ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾壱話 B-Part
路上に駐車した車の中にいる二人の男は、どう見ても堅気には見えなかった。
立派な体格を黒服に包み、その上に鹿爪らしい顔を乗せた男達。第３新東京でこうもあからさまな格好をするような連中は、一つしかない。言わずと知れたＮＥＲＶ保安諜報部である。
彼等の名は「部員Ａ、Ｂ」。
無論本名はあるのだが、ここでは必要ないし、それで充分である。
仮にもプロである彼等も、当然現在の異常には気付いていた。だが、一通り本部の連絡を取ろうとして果たせない事が分かると、それ以上何をするでもなくシートに身を沈めていた。
二人の任務は、名目上「チルドレンの警護」となっている。だがそれなら、斯かる事態に至れば、警護対象の安全確保を最優先に行うのが当然だろう。だが、彼等は何もしようとしない。
自分達の任務が「警護」ではなく、「監視」である事を良く理解しているから。
もっとも、弁護の余地はある。
彼等が居るのはコンフォート１７から五百ｍ程離れた所である。これ以上近付く事はシンジが許していなかった（狙撃や監視が行える場所は、それ以上でもチェックを受けていたが）。これでは警護など出来よう筈も無い。監視も不可能だが。
ただ、同業他社の連中も同様であるので、彼等が態々ここにいる必要もないのだが――形式だけでも、というのが組織である。
そんな訳で運転席に座る部員Ａは、外見はともかく内心に緊張感はあまりなかった。
全身の酸素不足に耐えかねたＡが、半不随意の深呼吸を行なおうと口を開けた時、突然ドアが外から開けられた。
口を閉じる間も無く片手で車外に放り出され、路上を何回転かするＡ。頭を振ってから車の方を見た時には、既にドアは塞がっていた。
助手席の部員Ｂも仰天していた。相手を確認する前に懐に手を入れ、銃を抜き出し相手に向け――と思った時には自分の手から銃が消え、自分の銃の銃口と御対面していた。
「車をお借りします。……宜しいですね？」
「警護対象」の一人にそう言われても、言葉が出て来ない。
荒事で飯を食っている身である。見て分かった。目の前の相手が自分より強く、かつ躊躇無く引鉄を引ける人間である事は。
だから、一も二も無く頷きたかったのだが、体が言う事を聞かない。
相手もそれが分かったのだろう。発散する気を押さえてから、促すように銃口を動かした。
恥も外聞も無く、倒けつ転びつ車外に飛び出る。
入違いに「警護対象」がもう二人、後部座席に乗込んだが、最早反応すら出来なかった。
奪った拳銃とディバッグを助手席に放り、ベルトを掛ける。
後に乗った二人が同様にするのを確認してキーを捻ったシンジは、そこで一度動きを止め窓を開けた。
『こちらは第三管区航空自衛隊です。只今正体不明の物体が本地点に対し移動中です。住民の皆様は速やかに指定のシェルターに避難して下さい』
顔を出すと、比較的低空をスピーカーでがなり立てながら飛んで行く飛行機が見えた。
「おやおや、ホントに来たよ……」
「だったら、さっさと出しなさい！ Gehen！」
呑気に呟くシンジが頭を乗せるシートの背を、後から何度も叩きながら急かすアスカ。
「Ja vohl」
シンジは苦笑するとギヤを入れ、アクセルを踏み込む。
その場に白煙と二人の保安諜報部員を残し、車は弾かれたように走り出した。
発進の加速が一段落すると、アスカは髪を撫で付けながら息を吐き出した。
「まーったく、破壊工作なんて舐めた事してくれるじゃない。……シンジ、どこのどいつの仕業か分かんないの？」
シンジはミラーを調節しながら応える。
「……残念ながら、こっちの諜報能力はＮＥＲＶのソレに寄生してるような物だからね。ＮＥＲＶが察知していない事までは分からないよ、今のところはね」
鏡の中で紅と蒼の瞳が見詰め返す。
「ＮＥＲＶを快く思っていない組織は……数えるのも馬鹿らしいし。でも、ここまでの事をするとなると、国内なら――戦自か内務省あたりかな……？」
特に戦自は「大規模地下施設への侵攻」を考えている節が、断片的ながらも見られる。無論それはあからさまな物ではなく、未だ研究段階のもののようであるが。今回の事はそれを具体的にする為なのかもしれない。
これについて一概に戦自を責めるわけにもいかない。彼等にとって、自国内に「コントロール出来ない軍事力」が存在するのは、（控え目に言って）愉快な事ではない。そういった存在に備えてしまうのは、軍という物の本能とも言える。前世紀においても、自衛隊が在日米軍を仮想敵の一つと考えていたともいうし。
ただ、ＥＶＡについての彼等の評価は――如何にｎ２兵器の直撃に耐え得るとは言え、過大評価であるとシンジは思っている。Ｓ２機関搭載型ならば、多少は変わるだろうが。
「……だからって……いくら気に食わない、っていってもさぁ……」
シンジの説明にも今一つ納得がいかないアスカは腕を組む。
「勿論、気に食わない、って言うもの有るよ。それ以上に、彼等は怖いんだと思う」
「……怖い。……ＮＥＲＶが？」
「いや……。ＮＥＲＶが隠しているであろうモノ――が」
小首を傾げるレイに、ミラー越しではなく目を向け答える。
第三使徒以来、殆んどの使徒はここ、第３新東京を目指している。その事実は、使徒がサードインパクトを起こそうとしているというＮＥＲＶの言を信じるのなら、この地にインパクトを起こす為の要因の一つがある、という事になる。
「……彼等の目には、ここに爆弾――それも日本を一撃で吹き飛ばすような――が埋まっていて、使徒はソレを起爆させにやって来ている、と見えてるだろうね」
そして、その見方はほぼ正しい。
「なら、やって来る使徒を倒すより、ＮＥＲＶが隠し持っているモノを何とかした方が良い、と考えるのが当然だろ。実際日本政府も、公式・非公式にＮＥＲＶに、その辺りを問合せてるけど……当然ＮＥＲＶ側は『機密』の一言でそれを突っ撥ねてる」
そんな事をすれば、撥ね付けられた方の不安と不信感が増大するのも、当然過ぎる程当然の事である。かてて加えて、彼等がセカンドインパクトの経験者であれば。
肩を竦めてそう結んだシンジに、後席の二人は何も言えなかった。
沈黙が篭る車内にあって、シンジもそれ以上何も言わず運転に専念していたが、前方から一台の車両が急接近してくるのに気付いた。そして微かに聞こえるスピーカーからの声。
『……き、緊急車両が通ります。……当管区内における非常事態宣言発令に伴い――』
『――次を左だっ！』
『了解っ！』
聞き覚えのある声にシンジが訝る間も無く、二台の車はほぼ同時に交差点に差し掛かる。
『キャーーーーーーーーッ！！』
スピーカーを通しての絶叫と混ざり合い、その場は短時間ながらけたたましい騒音に満たされた。
タイヤをスライドさせながら同一方向へフロントを向けた両車は、僅かに互いのサイドを接触させたが、そのままスピードを緩める事無く平行して疾走する。
「ありゃ、日向さん……」
ステアリングを小刻みに動かしながら、選挙カーに知った顔を見付け惚けた口調で呟くシンジ。日向もこちらに気が付いたのか、呆気に取られたような顔で見詰めてくる。
シンジは少し笑って手を振ると、アクセルを踏み込む。
僅かにリードしだしたシンジ達の車は、しかし直ぐに追付かれる。
二台が抜きつ抜かれつデッドヒートを繰り広げる内に、ジオフロントへのゲートが近付いた。
『……あ、あのぉ、行き止まりですよぅ』
『構わない、ぶち破れっ！』
『おうよっ！』
泣き出しそうなウグイス嬢とは対照に、バトルで熱くなったのか日向と運転手が吼える。
『もう、イヤーーーーッ！！』
ウグイス嬢の悲鳴を地上に残したまま、ゲートを強行突破した二台はトンネルに突入していった。
「このジオフロントは外部から隔離されても、自給自足が出来るコロニーとして作られた。その全ての電源が落ちるという状況は理論上有り得ない」
電源の落ちた発令所の中、蝋燭の明りに照らされた冬月が言わずもがなの事を口にし、それから導かれる事を確認するようにリツコが応えた。
「誰かが故意にやった、という事ですね」
「……恐らくその目的は、ここの回線の調査だ」
「復旧ルートから本部の構造を推察する訳ですか」
「癪な奴等だ……」
取敢えずこの事態を引起した相手の目的を推測した三人は、続いて事態への対処に移る。
「ＭＡＧＩにダミープログラムを走らせます。全体の把握は困難になるでしょうから」
「頼む」
踵を返したリツコの後姿を見送った冬月は、溜息混じりに愚痴を漏らした。
「本部初の被害が使徒では無く、同じ人間にやられた物とは。やりきれんな……」
「所詮、人間の敵は人間だよ」
「――それは、貴方達御自身の事を仰っているのですか？」
不遜なゲンドウの呟きに応えるように、後から呆れを含んだ声が聞こえた。
聞き覚えが無い声に驚くゲンドウ。慌てて背後を振り返るが、声の主を視覚に捉えらえる事は無かった。
暫く視線を動かしてそこを探った後で横に動かし、隣で似たような顔で突っ立っていた冬月を見る。
「……聞こえたか？」
「……ああ」
掠れた声で互いに確認し合い、顔を見合わせる。
二人がもう一度目を向けたそこには、ただ沈黙する闇だけがわだかまっていた。
本部内に入り込んだ二台の車は、クラクションで職員を追散らしながら通路を爆走する。乗車している者の内、女性三人は目を開けている事も出来ず、必死になってどこかにしがみ付いていた。
日向は暫く前から悲鳴も上げなくなったウグイス嬢を見遣り、彼女が白目を剥いているのに気付く。だが、彼女の目を覚まさせる事も出来ず――気を失っていた方が幸せでもあるし――内心で手を合わせ詫びるしかなかった。
やがて彼等は選挙カーを先頭にして、発令所に飛び込んだ。急ブレーキがやや間に合わず、軽く接触する二台。
そこにいた者全員が驚きに息を呑み注目する中、スピーカー越しに日向の声が響き渡る。
『使徒接近中！ 直ちにＥＶＡ発進の要有りと認む！』
一気に緊張感が高まる発令所内。とは言え、現在の状況では何時ものような訳には行かない。大多数の人間が、咄嗟にどうしたら良いか戸惑いを見せる。
そこにバッグを引っ掴んで車外に飛び出し、選挙カーのマイクを借りたシンジが叫ぶ。
『すいません、手の空いている方はケイジでＥＶＡの発進準備をお願いします！
赤木さん、緊急用ディーゼルは使えますか？』
「え……ええ、使える筈よ」
『では、準備を頼みます』
マイクを戻そうとしたシンジだが、思い付いてもう一度それを口元に持ってくる。
『碇司令。“正義の味方”たるＮＥＲＶが、どうしてこのような破壊工作に曝されなければならないのか――後程、納得のいく説明をお願いします』
そう言うとシンジは司令塔上部に向かって意地悪く笑ってみせる。そこの主二人からは、その表情が見える事は無かっただろうが。
最後にシンジは選挙カーの運転手に向かって、親指を突き出して見せる。運転手がそれに応えて指を突き出し返すと、シンジはもう一度笑って、既に発令所を飛出したアスカとレイを追って駆出した。
掛け合う声が飛び交い慌しくなり、一部のスタッフは早速発令所から出ていき始める。
最高責任者の言葉が何も無いまま動き出した（リツコも含めて）その様子を、何もする事が無い二人は憮然と、或いは苦々しく見詰めるしかなかった。
碌な明りがないケイジの空間に、大勢の掛声が響いていた。
そこでは整備員のみならず、手隙の職員が総出でエントリープラグの挿入作業を行なっていた。誰も彼も汗だらけになり、必死の表情になっている。
「こうなると、セントラルドグマが潰されたのは幸いだったわね……」
作業の様子を見ながら、リツコは独言ちた。
現在、ケイジにはディーゼル発電だけではなく、ある程度電気を回せている。もし、ドグマの“装置”が生きてれば、そちらを優先する事になったため、こちらの作業はもっと遅れる事になっていただろう。
そう考えて、リツコは少し離れたケイジの隅に目を向ける。作業の邪魔にならないそこでは、プラグスーツに着替えたシンジ達三人が、顔を寄せ合って話をしていた。
マグライトで照らされた紙に、シンジがなにやら書き込みながら話しているのを見ると、どうやら臨時の作戦会議らしい。
と、視線を感じたのか、シンジが顔を上げリツコの方を見た。
「赤木さん、武装は何が用意出来ますか？」
「……プログナイフの他は、パレットライフルとハンドガンが各一丁、後はソニック・グレイブが何とか……」
「上等です」
声を上げての質問にリツコが応えると、シンジは一つ頷き再び顔をアスカ達に向ける。
その様子にリツコは気が付かれない程小さく一息吐いた。
そうしている間にも作業は進み、やがてマヤがリツコに呼び掛ける。
「プラグ固定、準備完了！」
リツコは再びシンジ達の方を見る。
「アナタ達！ 準備が出来たわ！」
「了解」
立上がり、ＥＶＡ各機に向けて走出す三人。アンビリカルブリッジを足場にＥＶＡに取り付く。
シンジは整備員と一緒にプラグのハッチを空けると、そこに乗り込んだ。
「ありがとうございます。使徒の方は任せて下さい」
「おう、頑張れよっ！」
「頼んだぞぉ！」
整備員達の激励に頷くと、シンジはシートに身を乗せる。
ハッチが閉じられ中が暗闇に閉ざされると、駆動音と共にプラグが沈み込んでいくのが感じられた。
「プラグ挿入」
「全機、補助電源にて起動完了。第一ロックボルト解除」
リツコの指示で、油圧パイプに斧が叩き付けられる。
そこからオイルが抜けるに従って、ロックボルトが弛んでいく。
「２番から３２番までの油圧ロックを解除」
「圧力０、状況フリー」
『拘束具を自力解除します。退避して下さい』
動き出したＥＶＡが、掻き分けるようにブリッジを破壊する。
続いて背面に細長い板状の部品が装着される。
「非常用バッテリー、搭載完了！」
「よし、いけるわ。ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ、発進！」
声高らかにリツコが号令を掛けた。
凛々しいと言って良いリツコの姿だったが、本人にとっても残念な事に、この時のＥＶＡの出撃の様子はあまり格好の良いものではなかった、とはその場にいた全員の感想である。
「もぉ〜〜……まぁだ動かないのぉ？」
未だ動かぬエレベーターの中で、苛ついたミサトが頻りに扉を撲り付ける。
上着を脱ぎ捨てタンクトップになっているが、この密閉空間の温度ではそれも追付かない。頭が茹で上がって、不快感が募る。
「まあ、落着けよ葛城。騒ぐと余計暑くなるだけだぞ」
と、こちらは汗だくになりながらも上着を脱がず、いつもと変わらぬ態度の加持。
手を止めたミサトは加持を一睨みするが、それでもその言葉に理を認めたのか、鼻を鳴らしながらも大人しくなる。とはいえ、不機嫌そうな表情を崩さず、腕を組んで背中を壁に預けた。
「……こうなったらジタバタしてもしょうがないだろ。気長に助けなり、動き出すのを待とうぜ」
加持はその様子に苦笑しながら、同様に背中を壁に凭れ掛ける。
暫くの間、二人に会話は無く、ただ呼吸音のみが微かに響く。この狭い中にあっては、ミサトも加持の事を意識の外に追い出す事など出来はしない。何度かチラチラと加持の顔を窺う。
その沈黙に耐えられなくなったのか、ミサトは頭の中で話題を探すと、やがて口を開いた。
「……ねえ、ちょっと訊きたいんだけど……？」
「ん？」
「アスカ――あのコに何かあったのか、アンタ何か知らない？」
「何かって……なんだ？」
「っ、アンタだって気が付いてんでしょ！ 惚けないでよ」
韜晦するような加持の台詞に、声を荒げるミサト。
「ふむ……」
顎に手を当て考え込む仕草をする加持だが、当然彼も気が付いていた。
ここのところのアスカの様子。会えばそれなりに戯れ付いてはくるのだが、これまでのように露骨な『構ってくれ』のサインを見せてこない。無理して『大人』である事を見せ付けよう、という様子も鳴りを潜めている。
明らかに加持が知っているアスカではなかった。
「そう言えば――」
手を顎から離す。
「――この間、少し気になる事を言っていたな……」
そう呟いた加持に、ミサトが目線で続きを促す。頷いた加持はその時の事を思い出しながら、ゆっくりと話し始めた。
『よう、アスカ』
『あっ、加持さ〜ん』
『ここのところ、頑張っているようだな。立続けに三連勝じゃないか』
『そんな、大した事じゃありませんって。第一、アタシ一人でやってるわけじゃないし』
『……謙遜する事もないと思うぞ。殆んど損害らしい損害も無しに使徒を倒しているのは、アスカの力もあればこそじゃないか。もっと、胸を張って良いんじゃないか？』
『……ありがとう、加持さん。シンジもそう言ってるけど……。でも、そもそもチルドレンなんて、自慢するようなモノじゃないし……』
『っ！？ そいつはどういう……』
「……あのコ、そんな事を言ったの！？」
「ああ」
愕然とした表情のミサトに向かい、加持は頷く。
「そんな……。あれ程、チルドレンという事に誇りを持ってたアスカが……。アンタ、あのコが何でそんな事を言い出したのか、訊いてないの！？」
「俺も、もっと突っ込んで尋ねようと思ったんだけどな……。その時のアスカは、レイちゃんを待っていたらしく、丁度彼女がやって来たんでね……」
押さえるように両手を上げた加持に、一歩踏み出しかけたミサトはそこで踏み止まる。
再び満たされる沈黙。
口元を手で押さえながら、ミサトは思考を積み上げていく。
いきなり１００％近いシンクロ率を叩き出したアスカ。
スタンドプレイではなく、チームプレイを考えるようになったアスカ。
知る筈も無いと思っていた、自分の事を知っていたアスカ。
そして、『チルドレン』に拘っていないアスカ。
どれも自分の知るアスカではない。
日本に来た当初は、そうでなかった。間違い無く自分の知っているアスカだった筈だ。
それが、変わってしまったのは――
「――やっぱり鍵はシンジ君ね」
その呟きに、加持の耳がピクリと動く。
「シンジ君がアスカに何をやったんだ？」
「わっかんないわよ、何をやったかなんて。ただ……アスカがアタシの父さんの事を知ってて……それをアスカに教えたのがシンジ君だ、ってのはね……。それにアスカが変わったのは、シンジ君ちに転がり込んだ頃と一致してるし……」
「ふ〜〜ん……」
しかし、出会った当初はあれ程シンジに突っ掛かっていたアスカだというのに、チルドレンとしての拘りを百八十度変えるとは、一体何をどうしたらああなるのだろうか。
そこまで考えたミサトはふと目を上げると、目の前に男の胸があることに気付いた。
「？」
「ま、アスカの事も気になるが……今ここには俺達だけなんだ。お互い、もう一度理解を深め合うのも良いんじゃないか？」
「…………」
「っ！！ ……〜〜〜〜！！」
無言のままミサトは相手の爪先を踏み躙り、その痛みに飛退いた加持は片足のまま飛び跳ねる。
「……バカ」
男の無様な姿を口を歪め、冷たく見詰める。
再び背を壁に預けたミサトの脊椎を、その時『生理的欲求』を知らせる電気信号が、ささやかに駆け上っていった。
「……ネオ・アトランティス？」
何とか地上に這い出た初号機に片膝をつかせ、ビルの陰から使徒を視界に納めたシンジは何となくそんな事を思った。
だが、直ぐに気持ちを切り換え時刻表示に目をやり、時を待つ。
胴体底部から一心不乱に溶解液を垂らしている使徒。その側面に突如砲弾が飛来し、だが使徒の外皮を突破れなかったそれは虚しく爆煙を上げた。
発砲が行なわれているのは、シンジから見て右手。使徒を頂点として直角を形作っていた。
初号機は、砲火が止む前にプログナイフを抜きながら疾駆を開始し、爆煙に煙る使徒の胴体上面に飛び乗る。飛び乗りざま使徒の左手手前の脚を根元から蹴り折り、続けて同じ側のもう一本を投げ付けたナイフで切断する。
脚二本をもがれ擱坐した使徒の右手側、無傷な脚に取り付いた初号機は、傾いだ方に思い切り体重を掛けると直ぐさま飛び離れた。
勢い良く転覆した使徒は、残った脚が支えて完全な逆様になった訳ではないが、それでも起上がる事は叶わず、長大な脚をただ無闇に蠢かす。
その無防備になった腹の中央に付いた『目』。
近くのビルに飛び乗った弐号機が、斜め上方からそこ目掛けてソニック・グレイブを投付けた。
容易く胴体を貫通して、地面にまで半ば埋まるグレイブ。
使徒の脚の動きが止まる。
初号機と弐号機はそれを見ると使徒から距離を取り、ライフルを手に援護する零号機と共に様子を窺う。
暫く待っても使徒が動き出す事も爆発もせず、完全に「死んで」いる事を確認したシンジが片手を挙げてそれを僚機に報せ、アスカとレイは其々息を吐いて緊張を解いた。
今回の第３新東京、そしてＮＥＲＶ本部の危機は、取敢えず回避された。
車で外に出て様子を確認した職員が「使徒殲滅」を報せ、それが人伝に伝わると共に本部内は安堵と歓声に包まれる。
が、一部にはそれを分ち与えられず、未だ危機の最中にある者達もいた。
「――何で開かないのよ。非常事態なのにぃ〜〜。もう、漏れちゃう〜〜。こらっ、もう！ 上見ちゃ駄目って言ってるでしょっ！」
「はいはい……」
百年の恋も冷めるような台詞を吐くミサトだが、本人にとっては死活問題である。加持の方は今更であるので、大人しく肩車の下になりながらそれを内心で苦笑しながら聞いていた。
とは言え本当に“され”るのは、そちらの“趣味”を持たない加持としても勘弁願いたいので、出来るだけミサトを刺激する真似はしなかったが。
天井の非常ハッチを抉じ開けようと悪戦苦闘するミサトの目と鼻の先で、突如光を取戻す電灯。同時に動き出すエレベーター。
心構えも何も無かった二人は蹌踉いて床に叩き付けられ、縺れ合って折り重なる。
階へ到着を告げる音が鳴り、扉が開く。
姿を現したリツコ達三人は室内の惨状に目を留めると、無言で中の二人を見詰めた。
「よぅ……」
ミサトの下から困ったような顔で挨拶をする加持。だが、誰もそれに応えない。
額に青筋を浮かべ顔を押さえたリツコの後ろで、マヤが無表情に呟いた。
「フケツ……」
「……そう言えば、第五使徒戦の時もこんな風にしてたよねぇ」
「……ええ」
郊外の丘に並んで転がり、明りの消えた街と灯火に邪魔をされない満天の星々を眺めながらシンジが呟くと、レイがそれに応えた。ただ、あの時と違い、今は一仕事を終えた安堵感が存在していたが。
涼しさを増し始めた夜風が、穏やかに身体を撫でていく。
シンジとレイが共有する記憶。
それに入り込めないアスカは、何となく不機嫌になった。邪魔をするかのように別の事を口にする。
「……でも、最先端科学の粋を集めた迎撃都市と言ったところで、電気が無いだけでこのザマなんて……無様なもんね」
「うん、月並みだけど、でっかい墓場みたいだ」
通常使徒来襲時には収納されるビル群がそのまま地上に残り、冷たい姿を晒して林立している。事によったら、本当に誰かの墓標になっていたかもしれない。
「ったく、いくらＮＥＲＶに文句があるからって、破壊工作なんて……。これで使徒迎撃に失敗してたら、どうするつもりだったのかしら」
不満気な様子なアスカの横顔を見ながら、シンジは『その時は僕とファウストで片付けるしかなかったか……』と考える。もっとも、そういった事態は使徒に自分達を“敵”と認識させる事になり、またＳＥＥＬＥとＮＥＲＶにも余計な警戒心を持たせる為、出来得るなら避けたい事だが。それを思考だけに留め、アスカの言葉に別の応えをした。
「アスカ、認識が甘いよ」
「甘いって……どういう事よ」
「使徒の事があるから、“この程度”で済んだ――というのが、多分正解だと思う。ＮＥＲＶは随分と強引でえげつない事をやって、恨みや何かを買ってるからね……」
肩を竦め、嘆息する。
「何か事があった時、ＮＥＲＶに味方してくれるモノはいない、と思っていた方がいい」
今、ＮＥＲＶに付いている連中とて、その殆んどは利に釣られているか、さもなくば脅迫紛い手管によって協力させられているか、である。彼等はＮＥＲＶという船が沈没するような事態（たとえば『Ａ８０１』の発令等）になれば我勝ちに逃げ出す――どころか、船体に穴を開けてから逃げ出すくらいしかねない。
加えてＳＥＥＬＥも、いざと言う時にはＮＥＲＶを蜥蜴の尻尾として扱うだろう。
それを聞いた二人も、腐った物を口にしたような顔になる。
「……だからこそ、出来るだけ早くＮＥＲＶの内と外に、味方を作っておく必要があるんだけど……」
一応あれこれと手を伸ばし始めているとは言え、困った事にシンジはこの手の事は得意ではない。その最大の原因は『経験不足』であろうが。
「……駄目なの？」
レイが些か短すぎる言葉で尋ねる。
「……特にＮＥＲＶの人達はねぇ……なんて言ったら良いのかな……」
頭を掻きながら言葉を探すシンジ。
「……子供に戦わせる事について罪悪感を持ってはいるんだけど、『でも、仕方の無い事だ』で済ませてしまって、『間違ってる、何とかしなければいけない』とまでは考えないんだよ……」
その筆頭は無論、アスカとレイの脳裏に真っ先に浮かんだ人物。
「十年前には居た、らしい。綾波とアスカがパイロットとなる事に、反対した人達がね。二人ともまだほんの子供だったし、ＥＶＡが碇ユイと惣流キョウコを呑込んだモノである事を知ってもいたしね」
「……その人達は、今どうしてるの？」
アスカは唾を飲み込みながら、答えの分かっている事を聞く。
「大半は追い出されて……一部は“事故死”」
その後に残ったのは従順な羊達。その後にＮＥＲＶに入ってきた者達も、頭が良くて仕事が出来ても“上”に噛付く事など考えない者が大半である。シンジの「暗躍」によって、それなりに疑問を持つ者が増えてはいるが、然りとて声を上げようとするものは未だいない。――十年前から子供を乗せる事を前提にして、それを変えようとしない上層部をおかしいと思わない辺り、シンジをして溜息を吐かせるところではある。
もっとも、シンジもそれ程彼等に期待している訳ではない。ＮＥＲＶを掻き回している第一の目的は、保安諜報部に職員の思想・身元を洗い直させて、“シンジ達にとって”信用出来る人間を見付けよう、という事だった。――そちらの方は、ゲンドウそして保安諜報部が期待通りに踊ってくれている。ただ、それが今回の停電に繋がる影響なりが出たかもしれないが。
そんな中にあって味方を作るのは、使徒と戦うより困難な事。あるいは要だけ押さえ、後は最後の瞬間に「ゲンドウの共犯になりたくなければ協力しろ」という論法を使う手もあるが。しかし、
「最後の使徒まで、あと八つ。それ程時間がある訳じゃない……」
それでもシンジの目的が単なる使徒殲滅、単なる補完計画阻止でない以上、どうしてもやっておかねばならない。
明りのない街を見ながら呟くシンジの横顔に視線を向けるアスカとレイは、シンジ以上にそういう事を不得手にしているだけに、何かを言うべき事も出来ないでいた。
それでも何をどうしたら良いかすら分からないレイと違って、アスカはアスカなりに頭を回転させる。
と、思い浮かぶ、一人の顔と名前。
「あのさ、加持さんなら事情を話せば味方になってくれるわよ、きっと！」
名案、とばかりに顔を輝かせるアスカ。だが、シンジはアスカが気が付かない程度に、顔を苦くした。
シンジも加持の事は興味を持って調べてはいる。
能力的には問題無い。三重スパイをやっているのは節操が無さ過ぎだが、逆に言えば交渉の余地があると言えるかもしれない。ＳＥＥＬＥや日本政府とのコネクションも、シンジにとって魅力がある。ただ、問題は信用に足るか否か。
これまで調べた所では、別に金銭に困っている様子は無い。この手の事に付物の女性は――複数のそれとの交際がある。政治思想については、特にこれといったものは無し。別段、宗教に嵌っている様子も無い。何を考えてスパイ稼業をしているのか、今一つ分からない。
外から調べられる事は、粗方調べ尽くした。後は、実際に接触をだけであり、『近い内に』とシンジも考えていたのだが、
（『三重スパイ』という事実は、アスカにはキツイだろうな……）
アスカの顔を見ながら内心で息を吐く。
どんな理由があろうと、どう理屈を捏ねようと、それがかなり『薄汚い』事であるのは違いない。ましてや、飼主の一つがＳＥＥＬＥとあっては……。
無言になったシンジに不審気な視線を向けるアスカ。シンジは自らのものをそれに合わせると、真剣な声で告げる。
「アスカ。済まないけど、その事は僕に任せてくれないかな？」
「えっ？」
自分の口から加持に頼もうと思っていたアスカは、目を瞬かせる。
「……何かあるの？」
「いや、……あの人の部署が部署だから、慎重にしたいんだ」
「…………」
どことなく誤魔化すような気配を感じて訝しみ、アスカは無言で答えを要求するが、
「ごめん……後でちゃんと理由を話すから……」
頼み込むシンジの様子に追求を断念した。
「分かったわよっ。でも、ちゃんと後で話すのよっ！」
「……うん」
頷きながら、加持とどう話して、アスカを納得させるカヴァーストーリーを作るかを考え始めるシンジ。
その思考を遮るように、不意に感じられる地に満ちていく力。
三人が見守る中、街は息を吹き返していく。
「あ……っ」
明りを眺めながら、ふとある事を思い出したシンジが声を上げる。
何事かとアスカとレイが向ける視線にくすぐったさを覚えながら呟く。
「……ペンペンの事、忘れてた……」
同時刻。コンフォート１７、シンジ宅……
「クァ〜〜……」
「カゥ？」
日中の暑さにベランダに逃げ、そこで空腹で倒れているペンペンと、その頭を突付いているスルトの姿があった。
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