ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第九話 B-Part
制御室の一つで一人端末に向かい、キーボードに指を走らせるリツコ。が、それに集中していないのか、指の動きは今一つ鈍い。
一息吐こうと脇に置いてあったコーヒーカップに口をつける。
そのリツコに音も無く近付き、突然抱き締めた者がいた。
「……少し痩せたかな？」
一瞬身を強張らせたリツコだったが、掛けられた声にその正体を知り力を抜く。
「そう？」
「悲しい恋をしているからだ」
「……どうして、そんな事が分かるの？」
「それはね……」
まるで睦言のような甘い言葉を耳に囁いていた男――加持は、リツコの顔を自分の方に向けさせる。
「涙の通り道にホクロのある人は、一生泣き続ける運命にあるからだよ」
「これから口説くつもり……？」
軽くそう答えながらも、自分の事が見透かされたようでリツコの内心は苦い。
「でもダメよ。コワ〜イ、お姉さん見てるから」
指摘されて加持がそちらを見ると、ガラスに張付いたミサトが剣呑な目でこちらを睨んでいた。それが怖かったと言うのでもなかろうが、加持はリツコに巻き付けていた腕を解く。
「お久しぶり、加持君」
「や、暫く」
何事も無かったかのように、改めて挨拶を交わすリツコと加持。ミサトは憤然として部屋の中に入ってくる。
「しかし、加持君も意外と迂闊ね」
「こいつのバカは昔からよ！ ……アンタ、弐号機の引き渡し済んだんならサッサと帰りなさいよ！」
「本部への出向辞令が出てね、ここに居続けだよ。また三人でツルめるな……昔みたいに」
「誰があんたなんかと！」
ミサトは頭から湯気を噴出せんばかりだが、学生時代に帰ったかのような会話に加持は顔を綻ばせる。
「……それより、少し聞きたい事があるんだけどな」
「何かしら？」
「碇シンジ君……の事さ」
訊かれたリツコだけでなく、横のミサトも眉を上げる。
「……加持君の事だから、もう調べてるんじゃないの？」
「まあ、そうなんだがね……」
加持は苦笑して頭を掻く。
「報告書にあったものと、実際に見た彼とでは随分違うからさ。まあ、直接彼と会話をした訳じゃないが……」
「そうね。でも残念だけど、ＮＥＲＶでも彼の事は良く分かってないの……」
「おいおい……」
嘆息しながらのリツコの言葉に、加持は半分呆れ半分驚く。ＮＥＲＶ保安諜報部の能力は、加持が知る限りではそう悪いものではない（シンジには良いようにやられているが）。にも関わらずリツコはシンジの事を「分からない」と言う。加持は自分の好奇心が益々疼くのを感じた。
「まあ、それは置いとくとして……。彼の事を――チルドレンと呼べないそうだけど、こいつはどういう事だい？」
「あのクソ餓鬼、ＥＶＡに乗んのに条件付けてんのよ！ それはその一つってワケ！ 他にも『自分に命令出来ない』とか『プライバシーに不干渉』とかねっ！」
リツコではなく、ミサトが――加持が本部の人間になったった事を認めたのか――吐き捨てるように言う。加持に確認するような目を向けられ、リツコは頷く。
「……そりゃまた。……よくそんな事を司令が認めたな」
一瞬絶句した加持は、感心したように言う。
「初めての戦いの後、シンジ君が司令と交渉したのよ。……あの部屋でどんな事があったのかは、分からないけど」
「ふ〜〜ん……」
面白そうな顔で顎を撫で回す加持に、リツコは言葉を掛ける。無駄だろうと思っていたが。
「……忠告しておくけど、下手にあのコに手を出さない方がいいわ。手酷い火傷をするわよ……？」
「火傷が怖くて火遊びは出来ないさ」
肩を竦めおどけるように言った加持に、ミサトが喚く。
「この馬鹿は、少し痛い思いをした方が良い薬よっ！」
「ひどいなぁ、葛城……」
そう苦笑いしながら加持が言った時、警報が全館に響き渡った。
『警戒中の巡洋艦＜はるな＞より入電。“我、紀伊半島沖ニテ巨大ナ潜行物体ヲ発見。データー送ル”』
入ってきた連絡に慌しくなる発令所。警報が人間達を急き立てる。
「受信データーを照合。……波長、パターン青！ 使徒と確認！！」
データの解析結果を日向が告げると、冬月が頷き命ずる。
「総員、第一種戦闘配置！！」
三機のウィングキャリアーが翼を連ねて飛ぶ。その下面には其々ＥＶＡが張付いていた。
「先の戦闘において第三新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在までの復旧率は２６％。実戦における稼働率は０と言ってもいいわ。したがって今回は、上陸直前の目標を水際で一気に叩く！」
使徒上陸予想地点に向う指揮車の中では、ミサトが声を張り上げている。
「初号機と弐号機は目標に対し波状攻撃、零号機は援護。接近戦で行くわよ」
その指示に其々の表情を見せる、ＥＶＡの中の三人。
『あ〜あ。日本でのデビュー戦だって言うのに、なんでアタシ一人にやらせてくれないの？』
『……了解』
『現地のデータを転送して下さい。使徒のこれまでの進路と予想進路。それと国連軍及び戦自の配置も』
「…………」
シンジの要請にミサトは顔を顰めたが、ぐっと何かを飲み込むと後のオペレーターに指示を出す。
『ふんっ、なによカッコ付けちゃって。……ミサト！ こんな奴と組む必要なんかないわ！ アタシ一人で充分よ！』
「……仕方無いわよ。アタシ達に生きる為の手段を選ぶ余裕なんて無いのよ」
自分だってシンジに頼りたくない、という思いを滲ませながらミサトはアスカを窘める。
『……思いっきり、選んでたじゃないですか』
が、冷たいシンジからのツッコミに、ミサトは声を詰まらせた。
ミサトを片手間に凹ませながら、シンジは送られてきた状況マップを見ていた。
陸上兵力は上陸地点後方に展開……ＮＥＲＶが抜かれた時に備えているらしい。海上兵力は使徒の後方に急行中……ただし水平線の向うに留まるようである。航空兵力も待機には入っているが、空に上がっているのは申し訳程度でしかない。いずれもＮＥＲＶを援護する動きとは言い難い。
「……これまで使徒に対して攻撃は？」
『……行なわれてないわ』
シンジの質問に唸るように答えるミサト。シンジと国連軍、どちらに対して腹立たしく感じているのか。それを気にせず、シンジは薄く笑う。
「なるほど……ＮＥＲＶの為に一人の犠牲も出したくないし、無駄弾一つ使いたくない、といったところですか。ＮＥＲＶも嫌われたものだ」
『………』
揶揄するシンジにミサトは何も答えられない。
（嫌われるのも、当然の事だ……）
映し出されたミサトの顔をチラリと見て、シンジは思う。
命懸けで戦っても「税金の無駄」と言われ、「ＥＶＡで無ければ……」と蔑まれ、礼の一つも無く功績は独り占め。肝心の使徒の情報を寄越さないくせに、自分達の都合で協力させようとする。これで喜んで一緒に戦ってくれるとしたら、それは余程の戦争好きか底抜けの阿呆くらいだろう。
（本当に『手段を選ぶ余裕が無い』と言うなら、その状況をどうにかするべきだろうに……）
国連軍などの援護が得られるなら、ＥＶＡを三機同時に前衛に出して使徒に当てられる。そうなれば勝率が格段に上がる事は――共同作戦の訓練をやっていない事を差し引いても――自明の事だろう。そもそも戦力の指揮系統が一本化されていないのは、本来ならかなり致命的だった。
溜息を吐くとミサトに告げる。
「……葛城さん。水際での迎撃ではなく、内陸に引き込んで三方向から包囲。国連軍の援護下で戦う事を提案します」
『な、なに言ってるのよっ！？』
「その方が勝算が高くなると愚考します」
叫ぶミサトとは対照的に、シンジは冷静な声で言う。
内陸で戦えば被害は大きくなるかもしれない。だが、ＥＶＡが負けてしまえば、使徒を止める手段はｎ２兵器の使用くらいしかない。そうなればどういう事になるか。負けは許されない――筈であった。
『ミサト！ こんな臆病者なんて要らないわよ！ 足を引張るだけだわっ！』
横から口を挟んできたアスカの声に、ミサトは少し自分を落着かせる。
『……指揮官は私です。従えないのなら、シンジ君は作戦から下りて貰います』
戦力がシンジ一人ならこんな事は言えなかったろう。だが、アスカとレイの存在が、ミサトを強気にさせていた。
それを悟ったシンジだが、アスカとレイを放っておく訳にもいかず、ここは引く事にする。
「……了解。葛城さんに従います」
シンジの返事に明らかにホッとしたような表情になるミサト。それに向ってシンジは皮肉気に唇を曲げる。
「葛城さん……。本当に“手段を選ぶ余裕が無い”んですか……？」
その言葉を投げ掛けられたミサトは、顔を凍り付かせた。
投下された三機のＥＶＡは、予定の地点に着地した。
片膝立ちになったＥＶＡの背中に、ソケットが接続される。
「ありがとうございます。離れて下さい」
シンジはＮＥＲＶの職員に礼を言い、初号機に手を振らせて後退を促すと、立ち上がって周りを見る。そして、パレットライフル片手に歩き出すと海岸道路を跨ぎ、手近の建物の背後に回った。
『ちょっと、シンジ君。何やってんのっ！？』
早速文句を付けてくるミサト。
「……これまで二体の使徒が遠距離攻撃能力を持ってました。今回の使徒がそれを持っているかどうか不明ですが、それを考慮すべきです。……出来るなら塹壕を掘って隠れたいところですけど」
ＥＶＡは“人型”故に、兵器としては前面投影面積が無駄な程大きい――つまり、弾に当たり易い。また、その一万二千枚の特殊装甲による防御は他に類を見ないものであるが、やはり“人型”故の制約を受けている。ＡＴフィールドとてその防御力を上回る攻撃を受ければ破られる。敵の火線に態々身を晒すのは得策ではない。
ならばどうすれば良いか。
シンジの出した答えは、「歩兵のように戦う」だった。
接近戦を必要とする時が来るまで、遮蔽物に身を隠し、或いは地に伏る。そうする事で敵の攻撃に当たる可能性を低くする。第五使徒の加粒子砲を躱して見せたシンジだったが、これからも好き好んでそれをやろうとは思わなかった。
「綾波も惣流さんも遮蔽物に入った方が良いよ」
そう二人に忠告したシンジだったが、
「分かったわ」
「アンタって、ほんっと臆病者なのね」
帰ってきた応え二つは別だった。素直に従い適当な遮蔽を取るレイと、馬鹿にした声を出すアスカ。
「臆病でなければ、戦争に生残れないさ」
そのアスカの態度に、シンジは『前回、教育を間違ったか？』と考えながら答える。
「ミサト、このバカとファーストは怖いんだってさ！ 前衛はアタシ一人でやるわよっ！」
シンジの言う事を聞いているのかいないのか、アスカは「これ以上付き合っていられない」と言わんばかりに宣言する。
『ちょ、ちょっと、アスカ……！』
慌てたミサトが言い掛けた時、沖合いの海面が盛り上がり、更には巨大な水柱となった。
そして、万歳をするかのようなポーズで現れる（一応）人型の使徒。
「音楽の天使」……なのだが、外見からはシンジにもその能力の見当は付かない。だが、気になる事はあった。
「行くわよっ！ アンタ達、援護しなさいっ！」
シンジの懸念など当然アスカが分かる筈も無く、言い捨てると飛び出していこうとする。が、
「待てっ！！」
叫んだシンジは――それだけでアスカが止まる筈も無いと――弐号機の足元に一発撃ち込んだ。手に持ったソニック・グレイブを振り回し、蹈鞴を踏んで止まる弐号機。
「っにすんのよ、このバカっ！」
怒鳴り付けるアスカを無視し、シンジはミサトに繋ぐ。
「葛城さん、国連軍に攻撃要請を。沖の艦艇から長距離ミサイルで」
『な、なに言ってんのシンジ君……！？』
ミサトはシンジの意図が分からず尋ね返す。だが、シンジとてはっきりした根拠がある訳ではない。ただ、第五使徒の時に思い当たった事が正しければ、使徒はＥＶＡの存在を知っている筈である。にも関わらず待ち構えるようにしているのは――先手を打てるような武器が無い所為かもしれないが――文字通り、なのかもしれない。既に使徒に対して何らかの攻撃が行なわれていたら分かったのかもしれないが……それは今更だった。
シンジがそれを簡単に説明しようとした時、弐号機が動き出した。無言のまま飛び出した為、シンジの反応も少し遅れる。
「あの馬鹿……」
悪態を吐くシンジ。だが直ぐに気を取り直す。
「綾波、援護開始！ 惣流さん、せめて射線に入るな！」
発砲を開始する初号機と零号機のパレットライフル。フルオートで射撃する零号機と違って、初号機は単発で仮面――光線を撃つ可能性がある――を狙い撃つ。
ＡＴフィールドでそれを防いでいた使徒だが、その隙に水没したビルを足場に接近した弐号機が間合いに入った。
掛け声と共に、真っ向から振り下ろされるソニック・グレイブ。
それはものの見事に使徒を唐竹割にした。
『お見事！ ナイスよ、アスカ！』
「どう？ 戦いは常に無駄なく美しくよ！」
あっさりと真っ二つになった使徒に、シンジの事をこれまたあっさりと頭から飛ばしてミサトははしゃぎ、褒められたアスカは胸を張る。
だが、シンジは聞いていなかった。“あっさり”とし過ぎていた事が、シンジの脳裏で警戒信号を灯らせる。おまけに……使徒の気配は消えていない。
「気を抜くなっ！」
叫ぶとシンジは駆け出した。駆けながらライフルを撃つ。
「きゃあああっ！！」
弐号機を掠める銃弾にアスカは悲鳴を上げた。
『シンジ君、何やって……』
怒鳴ろうとしたミサトが息を呑む。
二つの肉隗になった筈の使徒。それが身震いしたかと思うと見る間に復元し、其々が別の個体となって再生した。
『ぬわんてインチキっ！？』
驚愕するミサトの声を聞き流し、シンジは二体に分かれた使徒の片方に躍り掛かる。
手前にいた方をジャンプしての踵落としで叩き伏せ、弐号機の前にいた方を回し蹴りで吹き飛ばす。
「こっちを相手しろ！」
そう言い捨てて、踏み付けにしていた方をアスカに任せ、シンジはもう一体の方に向った。
「アタシに命令するん……ちっ！」
文句を言い掛けたアスカだったが、目の前の相手が立ち上がってはそうも言っていられない。改めてソニック・グレイブで打ち掛かる。
一方、シンジはライフルを撃ちつつ接近したが、銃弾が簡単に使徒の身体に穴を開け――それが瞬く間に塞がってしまう事に驚く。
「っ！？ なら、これは！！」
殴り掛かる使徒の腕を躱し、懐に潜り込み銃口をコアに押し当て引金を引く。だが、そこも砕けるそばから復元されてしまう。
「な、なによこれーーっ！！」
背後から聞こえるアスカの声に、向うも同じらしいと分かる。
『シンジ君、アスカ、下がって！ レイ、援護して！』
「下がるなっ！」
ミサトの指示を蹴飛ばすシンジ。下がる事は良い。だが、もう一つ試して……下がるのはそれからだった。
初号機は全弾撃ち尽くしたライフルを銃口の方を握り、棍棒代わりにして使徒の頭（？）を撲り付けた。使徒が僅かに後退すると拉げたライフルを捨て、相手の腰にタックルする。
倒れた使徒に馬乗りになり、プログナイフを取り出すとコアに突き刺す。だが、それでも使徒は弱る気配を見せない。それどころかその再生力で――であろうか、刺さったナイフを圧し戻そうとする。
シンジはナイフをコアに突き込んだまま、アスカとレイに指示を飛ばす。
「今だ、惣流さん。そっちの奴のコアを潰せ！ 綾波、弐号機の援護！ っ……このっ！！」
暴れる使徒の腕が、初号機を打つ。それでもシンジはナイフを抜こうとはせず、ウェポンラックからニードルを射出し使徒の顔に打ち込む。更にナイフを握ってない方の手で殴り付けた。
もう一方の使徒は、横合いからの零号機の射撃で動きを止め、そこに弐号機が突っ込んだ。
「でりゃああーーっ！！」
気合を込めて突き出されたグレイブが、その使徒のコアを串刺しにする。同時にシンジは、初号機が抉っている使徒のコアの手応えが変わった事に気付いた。
「沖に捨てろっ！」
言いながらナイフを握っていた手を離して立ち上がり、使徒の片手を取ってハンマー投げで放り出す。僅かに遅れて、弐号機もグレイブをコアに刺したままの使徒を蹴り飛ばした。
「対ショック！」
シンジの指示に、身を屈め腕で前面を覆う三機のＥＶＡ。
巻起こる爆発。
衝撃波と、遅れてやってきた津波が襲う。
それが治まった後、そこには無事な姿のＥＶＡがあった。
指揮車の中のミサトには声も無く、モニターを魅入るように固まっていた。
オペレーター達もそんなミサトに声を掛ける事が出来ず、車内は機械音だけが支配していた。そこに入ってくるシンジの声。
『葛城さん、終わりました。指示を……葛城さん……？』
だが、直ぐにミサトの状態を把握したシンジは、通信機のこちらまで聞こえる溜息を吐いた。
『……日向さん、現状の確認をお願いします』
「あ、ああ……わ、分かった」
日向が答えると、それを合図に動き出したオペレーター達により俄かに慌しくなる車内。
「……パターン青、消滅！」
「……使徒、殲滅を確認！」
その間に、シンジは他の二人に通信を繋ぐ。
『ＥＶＡ各機、状況報告』
『……零号機、問題ありません』
『…………』
『惣流さん、怪我をした？」
『……してないわよっ！！』
返事をしないアスカを気遣ったシンジだったが、怒声が返ってきた事に苦笑する。
『初号機――機体、パイロット共に異常ありません。……日向さん、撤収を？」
「うん、直ぐ準備する。待っていてくれ」
『了解。……皆さん、御苦労様でした』
「……ああ、君達もお疲れ様」
言いながらミサトの方を窺う。ミサトは相変らず固まったままで、それどころか突付けば砂になって崩れてしまいそうだった。
ＥＶＡの収容を指示しＮＥＲＶ本部と国連軍等関係各部署に連絡を入れながら、ミサトをどうしたら良いかと頭を悩ませる日向であった。
「……やっぱり、三機掛かりだと随分楽にやれるな」
『戦争は数だ』などと考えながらシンジは呟く。ただし、今後はどうなるかは、まだ分からないが。
それにしても、と思う。アスカのパイロットとしての能力が優れている事は、第六使徒の時と合わせて確認出来た。だが、その心構えはどうしようもなくアマチュアじみたものだった。
そうなるよう仕向けられた結果でアスカに罪は無いとはいえ、シンジは頭が痛かった。
おまけに、通信を切る時こちらを睨んだ目は、えらく剣呑――敵意剥き出しと言って良い。
（早いところ、手を打った方が良いかなぁ……）
シンジの口から、勢い良くＬＣＬが吐き出された。
本部のケイジで、初号機から降り立ったシンジは、既視感を覚えて足を止めた。
「……どういうつもりなの？」
既視感の元――ミサトは噴火寸前の怒気を抑え、低い声で尋ねてくる。
「何か？」
「何か、じゃないわよっ！ アンタが言う事を聞かないのはまだ良いわっ！ でもねぇっ、勝手にアスカやレイに指示を出すなんてっ！ アンタにそんな権利は無いのよっ！」
ヒステリックな声が響き、ケイジにいた人間が何事かと注目する。
「勝ったんだから、良いじゃないですか」
「……勝ったからって――それで済むと思ってんのっ！」
「……葛城さんに従っていたら、負けてましたよ」
サラリと言われて、ミサトは詰まる。
「負けたら終わりなんでしょう？ 手段を選んでいられなかったんです」
その一言にミサトは完全に頭に血を昇らせる。シンジに腕力で勝てない、などという事実は綺麗に頭から消えていた。
「――っざけんじゃないわよっ！！」
叫び声と共に繰り出されたストレートを、シンジはやはり簡単に躱す。ミサトの懐に入ったシンジは、片手で相手の首――正確には顎の下――を掴み吊上げる。シンジより頭半分以上高い筈のミサトの身長が更に伸びた。
「くぁ……」
だが、未だミサトの首は絞まっていない。
もがくミサトの足が身体に当たるが、シンジは意に介さず言う。
「……葛城さんの指揮ほどふざけていませんよ。今日の戦いを顧みて、自分で何とも思わないんですか？」
そう言いながら、シンジは自分でも今日の様子を振り返る。
何やら偉そうな事を言いながら、ＮＥＲＶ単独で使徒に当たろうとした。おまけにまたも使徒の特性を調べようともせずに、である。国連軍と協同し歩調を取っていれば（シンジの提案を採用していなくとも）、随分と楽になっていただろう。
敵の殲滅も確認してもいないのに気を抜いた。あの時すべきは“パターン青”の確認であり、アスカを褒めるのはその後で良い筈だった。
使徒の行動に驚き、状況の把握やパイロットへの指示が疎かになった。使徒が“インチキ”なのは今に始まった事ではない。ビームを撃ったり翼もないのに空を飛ぶ事に比べれば、切られたものが二つになって動き出すなど、プラナリアでも出来る芸である。
「あなたの言う戦闘指揮というのは、戦っている後で騒ぐ事なんですか？ ただ戦いを見物したいなら、特等席を用意して差し上げますよ。たとえば、初号機の角に括り付ける、とか……」
指揮官が後方にいるのは、戦場全体を冷静に見渡す為である。そしてその上で、時には頭に血を昇らせがちな兵士を抑え、或いは萎縮する者の尻を叩き、戦場をコントロールする。兵士と感情を共にするのが悪いとは言わないが……それ以前にやるべき事がある筈だった。
「あなたの指揮に任せていたら、その内パイロットが死ぬかも――いや殺されるかもしれない……。なら……」
「っ……！」
シンジは首を掴んだ手を動かし、ミサトの喉に自身の体重が掛かるようにする。そんな事をしなくとも、シンジはミサトの首くらい片手で圧し折る事も出来るのだが。
ケイジの人間はシンジの殺気に気圧されたのか、それともそもそもミサトを庇う気が無いのか誰も動かない。
次第に呻き声が小さくなっていくミサト。
事切れるのも直かと思われた時、シンジに縋り付く者がいた。
「ま、待ってくれ、シンジ君っ！」
「……日向さん、何か御用ですか？」
シンジはそちらを向き、平静な声で言う。日向の顔に痣が出来ていたのは、ここに向ったミサトを止めようとして逆に殴られた、というところだろうか。
「いやっ、とにかく葛城さんを下ろしてくれないか！？」
「このまま葛城さんを野放しにしておいたら……負けます。皆死にます。速やかに殲滅すべきだと判断します」
「ぼ、僕からも謝る！ 葛城さんにもよく言っておく！ だ、だから勘弁してやってくれっ！」
「……日向さんに謝られても困るんですけど」
そう言いながらも日向の必死の形相にシンジは力を抜き、ミサトを解放した。シンジとしても別にミサトを殺すつもりは無かった。……全てが終わるまで“大人しく”させておこう、とは思わないでもなかったが。
「今回は日向さんを立てて、引きますけど……」
「あ、ありがとう……」
「いや、ですから……」
真剣に感謝する日向に、シンジは困ってしまう。
「では、後はお任せします」
「ああ」
苦笑すると手を振り、そこを離れる。脇を抜けた時、日向に支えられて座り込み咳き込んでいたミサトが、殺しそうな目で自分を見ているのがシンジにも分かった。
余程、「復讐に他人を巻き込まないでくれ」と口にしたかったシンジだが、何も言う事無くケイジを後にする。こちらも何か手を打たなければ、いつか本当に殺す事になりかねなかった。
シャワーを浴び着替え終えたシンジは廊下に出て、待っていたレイと合流した。
「待ったかな？」
「……いいえ」
「そう。じゃあ、行こうか」
シンジはレイを促して歩き出したが、幾らも行かない内に足を止める。二人の視線の先には仁王立ちしたアスカがいた。
「…………」
「……何かな？」
ムッツリと黙り込み、こちらを睨んでいるアスカに、シンジの方から声を掛ける。
「……アンタ、アタシにＥＶＡの秘密を教えなさい！」
いきなりのアスカの台詞に、シンジは急いで辺りの気配を探り、ＭＡＧＩに監視カメラにダミーデータを流させる。幸い人は近くに居らず、カメラを見ていた者もいない事を確認すると、シンジは安堵した。
「“ＥＶＡの秘密”って何の事かな？」
「惚けないでっ！ 前にアンタが言ったでしょうがっ！」
「ふ〜〜ん……」
シンジは歯を食い縛って自分を見ているアスカを、冷静な目で観察し考えを巡らす。アスカの考えている事は大体見当が付いた。
「……『自分とコイツの差は、ＮＥＲＶが自分に教えないＥＶＡの秘密を知っているか否か。なら、それが分れば自分が“ナンバーワン”になれる』と、惣流さんが考えているのはそんなところかな？」
「！？」
見透かされ絶句するアスカ。
益々険しくなったアスカの表情に、シンジは『追い詰め過ぎたか』と思う。変な事を仄めかしたのも失敗だったかもしれない。
（どうする……？）
シンジは自問する。このまま放っておけば、アスカは遠からぬ内に確実に“壊れる”。もっと、余裕があるかとも思っていたのだが。
そして、もう一つ。自分の横顔を見詰めている、一対の紅い視線に注意を向ける。
こちらも、もう時間が無い。これを解決するには……
（だけど、二人が耐えられるか？）
いずれ味方に引き込もうとは思っていた。だが、今この段階でそれをするのは危険過ぎないだろうか。はっきり言って賭けだった。
シンジはアスカとレイを交互に見る。レイは勿論、アスカも苦悩するシンジに声を掛けるのを躊躇したのか黙っている。
大きく息を吐いて、シンジは決断した。いずれ“賭ける”なら、それが今でも変わらない。駄目なら別の手を打てば良い。
「惣流さん。言っておくけど、君が考えている程生易しいモノじゃないよ？ それに知らない方が幸せ、って事もあるんだ」
「は、はん！ アンタが大丈夫な事くらいで、アタシがどうにかなるワケ無いでしょ！」
シンジの真剣な目に気圧されながらも、アスカは強がった。暫くアスカを見詰めた後、頷くシンジ。
続いてレイに顔を向けた。
「綾波……。ドグマに行くよ」
「……！」
囁かれたレイは肩を震わせシンジを見る。シンジはレイに微笑み掛け、落着かせるようにその頭を撫でた。
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