ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
拾第話 C-Part
アスカの願いも空しく……使徒が来襲する事無く、修学旅行出発当日を迎えた。
期待に胸を膨らませた壱中生徒を乗せ、旅客機は第３新東京国際空港を離陸し、落胆を全身に詰めたアスカの見送りを受けて一路沖縄を目指して飛んで行った。
「……じゃあ、帰ろうか」
屋上の柵に寄り掛って溜息を吐くアスカに、レイと並んでその後にいたシンジは殊更軽く声を掛ける。
「アンタねぇ、どうしてそう平気な顔してられるのよ！」
が、それは裏目だったのか、振返ったアスカが腰に手を当てて怒声を上げる。もっとも、今のアスカには、誰が何と言っても似たような反応が返ってきたであろうが。言われたシンジは曖昧な苦笑を浮かべるしかなかった。
「もうっ！ 使徒の奴は何やってんのよ！ アタシに恨みでもあるの！ 折角、水着を新調したってのに！」
『あるんじゃないかなぁ……恨み』と内心で突っ込みを入れたシンジだったが、口には出さずに、別の事を提案する。
「そんなに泳ぎたいんなら、足を伸ばして熱海にでも行く？」
「……構わないわ」
顔を向けられたレイはそう答えたが、
「イヤよっ！ 南の島の海が近場の芋洗い海岸になるなんて、貧乏ったらしい……！」
アスカは力一杯拒絶した。
（南の島ねぇ……）
今や日本はどこもかしこも常夏の国である。シンジは沖縄も熱海も左程変わりは無いと思うのだが、アスカにとっては雰囲気というものでもあるのだろう。そんな事を考えている内に思い付く。
「……そう言えば、あの手があったか」
指を鳴らしたシンジに、アスカとレイは注目した。
「帰ろう。いい所があるんだ」
「何なのよ……？」
「…………」
言って踵を返したシンジに、アスカは戸惑いながら、レイは素直に従った。
『浅間山の観測データは、可及的に速やかにＢＡＬＴＨＡＳＡＲからＭＥＬＣＨＩＯＲへコピーして下さい』
そんな館内放送が流れる中、ＮＥＲＶ発令所は一時の平和を楽しんでいた。
「修学旅行？ こんな御時世に暢気な物ね……」
書類を片手にリツコが呟く。“こんな御時世”にした者達が誰なのか、知っている筈であるが。
「……はぁ〜〜」
「どうしたのよ……？」
言われても深々と溜息を吐くだけのミサトを不審に思い尋ねる。
「……昨夜、シンジ君に言われたのよ。『僕達を壊す気なのか』って……」
「……どういう事かしら」
一瞬、眉を上げるリツコ。
「アタシ達ってさぁ、あのコ達の扱いを“時には兵士、時には普通の中学生”って自分達の都合で使い分けてるじゃない。そんな矛盾した事をされたらおかしくなる、って言うのよ」
「…………」
「まぁ、そう言うシンジ君自身は、それくらいでどうにかなるようなタマにも思えないけど……。アスカなんかはヤバイかもねぇ……」
「仕方無いでしょう……。ＥＶＡはあのコ達しか動かせないんだから……」
リツコはまさか「元々、程好く壊す予定だから大丈夫よ」などとは口に出せず、ぼやくようなミサトにそう言うしかなかった。それに返ってきたのは、更に深い溜息。
「言ったわよ、それも。そしたら、アタシのような立場の人間が自分達に言って良い台詞じゃない、ってさ……」
「…………」
「リツコぉ……。何とか、あのコ達を戦わせずに済ます方法は無いの？」
「……ＥＶＡのオートコントロールシステムは研究中よ。その内、完成すると思うわ」
「そっかぁ……。頼んだわよ、リツコ！」
「…………」
その“オートコントロールシステム”とやらが現状のコントロール方法に負け劣らず外道なモノであり、またつい先頃ほぼ完全に開発が頓挫してしまった事を知る由も無いミサトは、幾分元気を取戻した。
だが、リツコはそんなミサトに何も応えられず、無言で手元のコーヒーを啜った。
暑い陽射し、青い空と紺碧の海、白い砂浜と風にそよぐ椰子の木。
絵に描いたような南の島の風景が、そこにあった。
「レーイっ！ そっち追い込むからね！ 今度こそ捕まえんのよ！」
「……分かったわ」
メリダ島東側の浜に設けられた四阿でノートパソコンを弄っていたシンジは、聞こえてきた声に手を止め顔を上げる。そちらには膝程まで海に浸かり水を撥ねかしてはしゃぐ、アスカとレイの姿があった。
「……人間が水ン中のペンギンを捕まえるのは、難しいと思うけど……」
キーを打つ手を止めシンジが独言ちた時、一際大きな水音が響いて二人の姿が海面下に消え、湧き起こった水柱を飛び越すようにペンペンが水面を跳ねていった。
「やれやれ……」
苦笑するシンジ。
「……惣流殿は随分とストレスが溜まっていたようですね」
その脇で無言で文庫本を読み耽っていたファウストが呟く。
「ＮＥＲＶの連中を相手にしてたら溜まりもするさ。本部だけじゃなく、第３新東京も半ば敵地みたいなものだし……」
そういう自分自身は平気なのか、シンジは再び作業を再開した。
「クェクェ、クワワ〜〜ッ♪」
やたらとご機嫌なペンペンを先頭に、アスカ達が海から上がってくる。
「シンジ〜、なんか飲む物頂戴〜！」
髪から水を滴らせながらのアスカの注文に、シンジは女の子二人にタオルを投げると、傍らの氷水の入ったタライから椰子の実を取り出し、グルカナイフで上三分の一程を削ぎ落とす。
丈夫な椰子の実をまるで豆腐でも切るかのように無造作に切って見せたシンジに、アスカは目を丸くした。
「……何よ、そのナイフ」
「ナイフは普通だよ。ま、僕はその気になれば、痛みを感じさせずに人間の首を斬り飛ばすくらいの芸は出来るから……」
「……物騒な芸を身に付けるんじゃないわよ」
あまり他人に自慢出来ない事を言うシンジを、アスカはジト目で見ながら椰子の実を受取る。それもごもっともとばかりに肩を竦めると、シンジはレイとペンペンの分も用意する。
其々礼を言って実を受け取るレイとペンペン。下に置かれたものに直ぐさま嘴を突っ込んだペンペンと違い、レイはずしりと重いそれを手にしたままどうしたら良いかと動きを止める。その困惑顔を微笑んで見ながら、シンジはアスカを親指で指してみせた。
零れたモノが喉に伝うのも気にせず、豪快に椰子果汁をぐい飲みするアスカ。レイはそれを暫く見詰めてから、自分も真似てみる。
喉が動き液体を胃に送り込む。一度動くと後は立続けだった。
暫くして漸く口を離す。一息吐く仕草が、妙に艶めかしい。
「……美味しい」
「ぷはぁ〜〜……。シンジにしちゃ、気の利いた所を知ってんじゃない」
こちらは元気良く口元を拭うアスカ。
「お気に召して頂けましたか、お客様？」
切り分けた果物を皿に載せて差し出しながら、シンジがどちらにともなく言う。
「まあまあね。スキューバが出来ないのはマイナスだけど」
「…………」
『まだ、諦めていなかったのか』と思いながら、シンジはこの島唯一の建造物に目を向けた。確か、そこの“倉庫”にスキューバ一式があった事を思い出す。探すのが面倒臭いので、口に出す気は無かったが。
そのまま暫く続いた、他愛無い談笑交じりの穏やかな時間が、ビープ音によって遮られた。シンジは手を拭きつつパソコンに向き直り、釣られてアスカとレイもそちらを見る。
「……なんかあったの？」
アスカに問われたシンジは幾つかの操作の後、パソコンを半回転させてディスプレイを二人に見せ、画面上にあるウィンドウの一つを指し示す。その、何らかの処理をされているであろう、中に染みのある朱色の映像にアスカは眉を顰める。
「何これ？」
「浅間山の地震観測所からの映像。火口のマグマ内に分析不能の影があるそうだよ」
「……使徒？」
一拍おいて尋ねるレイ。
「可能性はある。確認の為、今さっき葛城さんが現地に向ったけど」
「……まったく、もう一日早けりゃ、修学旅行に行けたのに」
「まあまあ……。でもとにかく、呼び出されるとしても、あと一時間かそこらは大丈夫だから慌てる事は無いよ」
シンジはブツブツ言うアスカを宥めると、キーボードに指を走らせる。そう言われてもアスカは納得はしなかったが、何か言い掛けて飲み込み、ついでに果物を口に入れ咀嚼した。
皿を半ば空にすると漸く人心地がついたのか、アスカはレイを促して立ち上がる。
「……碇君は泳がないの？」
「ああ……あまり泳ぐのは得意じゃないんだ、僕」
尋ねられてシンジは手は止めて答えた。そう言いながらもシンジは海パンにパーカーを羽織るというスタイルである。小首を傾げて自分を見るレイの様子にシンジは微笑む。
「元々、カナヅチだったしね。おまけに最初に死んだのが溺死だった所為か、どうにも苦手で……」
「死んだ……」
「師匠がね……『死なない限り何とかする』と言って、心停止や呼吸停止くらいは簡単に蘇生させちゃうんだよ。お陰で何回くらい“死んだ”かな？」
目を丸くするレイとアスカに、『あまり楽しい体験でもないけど』と控えめな論評と共に苦笑する。
「なんと言うか……無茶苦茶ね」
「そのくらいしなけりゃ、三年足らずでここまでなるもんか。以前の僕は、良くて人並み程度の能力しかなかったんだから」
アスカが十年間に渡って受けてきた訓練と、払ってきた努力は（多少方向が間違っていたとしても）人間が出来る最上級のモノだったろうとシンジは判断している。それを半分にも満たない期間で上回ろうというのなら、まともな手段で済む筈が無かった。
（ま、今になって見れば良い思い出――と言うには、まだ生々しいな……）
そんな事を考えるシンジを見ていたアスカが、唇の端を吊上げるような笑いをする。
「ふ〜〜ん……。じゃあ――」
シンジの上着の袖を掴むアスカ。
「このアタシが、直々に泳ぎを教えてあげるわ！ レイ、そっちの手を持って！」
「ええ……」
「ちょ、ちょっと、二人とも……。分かったから、せめて上着は脱がせて……」
「クワッ！」
一塊になって海に向う三人と、それに続く一羽。それを笑いながら（表情が変わる事は無いが）見送り、ファウストは本に栞を挟んでテーブルに置くと、パソコンの方に注意を向ける。
「……さて、ＮＥＲＶはどうするつもりですかね？」
「ガ？」
同意を求めて相方の方を見るが、のんびりと果物を突付いていたスルトは不思議そうに頭を傾けた。
「な、何よ！ 泳げるんじゃない！」
「『得意じゃない』とは言ったけどね、泳げなかったのは過去の話さ」
「かわいくな〜〜い！」
「もう限界です！」
浅間山地震観測所の管制室では、マグマの中に潜り込んだ観測機が上げるモニター表示の悲鳴に、堪りかねた所員が叫んでいた。
「いえ、あと五百お願いします」
しかし、ミサトは言葉遣いだけは丁寧に、その実殆んど命令と変わらない口調で告げる。
更に沈降していく観測機は熱と圧力に抗しきれず、遂には助けを求めるかのように管制室に警告音を鳴らす。
『深度千二百、観測機に亀裂発生』
「葛城さん！」
「壊れたらウチで弁償します。あと二百」
無情かつ、素っ気無い宣告に所員は肩を落とす。『弁償する』と言っても、モノはデパートで買えるような代物ではない。完全な特注品である。新しい機械が届くまでどのくらい掛かるか……。
（今年と来年のデータは諦めるしかないな……）
所員が内心で涙している事など気付きもせず、ミサトはモニターを注視する。
「モニターに反応！！」
「解析開始！」
間髪入れずの命令に日向は直ぐさま指を走らせるが、最期の抗議をするような破壊音と共にデータは途切れた。
『観測機、圧壊。爆発しました』
「解析は！？」
「ギリギリで間に合いましたね……パターン青です」
結果を告げる日向に、ミサトはモニターを睨み付けると顔を更に引き締めて振返り、声を大きくして部屋の全員に宣言する。
「間違い無い……使徒だわ。これより、当研究所は完全閉鎖。ネルフの管轄下になります。一切の入室を禁じた上、過去六時間以内の事象は全て部外秘とします！」
『もう、好きにしてくれ……』というのが、全所員の総意だったろう。抗議の声は上がらなかった。
続けてミサトはＮＥＲＶ本部に連絡を入れた。
「碇司令宛てにＡ−１７を要請して……。大至急！」
『！ ……気を付けて下さい。これは通常回線です』
電話の向うで青葉が一瞬息を呑む気配がし、やや低い声での忠告が来る。
「解っているわ。さっさと守秘回線に切り替えて！」
叫ぶように命令するミサトが向ける視線の先のモニターには、胎児の如き影が映っていた。
ミサトが見ていたものと同じ映像が、百数十q離れた場所の地下の一室に映し出されていた。
「……今回の使徒は、まだ完成体になっていない蛹の状態みたいな物ね。
作戦は使徒の捕獲を最優先とします。出来得る限り原型を留め、生きたまま回収する事」
ＮＥＲＶ本部のブリーフィングルームでマヤを従えたリツコが、召集を掛けられたシンジ達に映像を見せながら説明する。
「……第八使徒って、“胎児を司る天使”だっけ？ ……まんまじゃない」
「うん。あのままでも戦闘力があるか、何かあれば直ぐ羽化すると考えた方が良いだろうね」
「じゃあ、捕獲なんて無理じゃない」
「無理だぁね」
リツコに聞こえないようにボソボソと囁き交わすシンジとアスカ。その様子にリツコは小さく眉を上げた。
「……何か言いたい事があるのかしら？」
どことなく生徒の私語を咎める教師のような態度でリツコが尋ねる。
「捕獲って、マグマの中のモノをどうするんです？」
「……ＥＶＡにＤ型装備を着けて潜ってもらいます」
「Ｄ型装備……？」
「局地戦用耐熱耐圧耐核防護服。規格は制式タイプに合わせたものだから、弐号機しか使えないけど」
シンジの疑問に答えつつ、マヤがモニターを切り換える。
「な、何よこれ〜っ！」
“弐号機用”と聞いて興味をそそられたアスカだが、人間用の耐圧潜水服のようなソレを見て素っ頓狂な声を出す。
「イヤよ！ こんなの、みっともない！ 態々こっちから出向かなくても、出て来るまで待てば良いじゃない！」
「……生きた使徒のサンプルが手に入れば、研究は飛躍的に進むわ。その重要性が分からない訳ではないでしょう？」
抗議するアスカに、リツコは違和感を感じると共に、半ば納得するように『やっぱり……』と思う。以前のアスカだったなら（Ｄ型装備のスタイルに）文句は言ったとしても、寧ろ積極的にこちらの言う事に賛成した筈だった。
一方のアスカは空々しく言うリツコを白い目で見ながら、内心で罵っていた。
（ふざっけんじゃないわよ！ “生きた使徒”が欲しいなら、地下にあるでしょうが！）
そう口に出せない事がアスカの心を苛立たせ、自然と刺々しい口調になる。
「リツコぉ……潜って捕まえるだけでしょ。こんなの使わなくても、もっと良い物用意してないの？ たとえば『全自動使徒キャッチャー・ラララ無人君』とか」
「……そんな物、有る訳無いでしょう」
「使えないわねぇ……。“こんな事もあろうかと、密かに開発して”おくのが、科学者や技術者のココロイキってもんでしょうが！」
「…………」
そのシチュエーションにそそられない訳ではないリツコだったが、実際に無い物を出せる訳もなかった。
「……冗談じゃないですね、こんな機動力皆無の代物でマグマの中になんて。相手が動き出したら一溜まりも無いじゃないですか」
二人の漫才を聞き流しながらＤ型装備の仕様に目を通していたシンジは、顔を上げると冷たい声でリツコに言う。
「こんな物を使ってまでの使徒捕獲に、アスカと弐号機を失うリスクを犯すだけの価値はありません」
「……それはアナタが考える事じゃないわ。捕獲は大局的見地からの判断よ」
気圧されながらも何とか答えるリツコに、シンジは目を細める。
「大局的見地、ねぇ……。ようやっとＥＶＡ三機体制になって、運用にも幅と余裕が出来たばかりなのに……。どういう計算で、それを失ってまでする意味があるという答えを出したんです？」
「……捕獲が失敗すると、決まったわけじゃないでしょう……」
意図的に論点のズレた事を口するが、リツコも捕獲はまず不可能だろうと見ていた。ゲンドウにしてからが、「万が一成功したら儲け物」ぐらいにしか思っていないだろう。
「じゃあ、全てが上手くいって捕獲に成功したとしましょうか。その場合、研究は本部か松代で、ですか？」
「そんなところでしょうね……」
ゲンドウの性格から言って、分け前を他人に譲る事など考えられない。話を変えたシンジに戸惑いながらも、リツコは同意した。
「そうなったら、それに備えて常にＥＶＡを待機しておく事になるだろう、というのもありますが……。そこに、次の使徒が来襲したらどうなります？ 捕まえた使徒がその時羽化したら、本部に置いておけば内に敵を抱え込んだ状態で戦う事になるし、松代に持っていけばこちらは戦力を分散するか、ここで二体同時侵攻を待ち受けるか……。何れにせよ最悪の事態になると思いますが、あのカス人間壱号はそう言う事も考えられない無能なんですか？」
「…………」
最早、ゲンドウに対して形式でも敬意を示す必要を認めなくなったシンジだが、その物言いにもリツコは抗議すら出来なかった。
「……ＭＡＧＩは何と言ってるのでしょうか？」
それまで何も言わなかったレイが、不意に口を開いた。
「別に訊くまでも無いでしょ。全会一致で捕獲不可に決まってんじゃない」
「ＭＡＧＩを使うまでも無い。“Colossus”と“ABC”と“ENIAC”を使ったってそうなるさ」
シンジとアスカは声を合わせて笑い、レイも僅かに表情を緩めた。
それに同意見（半世紀以上前の“コンピュータ”とＭＡＧＩを比較する事はともかく）のリツコだったが、一緒に笑う事は出来ない。ゲンドウの恣意よる既定方針を否定するような事を、ＭＡＧＩの議決に掛ける訳にはいかなかった。何の為のＭＡＧＩなのか、とリツコも溜息の一つも吐きたくなる。
「正直に言ったらどうです。『使徒来襲のスケジュールは分かっているから、それまでに始末すれば良い』って」
一頻り笑ったシンジが、それを収めると少しドスの効いた声をリツコに突き付けた。
「な、何を……」
「お惚けは止めましょう。僕が第３新東京に来たその日に初めての使徒襲来。弐号機のプラグを持っていったその日に使徒襲来。そして今回……」
「…………」
「おまけに弐号機の移送を、空輸でなく時間の掛かる船舶輸送で行って……そこにやってきたのは、魚のような使徒。それも偶然と言い張るつもりですか？」
「……アナタ達が知る必要の無い事よ」
シンジは、怒鳴り掛けたアスカを抑える。
「パイロットは操縦がお仕事――ですか？ じゃあ、技術部長が知っている事を、作戦部長が知らないのは何故ですか？ 知っていれば葛城さんも、もう少しまともな作戦を立ててくれると思いますが」
「…………」
「では、あの能無し司令に訊いて下さい。その辺りを血反吐と一緒にゲロするか、『私は馬鹿です』と札を下げて市中引き回しの刑になるか……それとも捕獲を中止するか」
わざとらしく指の骨を鳴らしてみせるシンジ。顔は笑っていたが、シンジの言葉と気配は全く剣呑な物だった。
リツコは救いを求めて視線を動かすが、傍らのマヤは殺気の余波を浴びて竦み上がり、シンジの横のアスカとレイは同様に冷たく睨む。
その場にはリツコを助けられる者がいなかった。
現地に到着し、設置された天幕にリツコが顔を出すと、それを見付けたミサトが唇を真一文に引き結んで足早に近付いた。
「ちょっとリツコ、どういう事なの！？ Ａ−１７の撤回なんてっ！」
掴み掛からんばかりに声を荒げるミサトを、リツコは片手を上げて抑える。
「シンジ君が捕獲に反対したのよ……」
「……あの餓鬼、また……っ！」
ミサトの口の中で噛締めた歯が音を立てる。
「でも、どういう事なの！？ なんで司令が子供の言う事なんか聞くワケ！？」
「…………」
ミサトの当然の疑問にもリツコは何も言えない。シンジが言った事をそのまま伝えたりすれば、ミサトのＮＥＲＶに対する疑念を深めるだけだろう。それを考えればミサトがシンジに敵意を向けてくれた方が都合が良い。そう考えたリツコは沈黙を守った。
俯くリツコを暫く睨んでいたミサトだが、視線を外すと天幕の外に目を向ける。
そこでは低空に移ったウィングキャリアー三機が、ＥＶＡ投下態勢に入っていた。
「Ａ−１７が発令されたと思ったら、一時間で撤回。どういう事かしら？」
箱根山ロープウェイの中で、犬を抱いた女性が景色を眺めながら呟く。
「さて……。お陰で混乱も少なくて済んだじゃないですか」
こちらも相手に視線を合わせず、独言ちるかのような加持。
「朝令暮改も充分混乱の元だわ。ＮＥＲＶはＡ−１７の意味が分かっているの？」
言われた加持は誤魔化すように笑うしかない。今、加持のポケットには一枚の紙が入っていた。『碇ゲンドウは使徒来襲のスケジュールを知っている！？』という、スポーツ新聞じみた見出しと共にＮＥＲＶへの疑問が書き連ねてあるそれは、シンジが出発前にコピーして本部にばら撒いた物だった。
これを見せてやったら、目の前の彼女はどう思うだろう？ たかが中学生が、ＮＥＲＶを引っ掻き回している事を知ったら？
碇シンジは一体どういう目的でそんな事をしているのか。近い内、本格的に彼と接触する事を考えた方が良いだろう。……出来れば掏り取られた財布（あまりヤバイ物は入っていないが、それなりに痛い）も返してもらわないと。
そんな事を考える加持の後頭部に横目で視線を走らせると、女性は小さく溜息を漏らす。
「……ＮＥＲＶの失敗は、世界の破滅を意味するのよ」
「彼等はそんなに傲慢ではありませんよ」
そう答える加持は、ＮＥＲＶ――そしてＳＥＥＬＥが傲慢極まりない理屈で動いている事を、未だ知らなかった。
蒼穹を切り裂き飛んで行く戦闘機の編隊を初号機が見上げる。
「どうしたの？」
その様子に気付いたアスカが通信を入れる。
「……国連軍の戦闘機。爆装している。多分、ｎ２弾。大方、僕達が失敗した時に、丸ごと消飛ばすつもりなんだろ」
「なによ、それっ！」
素早くズームして所属と装備を見て取ったシンジが淡々と告げると、アスカは声を大きくする。
「陰険髭眼鏡の差金だよ。……こんな時ばっかり手際の良い。そんな暇があるなら、普段からちゃんとした協力体制を作っておけば良いのに……」
「はん！ 面も犯罪組織の親玉なら、やり口も悪人じみてるわね！」
シンジ達の声は指揮車にも届いている筈だが、何も言ってはこない。恐らく、内心では大いに頷いているのだろうが。
《シンジ、使徒を発見しました》
《……よし、始めて》
《了解》
そんな折り、先行して既にマグマに潜っていたファウストからの連絡に、シンジ状況を確認すると短く答える。
（さて、鬼が出るか蛇が出るか……）
ここに来る前、第３新東京で使徒を迎え撃つ事を主張したシンジだったが、流石にそこまでは認められなかった（もっと強硬に主張すれば違ったかもしれないが）。結局、マグマには潜るが捕獲は考えない。ＥＶＡ全機を最大限の武装と共に現地に送る、という事に落着いた。
ただ、ゲンドウが直接シンジと顔を合わせようとしなかったので、間に入ったリツコがその分消耗したり、ダルマの如きＤ型プラグスーツにアスカが憤慨するなど、紆余曲折は多々あったが。
レイ一人をゲンドウの元に置いておきたくなかったシンジとしては、まず納得出来る結果である。そして――アスカを態々危険に晒すつもりも無かった。
火口までのたのたと歩いてきた弐号機が、ケーブルとパイプに繋がれる。パレットライフル片手に初号機は火口際に待機し、零号機がエスコートするように弐号機の傍に付く。
と、突然マグマに向けて発砲する初号機。
『何やってんのっ、シンジ君っ！？』
『また勝手な事を』と歯噛みしたミサトだが、火口の映像をモニターしていた日向に冷水を浴びせられる。
『使徒らしきものが浮上しました！』
『何ですって！？』
指揮車の中が事態を把握する前に、パイロット達は動き出していた。
「レイっ！」
アスカは間髪入れずに爆発ボルトを作動させ、Ｄ型装備の排除に掛かり、零号機はそれを除けるのに手を貸す。
『そんな、計算より早過ぎる……』
突然の使徒の羽化に本当に驚いているのか、リツコの声が聞こえてくる。
それは初号機のＡＴフィールドのパターンを偽装したファウストの接近に、使徒が反応した為だった。無論、リツコ達がそんな事を知る由も無く、それを知っていたからこそアスカ達は戸惑わなかった。
「どう！？」
「何発か命中させたけど効いてない」
駆け寄ったアスカの質問にも、シンジの声に焦った様子は無い。マグマの中で生存・活動が可能な身体なら、ライフル弾を受け付けない事ぐらい充分予測出来ていた。アスカ達と本部でしておいた打ち合わせに従い、さっさと次の行動に移る。
初号機はライフルを放ると、Ｄ型装備を降下させる予定だったケーブルに取り付く。
「下ろして下さい！」
シンジの指示に従い、下に向って延ばされるケーブル。
『シンジ君っ、勝手な事するんじゃないわよ！』
「煩いわよ、ミサト！ それより冷却剤をいつでも出せるようにして！ ……ええと、一番よ！」
喚くミサトを、アスカが冷却パイプの一本を引き千切りながら一喝する。
その間に火口の底に降りた初号機は、マグマギリギリで動きを止めた。
放射される熱が初号機を炙り、装甲に塗られた塗料や素体を覆うラバーが嫌な臭いを出し始める。プラグ内の温度上昇も冷却装置の能力を越え、シンジの肌を直接焼いていく。一応ＡＴフィールドを展開しているとはいえ、今の初号機は無防備に近い。
「っ！」
意識を凝らして相手の動向を探っていたシンジは、目標が浮上する気配を感じ初号機の身を捻らせた。朱い飛沫を上げ、赤熱した体躯を空中に晒し躍り掛かる使徒。初号機がそれを受け止めると、使徒も初号機に腕を巻き付ける。
「っ！ 上げて下さいっ！！」
直ぐさまウィンチが動き出し、ケーブルが巻き上げられる。
ついさっきまでマグマの中にいた使徒――つまりマグマと同温――に抱き付かれ、全身に焼印を捺されるような苦痛を味わいながら、シンジはただひたすらにそれを耐えた。
使徒が暴れる為、ケーブルの錘になっている二体が大きく揺れ、上で見ているアスカの方が気が気でない。
齧り付かれながらも、漸く上にまで引き揚げられた初号機は、何度か大きくスイングするとケーブルから手を離し使徒と縺れ合って硬い大地に落ちた。
「一番のバルブを開いて！」
アスカの声に弐号機が構えた冷却パイプから大量の冷却剤が噴出し、使徒の背中に浴びせられる。蒸気で視界が閉ざされる中、初号機は手探りで使徒の突き出た眼を掴み、捻るようにして一気に握り潰した。
その痛みと急激な冷却の所為か、使徒の腕の力が緩んだのを見て取ると、初号機は自分と使徒の間に片足を捩じ込み全力で引き剥がす。
弾き飛ばされるように初号機から離れ地面を転がった使徒は、陸に打ち揚げられた魚のように無様にのた打つ。ＡＴフィールド中和距離まで近付いた零号機のポジトロンライフルの連射を避ける事も出来ず、冷却によって脆くなった外殻を打ち抜かれた使徒は、程無く動きを止めた。
「ふぅ〜〜〜〜……」
「シンジーーっ！ こっち、シャンプー無いから、そっちの頂戴ーーっ！」
「――五十p、出入り口側に投げるよ！」
竹垣を挟んで応酬された大声の後、男湯から女湯に向けてボトルが飛来する。言葉通りの地点に落下したそれを、アスカは上半身を僅かにずらしてキャッチした。
「ダンケ！！」
礼を言って早速使おうとしたアスカは、隣で身体を洗っているレイに目を留める。
「……レイ、アンタ痩せ過ぎよ。もっと、ちゃんと食べなさい」
「そう……？」
言われて自分の身体を眺め回す。確かにアバラが浮き出ているところなど、お世辞にも肉付きが良いとは言えないレイである。シンジのお陰で食生活が改善され、多少は体重も増えてはいるのだが。
「はぁ〜〜〜〜……」
「肉を食べないからよ。何で食べらんないの？」
「……血の味がするから」
レイの答えの理由が、アスカも何となく想像が付いた。
「ま、まあ、それは分からないでもないけど……少しは食べられるようになさいよ。胸だって大きくならないわよ」
「ムネ……。何故……？」
「えぅ〜〜〜〜……」
「何故って……――さっきから鬱陶しいわね、ミサトっ！！」
「アウチッ！」
アスカは温泉宿に着いてから溜息を吐き通しのミサトに癇癪を爆発させ、頭目掛けて桶を投げ付けた。
「……何すんのよ、アスカ！」
「鬱陶しいって言ってんのよ！ 言いたい事があるなら、言えば良いでしょ！」
命中個所を押えながら立直り抗議するミサトに、アスカは怒鳴り返す。
「じゃ、じゃあ、訊くけど……。なんでアンタ達までアタシの指示に従ってくれないのよ。シンジ君と違って、アンタ達はアタシの命令を聞く義務があるのよ！」
「……命令って……今日の作戦で、ちゃんとした指示なんか出してないでしょうが。それに、アタシ達がこっち着く前に、捕獲の中止は伝えられた筈でしょ。その間、何してたのよアンタ？」
「うっ……」
ジト眼で睨まれ、言葉に詰まるミサト。確かに使徒が羽化してから後は、事態の変化に付いていけず指揮車で喚いているに終わってしまった。また、捕獲から殲滅に切り替えられた後は、それについて憤っていただけで何ら有効な対策を取っていない。
それはミサトも自覚しており、だからこそシンジを怒鳴り付けたくとも出来ず（また、実力で黙らされるのがオチでもあるし）こうして鬱屈した物を呼気と共に吐き出すしかなかった。
「……だって、捕獲するものとばかり思ってたから……」
ミサトの言訳とも言えない言訳に、アスカは頭が痛むのを抑えられなかった。
「じゃあさ……捕獲の途中で使徒が羽化してたら、どうするつもりだったの？」
「そ、そりゃ、即時殲滅……」
「んな事、言われなくても分かってるわよ。アタシが訊きたいのは、どうやって殲滅するつもりだったのか、って事。マグマの中、あの着ぐるみを着て、プログナイフ一本で」
「…………」
「……考えてなかったのね」
相手のホームグラウンドで、貧弱な機動力・武装。その状態で何の策も無く、ただ「殲滅しろ」だなどと無責任に過ぎる。
今回のシンジ達の行動は、本部を出発する前の短時間に三人で話し合った結果だった。相手の目的と考えられる事態の可能性を並べて、自分の目的に合わせて実行可能なそれへの対策を準備する。極当り前の作戦の立案・実行（ファウストの存在や裏死海文書の記述を知っていた事は差引いても）に過ぎない。
本来なら“作戦部”――そして“作戦部長”がやらねばならない事なのだが……
（はぁ〜〜。アタシ、こんな奴に命を預けなきゃならないワケ？ シンジが命令拒否権を要求したのも当然ね……）
無言になったミサトに、深い溜息が出てくるのを止められないアスカだった。
山並みの向うに沈もうとする陽に裸身を朱く染められ、三人は湯に浸かる。
アスカは肩まで浸かっていた身体を引き揚げ、縁の岩に腰掛け火照りを冷ます。
一息吐いてアスカが傍らのミサトを見ると、胸元の傷に目が行きそこで視線が止まった。
「……あ、コレね。……セカンド・インパクトの時に、ちょっちね」
視線に気付いたミサトが自らもそこに目を遣り、何でも無いかのように言う。
「……葛城調査隊、唯一の生残り、か」
「！？ ……知ってるの？」
アスカの呟きに、ミサトは驚きの声を上げる。
「まあね」
内心だけで『アンタが知らない事もね……』と付け加えるアスカ。
「……そっか……」
吐息と共に短い言葉を口から吐き出すと、ミサトは微風に身体を嬲らせながら黙り込む。
ややあって再び口を開く。
「じゃあ、気付いてるの？ アタシが使徒への復讐の為にＮＥＲＶに入って……アンタ達を復讐の為の駒にしてるって……」
「なんだ、ちゃんと自覚してんじゃない」
「……怒んないの？」
どうでも良さそうに言うアスカに、ミサトは意外さを感じながら尋ねた。
「……ま、馬鹿だとは思うわね。でも……アタシも他人の事を、とやかく言えたもんじゃないしね……」
腿に肘を、組んだ手に顎を乗せたアスカが自嘲混じりに答えた。
「……止めろ、って言わないのね？」
「言ったら止めるワケ？」
「……いいえ……多分無理ね……」
「そう……。じゃあ、言わないわ」
しかし、だからこそミサトは最大の味方となり得る人間を、半ば敵に回してしまっているのだが。『今のミサトは、味方にしたくとも出来ない』というシンジの意見に、アスカも同意せざるを得なかった。その事に苦い物を感じながらもアスカは続ける。
「ミサトの命、ミサトの人生だもの……。好きに使えば良いでしょ」
「…………」
「でも、アタシはアンタに付き合う気は無いわよ」
「……そう――よね」
キッパリとアスカに告げられ、暫く俯いていたミサトだが、それを振り払うようにやや声と表情を明るくする。
「そ〜れにしても、アスカに人生諭されるとは思わなかったわぁ」
「言ったでしょ、“三日会わざれば刮目して見よ”って。それに――」
おどけるように言うミサトを冷たく睨め付ける。
「――ミサト……アンタ、アタシの何を知ってるって言うのよ？」
「な、何って……」
ミサトの視線の先には、ミサトの知らないアスカがいた。
口篭もるミサトを暫く眺めると、アスカは湯に浸かってから一言も喋らないもう一人の方に顔を向けた。
「じゃあ、アタシはもう上がるけど、レイ――って、何やってんのよアンタっ！？」
「……なに、あふか……？」
視線の先には白皙の面を真っ赤に染めたレイが、ふにゃっとした顔でアスカを見ていた。
「何じゃない！ のぼせるまで入ってるんじゃないわよ！ 加減も知らないの！？」
「……よくわからない……」
「ったく……！」
アスカは舌打ちしつつ腕を取って風呂から上がらせる。引張られると、レイは蹌踉きながらも自分の足で歩いてアスカに付いていった。
洗い場でレイに冷水を頭から掛けてやるアスカ。その様子を見ていたミサトは不意に呼び掛けた。
「……アスカ」
「何？」
「シンジ君は……アタシの事を知ってるの……？」
アスカの手が止まる。
「……アタシにミサトの事を教えてくれたのは、シンジよ」
「……そう」
レイに肩を貸して脱衣所に入るアスカを見送り、小さく息を吐いて外に向き直る。
ぼんやりと眺めている内に、太陽は今日最後の光を投げ掛けた後、山の向うに姿を消す。
周囲が夜の帳に包まれていき、一人取り残されたミサトは小さく身震いすると身体を湯に沈めた。
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