ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第八話 B-Part
時間は多少遡る。
シンジは艦内のとある一室の前で足を止めた。
近くに誰も居ない事を確認すると、素早く扉に視線を走らせ――ある一ヶ所に目を留める。壁との境目の目立たぬ所に、髪の毛が貼り付けてあった。
（どうして中々、なりに似合わず用心深い御仁だ）
苦笑しながらも加持を賞する。この分だと中にも警報装置の類がありそうだった。
（ま、入ったのが僕だと判らなければ良いか）
手っ取り早く事を済ませる事に決めると、内懐から薄手の手袋とピッキングの道具を取り出す。十秒足らずで錠を開けると室内に入り込む。中には煙草の匂いが染み付いていた。
まずは警報装置を見付け出し無力化――壊してしまう。続いて目的のモノは――探すまでも無く、他の手荷物と一緒に無造作に置いてあった。
「マズイ……な」
ソレに手を掛けたシンジは、思わず言葉を漏らす。
やたらと頑丈そうな耐爆トランクではあるが、開けられないものではない。問題は中身だった。
「何の準備も無く手を出せるような代物じゃないな……」
いや、果たして何らかの準備をしても手に負えるのかどうか。
数秒間逡巡したシンジだが決断する。いずれにしても、こちらの手の届く所に運ばれるものであるし、それからでも時間はある。モノは確認したのだから、ここは引くのが吉だろう。
立ち上がったシンジは、それ以上何も手を付ける事無くその部屋を立去った。
飛行甲板の下に設けられたデッキで、加持は手摺に凭れながら煙草を吹かしていた。
警報が鳴って直ぐに自室に戻ったものの既に侵入者の姿は無く、懸念だった“荷物”にも異常は無かった。侵入者の正体も目的も判らないが――
（――碇シンジ君……なのか？）
状況からすると、どうもその可能性が高い。
報告書によれば、ただの中学生――の筈だった。しかし……
「加ぁ〜持さんっ♪」
「ん？ 何だ、アスカか」
呼ばれて加持は振り返る。
「何だとは何よぉ〜」
「すまん、すまん……」
加持は拗ねるアスカに笑いながら謝り、それから思い付いて尋ねてみる。
「それより、どうだ？ 碇シンジ君は？」
「ふんっ！ 何よあんな奴！！」
途端に不機嫌になるアスカ。
「『使徒を倒した』って言っても、所詮訓練も受けてない素人が偶然パイロットに選ばれて、何かの間違いで倒したに決まってるわ！」
シンジを貶めるようなアスカの言動に、加持は苦笑する。“間違い”で三回も勝てる程、使徒は甘い相手ではない筈だった。
「おいおい……素人と言ったって、さっきアスカも負けたじゃないか？」
「あ、あんなのはマグレよっ！ ちょっと、調子が悪かっただけっ！」
アスカの顔にさっと朱が差し、ムキになって否定する。
しかし、陰からその様子を見ていた加持には強がりにしか聞こえない。あの時のアスカの動きは、シンジに完全に見切られていた。遊ばれていた――ミサト共々――と言っても良い。
加持自身の見立てでも、シンジには構えた所や力んだ所は全く無く、一見しただけでは隙だらけのようだった。だがその動きは流れるようで無駄も滞りも無く、どうにも打ち込む隙が見出せない。少なくとも加持は、シンジに対して接近戦を仕掛ける気にはなれなかった。
その事はアスカも分かってはいるのだろう。認めたくは無いのだろうが。
それだけではない。彼が話すのを少し聞いていただけだが、性格も違っている。
どう考えても、彼は報告書通りの人間には見えなかった。
（しかし、何で彼の事を“サードチルドレン”と呼んじゃ駄目なんだろうな……？）
加持は難しい顔で黙り込むアスカを横目で見ながら、内心で首を捻っていた。
シンジは飛行甲板で胡座をかき、スルトがなにやら遊んでいるのを見物していた。
甲板上に立ち、羽根を広げて風を受け、船尾の方に転がっていく。
そして適当な所で止まると、元の場所に舞い戻る。
何が面白いのか、それをさっきから何度も繰返していた。
外見を烏に設定した所為か、やる事成す事烏っぽい。
「サー……アンタっ！」
そこに横合いから声を掛けられ、シンジは（とっくに接近に気が付いていたが）顔を向ける。スルトも遊ぶのを止め、腰に手を当て仁王立ちしている人物を眺めた。
「ちょっと、付き合いなさい！」
「…………」
アスカがそう言っても、沈黙したままのシンジ。
「聞いてるのっ！？」
「……何で？」
苛ついたアスカが叫ぶと、漸くそれだけ口にする。
「良いから、付いて来なさいっ！」
言ってシンジの頭に手を伸ばす。耳を摘んで引張ろうというのだろう。シンジは軽く手を払う。ムッとしてまた手を伸ばし、また払われる。三度目は手首を掴まれた。
「こっ……！ 離しなさいよっ！」
アスカの抗議にも、シンジは無言で掴み続ける。力尽くで離させようと、座ったままのシンジの顔面に蹴りを放とうとしたアスカだったが、
「っ！？」
シンジが軽く手を捻ると、コロンと甲板に転がった。仰向けにはなったものの叩き付けられなかったのは、アスカが咄嗟に受身を取ろうとしたのもあるが、シンジがそう意図した為である。
掴んだ手はそのままに、シンジがアスカの腹に片膝を乗せると、それだけでアスカは起き上がれなくなる。更に空いたもう片方の掌をアスカの喉元に翳す。
あっさりと自分を押さえ込んだ相手を、言葉も出せず目を見開いて見詰めるアスカ。
「言っておくけど――」
嘆息しつつシンジが切り出す。
「――僕は相互主義者でね。礼を受ければ礼を返すし、敬意を示されれば敬意を示す。その他の場合は、それなりに……ね。いきなり人を『アンタ』呼ばわりして、理由も言わず引張って行こうとすれば、こういう事にもなる。
……もっとも、それがドイツ流の礼儀だ、と言うなら謝るけど」
「…………」
無言のアスカに苦笑し、シンジは自分も立ち上がりつつ、アスカの手を引いて立たせる。
これでもシンジはアスカに対して随分手加減している。女の子であるし、日本とドイツの習慣の違いもあろうし、……何よりアスカが長い事心理操作を受けている事を知っていた。そうでなければ、もう少し痛い目に遭わせていただろう。
「……それで、惣流さん。御用件は？」
中々言い出さないアスカに、シンジの方から尋ねる。
「……ア、アンタにアタシの弐号機を見せてあげるわよ。だから付いて来なさい！」
どうにか胸を張り直してアスカが言う。が、
「う〜〜ん……。五十点」
「？」
シンジに付けられた評価の意味が分からず、疑問符を浮かべる。
「言ったろ。日本ではこういう場合、『アンタ』呼ばわりするのはあまり良い事とは言えないんだ」
「ぐっ……」
「僕は自己紹介をしたろ？」
「…………」
「どう呼んだら良いか分からないなら、『地上の太陽、人民の輝ける星、偉大なる碇シンジ閣下』でも良いよ？」
「ア、アンタ、バカぁ？」
これにはアスカも呆れるが、無論の事冗談である。シンジとて実際にこんな事を言われたら、かなり気色悪い。
シンジの顔を眺め、自身もどういう顔をしたら良いか迷っている風情のアスカだったが、その内にどうにか気を取り直す。
「……分かったわよっ！ “シンジ”……これで良いでしょっ！？」
「うん、問題無いよ」
そう言ってニッコリ笑うシンジに、アスカの心臓は一瞬拍動を乱した。
（……馬鹿と煙は、高い所が好き）
シンジは何となくそんな事を思いながら、それを眺めていた。
特設輸送船＜オセロー＞の船腹に設けられたＬＣＬのプールに、腹這いになって横たわるに弐号機。そこに跳び付き、背面ハッチを張付くようにして這い登る――碌に取っ掛かりが無いので――アスカ。何とか天辺まで行くと向きを変え、またも仁王立ちする。
（ご苦労な事だね……）
呆れるシンジの内心など知らず、アスカは朗々と喋り出す。
「所詮、零号機と初号機は開発過程のプロトタイプとテストタイプ。訓練無しのアナタなんかにシンクロするのがその良い証拠よ！」
何となく頭を掻くシンジ。
「けど、この弐号機は違うわ！ これこそ実戦用に作られた世界初の本物のＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮなのよ！ 制式タイプのね！ ……って、チョット聞いてるのっ！？」
「聞いてるけど……」
噛付くアスカに、シンジはどこか遠くを見るような目で明後日の方を向いて応える。
「……言いたい事があるなら、ハッキリ言いなさいよねっ！」
「ん……。ああ、じゃあ三つほど」
アスカに視線を戻してそう言う。
「はん！ 言ってみなさいよ！」
見下すような目は『所詮は素人……』と言っていた。
「……まず、どんな物でも試作機というのは制式機に比べて問題が多いって事。当然だね。制式機を作る前に、問題を洗い出すのが試作機の役割なんだから」
「……それがどうしたのよ？」
「つまり、試作機は、概して“扱い難い”って事。だからこそ、試作機を扱うテストパイロットというのは腕の良い者が選ばれる訳で……。その理屈から言えば、シンクロだって初号機の方が“し難い”って事になるけど」
「だから『自分の方が優秀だ』って言いたいワケぇ！？」
「いや、全く。それとこれとは別問題」
目を吊上げ声を高くするアスカに、軽く手を振るシンジ。
「で、二つ目だけど……そもそも、僕は初号機と“シンクロ”なんかしていない」
「！？」
思いも寄らないシンジの言葉に、アスカはその意味を理解するのが遅れる。
「……な、なに言ってんのよ……？」
「最後に――」
困った様に頬を掻く。
「――パンツ丸見え」
「っ！！」
咄嗟に前屈みになりスカートを抑える。
「ア、アンタ……」
何か言い掛けた時、＜オセロー＞が船外からの鈍い爆発音に続いて大きく揺動し、アスカは自分の意志に拠らず弐号機の側頭部目掛けてトペ・アトミコを敢行する。
「きゃああぁぁーー！」
悲鳴を上げながら落下したアスカだが、その頭は目標まで数十pというところで空中停止した。
「！？」
見回すと、頭の脇にズボンを履いた足があるのに気付いた。そして、腹には何かが巻かれた感触。上から、しかし自分の尻辺りから声がした。
「大丈夫？」
「えっ？」
ゆっくりと現状を認識する。どうやらシンジが受け止めてくれたらしい。だが、自分は逆様になっている。その体勢は……まさにパイルドライバーを決めようとせんばかりだった。
「どうやらお客さんだね」
「って、どこに向って言ってるのよーーっ！！」
「え……うわっ！」
暢気に言ったシンジだが、ジタバタと暴れ始めたアスカを慌てて下ろす。
立ち上がったアスカは、シンジをキッと一睨みすると礼も言わず駆け出していった。
「やれやれ……」
残されたシンジは別段気にした様子も無く、一息吐いてアスカの後を追った。
甲板に上がったアスカの視線の先で、護衛艦の一隻が爆発する。
見る間に沈没するそれを眺めていると、背後から声がした。
「……やっぱり来たね」
「えっ？」
振り返り、のんびりとしたその声の主を確認する。
「使徒だよ」
「あれが……本物のっ？」
「贋物の使徒っているのかな？」
苦笑しながらシンジはアスカの隣に並ぶ。
そうしている間に艦隊の各所で水柱が立ち、艦が爆発する。
「……チャ〜ンス」
アスカは“ニヤ〜〜”っと笑いながら、弐号機の方を振り返った。
何となくアスカの考た事を察したシンジだが、別の事を考える。
今回の事は、避け得ざる犠牲だったろうか？ 回避する術はあったのだろうか？
しかし、今は……と、頭を振って気持ちを切り替えた。
「さて、仕事だ」
『各艦、艦隊距離に注意しつつ回避運動』
「状況報告はどうした！」
『戦艦１沈黙！ 目標確認出来ません！』
「くそぅ！ 何が起こっているんだ……」
艦隊付近の空間は音波と電磁波が乱れ飛び、未だ状況を掴めない＜オーヴァー・ザ・レインボー＞のブリッジは混乱の最中にあった。
「ちわ〜、ＮＥＲＶですがぁ、見えない敵の情報と的確な対処はいかがっすかぁ〜？」
そこにやってくるミサト。殺気立った場所でそんな事を言えば当然、
「戦闘中だ！ 見学者の立ち入りは許可出来ない！」
こう言われるのが当り前である。だが、ミサトはめげない。
「コレは私見ですがぁ、ど〜見ても使徒の攻撃ですねぇ……」
実のところ、ミサトはシンジが予測していた“万が一の事態”が襲来した事に、結構動揺していた。同時にＮＥＲＶとリツコへの不信を深めてもいる。
しかし、今は取敢えず「それはそれ、これはこれ」と割切り、目の前の事態に集中している。おまけに今手元にあるのは『シンジと初号機』ではなく、『アスカと弐号機』である。今度こそ自分の指揮の元で使徒を倒せる、と張り切っていた。
「全艦、任意に迎撃！」
「……無駄な事を」
自分を無視して指示を出す艦長を、ミサトは少し愉しそうに眺めた。
使徒目掛けて次々と海中に放り込まれる魚雷。
そのいくつかは命中しているようだったが、使徒が弱った気配は無い。
「この程度じゃ、ＡＴフィールドは破れないか……」
手摺に腕を乗せて凭れ掛かり、第三者じみた論評をする加持だったが、自分自身が当事者中の当事者である事を思い出す。
「さぁて……」
「しかし……。何故、使徒がここに？」
ミサトは漸くその疑問に思い当たる。
「……まさか弐号機！？」
……かなり外れていた。
その少し前、シンジは＜オセロー＞のブリッジに駆け込んでいた。
＜オーヴァー・ザ・レインボー＞のソレと同じく殺気立ったそこに入ったシンジを、クルーの一人が見咎める。
「なんだ、お前は！ ここは子供が入ってくる所ではないぞ」
シンジはそれを無視して脇を擦り抜け、船長らしき人物の前に行き、相手が何か言う前に喋り出した。
「ＥＶＡパイロットです。これよりＥＶＡ弐号機を起動します。この船は敵の目標となる可能性がありますので、皆さんは直ちに脱出して下さい」
何か怒鳴り付けようとした船長だが、シンジの真剣な目を見て口篭もった。クルーの目が二人に集中する。
やがて船長が口を開く。
「……分かった。皆を退船させよう」
「……急いで下さい。僕達が乗ってきたヘリも使って下さい。パイロットの方には話を付けてあります」
「ありがとう。だが、船を空にする訳にもいかんな」
ホッとしたシンジだが、それを聞いて愕然とする。
「残るおつもりですか！？」
「船長が、船と積荷を残して逃げる訳にはいかんよ……」
そう言って笑う船長の手がほんの僅かに震えるのを、シンジは礼儀正しく無視した。
「戦場のロマンティシズムは好きではないのですが……」
「耐え難い現実を耐える為には、ロマンティシズムも必要だよ、君」
シンジはそれ以上何も言わず、黙って敬礼を捧げた。
大き目の真っ赤なバッグを抱えたアスカは、手近な階段に飛び込んだ。
踊り場に立ち大胆にワンピースを脱ぎ捨てる。次いで下着も取り払う。
バッグと同色のプラグスーツを取り出し着込み始める。
裸身を全てプラグスーツで被うと、手首のスイッチを操作し中の空気を抜く。
「アスカ……行くわよ……」
自身に言い聞かせるように呟いた。
「こんなところで使徒襲来とは、ちょっと話が違いませんか？」
言いながらも、暢気にオペラグラスまで使って観戦している加持。
『その為の弐号機だ。予備のパイロットも追加してある……。最悪の場合、君だけでも脱出したまえ』
「解っています」
電話を切ると、傍らに置かれた荷物を見る。
「部屋に侵入者があった事は――報告した方が良いかな……？」
しかも、それは“碇シンジ”の可能性がある。
だが、ＮＥＲＶ司令の子息でありＥＶＡパイロットの彼が、何故そんな事をするのか……
「シンジ君か……面白そうだな……」
顎を撫でながら、ニヤリと笑う。
……『君子危うきに近寄らず』とか『好奇心、猫を殺す』などという言葉に、無縁の加持だった。
着替え終えて＜オセロー＞の上甲板に戻ったアスカは、左右を見回す。
「アイツ……どこ行ったのよっ！？」
シンジの姿が見えない事に苛ついて叫ぶ。
視線の先では、人を乗せられるだけ乗せたヘリが離船し、短艇が海面に下ろされようとしている。
「はんっ！ 逃げたわね、あの臆病者！ まっ、いいわ……あんな奴！」
一人言い捨てると駆けて行った。
「なっ！？」
弐号機の所に戻ったアスカは、その背面装甲がスライドしエントリープラグが顔を出しているのを見て声を上げる。しかも、プラグのハッチも口を開けている。
慌てて駆け寄り、中を覗き込む。
「やあ、遅かったね」
「ア、アンタ……何やってんのよっ！？」
プラグ内に備付けのキーボードを引っ張り出し、なにやらやっていたシンジを見付け怒鳴る。
「弐号機のチェックだよ。動かすんだろ？」
「ア、アタシの弐号機を勝手に触らないでよっ！！ しかも、アンタ素人でしょっ！！」
「素人とは心外だね。これでも色々勉強したんだ。多分、ヒラの技術部員よりはＥＶＡに詳しいと思うよ？」
「…………」
「乗るんじゃないの？ そうじゃないなら僕が動かすけど？」
絶句したアスカに尋ねる。我に返ったアスカはプラグに潜り込んだ。
「アンタなんかに動かせるワケないでしょうがっ！」
シンジが譲ったシートに座りながら、アスカは叫ぶ。
「……確かに“シンクロ”は出来ないだろうけどね。動かす事は出来ると思うよ」
「！？」
「言ったろ。僕は初号機とも“シンクロ”なんかしていないって。でも動かせる。……多分、弐号機でも同じ事が出来ると思うよ」
もっとも“それ”をしたら、アスカがシンクロ出来なくなる可能性があるが。
「な、何を言って……」
「ＥＶＡには秘密があるのさ。君が知らない――ＮＥＲＶが教えない……ね」
「…………」
「それより動かさないの？」
再度促され、アスカは動き出す。シンジを睨む事は忘れなかったが。
ハッチを閉じ、プラグをエントリーする。
「L.C.L fullung anfang der bewegung anfang des nerven anschlusses ausloses von links-kleidung ……sinklo start」
アスカが起動を開始した途端、赤い「ERROR」の表示がプラグ中に踊る。
「あ、ごめん。思考言語を日本語に切り換えたんだ」
「な、なに勝手なことしてんのよ〜〜っ！！」
さらりと言うシンジ。アスカはシンジがそれを簡単にやった事に半分驚きながら怒鳴る。
「僕はドイツ語なんか使えないからね。幾つかの単語やフレーズは憶えているけど」
「……どんなのよ？」
つい訊いてしまう。
「“イワンのブタめ。オレのケツを舐めろ”」
シンジは一つ首を傾げ、淡々とその言葉を口にする。それが脳に届いたアスカだが、理解するのには時間が掛かった。暫くキョトンとする。だが、やがてその顔は、見る間に着ているプラグスーツより赤くなった。
「な……なぁ……なっ……」
喘ぐ。言葉が出て来ない。
「？？」
「な、何て事言うのよ、このバカッ！ ヘンタイッ！ 信じらんな〜〜いっ！！」
絶叫するアスカに、シンジは少しだけ首を竦めた。
「ごめんごめん。それよりホラ、起動しないの？」
「ぐっ……あ、後で覚えてらっしゃいっ！！」
無理矢理何かを押さえ込んだアスカは、改めて起動を開始した。
『＜オセロー＞より入電！ ＥＶＡ弐号機、起動中！』
「なんだと！？」
＜オーヴァー・ザ・レインボー＞のブリッジに新たな報告が入り、艦長以下の目がそちらに向う。
「ナイスっ、アスカ！」
「いかん！ 起動中止だ、元に戻せ！」
ミサトは小躍りして喜ぶが、艦長は『そうはさせじ』とマイクに向って叫ぶ。
「構わないわ、アスカ！ 発進して！」
「なんだとぉ！ ＥＶＡ及びパイロットは我々の管轄下だ！ 勝手は許さん！」
「なに言ってんのよ、こんな時に！ 段取りなんか関係無いでしょぉ！？」
マイクを取り合う、艦長とミサト。
「しかし、本気ですか？ 弐号機はＢ装備のままです」
「「えぇっ！？」」
副長の指摘に、掴み合ったままで固まる二人。
（はは……そう言えばそうだったわね……）
ミサトはこめかみに脂汗を浮かべ、忘れていた事実を再認識した。
『海に落ちないようにね』
『分かってるわよっ！！』
弐号機の中で拾った会話がスピーカーから流れる。
「シ、シンジ君も乗ってるのぉ〜〜っ！？」
「こ、子供が二人……」
艦長は絶句しただけだが、ミサトはムンクの『叫び』のようなポーズになって凍り付いた。
そんなブリッジの様子を知る筈が無いが、シンジはミサトを無視して艦長に話し掛ける。
『勝手な事をして申し訳ありません、艦長。ですが今は非常時です。お話は後で伺いますので、非常用外部電源の用意を至急お願いします』
「わ、分かった！」
頷いた艦長は、直ぐさま指示を飛ばし始めた。
「いくわよっ！」
アスカの掛け声と共に弐号機が踏み切る。
空に舞い上がった弐号機の足下で、使徒の体当りを受けた＜オセロー＞が真っ二つになり轟沈した。
一瞬目を閉じ黙祷したシンジは、目を開けると静かな、だが気迫の篭った声でアスカに告げる。
「では征こうか、惣流・アスカ・ラングレー……。“戦争を教育してやる”」
「っ！？」
驚いて振向いたアスカの目に、ただ前を見詰めるシンジの顔が映った。
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