……？」
残されたリツコの言葉も、届く事は無かった。
天井ビルの最下階の部屋に集められたシンジ達は、揃って白い目をミサトに向ける。
其々色の違う三対の瞳に見詰められ、ミサトは急に高所恐怖症になったような錯覚を覚えていた。
「……え、えっと〜〜。……で、落下地点にＥＶＡを配置。ＡＴフィールド最大で、アナタ達が直接使徒を受止めるのよ」
何となくしどろもどろになって説明を続けるミサト。だが、三人の気配が変わる様子は無い。ミサトが言葉を途切れさせると、沈黙が部屋を覆う。
「……勝算は？」
漸く口を開き、それだけを訊くシンジ。
無論の事、ＭＡＧＩが算出した成功率など、とうに承知している。
「か、神のみぞ知る――といった所かしら」
「……これで上手くいったら、まさに奇蹟ね」
呆れ果てた口調でアスカが言うが、それを言ったのがシンジでない為、ミサトはやや元気を取戻す。
「奇蹟ってのは、起こしてこそ初めて価値が出るものよ」
「ふむ……今回は用意をしてないんですか？ ＮＥＲＶは得意でしょう？」
シンジの初号機起動、ＪＡの暴走停止、とこれまでの例を念頭にシンジが尋ねる。しかし、流石に使徒に関してはＮＥＲＶの手も及ばない。そもそもミサトは、以前の事にも関与していた訳ではない。シンジに皮肉を言われ、それを悟ってても応えられる筈も無かった。
「奇蹟は神サマ仏サマの領分……。僕は、神も仏も信じていないんですけどね」
「相手は神の使い……」
「そもそも、奇蹟を当てにするなんて、させられる方は堪ったもんじゃないわ」
口々に勝手な事を言う（ミサト主観）三人に、ミサトは内心だけで罵声を浴びせる。だが、ナケナシの自制心を振絞ってそれを抑えた。
「す、済まないけど、他に方法が無いの。この作戦は」
ミサトはそう言うが、「撤退」という選択肢が出ている事を知っている三人は、益々白けてしまう。
「作戦〜〜？ これがぁ？」
「……嫌なら辞退出来るわ」
馬鹿にしたようなアスカの言葉に、ミサトはそう口にする。――してしまった。
視線を交し合うシンジ達。
「……そういう事なら失礼します」
「えっ！？」
「じゃ、頑張ってね、ミサト」
「あの！？」
「……さよなら」
「ちょ、ちょっとぉ！？」
踵を返してさっさと出口に向かう三人に、ミサトは慌てて追い縋った。
アスカ達を護るように最後尾に付いていたシンジの肩を、掴んで引き止めようとするが、その手を弾かれて蹌踉く。
「嫌なら辞退出来るんでしょう？ 冗談だったんですか？ それとも――」
細めた目に冷たい光を、口元に歪んだ笑みを湛えたシンジが振り返る。
「――まさか、“志願の強制”なんて、下衆な真似をするつもりじゃないでしょうね？」
「そ、それは……」
気圧されたミサトは一歩後退ると、辛うじて言葉を紡ぐ。
軍隊において「命令が絶対」なのは、その命令に関して「命令を下した者が責任を負う」という原則があればこそである。然るに「志願」という形を取らせれば、その結果が「志願した者の責任」という事になりかねない。一見美しい事のように思えるそれは、しかし指揮官にとっては「責任の放棄」でしかない。
それを自覚していなかったのか、それとも責任を回避する為の姑息さなのか……。恐らくミサトの場合前者（一部、無意識に後者）なのかもしれないが、何れにせよシンジはそれに付き合う気は無かった。
ちなみに、シンジがＮＥＲＶと交わした契約である「命令権無し、責任はＮＥＲＶ」というのはかなり異常な事――本来なら有り得ない事ではある。だが、シンジにしてみればＮＥＲＶが当てにならない以上、自分の身を守るにはそうでもするしかなかった。それでも当初は気にならないでもなかったが、ゲンドウの方が端から責任など取る気が無い事が分かってからは、最早ＮＥＲＶに対して遠慮するつもりは欠片も無くなっていた。
「御自分が口にした言葉に対して、きちんと責任を持って下さい。葛城さん」
動きを止めたミサトに一瞥をくれると、シンジは部屋を出て行った。
ただ一人残されたミサトは、呆然と立ち竦む。足元の強化ガラスを通して見える、木々に囲まれた本部のピラミッドが、やけに小さく感じられた。
「……なんでなのよ…………」
歯を食い縛った口から声を絞り出すミサト。
青褪め、険しい筈の表情。だがそれは、迷子になり泣き出す寸前の幼子より、なお頼りなかった。
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