ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第拾話 B-Part
一日、シンジ達三人は街に繰り出していた。
繁華街の歩行者天国は、休日とあって込み合うと言う程ではないが、大勢の人手で賑わっている。
その中をはしゃぎながら進むアスカに、ポツポツとそれに応えるレイ。シンジは微笑んでその様子を見守りながらも、注意深く周りに意識を巡らしていた。
やがて一行は第３新東京一の品揃えを誇るデパートに入ると、そこで見知った人影に気付いたアスカが声を掛ける。
「ヒカリじゃない」
「アスカ……と、碇君と綾波さんも」
相手も振向き、こちらを認める。
「やあ、洞木さん」
「……こんにちわ」
「ヒカリも修学旅行の買い物？」
「うん。それと妹の買い物が……あ、これ妹のノゾミ」
そう言ってヒカリは傍らの、小学生らしき女の子を紹介するが、
「お姉ちゃん、コレってなによ、コレって……？」
紹介された方は不満気に頬を膨らませた。
そのまま成り行きで行動を共にし、喋りながら歩く五人。
「へぇ〜、三人ともＮＥＲＶのロボットのパイロットなんですか……？」
「そうなんだけど……一応、機密だから他人に言触らさないでね」
その割には機密がダダ漏れだと思いながらも、シンジはノゾミに釘を刺す。
「はい！ でも、凄いなぁ……」
だが、顔を上気させて答えるノゾミに、どこまで分かっているのかとシンジは内心で首を傾げた。
その脇でアスカとヒカリが会話を交わす。
「……でも、三人とも仲が良いわよね。学校来るのも一緒だし」
「まあね……一緒に住んでるし」
「ふーん、やっぱりパイロットって同じ所に住まわされてるの？」
「そうじゃなくて……アタシとレイがシンジん家に勝手に住んでんのよ」
そこまで来て、少し眉を顰めるヒカリ。
「……えーと、そうすると碇君の親御さんと……？」
「ううん、三人だけよ」
『人間は……』とは口には出さず、アスカは呟く。
「ま、共同生活――って奴ね」
（それは絶対違う）
二人の会話が耳に入ったシンジは、心の中で断言した。最近になって家事を手伝い始めたレイはともかく、アスカの立場は完全に“居候”だった。もっとも、その態度は、三人中最も大きかったが。
家主たるシンジを部屋から追い出して一番大きな私室を確保し（シンジ自身は屋根さえあれば良いと考えているので気にしてはいないが）、一番風呂の権利を主張し、家事の一切をしない。そういうのは“共同”生活とは言わないんじゃないか、と思わないでもないシンジだった。
冷静にそんな事を考えるシンジと対照に、ヒカリは頭に血を昇らせて少しヤバ気な方向に想像が逝っていた。
（きょ、共同生活！？ 三人だけで！？ それって同棲！？ し、しかも男一人、女二人で！？ そんな、アスカ……わ、私達は中学生なのよっ！！）
想像が妄想に進化した辺りで、アスカはヒカリの様子がおかしい事に気付く。
「……ヒカリ、どうかしたの？」
俯いて震えるヒカリの顔を覗き込むようにして尋ねるアスカ。
「…………フ……」
「ふ？」
「フケツよぉーーーーっ！！」
「きゃっ！？」
一声叫んだヒカリは、アスカを跳ね飛ばすようにして駆け出し、忽ちの内にその場に残された四人の視界から消えてしまった。
「あ〜ぁ、また始まったよ、お姉ちゃん」
「また、って……こういうのが良くあるのかい？」
呆然と見送るノゾミを除く三人。溜息混じりに呟くノゾミに、シンジは訊いてみる。
「はい。でも、そのうち治まりますから、大丈夫ですよ」
そう言われてもシンジはあまり安心出来なかった。それを裏付けるかのように遠くから聞こえてきた破壊音と悲鳴・怒号に、シンジは珍しくこめかみに脂汗を浮かべた。
「ご、御免なさい、碇君……」
どうにかスタンピードが治まったヒカリは、恐縮しきってシンジに頭を下げていた。
「いや、いいよ。大した事無かったし」
それに対してシンジは、ほんの僅かに疲れた風情で応える。
実際は「大した事」無くはなかった。ただ騒いだだけではなく、現実に被害が出たとなれば店の人間が――いかに客であろうと――黙っていない。店長と思しき人間がやってきて、説教と相成りかけたが……シンジの深甚（アスカを抑えながらの）且つ、“誠意溢れる”謝罪により事無きを得ていた。何故か最後には、店長の方が弱々になっていたのは全くの謎であるが。
「でも……弁償までしてもらって……」
目的フロアに着いても、尚も言い続けるヒカリにアスカは声を上げる。
「大丈夫よヒカリ。シンジはＮＥＲＶから大金をふんだくってるんだから」
「そ、そんな事言ったって……。第一、そのお金は碇君が命懸けで戦った、そのお給料でしょう？」
「だ〜から、気にする事無いって。どうせ、あぶく銭なんだから……」
「……違うような、合ってるような……」
二人の掛け合いを聞いて突っ込むシンジ。アスカの方は気にせず続ける。
「そういう事だから、ヒカリもついでに水着を買ってもらいなさい！ ノゾミ、アンタもね！」
「えぇっ！？ わ、私、水着を買いに来たんじゃないのよ！ そ、それに学校の水着で……」
「ええい！ 遠慮は無用っ！」
叫んで、アスカはヒカリの背中を押し、ノゾミの腕を取って前方の水着コーナーに突進していった。シンジは笑ってレイと並んで歩きながら追ったが、売場の手前で足を止める。
「綾波、僕も自分のを買ってくるから。綾波は皆と一緒にいて」
「……分かったわ」
少し残念そうに答えるレイの頭を一度撫でると、シンジは向きを変えて姦しい声から離れた。
「……こんにちわ」
不意に後から声を掛けられた男は、一瞬氷刃を突き付けられたような感触を覚えた。だが、僅かに冷汗を滲ませた他は動揺を外見にには表さず、前方の四人の少女から視線を外しゆっくりと振向いた。
「やあ、碇シンジ君」
男――加持は目の前の少年に、片手を上げて気楽に挨拶する。とはいえ、全く気配を悟られる事無く自分に接近したシンジに、内心で舌を巻いていた。両者は後一歩で手が届く距離にいる。もしシンジがその気なら、今頃足下に血溜まりを作って倒れていてもおかしくは無い。
「どうも。加持さん……でしたっけ」
こちらも何でも無いように応えるシンジ。言いつつも、さり気無く加持の様子を探る。
「……何か御用ですか？」
「いや、用って程のモンじゃない。デパートの前で偶然君達を見掛けたもんだから、ちょっと様子を見てみようか……ってね」
「お仕事じゃないんですか？」
「はは、折角の休日に仕事を持ち込みたくはないよ」
「そうですか。マンションを出てから、ずっと尾けてらしたので……僕の気の所為でしたか」
加持は、今度も動揺を押し隠すのに成功した。先程の倍くらいエネルギーを必要としたが。
「それに、今にも涎を垂らしそうなニヤケ顔で、女子中学生を眺めているのはどうかと思いますが……。つい警備員を呼んでしまうところでした」
そう言われた加持は思わず顔に手を当てる。
「そ、そんな顔をしてたかい？」
「冗談です」
ニヤリと笑って言ってのけたシンジに、今度こそ加持は蹌踉いた。
（まいったな……）
笑い返しながら、加持はリツコの忠告を思い返す。だがこの様子だと火傷どころか、下手をすれば切刻まれて挽肉にされかねない。
（碇司令と互角以上に遣り合っているというのは、冗談や何かじゃないようだな……）
ヤバイとも思うが、加持は困った事に心が浮き立つのを抑えられなかった。
「……アスカとも仲良くやっているようだな」
「ええ、まあ」
「初対面の時は、随分とアスカが突っ掛かっていたんで、どうなるかと思っていたが……ま、何よりだ。だけど、どういう魔法を使ったんだい？」
「お姫様に掛かった呪いは、王子様のキスで解けるものです」
冗談交じりに尋ねる加持に、シンジも冗談で返す。
「呪い――ね……」
顎を撫でながらアスカ達の方に目をやる。
「アスカも日本に来てから、歳相応の表情が出来るようになったかな……」
「心配ですか？」
しみじみと言う加持に、シンジが尋ねる。
「まあ、妹みたいなものだからな」
「妹――が心配で態々ここに？」
目を細めたシンジだが論評は差し控え、内心で加持のアスカに対する位置付けを推し量る。ＳＥＥＬＥと繋がっている以上、アスカに対してＮＥＲＶが何をしてきたか、少なくともミサトなどよりは分かっている筈である。分かっていて“妹”と言うのは、どういうつもりなのか。
そのシンジの視線を感じたのか、加持が振り返った。
「それもあるが、シンジ君に興味があってね」
「僕はそっちのケはありません」
「安心してくれ、俺も無い」
間髪入れずに答えるシンジに、加持も大真面目に言うが、
「では、やっぱりロリコンですか？ 犯罪を見過ごす気はありませんよ」
「勘弁してくれよ……」
続いての台詞に調子を狂わされ、それを誤魔化すように苦笑いしながら頭を掻く。それでも一息吐いて何とか気を取り直した。
「興味って言うのは、ＥＶＡパイロットとして……さ」
「…………」
「戦闘記録は見せてもらったよ。訓練も無い素人の筈なのに、これまでの戦いは明らかにアスカを凌駕している。おまけに――」
少し言い難そうに言葉を濁す。
「――葛城の指揮も受け付けずに、だ。これで興味を持つな、というのは無理だろう？」
「……ふむ」
顎に指を当てたシンジは、少し声を低めて訊く。
「それは、貴方個人としての興味ですか？ それとも仕事上での？」
「一応、個人だと思うが……。仕事だとどうなるんだい？」
そう言った途端、加持はガクンと頭の位置を下げた。直ぐにシンジがネクタイを引張ったと分かったが、その動きを察する事も反応する事も出来ず、なすがままになる。
「御存知かどうかは知りませんが、これまで仕事上で興味を持って僕に近付こうとした人達は、皆さん授業料を払っているようです。……誰にどんな料金を払って、何を学んだかは知りませんが」
空っ惚けてふざけた事を言うシンジだが、それに微かに込められた殺気に加持は何も応えられなくなった。シンジは加持のネクタイを整えてやりながら更に言う。
「個人でしたら……まあ、また別の扱いになると思いますが、今ここで試してみますか？」
手を離しつつニッと笑うシンジに、首元を押えつつ半歩後退った加持は長く息を吐く。
「……いや、それはまた今度にしておこう」
「そうですか。ではその時を楽しみに」
「ああ……」
挨拶とも言えぬ挨拶をすると、その場を離れる加持。その背中が商品の向うに消えると、シンジはジャケットのポケットから財布を出し軽く投げ上げ呟く。
「……ま、これは今回の授業料――と言う事で」
其々が水着を選んだ一行だったが、未だ買い物を続けていた。無論の事、シンジの払いで。
ノゾミはアスカにでも感化されたのかあまり気にしない様子だったが、ヒカリの方はそうもいかなかった。常識人、且つ若年ながらも一家の主婦役を担ってきた少女としては――その金銭感覚からすれば当然の事ではある。
「あ、あの……碇君、ホントに良いの？」
騒ぐアスカ達（除くレイ）から数歩遅れて付いて行くシンジと並んで、ヒカリが何度目かの問いを繰返した。
「別に構わないよ」
対するシンジは、気にした様子も無く同じ答えを返す。今日のような事が“いつも”では流石に困るが、そうそうある事でもない。
「でも……」
それでも不安気にするヒカリ。その様子を見遣ったシンジは頬を掻く。
「う〜ん……」
シンジは少し考えて一息吐くと、真面目な声で告げた。
「それじゃあ……身体で返してもらおうかな」
「え゛っ……」
思ってもみなかったシンジの台詞に、ヒカリは数秒間硬直するとわたわたと手を動かした。顔を赤くし、何度か口を開閉した後、漸く言葉を出す。
「い、い、碇君……そ、それって……」
「……ん？ 何を想像したのかな、洞木さん」
「な、何って……」
「な〜〜んてね。冗談だよ」
「へっ？ あ、あの……碇君？」
慌てるヒカリに悪戯っぽく笑い掛けると、シンジは安心させるように言う。ヒカリはそれに付いて行けず目を瞬かせていたが、その内どうにか事態を飲み込んだ。
「も、もうっ、何て事を言うのよ！」
「はは……ゴメン。でも、ちょっと頼みたい事があるんだ」
「？」
拳を振り翳したヒカリだったが、急に真面目な顔と声になったシンジに手を止める。いつの間にか足も止まっていた。
「綾波とアスカを――なんて言ったら良いのかな――少し、気に掛けといて欲しいんだけど……」
「……え？」
ヒカリは小首を傾げてシンジを見た。それに合わせてお下げが揺れる。
「それは……二人とも、友達だし……言われるまでも無いけど……」
「うん、それは信用している……」
頷いたものの、どう説明したら良いかと顎に手当て暫く考える。
「……僕達が一緒に暮らしてるのは、冗談や酔狂じゃないんだ。ＮＥＲＶってパイロットに対する扱いが悪くてね……。綾波はこれまで衣食住は最低限――いや、最低以下のモノしか与えられていなかった……」
演技でなく溜息が出る。
「おまけにＮＥＲＶ司令が保護者になっていたんだけど……コイツがまた、とんでもないロクデナシで……。綾波がこれまで暴行や性的虐待を受けなかったのは奇跡だよ……」
多少、事実とズレた事を暴露する。もっとも、戦争に駆り出したり怪しげな実験の被験者にする事は、充分以上に暴行・虐待と言えるが。
それを聞いたヒカリはそんな事情は分からないが、己の良心に従って口に手を当て身を震わせる。
「そんな……酷い……」
「アスカは流石にそこまではされなかったようだけど……徹底的にＥＶＡに拘るようにされちゃってたから。結局、ＮＥＲＶにとって、パイロットは都合良く利用する為の道具でしかないんだ……」
「…………」
改めての事実の確認にシンジは表情を暗くし、その様子にヒカリも無言のまま顔を曇らせた。
「ま、そういう訳で綾波は情操が欠けた所があるし、アスカもあれで繊細な所があるから……。僕も色々気を使ってはいるんだけど、なんと言うか男だし……。二人にしても、男の僕にはちょっと……というのもあるだろうし……」
「分かったわ」
ヒカリは、困ったような顔で尚も言おうとしていたシンジを遮る。
「任せておいて、それくらい。何と言っても友達だもん」
「……ありがとう。洞木さん」
胸を叩いて承諾したヒカリに、シンジは安堵の溜息を吐いて頭を下げる。
二人が揃ってアスカ達の方を見ると、そこでは三人が商品を手に取り、なにやら言い交わしていた。と、そこでアスカが顔を上げ、目が合ったと思うと叫んだ。
「ちょっと！ アンタ達何やってんのよっ！」
その大声にシンジは肩を竦めてから、片手を上げて応えた。
「やれやれ、アスカもこんな所で大声を出して……」
「……ふふっ」
「？ なに？」
ぼやいたシンジは、笑いを漏らしたヒカリに尋ねる。
「ううん。碇君って、二人のお兄さんみたいだな……って思ったの」
「お、お兄さん！？」
そう言われてシンジは声の調子を外した。
「あ、何か嫌だった？」
「いや……僕は兄弟がいない、と言うか家族に縁が無かったから……ちょっと戸惑っただけ」
「……そうなんだ」
その時、アスカが更に声を大きくしてシンジ達を呼び、二人は苦笑し合って歩き出す。
「そうだ、あと一つ。綾波に一般常識って奴を教えてやってくれないかな――女の子の。綾波、そういう事全然知らないから。アスカにも頼んであるけど……アスカはまあ、アレだから」
「……お安い御用よ」
声を潜めて頼むシンジに、ヒカリは腕を振り回しているアスカを笑って見ながら請負った。
日が西に傾き、その光が作り出した長い影が三つ、路面に伸びる。
それを絡ませながら家路につく三つの声がふと途切れた。
ややあって、一番荷物の少ない者が、一番荷物の多い者に話し掛ける。
「……ウチのクラスに適格者の候補は集められてるのよね……」
「えっ？ ……あ、うん」
「……ひょっとしたら、ヒカリが選ばれるかもしれないのよね」
「うん……。そしたら、ノゾミちゃんがコアにされてしまうかも……」
三人ともが黙り込み、足音だけが響く。
追い掛けっこをしているのか、小学生が一塊になって三人の横を追い越し、駆けて行った。そのはしゃぎ声を聞きながら、彼等の背中を見送る。
「……そんな事させたくないわね」
「うん……」
「…………」
と、不意にアスカが真面目な表情を一転悪戯っぽいものに変えて、シンジの顔を下から覗き込み、シンジは思わず頭を反らせた。
「……ところでシンジ。アンタ、デパートでヒカリとなに話してたのよ？」
「え？ ああ……なんだろね？」
「む〜、アヤシイぃ！」
「ははは……。綾波？」
アスカの詮索を笑って誤魔化したシンジだが、横合いからの視線に気が付く。
「……碇君、教えて」
「あぁ〜、えっと〜〜」
新手の追求に、思わずたじろぎ口篭もる。紅と蒼の瞳に見詰められたシンジは、一歩後退し、
「……マンションに着くまでに捕まえられたら、教えてあげるよ！」
そう言って二人の脇を擦り抜け駆け出した。
「あっ、こらっ！ 待ちなさい！」
「……！」
それを追って、アスカとレイも走り出す。だが、大荷物を抱えているというのに、シンジは巧みにフェイントを交え、二人を追い付かせない。
笑いさざめき戯れ合う三人は、今だけはその背負うモノを忘れたように歳相応の姿を見せていた。
夕食後、キッチンで後片付けをするシンジとレイ。アスカは一足先にリビングに行き、スルトとペンペンと一緒に寝転がりテレビを見ていた。
そこにチャイムが鳴り、シンジが何かするより早く来客が扉を開け中に入り込む。
「こんちゃ〜〜」
その声にシンジはその場をレイに任せ、タオルで手を拭きつつ玄関に足を運んだ。
「……新聞は間に合ってますよ」
「や、やあねぇ、シンジ君。冗談ばっかし……」
「何か御用ですか？」
笑いながらも、辛うじて緊張を隠してそう答えるミサト。シンジはそれを察したが、別に何でも無いように尋ねる。
「えっと、三人に話があるんだけど、良いかな？」
「ええ」
促されるとミサトは家に上がり込み、シンジに付いて奥に行く。間取りは自宅と変わらないので、迷う事無くリビングに向う。そして、そこにいた思い掛け無い相手と目を合わせると、声を上げた。
「ペ、ペンペ〜〜ンっ！ こんな所にいたの〜〜！」
「クワーーッ！！」
片方は歓びの声だったが、もう片方は恐怖と驚愕の声だった。
躍り掛かるようにしてペンペンを抱き上げようとしたミサトだが、狙われた方は抱かれるつもりなど無かった。ペンペンは咄嗟に横へ転がって難を逃れると、素早く立ち上がって二撃目も避け、どういう脚力を発揮したものか一跳びでサイドボードの上に飛び乗った。
「クァーークェッ！！」
「ど、どうしちゃったのよ、ペンペン。薄情ねぇ、アタシを忘れちゃったの〜〜？」
盛んに威嚇行動を取るペンペンに、戸惑いの声を上げたミサトだったが、
「こんの、バカミサトっ！！」
「あうっ！！」
アスカに丸めた雑誌で後頭部を強打され蹲る。
「な、何すんのよアスカ！？ 酷いじゃない！」
「酷いのはアンタでしょうが！ アンタ、自分ちのペンギンに何したか分かってんの！？」
「な、何って……」
抗議を一蹴して捲し立てるアスカに、ミサトは器用にも首を竦めると同時にそれを傾げた。
「……ゴミと一緒にペンペンを捨てたんですよ、葛城さんは」
後から、お茶の用意をしたシンジが、リビングに足を踏み入れつつ解答する。
「ま、まさか……そんな……」
「事実よ。認めなさい」
「は、はぅ〜〜……。ペンペン、ごめ〜ん……」
顔を引き攣らせて笑うミサトだったが、アスカに決め付けられると、何となく心当たりもあり流石に項垂れペンペンに謝る。
「ケッ！！」
だが、ペンペンは許す気が無いらしく、シンジに続いて入ってきたレイに抱き上げられながらソッポを向く。
「まあ、ペンペンが帰る気になるまで、僕の所で預かっておきますので……」
「ペンギンに見捨てられるなんて……。無様ね、ミサト」
「あぅ〜〜……」
シンジには一応慰められたが、アスカには容赦無く止めを刺され、あっさりと殲滅されるミサトだった。
騒ぎつつお茶を飲みながらもシンジに微かな（シンジにとってはあからさまな）隔意をみせるミサトは、盛んにアスカとレイに話し掛ける。二人を自分の所に引き取ろういうのだが、無論の事アスカとレイにそんな気は無い。何より、ペンペンの二の舞は御免である。そう告げられると、ミサトも退くしかなかった。
「……それで、葛城さんは、どんな用で来られたんです？ それを言いにではないんでしょ」
雑談が一段落付いたと判断したシンジが質問する。
「ああ……アナタ達もうすぐ修学旅行よね」
「ええ」
「悪いんだけど、アナタ達は行かないで欲しいの」
「えぇぇーーっ！！ なによ、それーーっ！！」
それを聞いたアスカは絶叫し、テーブルに手を付いて身を乗り出す。
「どうしてっ！？」
「戦闘待機だもの」
「そんなの聞いていないわよっ！！」
「今、言ったわ」
「誰が決めたのよっ！？」
「作戦担当の私が決めたの」
「アンタ、まともに作戦立てた事、無いでしょうがっ！！」
「ぐっ！」
アスカの攻勢を上手く受け流していたミサトだったが、最後の一言は急所に入り、息を詰まらせる。
「シンジ！ アンタも何か言ってやりなさいよ！」
「……そうだね」
アスカとミサトの応酬の最中もマイペースでお茶を飲んでいたシンジだが、話を振られてカップを置く。
「葛城さん、この家にはＮＥＲＶの監視装置は無いんです」
「へっ？」
思わず身構えたミサトだが、唐突なその言葉の意味が分からず首を捻る。
「……死人に口無し、です」
シンジはミサトの困惑にも構わず、そう言ってニヤリと笑った。ミサトはシンジの言った事の意味を暫く考えていたが、それに思い当たると蒼褪める。
「は、はは……じょ、冗談でしょ……」
「さあ、どうでしょう……？」
冷汗を流しながらも何とかそれを口に出すが、シンジの曖昧で思わせ振りな台詞に更に発汗量を増やした。助けを求めて左右を見るが、無情にも味方してくれる者はいない。
「……まあ、葛城さんをおちょくるのは、これくらいにしましょうか」
「えっ？」
ミサトの緊張が振り切れる前に、真面目な口調になるシンジ。その変化に、ミサトは付いていけずに戸惑う。
「それともやっぱり、石を抱いて芦ノ湖に行きたいんですか？」
「え、あ、あの……け、結構です、はい……」
「そうですか。得難い経験だと思うんですが……。残念です」
シンジはそう言ったが、ミサトの方は全く残念でなかった。カラカラになった喉をぬるくなった茶で湿らせると、何とか一息吐く。
それを待ってから、シンジは口を開いた。
「一つ訊きたいんですが、ＮＥＲＶはどういうつもりで僕達を学校に通わせてるんです？」
「えっ？ だ、だって、中学生を戦わせているんだから……せめて、戦いの無い時ぐらいは、普通の生活をさせてあげたいし……」
「なるほど……」
見事なまでの善意の台詞に、シンジは自然溜息が漏れる。
「つまり、ＮＥＲＶは僕達を壊したい、と……？」
「な、何でそうなるのよっ！」
勿論、ミサトはそんな事を思ってもいない。ＮＥＲＶにはまた別の思惑もあるが、それはミサトの預かり知らぬところである。そうであるが故に、馬鹿にしたようなシンジの台詞は、とんでもない誤解であり侮辱だった。
「……葛城さん。何故軍隊が新兵を“兵隊”という型に押し込めて固めてしまうか、分かりますか？」
急に話題を変え淡々と語るシンジに、腹を立てたミサトは何か言い掛けて止まる。
「答えは簡単。そうでなければ兵が耐えられないからですよ――戦いに」
正確には「人を殺す事」にだろうか。
人間社会は「人を殺す事」を禁忌としている。宗教・道徳・法によって成されるそれは、社会を維持していく為に必要なマインドコントロールといってよい。
軍は幼少時からそれを破り、兵を戦わせる――人を殺させる為に、兵の心を鎧わせ麻痺させる。訓練や命令への絶対服従によって。（結果的に）兵の心を守る為に。軍というモノを必要とする社会が生み出した大いなる矛盾であるが。
そして、そうしてすら耐えられない人間が出てくる。
「……だというのにＮＥＲＶはどういうつもりなんです？ 人間らしさを保ったまま、殺し合いをしろ、と？ それで僕達が平気でいられると？ 無茶な事とは思わないんですか？」
「…………じゃあ、どうしろ、って言うのよ……」
シンジの言う事に反論出来ないまま、ミサトが何とか声を絞り出す。
「そもそも、子供を戦わせずに済ませる、という発想は無いんですか？」
「……し、仕方無いじゃない。……ＥＶＡは、アナタ達しか動かせないんだから……」
弱々しいミサトの言葉に、シンジは目を細める。
「仕方無い――そうかもしれませんね。でも、それは間違っても貴女が言って良い台詞じゃない。『死ね、殺せ』と言う立場の貴女が、言われる立場の僕達に」
「…………」
「貴女は、僕達が死んだり壊れたりしても、やっぱり『仕方無い』で済ませるつもりですか？」
「そ、そんな……。責任は――」
「――責任は取る、ですか。どうやって？ 貴女が責任を取れば死人が生き返るんですか？ 壊れた人間が元に戻るんですか？ まさか、立派な記念碑を建ててくれる、と言うんじゃないでしょうね？」
「…………」
容赦無いシンジの舌鋒。傍観しているアスカとレイも口を挟めない。
「御自分とＮＥＲＶが何をしているのか……もう少し自覚して貰えますか、葛城さん」
ミサトは最早一言も無く、項垂れるしかなかった。
「……ちょっと、苛め過ぎたんじゃない？」
悄然としたミサトが帰ってから暫く。淹れ直した茶を飲みながらアスカが呟く。
「かもね。でも、葛城さんも……幾ら言ってやっても直らないから。復讐に囚われている限り、どうにもならないのかな」
それとも自分の言い方が悪いのか、とシンジは顧みる。
「……葛城一尉にも、事実を話したら……」
「司令公務室に殴り込まない、という保証があれば、それが一番良いと思うけど……。今の葛城さんじゃ、味方にしたくとも出来ないよ」
ペンペンを膝に乗せたレイが首を傾げながら尋ねるが、シンジは難しい顔で腕を組んだ。
「やるかしらね、ミサトの奴」
「キョウコさんが取り込まれたのが、事故じゃなく仕組まれた物だったら、アスカも弐号機で暴れたんじゃない？」
「……それもそうね」
納得するアスカ。確かに、本当の仇（の片割れ）が素知らぬ顔で、上司として自分に命令していたと分れば、大人しくなどしていられないだろう。
シンジとしては、今の段階でゲンドウをどうにかするのは避けたかった。ゲンドウがシンジを排除したり、直接事を構えようとしないのは、ひとえに初号機に対する執着故である。初号機を動かせる（シンクロをしていなくとも）のが――碇ユイを覚醒させる可能性があるのがシンジのみである限り、ゲンドウは下手な事を出来はしない。
だが、ＳＥＥＬＥは違う。明らかに補完計画の阻害要因と成り得るシンジは、速やかに排除すべき――使徒殲滅に差障りが無い限り――存在だった。皮肉な事にシンジにとって、ゲンドウはＳＥＥＬＥに対する防壁となっていた（ゲンドウにとっては忌々しい限りであろうが）。
だから、ミサトによってゲンドウが殺されるのは（今のところ）好ましい事ではないし、殺されなくともそれによって何らかの反動が出る事を思えば、シンジはミサトに事実を告げるというリスクを負えなかった。場合によっては、最悪ミサトを自分の手で始末するという事態すら有り得る。
「でも、葛城さんにも困ったものだけど……僕も人の事は言えないな……」
自分のカップの中を覗き込むようにしながら言葉を漏らしたシンジに、鳥二羽を除いた視線が集まる。
「本当に綾波とアスカの事を考えるのなら、二人を戦いに巻き込むべきじゃなかったかもしれない……」
部屋に沈黙が落ちる。何も言わなくなった三人を、二羽が不思議そうな目で眺め遣った。
「……アンタって、意外とウダウダ言う奴なのね」
「どう思ってたのか知らないけど……僕は本来そういう質の人間だよ」
ややあって言ったアスカに、シンジが吐息混じりで応える。
「これが自分の事なら、たとえ生死に関る事であろうと、どうとでも出来るんだけどねぇ。他人のそれは、また別……。所詮は僕も経験不足のガキにすぎない、って事かな……」
何となく小さくなった声で言うシンジを、アスカは意外そうに、レイはどこか心配そうに見詰めた。
と、アスカが腰を浮かせ、シンジの頭を引っ叩く。いや、叩こうとして躱され、空振りして姿勢を崩した。
『コイツは〜〜』と内心で罵りながら立直る。ちょっと弱い所を見せたと思ったらこれである。可愛げの無い事、この上ない。
「……アタシは事情を知って、ちゃんと納得した上で戦う事を決めたんだから、アンタが心配する事は無いわよ！ そうでしょ、レイ」
同意を求められ、レイは頷く。
「まあ、そうなのかもしれないけど……」
「あーー！！ もう、ごちゃごちゃ煩いっ！」
まだ言おうとするシンジを、アスカは大声で遮った。
「それよりもっ！ 今、重要なのは、修学旅行に行けなくなったって事よっ！」
「……もうすぐ次の使徒が来るのも事実だしね」
急に話題を変えたアスカの不器用な気遣いに、シンジは内心で感謝しながら話を合わせる。
「でも、もう少し余裕があるし、修学旅行が始まる前に使徒が来てくれれば何とかなるんじゃない？」
「そっか、それもそうね。よーし、来るんならさっさと来なさいっ！」
（下手をすれば、そもそも旅行どころでは無くなるかもしれなけど……）
シンジはそう思いながらも、腕を振り回すアスカを苦笑しながら見守るに留めた。
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