ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾壱話 A-Part
特務機関ＮＥＲＶ。
（表向き）使徒の調査・研究・殲滅を目的とする国連直属の特務機関。
その性格上、ジオフロントに設けられた本部からは、二十四時間人の姿が無くなる事はない。とは言え、使徒来襲といった非常時でもない限り（技術部はその限りではない）は、就業時間が終われば当直を除いて大方の者が帰宅する。
ＥＶＡパイロットである碇シンジも、それは例外ではない。
コンディションを維持する為にも、パイロットは休める時は休む事が望ましい。かなり偽善的であるが、一応ＮＥＲＶでもそのように決めていた。
だが、シンジにとってみれば、ＮＥＲＶの都合など知った事ではない。何よりＮＥＲＶに敵対的な立場としては、そんな事を気にしていてはいられない。人々が寝静まった時間こそ、シンジの活動時間だった。
――『まるでゴキブリね』というアスカの評は、あんまりだったが。
（……それも強ち的外れでもない――か）
ＮＥＲＶ本部の一室――本来なら入れる筈の無い――で、シンジは内心自嘲せざるを得ない。
セントラルドグマが爆破されて以来、本部内の警備、ＭＡＧＩのセキュリティは大幅に見直されている。未だ尻尾を掴ませるような真似などしてはいないが、それはシンジの行動を慎重にさせるには充分であり、益々ゴキブリじみた行動を強いる事になった。
今シンジの目の前にあるのは、ベークライトに固められた“アダム”。
ゲンドウの補完計画の要の一つであり、使徒達が目指すモノ。
加持リョウジの手で本部に運び込まれて以来、シンジは何度かそれを調べにここを訪れていた。
だが機械など運び込めないとあっては、使うものは己とファウストの感覚しかない。
もっとも、機械で調べられる事はＮＥＲＶやＳＥＥＬＥにおいて既に行なわれている為、今更シンジ達がする必要は無い。
やがて、傍から見れば異形の胎児と睨めっこをしているようにしか見えなかったシンジが、やおら顔を上げ息を吐き出す。
「……今日はここまで、ですか？」
「うん……」
頷くと耐爆トランクを閉め、少しふらつきながら立ち上がる。
「それでは」
その声と共に二人の姿は消え去り……
……間を置かず地上――コンフォート１７のシンジ宅、そのリビングに現れる。
「では、私は……」
「よろしく、頼むよ……」
ファウストの言葉に応えざま、シンジは自室に行く事無くその場にポテンと倒れ込む。そのまま手探りで手近のクッションを引寄せると、それを枕代わりに体の下に押し込んだ。
（やらなきゃならない事……沢山あるんだよな……）
そう思いながらも――空が白み始めるまでの僅かな時間であるが――意識を睡魔に手渡した。
たとえ睡眠時間が足りなくとも、時間になれば目が覚める。
朝の鍛錬を日課としているシンジの身体に染み付いた、生活のリズムではある。――朝食の準備もある事であるし。
とはいえ人である以上、本来持つ欲求を抑えておける訳ではない。
欠伸を噛殺すシンジに、アスカは食事をする手を止めると尋ねた。
「……で、アダムって奴の方はどうなの？」
「ああ……。今の状況じゃ、手に負えないな。……はっきり言うと、怖い」
「怖い……？」
シンジの言葉を鸚鵡返しに口にして、レイは小首を傾げ、アスカもどういう事かと表情で問い掛ける。
「アレを見てるとね……向うもこっちを見てるんだよ。下手すると、逆にこっちの方が見透かされそうだ。そうなったらどうなるか……」
よくもまあ、葛城調査隊はアレを相手に（ロンギヌスの槍と裏死海文書記述があったとは言え）の接触実験をやる気になったものだ、とシンジは身震いする。無知というのは恐ろしい――つくづくそう思う。
「ふ〜〜ん」
アスカはシンジの“感覚”は分らなかったが、取敢えず『シンジが言うなら、そうなんだろう』と納得する。
「んじゃ、ほっとく訳？」
「調べるのは――ね。ただ、髭がアレをどうするつもりか分からないから、リリスの肉体からフェイクを作って、本物はどこかに隠してしまおう……と思ってる」
事によったらそんな事をする必要も、使徒と戦う必要も無くなっていたのだが、そう上手くはいかないようだ。それ程期待していた訳でもないが。
そんな事を言ってから、
「ま、これからも、地道にやって行くしかないね。これが駄目でも、別の手があるし」
嘆息しつつそう締める。
「なによ、まだやる事あんの？」
そのアスカの質問に、当然と頷くシンジ。
「勿論……。アダムはともかく他の使徒の解析は欠かせないし、補完計画についてもまだまだ探らなきゃならないし、母さん達のサルベージも準備しておきたいし……政府や国連にも独自のパイプを作って、それから――」
「――ちょ、ちょっと待って！！」
シンジが指折り数えて『やらなければならない事』を列挙するのを、アスカは大声で遮った。
「マ、ママ達を……サ、サルベージって……！？」
「え？ ああ、ＥＶＡのコアに入った人間を、回収する事だけど……」
「そうじゃなくて……！」
身を乗り出すアスカに押されるように、シンジは僅かに上半身を後に反らす。
「そんな事が出来る……ママが還ってくるの！？」
「ま、まあ、やってみなけりゃ、だけど……。十年間、サルベージについて研究はされてないとは言え、コアに関するデータはそれなりに蓄積されてるし、僕はＮＥＲＶが持ってない知識があるし、何とかなる……って、言ってなかったっけ？」
「言ってないわよっ！！」
叩き付けられたアスカの掌がテーブルを鳴らすと、レイとペンペンが少しばかり椅子から飛び上がり、シンジも更に後ろに退く。
「そ、そうだったっけ？ え〜と、ごめん。とにかくサルベージは可能だと思うけど――何れにせよ、実行はコトが終わった後、って事になると思うけど」
「やる」
シンジを睨んでいたアスカが短く大きくも無い声で、しかし最大限の意志を込めて言葉を口に出す。だが、余りにも短く、且つ唐突過ぎる言葉に、シンジは戸惑った。
「やる……って、何を？」
「だから、アタシがそのサルベージってのをやる、って言ってんの！」
目を瞬かせながら問うシンジに、アスカは焦れたように言葉を継ぐ。
「……アスカが……？」
シンジは暫くアスカを眺めてから、レイ・ペンペン・スルトと目を移す。三者が首を傾げるのを見てから、もう一度アスカに顔を向けた。
「……ああっ！」
やがてあることに思い当たったシンジは、声を上げながら片掌に拳を打ち付ける。
「そういえば、アスカって大学を卒業してたんだっけ」
「そうだった、そうだった……」と何度も頷く様子に、アスカはシンジが自分の言った事を理解出来なかったのではなく、『大卒』という事実を忘れていた事を悟り、次第に顔を赤く染めていく。その色が臨界に達した時、テーブルの上の物を掴み取って振り上げると同時に叫んだ。
「忘れるなぁっ！！」
「うわっ！？」
鼻先に飛んできたフォークを二本の指で挟み取る。
上げた言葉とは裏腹にさして慌てる事の無かったシンジだが、次々と飛んでくる物体に――全て受止め、且つ“中身”も零さなかったが――忽ち防戦一方になった。
突発性の局地暴風の発生に、レイは慌てる事無く、スルトとペンペンは些か仰天しながら暴風圏から離れる。
学歴では無論シンジはアスカに及ばないし、知能の点でもアスカが勝っているかもしれない。しかし、どちらが「大人」かと人に問えば、十人が十人とも「シンジ」と答えるだろう。シンジにしても、アスカ（そしてレイ）を精神的に“年下”と見ているところがある。――無論、見下したりしている訳ではないが。
アスカはその辺りを本能的に察したのだろう。
だが、見物に回ったレイはそこまで考える事は無く、自分の膝の上に逃げ込んだペンペンの頭を撫でながら、傍観者に徹する事にしたのだった。
不思議な事であるが、ＮＥＲＶの本部にはその立地条件や詰めている人員数に比して、洗濯設備が極端に少ない。各部署から度々設置の要求が出ているものの、これまで何故かそれが通る事が無かった。
或いは業者を雇う、という方法もあるのだが、それも行なわれていない。国家予算並の金を湯水のように使ってるのだから、その程度の金は捻り出せない筈は無いのだが……。
何れにせよそんな訳で、本部では各部署毎に部員が帰宅ついでに、大量の汚れ物を地上のランドリーに持ち込む事で対処していた。
従って、出勤前のリツコとマヤと青葉の三人が、洗濯済みの制服と白衣の詰まった紙袋と共に環状リニアを待っていたのは、珍しくも無い光景だった。
「あら、副司令。おはようございます」
やって来たリニアに乗込んだリツコは、日経新聞を読み耽る冬月に気が付き挨拶をする。
「「お、おはようございます」」
気負いの無いリツコと違い、マヤと青葉は思わぬ乗り合わせに少々緊張を露わにする。
「ああ、おはよう」
冬月は少しだけ新聞を下げると、挨拶を返した。
「今日は早いですね」
「碇の代わりに上の街だよ」
「ああ、今日は評議会の定例ですか？」
「下らん仕事だ。……碇め、昔から雑務はみんな私に押付けおって。ＭＡＧＩがいなかったらお手上げだな……」
憮然とした表情で愚痴を零す冬月。
「そう言えば、市議選が近いですよね。上は」
『その苦労は自業自得だ』と思いながらも、隣に腰掛けたリツコは話を振る。
「市議会は形骸にすぎんよ。ここの施政は事実上ＭＡＧＩがやっとるんだからな」
「ＭＡＧＩ。３台のスーパーコンピューターが、ですか？」
その車両が空席だらけであるにも関わらず、青葉と共に吊革に掴まったマヤが興味深げに尋ねた。
「３系統のコンピューターによる多数決だ。きちんと民主主義の基本に則ったシステムだ」
「議会はその決定に従うだけですか？」
「最も無駄の少ない効率的な政治だよ」
それを片耳で聞いていたリツコは、内心だけで嘆息する。ＳＥＥＬＥ、そしてゲンドウの恣意によって度々動かされる第３新東京の市政が、どの程度「民主主義」に価するのか。そもそもコンピューター任せの政治を、「民主主義」と呼んで良いのか。「多数決」は「民主主義」を行なう為の手法の一つでしかない筈であるが。
「流石は、科学の街！！ まさに科学万能の時代ですね！！」
「古臭い台詞……」
だが、そんな事情を知らないマヤは、少し興奮気味に声を大きくし、そこまで思い至らなかった青葉は茶々を入れた。
「そっちは零号機の実験だったかな、今日は？」
「ええ、本日１０３０より第二次稼動延長試験の予定です」
「零号機」と口に出して、冬月は苦い物を覚える。
その専属パイロット。自分達の補完計画に必要不可欠な“綾波レイ”。
今やソレは自分達――ゲンドウが十年掛けて作った鎖からあっさり抜け出していた。
時折本部で見掛けるその表情は相変らずの無表情が殆んどだが、今迄見てきた冬月にすればずっと柔らかく、それを綻ばせる場面も格段に多い。辛うじて為される保安諜報部からの報告によると、セカンドチルドレン共々“極普通に生活”しているらしいから、それも当然かもしれない。
まだ取戻す手段はある、とゲンドウには言ったものの、然りとてどうすれば良いのか……また取戻したところで自分達の目的に使えるのか。そして……無茶な事をすれば、必ず“彼”が立塞がるだろう。
彼――碇シンジ。
本来なら、ただの“予備”だった筈の子供。こちらの都合だけで、いつでも排除出来る存在。
なればこそ、あれ程無茶苦茶な“契約”を結んだ筈だった。
ところが彼はこちらの思惑を嘲笑うが如く傍若無人（ゲンドウ達の視点では）に振舞い、その一方で歳を経た獣の如く用心深く、隙を見せる事をしない。
彼も十年掛けて自分達の駒となるよう、誘導してきた筈なのに。
明らかに彼は異常だった。
だというのに、幾ら調べてもＳＥＥＬＥを含めた他の組織の影も見えてこない。報告を信じるなら、彼はある日突然――こちらに来る直前に、ああなった事になる。
訳が分らなかった。彼を何とかしたくとも、こちらも糸口すらまだ見付からない。
出来れば全て放り出してしまいたいくらいのコレに比べれば、ゲンドウが押付ける雑事など面倒なだけで、大したモノではなかった。
ただ問題だらけの中にあって、レイは自分達にとっては単なる道具であり（ゲンドウの執着はともかく）、補完計画については詳しい事を教えていない為、彼女からシンジに事が漏れる事が無いのが唯一幸いだった。
しかし、それらの思いをこの場で口に出来る筈も無く、
「……朗報を期待しとるよ」
冬月は取敢えず無難な言葉を紡いだ。
「……本部で行なわれたサルベージについては、大体こんな所」
リビングに置かれた端末を操作しながら説明するシンジ。されるアスカは、シンジを押し退けんばかりにして横からモニターを食い入るように見詰めていた。
「で、ドイツ支部で行なわれた、キョウコさんのサルベージ・データだけど……」
シンジは幾つかの操作で、ドイツのＭＡＧＩコピーにアクセスする。画面上で開かれたフォルダに、アスカは更に身を乗り出した。ドイツ語のファイルネーム、十年前のタイムスタンプのそれに、思わず唾を飲み下す。
「生憎、僕はドイツ語なんか出来ないから、詳しい事は分からない。その辺は、アスカに任せるよ」
それにアスカが頷こうとした時、
「……時間よ」
後から落着いた声が聞こえた。
アスカとシンジは、振向いて声の主――閉じた文庫本を片手に座っているレイを見遣り、続いて壁に掛けられた時計の方を見る。本日もアスカとレイは本部でのテストがあり、それに間に合わせるには既にギリギリの時刻になっていた。
「別にいいわよ、シンクロテストなんて」
「……そういう訳にはいかないだろ」
「そんな事よりこっちが大事」という態度のアスカに、シンジは苦笑する。
「ファイルは落としておくから、続きは帰って来てから……ね」
「うぅ〜〜……」
小さい子を宥めるように頭を掌で二三度軽く叩かれ、むくれたアスカは不満気に唸り声を上げる。
しかし斯く言うシンジは、疾うの昔に学校に行っていなければならない筈だが……どうやらサボりを決め込んだようだった。
モニターが赤く染まり、室内に耳障りな警報が鳴り渡る。
「実験中断！ 回路を切って！」
その音を押し退けるようなリツコの声を合図に、場を満たしていた「力」が抜けるように消えていった。
「……問題はやはりここね」
正常に戻った画面を見ながら嘆息するリツコを、実験場に繋がれた零号機がその単眼で眺めていた。
「はい、変換効率が理論値より０．００８も低いのが気になります」
「ギリギリ計測誤差の範囲内ですが、どうします？」
マヤと技術部員の言葉に、暫く考え込むリツコ。
「……もう一度、同じ設定で相互変換を０．０１だけ下げてやってみましょう」
「了解」
「では、再起動実験、始めるわよ」
「おーい！ ちょい待ってくれぇ！」
エレベーターに乗込んだミサトは、呼び掛けられた声に一瞬動きを止める。
誰の声かは確かめるまでも無かったが、一応確認してから『閉』のボタンを押し込む。
ワンテンポおいて閉まるドアが視界を塞いでいくが、突っ込まれた手がそれを押し止める。更に安全装置が働き、その手の主を迎え入れるべく再び開いていった。
「チッ！」
「こんちまた、ご機嫌ナナメだねぇ」
箱に乗込んだ加持は、舌打ちして顔を背けたミサトの様子を気にした風もなく、気安く話し掛ける。だが更に不機嫌になったミサトは、益々顔の歪みを大きくした。
「来た早々、アンタの顔見たからよ」
（「来た早々」って、今日もまた遅刻か、葛城……？）
ミサトの後姿に、思わず内心で突っ込んでしまう加持であった。
ＮＥＲＶへの道を連立って歩くアスカとレイ。
いつもならレイ（とシンジ）を引張っていくように歩き、何かしら話しているのが常のアスカだが、今日は様子が違った。黙ったまま考え込み、時折唸り声を上げるアスカは、レイから数歩遅れた位置にいる。
レイにも、アスカがその様な態度を見せている理由は分かっていたが、然りとてどうしたら良いかは分からない。いつもレイから話し掛けることが稀な事もあり、マンションを出てからこっち、二人は会話の無いまま歩き続けていた。
と、不意にレイの足が止まり、少し顔が上を向く。
やや俯きながら歩いていたアスカは、それに気付くのが遅れた。視界にレイの靴が入ったと思う間も無く、アスカのおでこが何か硬い物にぶつかった。
「っつぅ……。な、何やってんのよレイ！ いきなり止まんないでよ！」
二三歩後退り、額を押さえながら抗議したアスカだったが、
「〜〜〜〜…………」
後頭部を両手で押さえながらしゃがみ込んでいるレイに、流石に慌てる。
額と後頭部が衝突した場合、どちらの方がダメージが大きいか――言うまでもない。
「ご、ごめん、レイ。大丈夫？」
「あら？」
いきなり停止したエレベーターの中で、ミサトが声を上げる。
「停電か？」
「まっさかぁ、有り得ないわ」
加持の言葉を否定したミサトだったが、そのミサトの言葉を否定するかのように照明が非常灯に変わった。
「変ね……。事故かしら？」
「赤木が今日の実験でミスったのかな？」
「主電源ストップ！ 電圧０です！」
「ア、アタシじゃないわよ……」
薄暗くなった制御室の目という目が集中する中、非常灯に下から照らされたリツコは言訳するように呟いた。
だが、リツコがスイッチを押したタイミングで、この停電。
リツコを信じてくれる目は（マヤも含めて）その場に存在しなかった。
停電は発令所も例外としていなかった。
無論、ＮＥＲＶにおいて「万が一」のシミュレーションでは「停電」と言う事態も想定されており、そのマニュアルも用意されている。直ぐさま復旧が指示されたが、返ってきた青葉の報告はその想定外の事だった。
「駄目ですっ！ 予備回線、繋がりませんっ！！」
「馬鹿なっ。……生き残っている回線はっ！？」
この異常事態に、冬月も流石に焦りを隠せない。司令塔最上部から身を乗り出して、下に向って声を張り上げる。
「全部で１．２％！ ２５６７番からの旧回線だけです！！」
「生き残っている電源は、全てＭＡＧＩとセントラル――いやＭＡＧＩだけで良い、維持に回せっ！」
「全館の生命維持と移動に支障が生じますが……」
「構わん、最優先だっ！！！」
「…………」
「だ、だから、ごめんって言ってるでしょっ」
レイの頭を擦ってやっていたアスカだが、少し恨めしげな顔で自分を見上げてくるレイに、少したじろぐ。それを誤魔化すように、半ば声を裏返させて別の事を口にした。
「そ、それで……どうしたのよ。いきなり止まって？」
「……信号」
「え……？」
短いレイの答えにアスカは視線を移動させ、正面にある歩行者用信号を見る。
赤青共に光が無くなっている。そこだけの故障ではないのは車両用の物も消えている事で分かった。
更に周りを見渡すと、１ブロック先の信号にも光は見えない。
耳を澄ませば、蝉の声に混じってあちこちからクラクションの音が聞こえてくる。
どうやらこの事態は、この付近だけの事ではないようだ。
「……停電？」
ここ第３新東京は普通の街ではない。従って電源とその回線は複数用意されている事は、アスカとレイも知っていた。どうやら街全体が停電に見舞われているようだが、明らかに異常だった。
厳しい顔で辺りを見回していたアスカは、漸く立ち上がったレイに声を掛ける。
「レイ。アンタ、シンジのトコに連絡してみて」
そう言いながら携帯を取り出し、ＮＥＲＶ本部に繋ぐアスカ。だがそこからは何の音も聞こえてこない。画面の表示を確かめてから、もう一度ボタンを押すが、やはり掛からない。
顔を向けると、レイが無言で首を振った。
アスカは一瞬で決断する。
「戻るわよ」
レイに否は無い。
彼女達にとって、そこが世界で一番安全な場所だった。
コンフォート１７の自宅でパソコンを操作していたシンジは、ペンペンが見ていたテレビの音が途切れた事に気付き、手を止めた。
「クァ〜〜……」
不満気なペンペンに苦笑しながら辺りを探る。部屋の中は停電に備えたパソコン以外、一切の機械の作動音が停止していた。パソコンの終了処理をすると立上がり、電灯のスイッチを入れてみる。何も起こらない事を確認すると、窓に寄りカーテンの陰から外を窺う。
普段街を満たしている力。それが感じられない。
《……ファウスト》
《……こちらから連絡しようとした所です》
間髪入れず返答が来る。
《本部内の正・副・予備の三系統の電源が、恐らく人為的に落とされました。ここ――ドグマ内も電力供給が途絶えています》
《そう……》
顎に手を当て考え込む。
《これから本部に向う。ファウストは現状把握に努めて》
《分かりました》
シンジは身を翻すと自室に駆け込んだ。
グロック１９を入れたショルダーホルスターを着けると、その上からジャケットを羽織る。更に戸棚――アサルトライフルやサブマシンガン、果てはアンチマテリアルライフルや使い捨てロケットランチャーまで詰まった――を開け、ステアーＴＭＰを選び出す。それを予備弾倉と各種グレネードと一緒に、ディバッグの中に放り込む。
バッグを背負うとザイルを掴み部屋を飛び出した。
「ペンペン、留守番頼むよ！」
「クエッ！」
ベランダで靴を履きながらペンペンに声を掛ける。
窓の支柱に一巻きしたザイルを地上に投げると、それを掴んで躊躇い無く空中に身を躍らせた。
見事な懸垂降下で、十秒と掛からず地面に足を付ける。周囲を警戒しながらザイルを解き落としたシンジは、アスカ達がいるであろう方に向けて駆け出した。
「対地レーダーに正体不明の反応。予想上陸地点は旧熱海方面」
「恐らく、８番目の奴だ」
「ああ、使徒だろう」
府中の空自・総括総隊司令部に緊急通報が入る。だが、そこに詰めている軍人達の動きは、今一つ鈍い。
「どうします？」
「一応、警報シフトにしておけ。決まりだからな」
「どうせ、また奴の目的地は第三新東京市だ」
「そうだな。……ま、俺達がする事は何も無いさ」
曲りなりにも、国土防衛を任務とする組織の司令部で為される会話とも思えない。ＮＥＲＶとの不仲が、ここまで士気を低下させていた。
結局、何一つ妨害を受ける事無く、使徒は昆虫のカリカチュアの如き姿を大気に晒す事になり、そこに至ってなおＮＥＲＶが沈黙を保っている事に、流石の彼等も不審を感じ始める。いつもなら嫌味のような指揮権の確認の儀式がある筈なのだが。
「使徒、上陸後も依然侵攻中」
「……第３新東京市は？」
「沈黙を守っています」
「一体、ＮＥＲＶの連中は何をやってとるんだ！」
苛立ちを隠せなくなった一人が、乱暴に煙草を揉消した。
息も切らさず走るシンジ目掛けて、スルトが急降下する。
一旦、後ろに抜けるとスピードを落としながら旋回し、２ｍ程の高度を保ってシンジと並んで飛び始めると直ぐに、こちらに向かってくるアスカ達が見えた。
無事と分かっていても、目で見えれば自然安堵の息が漏れる。それでも速度を落とす事無く二人と合流した。
全く呼吸が乱れていないシンジの頭に止まったスルトが眺める前で、アスカとレイが荒い呼吸を繰返す。それが何とか治まったのを見計らって、シンジが声を掛ける。
「二人とも、大丈夫？」
「全力疾走するには、ちょっとばかり距離があったわね……」
最後に深呼吸をするアスカ。
「……で、どうなってんの、コレ？」
訊かれてシンジは遠くを見る仕草をする。
「…………今のところ、本部内の電線の物理破断が２７ヵ所、……サブコンのプログラム操作が１６ヵ所。……復旧には暫く掛かりそうだ」
「要するに破壊工作なのね」
話を纏めたアスカに、シンジは頷く。
「どうするの、碇君……？」
「本部に行く。九番目が来る時期だし」
「はぁ〜〜……。本部までマラソンなのぉ？」
「いや――」
うんざりしたアスカが愚痴るが、シンジは首を振った。
「――足を調達していこう」
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