ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第八話 C-Part
『予備電源が出ましたっ！』
『リアクターと直結完了っ！』
『飛行甲板、待避ーーっ！』
『ＥＶＡ、着艦準備良しっ！』
護衛艦を次々と踏み台にして向ってくる弐号機を前に、＜オーヴァー・ザ・レインボー＞ではてんやわんやの騒ぎになりながらも準備が進む。
「総員、耐ショック姿勢！」
「デタラメだ！」
艦長の長い海軍生活の中でも、“巨大ロボット”が空母に着艦するなどというのは、当然ながら初めての経験だった。
「ＥＶＡ弐号機、着艦しまーす！！」
どこか嬉しそうに言うアスカの横で、シンジは冷静に状況を探る。
“荷物”はまだ艦内にある。スルトはマストに止まっている。
使徒は大きく弧を描いて、こちらに向ってくる気配だった。
弐号機着艦の衝撃が治まると、何かに掴まり頭を抱え姿勢を低くしていた甲板員達は顔を上げる。彼等は海に落ちた艦載機の事も放って、来艦した赤い巨人を呆然と見上げていた。
「９時方向。来るよ」
「外部電源に切り替え！」
弐号機がソケットを自力で背面に接続すると、電源表示も切り替わる。
「切り替え終了！」
「武装は？」
「プログナイフよ！」
『アスカ、ハンドガンを持ってきてるわっ。それを使ってっ！』
シンジとアスカの会話に、解凍したらしいミサトが口を挟む。
「！？ 用意良いじゃない、ミサトっ！！」
『は、はははは……』
誉めるアスカだったが、ミサトは何故か乾いた笑い声を出す。事情を知っているシンジも取敢えず何も言わない。出来ればもっと準備をしておきたかったのだが、それが精一杯だった。
直ぐさま脇のコンテナからハンドガンを取り、構える弐号機。
「大きいな」
海面を割って姿を現した使徒を、シンジが短く評する。
「思った通りよ！」
「巨体というのはそれだけで武器だよ」
「ぐっ……」
注意を促すシンジに、アスカが詰まる。
と、使徒が弐号機に向って飛ぶ。いや、使徒からすれば“跳ねる”といったところなのだろうが。
「避けろっ！」
「っ！？」
真正面から銃を撃ち込もうとしたアスカだが、シンジの叫びに思わず身を屈めるようにして使徒を躱す。それでも咄嗟に使徒の脇腹目掛けて発砲し、数発を命中させたのはアスカの反射神経と訓練の賜物か。
「何すんのよっ！」
使徒が水中に姿を消すと、アスカが早速シンジに食って掛かる。
「言ったろ、“巨体は武器だ”って。あんなのと正面からぶつかってどうするのさ？」
「ふんっ！ あのくらい受け止めてやったわよっ！」
「陸の上ならね。でもここは海の上だよ。ＥＶＡが踏ん張れても、艦は無理だ」
「……」
多少うんざりした顔でシンジは説明し、論破されたアスカは押し黙る。
一息吐いたシンジは＜オーヴァー・ザ・レインボー＞のブリッジに通信を繋ぐ。
『艦長』
「……何かね」
『ご協力をお願いします』
「ちょっと、シンジ君！？ 何勝手な事言ってるのよっ！」
「黙りたまえっ！ 私は彼と話をしている！」
騒ぎになったブリッジの様子に、シンジは嘆息する。
『……あの使徒というものはＡＴフィールドというバリアを持っており、現状ではＥＶＡで接近戦を仕掛けるしか、それを打ち破る手段は有りません。また、コアと呼ばれる部位を破壊しなければ、多少のダメージは無駄です』
「……では、どうす――」
「止めなさい、シンジ君！ それは機密事項よ！」
シンジに尋ねようとした艦長を、ミサトは慌てて怒鳴り遮った。その、『あくまで自分の手で使徒を……』というミサトの頑迷な態度に、シンジは怒り心頭に発した。
『黙れっ！！』
その声にブリッジの二人だけでなく、横のアスカも固まった。
『必要な事を教えないで、そのくせ自分の都合で協力させようなんて……。それで他人が戦ってくれると思うんですか！？』
「…………」
『艦長、これまでの艦隊の損害は、充分に情報を提供しなかったＮＥＲＶに――そしてそこの葛城さんに問題があるかとも思います』
「ふむ」
『責任を取らせても良いかもしれません。古式に則ってマストから突き落とすなり、トマホークの弾頭に詰めて撃ち出すなり、御自由に』
「……良いのかね？」
『その為のＮＥＲＶ……もとい、作戦部長です。……で、作戦ですが――』
塩の柱と化したミサトを無視し、シンジの言葉に耳を傾ける。
『――出来るだけ大型の爆弾を幾つか用意して、それに時限信管を着けて下さい』
「どうするのかね？」
『相手は口があるようです。ＥＶＡで取り付いて、腹の中に放り込みます』
「むぅ……」
逡巡した艦長だが、自分にも策が有る訳ではない。直ぐに決断する。
「……時間の設定は？」
『……三分でお願いします』
「分かった。待っていたまえ」
『はい。……艦長』
「何かね」
『戦いはこれから――です』
それを聞いた艦長は一瞬呆気に取られ、次いで笑いながら大きく頷いた。
「無論だ！」
背後のクルーに振り返り、声を張り上げる。
「聞いていたな飛行長、何分で出来る！？」
「五分もあれば」
「バカモノ、三分でやれ！ 少年が戦っているんだぞ、合衆国海軍の意地を見せろっ！」
「Yes, sir！」
命令された士官は『一応国連所属なのだが』と思いながらも、無粋な突っ込みは入れない。
「機関全速！ 振り回すぞ、手空きの者は何かに掴まれ！ 各艦は敵の鼻先に砲火を集中！ 本艦の至近弾になっても構わん、時間を稼げ！ ……諸君、戦いはこれからだっ！」
「「「Yes, sir！！」」」
ミサト以外の全員が唱和する。其々が自分のすべき事をすべく、動き出した。
「……ちょ、ちょっと、アンタ何言ってんのよ！？」
それまで口を挟めず黙って聞いているだけだったアスカは噛付くが、
「悪いけどね、葛城さんの戦闘指揮に従っていたら、僕はこれまで二三度病院行きになってたよ……」
「…………」
シンジがそう言うと、その雰囲気に圧され口を噤む。
「で、だ……」
………………
……シンジが簡単に作戦を説明すると、アスカは目を丸くした。
「そ、それをやれ、って言うの！？」
「まあ、少々アクロバチックで余裕の無い方法だと思う。だから、出来ないならそう言ってくれ。僕がやる」
内心で『女の子の後に隠れているのも趣味じゃないし』、と結ぶ。
無論の事、そう言われて引っ込むアスカではない。
「はんっ！ 誰に言ってるのよ！ そのくらい軽いわっ！」
臆病風を振り払うように叫んで、胸を張る。
（虚勢もあるだろうが……大したモノだな）
シンジはその様子を口に出さず評価し、
「よし、良い子だ」
そう言うと笑ってアスカの頭を撫でた。
何をされたか一瞬分らなかったアスカだが、理解をすると顔を赤く染める。
「な、なにすんのよ、バカっ！！」
アスカはその手を振り払った。
弐号機の足元へ、キャリアーに数発が纏めて乗せられ固定された爆弾が運ばれてくる。
『既に、信管に火は入れてある。望み通り三分で爆発するぞ！』
「了解」
艦長の声を聞きながら、弐号機はハンドガンを投げ捨てプログナイフを取り出すと、爆弾をもう片方の手で掴む。
「使徒が真横から来るようにして下さい。それと距離のカウントをお願いします」
『分かった』
シンジは傍らの緊張した様子のアスカを見遣る。
自分と初号機なら、もう少し楽な方法が取れるのだが。
それに、今度は使徒が“跳ねて”くれるだろうか。
まあ、もしもの時は奥の手の一つや二つ、使わなくてはなるまい。
一度、マストに止まったスルトに意識を向けると、心の中で使徒に語り掛ける。
（さあ、こっちに来い。ここには、お前の兄弟を殺した奴がいるぞ。真正面から掛かって来い！）
『三時方向から来るぞ！』
『距離千五百！ …………一千！』
＜オーヴァー・ザ・レインボー＞は微妙に舵を取って位置を調整し、弐号機はやや腰を屈めながらナイフを逆手に構える。
再び使徒が海上に顔を見せ、
『……六百！ ……四百！』
その躯を空中に躍らせると弐号機に飛び掛かる。
弐号機は軽く後方に跳んでその衝撃を殺しながら、使徒の上顎にプログナイフを突き刺した。が、それでどうなるものでもなく、弐号機は使徒の巨体に圧し掛かられるようになって海に引き摺り込まれた。……シンジの考えた通りに。
『取り舵一杯っ！』
それを確認すると艦長はすかさず舵を切り、＜オーヴァー・ザ・レインボー＞の艦首を使徒が泳ぎ去った方に向けた。
排水量十万ｔオーヴァーの巨艦が、まるで小さな釣り舟のようにローリングとピッチングを繰返す。
「……参ったな、こりゃ」
その格納庫で脚を折って傾いでいる＜Ｙａｋ−３８改＞の後席から這い出た加持は、困ったように言って顎を撫でる。顔はそれ程でもないが。
「脱出は無理だな」
格納庫内は大騒ぎになっている。新しい機を用意してもらうのは無理であろうし、そも飛行甲板に出る事も不可能に近い。
「アスカ達に期待するしかないか」
加持は安全そうな所に移動すると、トランクの上に腰を下ろした。
使徒の口先に取り付いた弐号機は、そのまま海中を引き回されていた。そのスピードは弐号機とアンビリカルケーブルで繋がっている＜オーヴァー・ザ・レインボー＞を牽引している所為か、幾分落ちている。
衝突のショックで少し朦朧となっているアスカの肩を、シンジが揺する。
「起きて、惣流さん」
「う……」
アスカは小さく呻くと、頭を振って意識をハッキリさせようとする。
「時間が無い。急いでこいつの口を抉じ開けるんだ」
「わ、分かってるわよ」
使徒の方から口を開けてくれれば良いのだが、それ程虫の良い事がある訳はない。弐号機は身体に掛かる水圧に苦労しつつ、何とか片足を使徒の下唇に掛けた。
「ぐっ……」
そのまま全身をジャッキ代わりにして使徒の口を開けようとするが、動く気配を見せない。それどころか弐号機は片手が塞がっている為、引き剥がされないように注意しなければならなかった。
「このぉっ！！」
歯を食い縛るアスカ。シンジはそのアスカに語り掛ける。
「開ける事を願って……。願えば弐号機――は応えてくれる」
「うぅっ…………開け、開け、開け、開け……」
無意識にシンジに従うアスカ。ひたすらに、ただ一つ事を念じる。
だが、まだ使徒は口を開こうとはしない。
「開け、開け、開け、開け、開け、開け…………」
そんなアスカを手を握り締めて見守っていたシンジだが、歯を噛み鳴らすと心の中で咆えた。同時にアスカが叫ぶ。
（――さっさと開けんか、惣流・キョウコ・ツェッペリンっ！！）
「――開けぇっ！！」
どちらの声に反応したのだろう。弐号機の四つの目が光る。
今迄が嘘のように、あっさりと開く口。その奥に見える赤い球体。
「今だっ！」
抱えていた爆弾を放り込む。
続いて使徒から離脱する。
戒めを解かれた使徒は弾かれたように泳ぎ去り、離脱の途中で使徒の鰭にぶつけられた弐号機は海中を独楽のように回転した。
使徒の巨体が跳ねるように動きを止めた。
「……目標、急激に減速。浮上してきます！」
「各艦、砲撃位置に移動！」
報告に頷いた艦長が指示を出し、それに従い艦隊が使徒に向う。砲塔が回転し、砲身が浮上してくる使徒に指向される。
「Fire！！」
力無く浮き上がったそれに向けて、幾つもの砲が火が吹く。
これまでの鬱憤を晴らすかのように、どの艦も撃ちまくった。
砲弾に全身を乱打された使徒は、身体の至る所がズタズタになり、やがて彼が元いた所へ消えていった。
『……ＥＶＡ弐号機……大丈夫かね？』
「ええ……」
聞こえてきた艦長の声に、シンジはアスカの様子を確かめる。どうやら意識はあるし、怪我も無いらしい。
「はい、二人とも大丈夫です」
『そうか』
安堵の吐息が聞こえてくる。
『目標の殲滅を確認した。直ぐに引き揚げるから待っていたまえ』
「はい……。御協力ありがとうございました、艦長」
『いや、こっちこそ君と一緒に戦えて光栄だよ。……そう言えば、名前を聞いていなかったな』
照れた気配を感じて、シンジも微笑み返事をする。
「碇シンジです。それとその言葉は、操縦した惣流さんにこそ言ってあげて下さい。……今ちょっと目を回していますが」
『分かった。二人には私から一杯奢らせてもらおう……という訳にはいかんか？』
「それは流石に……」
二人は笑い合うと、二言三言話して通信を切った。
シンジはアスカに目を向ける。
「惣流さん、大丈夫？」
「うん……」
シンジの言う通り目を回しているのか、恐ろしく素直に返事をするアスカ。
「良く頑張ったね。御苦労様」
言って優しく頭を撫でる手を、今度は振り払わなかった。
「また、派手にやったわね……」
ミサト達を出迎えに新横須賀にやってきていたリツコは、ボロボロになった太平洋艦隊を眺め呟いた。
不機嫌極まり無い顔で＜オーヴァー・ザ・レインボー＞から降りてきたミサトは、リツコの姿を見ると更に表情を険しくする。無言でリツコの乗ったジープに歩み寄り、手にした書類を放る。そしてやはり無言のままジープに乗り込み、ドスンとシートに腰を落とした。
「何よ……？」
「…………」
リツコが話し掛けても返事をせず、腕を組んで背凭れに寄り掛かるミサト。
その様子に肩を竦めながら、リツコは書類に目を落とす。
「凄いわね。シンクロ値の記録更新じゃない、アスカ」
書類を捲りそこに書かれた事に目を止め、リツコが嬉しそうな声を上げるが、
「……そんな事どうでも良いわ」
ミサトの冷え々々とした声がそれを遮る。
「使徒が来たわね……？」
「…………」
ミサトの確認のような質問にリツコは応えない。
「赤木博士のコメントは？」
「……無様ね」
「はっ！？」
「……偶然よ」
「そう……。ＮＥＲＶには随分あちこちに“偶然”が転がってるのね」
まるでシンジが感染したような皮肉を言うミサト。
「ＮＥＲＶは何を隠しているの……？ アンタは何を知っているの……？」
「……機密事項よ」
「リツコっ！」
「……納得がいかないならＮＥＲＶをお辞めなさい、葛城一尉」
ミサトの叫びを、リツコは無表情に弾き返した。
スルトを頭に乗せ艦外に出たシンジは、大きく伸びをした。顔に当たる風が気持ち良いが、着替えなど無い為、ＬＣＬに濡れたままの服が気色悪い。おまけに、懐の携帯は壊れてしまっている。拳銃も分解整備しなければならないだろう。
そんな事を考えるシンジに、背後から声が掛けられる。
「シンジっ！」
「ん？」
確認するまでも無くアスカだった。少し前のしおらしい雰囲気は、既に欠片も無かった。
「……何かな？」
「…………」
訊き返されてアスカは少し口篭もり、暫くしてから改めて声を出す。
「……アンタ、何を知っているのよ？」
「何って？」
「ＥＶＡの秘密って奴よ！」
首を傾げるシンジに、アスカは声を荒げる。
「……そんな事、言ったっけ？」
「言ったでしょ！ 弐号機に乗る前に！」
「そんな昔の事は忘れたよ」
「っ！？ このっ！」
人をおちょくったシンジの台詞に、返ってきたのはアスカの拳。だが当然ながら、またしても簡単に手首を掴まれる。
「は、離しなさいよ！」
もがくアスカの耳に、シンジは口を近付ける。
「……惣流さん。秘密っていうのは、それを知るのに覚悟が要る、って場合があるんだ。知られると困る者がいる、という時なんかね」
「え……？」
戸惑い、動きを止めるアスカから身を離す。
「という訳で、教えてあげない。……今はね」
そう言うとシンジは、タラップ最上段から一跳びで地上に降りる。その寸前にシンジの頭を飛び立ったスルトが、一声挨拶を送った。
「な、何なのよ……」
アスカは毒気を抜かれたような顔で、手を振るシンジを見送った。
ＮＥＲＶ本部、司令公務室。
ゲンドウのデスクには加持が持ってきたトランクが置かれている。
「いやはや、波乱に満ちた船旅でしたよ。やはりコレの所為ですか……」
加持は言わずもがなの事を口にして、トランクを開く。
「既にここまで復元されています。硬化ベークライトで固めてありますが、生きています。間違い無く。……人類補完計画の要ですね」
中には厳重に固められた、拳大の人間の胎児の如きモノが納められていた。
それを見たゲンドウは唇を歪める。
「そうだ……。最初の人間、“アダム”だよ」
日の暮れた街の中、シンジは買い物袋を片手に家路を歩いていた。
その肩に乗ったスルトは船を漕いでいる。
（結構、遅くなったな……）
そんな事を考えつつ、コンフォート１７が見える所まで来た。見上げると、シンジの部屋に明りが灯ってない。
（……綾波、来てないのかな？）
既にレイには自宅の鍵を渡してあった。
《シンジ……》
首を傾げるシンジにファウストが語り掛ける。その声の調子に含まれたものにシンジは気付く。
《何があった……？》
《綾波殿ですが……。少なくとも“肉体的”には危害を加えられる事はありませんでした。ですが……》
口篭もる気配に、シンジは大凡の事情を察した。皆まで言わせず、別の事を尋ねる。
《分かった。綾波は……？》
《はい……》
コンフォート１７から程近い、第３新東京を見渡せる小さな公園。
恐らく随分と彷徨ってここに来たのだろう。
柵の近くに置かれたベンチに、レイは俯き座っていた。
入口に立ったシンジの目には、その背中が酷く儚げなものに見えた。
暫くそれを見詰めていたシンジは、細心の注意を払って己の気配を制御し、ゆっくりとレイに近付いていった。
無言でベンチの傍ら――レイの斜め後ろに立つ。
レイはそれに気付いているのかいないのか……いや、微かにこちらに意識を向けた気配を感じる。
「……月が綺麗だね」
やがて空を振り仰ぎ、ポツリと呟く。何の反応も示さないレイ。
間をおいて続ける。
「何かあったの？」
「……」
無言のレイに、シンジはゆっくりと息を吐き出し吸う。
「碇司令に何か言われたのか……」
肩がピクリと跳ねた。
「例えば……――」
シンジは唇を湿らせる。
「――“お前は人間ではない。だからシンジがお前を受け入れる筈が無い”……とか」
驚愕して振り返る。赤い目は限界まで見開かれていた。
立ち上がろうとするレイを抑えるように、シンジはレイの頭を掻き抱いた。
暴れるレイを片手で強く自分の胸に押し付け、もう片方の手で髪をゆっくりと撫でてやる。
「大丈夫……、大丈夫だから……」
低い声で囁き、幼子にするようにレイを宥める。
シンジの緩やかな心音と呼吸音を感じ、レイは次第に暴れるのを止め、心拍と呼吸を抑えていった。
レイが完全に落着いても、シンジは暫くそのままでいたが、緩やかに語り掛ける。
「……僕は綾波の事を知っている」
また、震えるレイ。シンジは抱く手に力を込める。
「でも、言ったろ。“綾波の絆になる”、“綾波を守る”って。……綾波が誰であれ、それは変わりはしない」
口を閉ざす。
二人が無言のまま時が流れる。
「さて……」
シンジが身を離す。
ほんの少し名残惜しげな顔をするレイに、苦笑する。
「……ところで、綾波は、まだ“望んで”くれるのかな？」
そう言って、手を差し出す。それを見詰めたレイはゆっくりと手を伸ばす。
シンジはその手を握り、軽く引張ってレイを立たせる。
「……それじゃ、帰ろうか？」
「…………」
微笑んで言うシンジに、レイはぎこちなく微笑み返すとコクンと頷いた。
その夜、シンジの自室にはその主だけではなく、もう一人の姿があった。
言うまでも無く、レイである。
あれからシンジの家に来たレイは、まるで捨てられるのを恐れる子犬のように、シンジの傍から離れようとしなかった。もっともそれでは料理も出来ないし、まさか一緒に風呂に入る訳にもいかないので、何とか宥め賺したが。
そして今、一緒に寝ている。……と言っても、同じベッドに寝ているのではなく、シンジはその脇に敷かれた布団に横たわっていた。
レイは胎児のように身体を丸めてシンジの方を向き、シンジの手をしっかり握って眠っている。不安なのだろう。その気持ちは良く分かった。
だがシンジは――
「イタイ……」
――腕が痛かった。ベッドと床に段差がある為である。何度かレイの手を外そうとしたのだが、その度に手を握り締められる。
今夜の内に、やっておこうと思った事もあったのだが、これではどうにもならない。ファウストに任せて、諦めるしかなかった。
「ぅん……」
レイが小さく声を出して身動ぎし、また手を握り直した。
「……子供みたいだな」
シンジはそれを見てクスリと笑う。
表情を改めると、天井を見上げ呟く。
「……僕の事も、いずれ話さなくちゃいけないだろうな」
窓から差し込む銀色の光が二人を照らす。
「そう……近い内に……」
翌日。いつもと同じように始まる２−Ａの朝。
「なにぃーーーーーーっ！！」
……少しだけ違った。
ケンスケの絶叫に、クラス中の視線が集まる。
「い、いきなりなにするんや、ケンスケ！」
その直撃を受けたトウジの抗議も、ケンスケには届いていない。
「太平洋艦隊っ！ ……何故だっ！ 何故誘ってくれなかったんだ、シンジっ！！」
涙を流しながら、シンジに詰寄る。
「……そんな事言ったって、仕事だったし。それに、使徒が現れて大騒ぎになったからね。行ったら危なかったと思うよ」
「しかも、実戦っ！？ くぅーーーーっ、なんてこった！！」
溜息を吐き『懲りてないな』と思いつつシンジは説明するが、ケンスケは益々ヒートアップする。
「羨ましい、羨ましいぞぉ！ ああっ！ ここで羨ましがらなきゃ、男じゃないさっ！！」
「……ほっときぃや、センセ。こりゃ、ビョーキや」
「そだね」
呆れたように言うトウジに、シンジも同意した。
傍らのレイは、その騒ぎをいつもの無表情で眺めている。
「しっかし、センセも大変やのぉ。ま〜た、戦争かいな」
「一応、ＥＶＡ弐号機とそのパイロットを迎えに行く、という名目だったんだけどねぇ……」
シンジは苦笑しながら答える。
「ほぉ……、センセ達のお仲間か。どないな奴や？」
「そうだねぇ……。テントウムシみたいな娘……かな？」
「？？ なんやそれ？」
「赤くって、高い所に登りたがる習性がある。……具体的には――」
トウジの疑問に笑って応え、シンジは入口を指差す。同時に始業ベルが鳴り、そのドアが開いた。
「――あんなの」
シンジが指した先に、担任教師に続いて教室に入った来た（シンジ以外は）見知らぬ少女の姿があった。教室の各所で歓声が上がる。
「……皆さん、席に着いて下さい」
注意され、わらわらと自分の席に戻る生徒達。
「えぇ〜、ＨＲの前に転校生の紹介をします」
転校生は促されると、黒板に自分の名を書き付ける。
“Soryu Asuka Langley”
クルリと振向き、片手を腰に当て胸を張る。
「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく！！」
沸き立つ教室にあって、シンジは困ったように笑う。
「……やれやれ。どうなる事やら」
シンジのその呟きを耳にしたレイは、小さく首を傾げた。
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