ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾弐話 A-Part
見晴らせば抜けるような蒼穹。
遠くに見えるのは積乱雲の類か。
常夏となった日本を象徴するようなそれに、箱根の山々の深緑が映える。
「戦争日和……かなぁ……」
陽射しも風も感じられないプラグに、その中を悠然と歩いてくる巨人が映し出されている。中々にシュールな光景に目を細めながら、アスカは呟いた。
第３新東京は、「要塞都市」である。
ジオフロントにあるアダム、そしてリリスを目指し侵攻して来る使徒を迎撃する為にそれは作られた。やって来る敵を防ぐ為に「要塞」を築く。これは軍事的にも一応問題は無い。
と同時に、万単位の人間が暮らす「都市」でもある。何故「都市」なのか。
シンジ曰く、
『ＮＥＲＶが本当の事を言える訳が無いからね。言ったら、いくら日本政府の連中が馬鹿でも、「そういう事は無人島ででもやってくれ」と言うだろうね。……幸いと言うか、セカンド･インパクトのお陰でその手の島には事欠かないし。
だから「将来の首都にする」という餌をぶら下げて、欲惚けした阿呆どもの目を眩ませて「要塞都市」にした、って訳』
溜息が出そうな程、下らない理由である。
この「要塞」使徒から護るべきは「人」ではない。この「都市」に住む数万の住民は、「要塞」の本来の目的にとって意味すら無い。狂った理想、歪んだ妄執こそが、この「要塞」が護るべきモノだった。
そんな事を考えるアスカの身を隠しているビルが、使徒の放った光線で吹飛ぶ。素早く別の遮蔽物の陰に走り込みながら、ミサトの喚き声に顔を顰める。
ミサトからの指示は「パレットライフルで応戦。機を見て接近戦を挑む」である。
別段間違ってはいないが、「言うは易し」だった。
相手の火力の方が威力・射程共に勝っている上、弾切れというものが無い。おまけに人間の銃火器と違って、「構えて」「引鉄を引く」という動作が無い。迂闊に相手の射線に入る事は出来なかった。今迄の経験では、このタイプの使徒の場合、接近戦に持ち込んでしまえば不思議と光線を放つ事は無かったのだが――今回もそうだという保証は無い。それを確かめるのに我身を以ってするのは、御免蒙りたい。
これがシンジなら光線すら避け（本人が言うところでは、正確には「相手の狙いが精確である事を前提に、射撃の瞬間を見切ってその場にいないようにする」らしい）て見せたのかもしれないが、残念な事にアスカにはそんな芸当は出来ない。
（ったく、接近させたいなら、せめて援護をしなさいよっ！）
内心で毒づく。零号機・初号機の準備が未だ整わない為、現在弐号機が単独で地上に出ている。戦力の逐次投入はあまり褒められたものではないが、使徒に行動の自由を完全に与えるのは良くないという判断の元である。
それはそれで良いのだが、その次の指示が良くない。行動の自由を与えたくないと言うのなら、無理をして弐号機が倒されるのは好ましくない。可能な限り時間稼ぎに徹するべきだった。どうしても接近戦をさせたければ充分な援護が必要だが、現在の兵装ビルの稼働率は１０％程度、戦自・国連軍は例によって静観の構え。
それらを無視したミサトの指示に呆れながら、アスカは射撃と移動を繰返す。
やがて使徒が街中に入り込んだ時、待っていた通信が入ったが、
『アスカ、零号機・初号機の準備が完了したわ。直ぐに射出するから、共同で使徒を殲滅しなさい』
『――初号機の射出は待って下さい』
『ちょっとシンジ君！ 勝手な事を言わないで！』
横槍を入れられたミサトが指揮そっちのけで騒ぎ始める。
いつもの事なので大して気にせず戦闘を続行していると、やや後方に零号機が現れ射撃を開始した。
『アスカ、綾波。もう２ブロック北――Ｅ４射出口の西に使徒を誘導出来る？』
こちらもミサトを無視して、話掛けるシンジ。
アスカはチラリと言われた方を見遣ると、素早く頭を回転させ結論を出す。
「大丈夫よ」
『……問題無いわ』
『ＯＫ。タイミングを合わせて初号機をＥ４から射出。同時にその１秒前にＥ５を開口。１２番ビルにソニック・グレイブを用意』
「『……了解』」
アスカとレイはそれだけでシンジの作戦を悟り、返事を返す。
「レイ、交互射撃で移動するわよ」
『分かった』
互いに援護しながら移動し、使徒を誘導し進路を捩じ曲げる弐号機と零号機。
アスカは自分が随分と沈着に戦闘をしているのを自覚する。以前なら、それこそ人参を目の前に下げられた馬の如く、敵に向かっていた筈である。
（……やっぱり、シンジを相手に訓練してる所為かしらね）
レイの戦闘加入で余裕が出来たのか、ふとそんな事を考える。
嘗て、アスカが受けてきた訓練は、どんなに厳しくはあっても所詮ＮＥＲＶの望む道具に仕立てる為の手段でしかない。アスカの歪んだプライドを圧し折るような真似は、する事が無かった。
だが、シンジは違う。格闘訓練であれ、戦術シミュレーションであれ、容赦無くアスカを叩きのめしてくれた。最初の内はその事が気に食わず、随分とシンジに当たりもしたが、今では大体吹っ切れてしまっている。八つ当たりに時間を費やすよりは、シンジに追付く為の方法を考えた方が（追付けるかどうかは別として）余程建設的だった。
加えて、シンジが訓練時に身に纏う「戦場の空気」「死の匂い」に慣れてしまえば……。
考えながらも二機掛かりで使徒を予定の位置へ追い込むと、シンジがカウントを取る。
『……１０…………５、４、３、２、１、０』
僅かな時間差で射出口が二ヶ所、使徒の間近に開く。地上に出た初号機はロック解除ももどかしく、拘束具を引き千切りながら使徒に向かって飛出す。
空の射出口がフェイントになったのか、使徒は半分振り返った所で初号機の体当りを受けた。吹飛んで、盛大に道路をスライディングしていく使徒。が、それも極僅かで終わり、弐号機に踏み付けられて滑るのを止めた使徒は、背中からコアごとソニック･グレイブで道路に縫い止められた。
『……使徒、殲滅を確認』
『……状況終了』
アナウンスがそう告げると、アスカの前から偽りの街並みが消える。
アスカは体の力を抜いてレバーから手を離し、ついでに首を振って先程から続いているミサトが発生させている騒音を耳から追い出しに掛かった。
「…………」
シンジ達三人の前に、苦虫をトン単位で噛潰したようなミサトが腕を組んで立っていた。
その視線に怯む事無く、シンジは悠然と、アスカは不機嫌そうに、レイは無表情に椅子に座っている。シミュレーション後のデブリーフィングなのだが、それは一向に始まる気配が無かった。
それでもいつまでもそうしている訳にもいかず、ミサトの口が軋みながら言葉を紡ぎ出す。
「……どういうつもりなワケ？」
「どう……とは？」
「ざっけんじゃないわよっ！」
シンジの前の机にミサトの掌が叩き付けられる。
「毎回々々、命令無視っ！ これが実戦だったらどうなってると思うのっ！？」
「最小限の被害で、使徒殲滅。何も問題は無いと思いますが……？」
顔がくっ付くような距離で睨むミサトに、シンジはわざとらしく唾を拭って見せ、それが益々ミサトの気に障る。実際、使徒殲滅の手際自体は文句の付けようが無いのだが。
「……で、何が問題なのか……問題があるなら言ってくれませんか？ 今はその為の時間です」
小揺るぎもしないシンジに内心歯噛みしながらも、ミサトは顔を離すと大きく息をして気を落着かせると、アスカに視線を向ける。
「アスカ。何で積極的に接近しないで、あんな中途半端な射撃をしてたの？」
「……アンタ、バカぁ？」
言われたアスカは、鼻を鳴らして応える。
「弐号機を先に単独出撃させたのは何の為よ。はっきり言えば時間稼ぎの為でしょうが。無理してやられたら、その意味が無いじゃない」
『ま、ちゃんと援護があれば話は違っただろうけど……』と内心で思いながら、吐き捨てるように言う。
アスカの正論に詰まったミサトは視線を彷徨わせ、その内にそれをシンジに固定した。
「シ、シンジ君。どうして射出のタイミングを勝手に変えちゃうのよ？」
「葛城さんこそ、どうして真正面から使徒と遣り合いたがるんですか……」
第三使徒戦以来、“使徒の正面”にＥＶＡを射出したがるミサトを逆に皮肉るシンジ。
「折角この街は忍者屋敷じみた仕掛けがたっぷりあるんですから、使えば戦術の幅が広がるじゃないですか」
「そ、そういう事を言ってるんじゃないわよ！」
誤魔化すように声を荒げるミサト。
「アナタが出てくる前にアスカ達がやられたら、どうするつもりなのよ！？」
「だから、出来るかどうかを訊いたんじゃないですか。あれで二人が『無理だ』と言ってたら、一も二も無く出てましたよ」
二人の判断と能力を信用している――ミサトのソレより遥かに。
言葉にされなかった部分を察して、ミサトは頭に血を昇らせ身を震わせる。物も言わず目の前のクソ餓鬼の鼻っ柱に肘を入れ、仰け反った所に至近距離からのドロップキック。床に伸びたシンジにマウントポジションを取り、顔面をタコ殴りにした後、ジャイアントスイングで壁に叩き付ける。殲滅されたシンジの背に鼻息も荒く片足を乗せると、ミサトは雄叫びを上げた。――心の中で。
気が付くと目の前の三人は揃って怪訝な顔をし、尚且つシンジが顔の前で掌を振っていた。
「……何やってんのよ、ミサト。リツコ謹製のやばいクスリをキメてんじゃ無いでしょうね？」
「んなワケ無いでしょっ！」
呆れたようなアスカの質問に、ミサトは誤魔化すような大声を上げるが、控え目に言っても説得力は無い。心のシンジを泣きながら這い蹲らせ許しを乞わせていたその顔は、誰がどう見てもまともなものではなかったから。
「大体、アンタ達もアンタ達よ！ どーして、アタシの命令に従わないで、シンジ君の言う事を聞くのよっ！？」
「アタシは死にたくないもん」
端的に答えるアスカと、無言のまま表情で同意するレイ。
「……葛城さんの出すべき指示は、僕がさっきやったような物か、もっと大局的なものであるべきでしょう。貴女が出している指示は細か過ぎます。おまけに後手々々に回ってますし」
シンジは今迄ミサトの指示を雑音程度に考えて放っておいたが、一向に改まらない為はっきりと言ってやる。リアルタイムの戦闘に、ミサトの“指揮”は追付いていない。おまけに細かい事や目先の事にかかずらって、全体的な事が目に入っていないのだ。個々の判断はパイロットに任せ（それを養う為の“訓練”であるし）、ミサトにはそちらの方をしっかりして欲しい所である。
もっとも、シンジ達が言う事を聞いてくれない為、ミサトが意固地になってしまっている面もあるのだが。
「特に、実際の戦闘であんな指示を出されても、聞く事なんて出来はしませんよ」
歯を軋らせるミサトに提案する。
「試して……みますか？」
「――で、こういう事になったワケ？」
発令所で初号機の発進準備を進めながら、リツコはこめかみを揉みながら呆れた声を出した。
「いーじゃない。ミサトの奴もこっちの苦労を体験すれば、ちっとはまともな指揮をしようってもんでしょ」
同じく発令所に陣取り、腰に手を当て胸を反らしながらアスカがそれに応える。
それを横目で見遣った後、スクリーンに目を戻すリツコ。そこではＬＣＬの注水が始まったプラグ内の様子が映し出されていた。
『そのまま、ゆっくりと肺の方に吸って下さい』
『けほっ！ き、気持ち悪ぅ……』
『もう三十路に足突っ込んだ大人でしょ。我慢して下さい』
『し、失礼ね！ あたしゃ、まだ二十代よっ！』
『加えて言うなら、その“気持ち悪い”モノを、僕達は毎回吸ってるんですけどね』
『う……』
シンジの指摘で言葉に詰まる作戦部長。
二人の漫才に額に幾つか青筋を浮かべた、既に三十代の技術部長が呼び掛ける。
「……起動開始するわよ。良いかしら、二人とも？」
『どうぞ』
『は、はいっ！』
リツコの低くなった声にもシンジは平然としていたが、ミサトは声を裏返させた。
ＬＣＬが電荷され透明になると、シンジはシートの横にへばり付いたミサトの方を見たが、
『じゃあ、しっかり掴まってて下さい』
それだけ言うと、さり気無く視線を正面に向けた。
ミサトはその様子に何かを感じたのか、自分の身体を見回すと、直ぐにある事に気付く。
この時のミサトの服装は、上がＴシャツ、下がジャージだった。そのシャツが薄かったのか、ブラが見事に透けて見えていた。
チェシャ猫笑いを浮かべると、胸をシンジに押付けるようにする。
『ふ〜〜ん、ど〜したのかな〜〜、シンジ君はぁ〜〜♪』
『…………』
『澄ましちゃって〜〜。このこのぉ〜〜♪』
「……あの〜、先輩。続けて宜しいんでしょうか？」
「……放っておいて構わないわ。さっさとやってしまいなさい」
「は、はいっ。第一次接続開始」
何故か不機嫌そうなレイの視線を後頭部に受けたマヤが尋ねると、リツコは唸るようにして応える。
やがてシンクロのシークエンスが進む内、騒いでいたミサトが大人しくなった。
『あ、あの〜。な、何かイヤ〜な感じがするんですケド……』
「そう言えば、シンジ君のプラグ深度は汚染区域に入ってたわね。あのコ全然平気だから忘れてたわ。……プラグを引き上げて」
『ちょ、ちょっと〜っ。アタシを精神汚染にする気〜！？』
「アナタの精神はとっくに汚染されてるでしょ」
『ぬぁんですって〜〜っ！』
冷たく返したリツコは、尚も続くミサトの抗議に聞き流して溜息を吐く。
「……まったく、司令も副司令もいないからって……」
「――なに？ あの二人、どっか行ってるの？」
「ええ、南極にね」
アスカはそれを聞くと、レイと無言のまま目を見交わした。二人の視線の遣り取りを見咎め、リツコが訊く。
「……それが、どうかしたのかしら？」
「べっつに〜〜」
顔を背け、目だけ動かしてリツコを見るアスカ。第十使徒の出現が間近いこの時期に、二人が揃って本部を空けるのは、彼等が「使徒殲滅より補完計画の方が大事」と考えている良い証左だった。
「ただ、全部吹飛んで何も無くなった筈の場所に、あの“ぬらりひょん”と“油すまし”が揃って何の用かな〜、って思っただけよ」
途端に発令所のそこかしこでオペレーター達が吹き出し、リツコは顔を思い切り引き攣らせた。
射出された初号機がジオフロント内――流石に地上という訳にはいかず――の本部脇に姿を現し、ロックを解かれるとゆっくりとそこから歩き出した。
「……異物をプラグ内に入れても影響無し――か。元々のシンクロ率が低いから、そのぶれも……」
屈伸等をする初号機と表示されるデータの数値を見比べながら、リツコが独言ちる。
やがて準備運動を終えた初号機は走り出し、本部から離れた。充分に距離を取ると、そこでソケットをパージする。
「「「おおぉ〜〜〜〜……」」」
その場で演武を始めた初号機に、発令所では感嘆の声が上がった。
「小林拳っすかね？」
「いや、こりゃ凄い……」
巨人が軽快に突きを繰出し蹴りを放つ様子を、口々に論評するオペレーター達。
きっかり一分。最後に旋風脚――三回転もする辺りは竜巻旋風脚と言った方が良いかもしれない――をやって見せた初号機は、再びソケットを接続すると動きを止めた。
夢。
夢を見ている。
父さんがいて、母さんがいて。
三人で笑い合っていたあの頃。
母さんの古い友人の所に行った時。
巨大おでん種や羽根付き食逃げ犯、銃刀法違反が闊歩していた北の街。
あの家で出された甘くないジャム。
鮮やかなオレンジ色をしたアレ。
その時おばさんは優しそうに微笑んでいて……。
なのに傍らにいた男の子と女の子は気の毒そうな顔をしていて……。
口にしたくないのに……。
だけど、口に入れるしか出来なくて……。
悔しくて……。
悲しくて……。
食べたくない……。
言葉にならない声。
届かない声。
「ミサトちゃんは良い子だから、好き嫌いしないわよね？」
それは、誰の言葉だっただろう……。
「う、うん……、頂きます……」
……ありがとう、おばサン。
あれ以来、私は何でも美味しく食べられるようになりまシタ。
今は、その時に似ている。
オレンジ色の残滓が舌を焼き、体内を荒れ狂う。
意識を手放したいのに、誰かが邪魔をする。
……うるさい、うるさい。
胃の中を解放したら、少しは楽になるだろうか……？
『了承』
「い゛や゛お゛ーーーーウッ！！」
初号機が固定されたケイジにリツコの絶叫が響き渡り、そこにいた全員が戦慄する。
「無様ね」
レイがシンジにタオルを手渡すその横で、腕を組んだアスカが冷たく呟いた。
「……うぅ〜〜、酷い目に遭ったわ……」
リツコの研究室で、タオルを首に掛けたミサトが、勝手にコーヒーを淹れながら愚痴を零す。
「それは、こっちの台詞よ」
その様子をジト目で見ながら、こちらも髪が生乾きのリツコがキーボードを少々乱暴に叩きながら、棘付きの言葉を投げ付けた。
「悪かったわよ……。でも、ＥＶＡがあんな酷い乗心地だとは思わなかったんだもの……。ま〜だ、揺れてるみたい」
「思わなかった、ってアナタねぇ……」
頭痛を感じながら、手を止め椅子を回して体ごと向き直る。
「人間が普通に歩いても、身体は上下に揺動するのよ。それがＥＶＡサイズになって御覧なさい。メートル単位で上下に動く事になるわ」
「……なら、最初に教えてくれても良いじゃない」
「教えるまでも無いでしょ。実際に見て、ちょっと頭を働かせれば分かる事よ」
「あぅっ……」
リツコの言葉に心を抉られ、精神的に仰け反るミサト。
そんなミサトを冷たく見ながら、リツコは無言で自分の分のコーヒーを要求した。
手渡されたカップに口を付け、いつもと違う味に顔を顰めたリツコは、碌に飲む事無くデスクにカップを置く。
「……何れにせよアナタが味わったアレは、まだ温いわ。シンジ君がこれまで実戦で記録した最大荷重は、瞬間のモノだけど今回の三倍以上よ」
「うぇ……」
多少なりとも想像が付いたのか、ミサトは呻き声を出した。
「はあ〜〜。その状態で細かい命令を聞くのは、チョッち無理か〜〜」
今更な事を言葉にする。その時のミサトは考えが及ばなかったが、実際はそれだけでなく戦場の狂気、そして他の兵器には無い機体からのフィードバックといった要素も存在する。
「アラ、珍しい……。反省？」
リツコは呟くと軽く端末を操作して、ウィンドウに「明日の天気」を呼び出した。
「リツコぉ〜〜！」
ワザとらし過ぎるリツコの様子に、ミサトはテンションを上げるが、直ぐにそれは萎んでしまう。
「……でも、実際の所どうなの？ 何とかならないのアレ？」
「何とか――って、アナタね……。アタシの事を何だと思ってるの……？」
『某猫型ロボットを飼っているとでも思ってるのかしら？』と、何か困った事があると簡単に泣き付いてくる親友に嘆息する。
「……現有の技術で出来る事は全てやってあるわ。後は、それこそ慣性制御でも出来ない限り、どうにもならないわよ」
「えぇー！ ……そこんとこを何とかチョイチョイ、って……」
「…………」
余りにも簡単に言うミサトに、それ以上付き合う気が無くなったリツコは、デスクに向き直り作業を再開した。
不機嫌さのオーラを全身から発散するリツコに、さしものミサトも気不味くなり、まだカップに残ったコーヒーをやや遠慮がちに飲み始める。が、殊勝な様子もカップの底が三分の二程顔を出すまでで、全て飲み干すと新たなコーヒーをカップに注いだ。
不貞々々しくめげないのはミサトの長所かもしれないが……付き合うのは些か鬱陶しくもある。背中で十年来の友人の気配を感じながら、リツコは仕事を続けた。だが、中々立去る様子が無いどころか、なにやら愚痴を零し始めた事に苛立ちを募らせていく。
「――まぁったく、あの餓鬼はいつもいつも……」
「…………」
「そりゃぁ、アタシも悪かったわよ。でも、自分だって何様のつもりなのよ？」
「……ＮＥＲＶの切り札なんじゃないの？」
遂に口を挟んだ――ただし作業は続けたまま――リツコに、ミサトは胡散臭気な目を向ける。
「エース――ねえ……。それより鬼札と言った方が、似合ってるけど……」
ミサトの台詞で浮かんだイメージに、リツコは脳裏にシンジの姿を重ね合わせる。
最強の札。ただし、いずれの紋票にも属す事はない。
持つ者に勝利を、持たぬ者に敗北をもたらす道化師。
（それとも……ＮＥＲＶにとって、「ババ」なのかしらね、彼は）
耳に入る声を頭半分で聞きながらそんな事を考えていると、ミサトが声を大きくした。
「ちょっと、聞いてるの？」
「……聞いてるわよ」
そう言いながらも、リツコは無論気が乗ってはいない。
その様子にミサトは、リツコの仕事中に押しかけて来たのが自分だと言う事も忘れ不機嫌になったが、取敢えずは騒ぐ事をしなかった。それでも口を閉じる事も無ないが。
「……エースだろうがジョーカーだろうが、報酬分の仕事はしてるんだから文句は言えないでしょ？」
確かに使徒殲滅――表向きの仕事については完全無欠、文句の付けようも無い。
「ふん……。黒い猫でも白い猫でも、鼠を獲るのが良い猫――か……」
ミサトは胡乱な目でリツコを見遣った後、部屋にある猫グッズを眺めながら呟く。
「そう言えば……シンジ君の報酬って、『ＥＶＡに乗る毎に』っていうような事を言ってたけど……どのくらい払ってるの？」
「………………十億円よ」
「！？ っぶふぅーーっ！！」
「っ！？」
質問に答えたものかどうか迷ったリツコだが、結局答え――機密ではないし、黙っていても絡まれるだけであるし――たが１秒で後悔した。ミサトの口から噴出した茶色い飛沫が、リツコとその周りの物を汚染する。
「な、何て事するのよっ！！」
「ご、ごみん……」
自身よりも機械や書類の汚れを慌てて拭取るリツコ。ミサトも謝罪を口にしながらそれを手伝う。
数分後、その騒ぎが漸く治まると、リツコは改めてミサトを睨み付けた。
「ご、ごめんね〜、リツコ……」
「…………」
御世辞にも誠意に溢れているとは言い難い言葉に、リツコの目が益々冷たくなる。ソレに耐えられなくなったミサトは、急いで誤魔化す為の言葉を探した。
「あはは……。え〜っと……そ、その、シンジ君の報酬ってマジなの……？」
「……ホントよ」
「……だーーっ！！ 何よそれ！？ ＥＶＡに乗ってちょっと戦うだけで約四百二十万ＹＥＢＩＣＨＵ？ 暴利だわ！ ブルジョアジーよ！ 集え全国の労働者諸君よっ！」
リツコは『……何よ、ＹＥＢＩＣＨＵって？』と思いながらも、ヱビチュ（３５０ml）一本に換算している事は直ぐに見当が付いた。そして、それをミサトが一瞬で計算した事と、彼女の能力の無駄遣いに呆れる。
「……報酬分の仕事はしている――って言ったでしょ。それに……」
長く溜息を吐いて続ける。
「ミサト。アナタが与えた損害額の方が、よっぽど大きいわよ？」
「へっ？ な、何よ、アタシの損害……って？」
自覚の無いミサトの様子に、再度嘆息する。
例えば第五使徒戦である。
あの時、ミサトの軽率な発進命令で初号機が損害を受け、『ヤシマ作戰』の実行では、それに伴う直接間接の被害が“兆”に達している。また、あの時シンジの出撃は二回とカウントされ、当然報酬も二倍になっている。――これについては、作戦失敗の尻拭いをやってもらったので、文句すら言えない。
更にリツコは、これまでの戦いをミサトの指揮の元で行った場合（同時に、シンジの戦闘力が、当初想定したものであった場合）をＭＡＧＩでシミュレーションしてみたが、毎回のＥＶＡ損害は殆んどが中破以上、という結果が出ていた。
それを被害を最小限に抑えて、尚且つ勝ってきたのは間違ってもミサトの功績ではない。結果からすれば、シンジの報酬など微々たるモノと言える。
理路整然としたリツコの説明に、顔を強張らせるミサト。その引き攣った顔に、リツコはもう二言三言を投げ付ける。
「……司令と副司令の留守中、アナタがココの最高責任者でしょ。昇進だってしたんだから……。こうして駄弁ってる暇なんてあるの？」
「……」
「今日の結果は纏めて送っておくわ。日向君にばかり押付けてないで、きちんと仕事しなさい」
無論の事、ミサトは一言も無かった。
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