ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第八話 A-Part
「……セカンドチルドレンとＥＶＡ弐号機――ですか」
今日はシンクロテストなどは無い日であったが、ＮＥＲＶからの呼び出しでシンジは本部に来ていた（余談であるが、これはシンジが購入した携帯――衛星電話も使える物――に入った、最初の連絡だった）。何故かリツコの私室である。もっとも、ミサトの私室は落着いて話が出来る環境ではない。
そこでミサトからセカンドチルドレンと弐号機の来日と、それが日本への輸送途上にあることを知らされたのだが、無論の事シンジは既にそれを知っていた。――そして、ミサトが知らない事も。
「そうよ〜〜ん♪ 明日中には船が新横須賀に着くんだけど、アタシとシンジ君で一足先にヘリでお出迎え♪」
「明日には着くのに、態々こちらから――ですか？」
「……ＥＶＡの非常用電源ソケットを持って行くのよ。そのついでに、ね」
ミサトに代わって横にいたリツコが言った。
「向うに行ったら紹介してあげるね。アスカって娘なんだけど、これが結構可愛い娘なのよ〜〜。……あっ、でもシンジ君にはレイがいるから関係無いか〜〜♪」
はしゃいでみせるミサトに嘆息する。シンジは、別段レイとはミサトが想像――妄想するような関係ではない、と自分では思っている。が、それは口に出さず、別の事を言う。
「……僕は、行くなんて一言も言ってませんが？」
「えっ？ あの、いや…………その……な、何で？」
シンジに冷たく返され、ミサトは慌てふためいた。
「何でもなにも、僕が行く必然性がどこにあるんです？」
「だって、あぁ〜〜……パイロット同士の交流……とか」
「…………」
ミサトは何とか理由らしきものを捻り出すが、シンジは無言。
そのプレッシャーに圧され、わたわたするばかりでミサトは何か言おうにも口から言葉が出て来ない。見兼ねたリツコが口を挟む。
「……シンジ君が出かける分は、出張という名目で手当てを出すわ」
そう言われたシンジは『金で動くような人間だと思われているのか？』と、複雑な気分になる。最初に法外な報酬を吹っかけたのは、その効果を狙っての事ではあったのだが。
しかしともあれ、その御蔭で――態々金まで出す事から――今回の件がゲンドウの差金である事が裏付け出来た。
「ねえねえ、リツコ。アタシの出張手当は？」
「無しよ」
「えぇ〜〜っ！ ずっこい！」
ミサトとリツコの会話を聞き流しながら、取敢えず考えを纏める。
「分かりました、行きます。……けど――」
二人を見詰める。
「――今度は何を企んでいるんです？」
「や、や〜ね〜、シンジ君。そんな企むだなんて人聞きの悪い」
手を振りながら、ミサトが慌ててそれを否定する。
暫く無言でその様子を見詰めたシンジは、リツコに視線を移す。
「……ＪＡの件といい、どうやら葛城さんはおミソにされているみたいですね。で、あのロクデナシ――碇司令は、今度はどんな悪巧みをしているんですか、赤木さん？」
「……アナタの思い過ごしよ」
「思い過ごし……ね」
張り詰めた空気が部屋に満ちたまま、秒針が何回りかする。その中心から外れたミサトは、居心地の悪い思いに尻をもぞもぞ動かした。
「……ＥＶＡ弐号機の装備は？」
「へっ！？」
唐突に声を掛けられたミサトは、間の抜けた声を出す。
「弐号機は、どういう状態でこちらに向かっているんです？」
「え、あぁ……た、確かＢ装備――だったと思うけど……」
「……出来るだけ重装備を用意して、持って行きましょう」
「な、何を言ってるのよ、シンジ君！？」
「電源ソケットをね、持っていく理由を考えたんですよ……」
再び視線をリツコに見据える。
「ＥＶＡを陸揚げするのに、自力でやらせる……というのなら到着する港に持っていけば良い。しかし、態々輸送途上の船に持っていくというのは、洋上でＥＶＡを動かすつもりだという事……。そしてＥＶＡを動かす事態というのは――」
そこで言葉を切る。シンジだけでなく、今やミサトも疑惑の眼差しをリツコに向けていた。
「…………あくまで、万一の事態に備えての事よ」
漸くそれだけ言ったリツコを、シンジは鼻で笑う。
「では、行って実際に確かめてみる事にしますか。“万一の事態”とやらを」
「…………」
「では葛城さん、装備の方はお願いしますが――」
最早沈黙を守るしかないリツコを放って、シンジは立ち上がる。
「――綾波は一緒に行くんですか？」
「レ、レイ……？ レイは――……リツコ？」
聞かれたミサトはリツコに尋ねるが、流石に声が硬い。
「……あの娘はテストもあるし、本部に待機よ」
「そうですか」
シンジは短く答えると、一礼して部屋を出た。
部屋に残った二人の間で何があるのかは……どうでも良かった。
廊下に出て壁に寄り掛かったシンジは、明日の事を考える。
第六使徒、ガギエル。
来襲はそろそろの筈だった。
それが狙うのは――
（――“荷物”とやらだろうな）
ガギエルが“魚を司る天使”である事から、水中に特化した使徒であると推測しているのだろう。下手に小細工をして事態が推測を越えてしまうよりは、予想範囲内に収めよう、と考えているのか。そして、最悪弐号機が失われても、“荷物”さえ届けば良いと。
そして、惣流・アスカ・ラングレー。二人目の適格者。
これもまた、厄介だった。
厄介そうであったから、いずれ本部に来る事が分かっていても、つい対策を後回しにしていた。
（“資料の通り”なら……手荒な真似はしたくないんだけど）
実際に接触して確かめてみない事には、何とも言えなかった。
おまけに、あちらがどう出るか……
深い溜息が出る。
問題はもう一つ。
シンジはファウストに語り掛けた。
《……ファウスト。留守中、綾波を守って欲しい。綾波に何らかの危害が加えられるようなら――構わない、実力行使に出てくれ》
恐らくゲンドウは、鬼のいぬ間（？）にレイを使って実験でもするつもりなのだろう。場合によっては“三人目”にする事も有り得る。
《承知しました。あちらにはシンジ一人で……？》
《いや、スルトも連れて行く。二人いれば、イザという時も何とかなるだろ》
《分かりました。こちらは任せて下さい》
《頼むよ》
頷いて歩き出す。
シンジは“惣流・アスカ・ラングレー”という、まだ見ぬ少女に思いを馳せる。
……どうも使徒より、彼女の方が面倒そうであった。
ＵＮマークを付けた輸送ヘリが二機、雲間を縫って飛ぶ。
その内の一機。二人と一羽の客が乗ったキャビンには、離陸以来緊張感と居心地の悪さが入り混じった妙な気配が漂っていた。
正確には、緊張しているのは一人。ミサトだけであるが。
シンジとスルトの方はそれに無縁の様子で、窓の外を後方に流れていく雲を眺めていた。
ミサトは雰囲気に耐えられず、何度かシンジに話し掛けようとしたものの、今一つその切っ掛けが掴めなかった。だが、前方に広がった海水面に浮かぶ物とそれが作り出す航跡を視認し、声を上げる。
「あ！ ほら、あれが目的地よ。国連軍太平洋艦隊」
言われるまでもなく、シンジはそれに気付いていた。そしてそれが運んでいるモノにも。
空母を中核とする強力な――相手がまともなら護衛戦力としては大袈裟過ぎる――大艦隊。だが、アレが来た場合、どれだけの艦が港に辿り着けるだろうか。
「よくこんな老朽艦が浮いていられるものねぇ……」
眼下に来た艦を馬鹿にしたような目付きで眺めながら、ミサトは論評する。
それを耳にしたシンジは、思わずミサトの横顔に視線を走らせる。
海賊。古臭い名称で呼ばれるそれは、二十一世紀も健在だった。いや、更に元気になっている、と言って良い。
セカンドインパクト以来、食う為には手段を選んでいる余裕の無い者達が増えた。海をその活動の場としている者も同様である。彼等の中にはインパクトのドサクサで手に入れた正規軍の兵器で武装した者、或いは各国の海軍をその艦艇ごと脱走し、そのまま海賊化した者も少なくなかった。
海は前世紀に比べて、確実にその危険を増してる。日本のような、殆んどの資源を海外から（主に船で）運び込まねばならない国にとって、これは死活問題だった。
何とか日本が復興出来たのは、そして何より第３新東京を造りＥＶＡを建造出来たのも、ミサトが言うところの“老朽艦”達の働きがあればこそであり、ミサトの台詞は仮にも一組織の軍事部門の責任者として、余りにも程度が低過ぎた（人としても、恩知らずの罰当たりも良いところだった）。
（この人に『十億円くらい差し上げますから、どうかＮＥＲＶを辞めて下さい』と言ったら、辞めてくれる……訳は無いよなぁ……）
窓に額を押し付け、深々と溜息を吐くシンジ。
「な、な〜〜によ……」
当然ながらミサトはそれが気に喰わず、不満気に尋ねる。
「何でもないです……。いえ、良いんです……もう、どうでも……ええ」
疲れ果てたシンジがそう答える間に、ヘリは着艦準備に入っていた。
「ふんっ、いい気なもんだ。玩具のソケットを運んできおったぞ……ガキの使いがっ！」
太平洋艦隊旗艦、空母＜オーヴァー・ザ・レインボー＞。そのブリッジでは、接艦するヘリを双眼鏡で眺めながら艦長が毒づく。それは、『これまで海の安全保障を担ってきたのは我々だ』という自信と自負と、その自分達を蔑ろにするＮＥＲＶへの反感が言わせていた。
もっとも、その自信も自負も役に立たない相手がいるのだが……。彼等がそれを知らない事を、彼等の責任とは言えない。
そして、その艦長達の頭上では、シンジが考えるところの『厄介、面倒』が、長い髪を風に靡かせながら同じくヘリを見詰めていた。
ヘリのローターが巻き起こすダウンウォッシュが未だ収まらぬ飛行甲板に、軽快に降り立つシンジ。そのジャケットの内懐にはスルトが潜り込んでいる。シンジは後から昇降口に現れた、バインダー片手のミサトに手を差し出した。
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
ミサトは思ってもいなかったシンジの行動に戸惑いながらも礼を言い、その手に掴まってピョンと飛び降りる。そのままアイランドに向おうとした一行の前に、立塞がる影があった。
「Hello！ ミサト、元気してた？」
シンジはその声の主に目を向け、直ぐに誰であるかを知った。
レモンイエローのワンピース。背の中程までの朱金の髪。スラリとした肢体。よく整った、しかし気の強そうな顔。
……思ったより、ずっと“厄介そう”だった。
「まっねぇ〜。あなたも背が伸びたんじゃない？」
「そっ！ 他の所もちゃぁ〜んと女らしくなってるわよ？」
それを示そうというのか胸を張る。
「紹介するわ。ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ弐号機の専属パイロット、セカンドチルドレン。惣流・アスカ・ラングレーよ」
ミサトがシンジに向ってそう言った時、一際強い風が甲板を通り過ぎた。
捲れ上がるスカート。
露わになる、臍、下着、太腿。
アスカは、片手を一度大きくバックスイングすると、シンジの頬に向けて平手を送り出した。
が……
灰色の甲板。
天地逆になった海。
そして、最後に空と雲と太陽が目に映った。
「へっ！？」
アスカは間の抜けた声を出す。
太陽を遮るように、逆光で陰になった人の顔が視界に入った。
「……大丈夫？」
「えっ？」
まだ事が飲み込めていないアスカに、上から心配半分笑い半分の声が掛けられる。
アスカは暫くその顔を見詰めていた。
そのまま、ゆっくりと事態を反芻していく。
自分の下着を見た不埒者に、制裁の平手打ちを与えようとして。
その手をあっさり掴まれ。
投げ飛ばされて、ものの見事に空中で一回転し。
みっともなく、甲板に叩き付けられたのだ。
……しかし、痛みが全く無かったのは何故だろう？
アスカは自分の腰が、何かに柔らかく支えられているのを漸く自覚した。
視線を横に遣り、それが自分に語り掛けた人物から伸びているのを悟る。
次第に全身（主に顔）が熱くなっていく。
何度か口を開閉する。
「アホ〜〜」
「だ、誰が阿呆よっ！！」
言われて、慌てて上半身を起こす。
シンジもそれを避けるように身を離した。
「僕じゃない。コイツだよ」
言って、懐から顔を覗かせている、嘴を持った黒い頭を示した。
「な、なにそれっ！？」
「烏だよ。……ドイツに烏はいないのかな？」
首を捻りながら立ち上がり、手を差し出す。思わずそれを掴んだアスカを、引張って立たせた。
「怪我は無さそうだね」
シンジのその言葉に対する返事は、右ストレートだった。が、並みの者ならまともに喰らう筈のそれを、シンジは僅かに首を捻るだけで躱す。
「！？」
続く連続攻撃も簡単に躱される。
横に回りこんだシンジを追おうと、身体を反転させたアスカは、
「あうっ！」
いつの間にか距離を詰めたシンジにデコピンを貰う。思わぬ攻撃――そして思った以上の打撃を喰らったアスカは、額を抑えて二三歩後退る。
「こ、このぉっ！」
「や、止めなさいっ、アスカっ！」
尚も掴み掛ろうとしたアスカを、ミサトが慌てて羽交い絞めにする。
「離しなさいよミサト！ あいつをぶん殴ってやるんだからっ！」
「止めなさいってば！ 何でそんな……！」
「あいつ、アタシの下着を見たのよ！？ 見物料よっ！」
「へぇ……。君って金を取って下着を見せる趣味があるの？ お触りは幾ら？」
シンジが暴れるアスカに油を注ぐ。
「っ！？ ……〜〜っ！！」
「シ、シンジく〜〜ん〜〜！！」
＜オーヴァー・ザ・レインボー＞の艦上は、時ならぬ騒音に満たされた。
暫くして、荒い息を吐きヨレヨレになったアスカとミサトとは対照的に、シンジは一人涼しい顔を見せていた。スルトも懐から出てシンジの肩に移り、二人の様子を眺めている。
「シ、シンジ君、アナタねぇ〜〜……」
「…………」
恨みがましいミサトと、噛付かんばかりのアスカ。二人の刺すような視線を受けても、シンジは小揺るぎもしない。その様子にミサトは溜息を吐きつつ項垂れた。
「……でっ！？ このバカがサード、ってワケ！？」
未だ怒りが収まらぬアスカが吐き捨てるように訊く。
「ええ……そう。この子がサードチルドレン、碇――……っ！？」
疲れ果てたミサトは何の気無しにそう口に出したが、途中である事を思い出して愕然とする。
恐る々々顔を上げると、シンジが何気無い所作で懐から携帯を取り出していた。
「わあああぁーーーーーーっ！！」
シンジが携帯のボタンに指を掛けたのを見て、ミサトは大声を上げながら突進する。
腰の辺りを目掛けてタックルしてきたミサトの頭を、シンジは横に躱しつつ片手で叩き落とし、顔――いや胸から甲板にスライディングしたミサトの背中に腰を下ろす。それだけで動きを封じられ、ジタバタともがくだけになったミサトの上で、シンジは電話を何処かに掛ける。
暫く相手と話をしたシンジは、それを終えると携帯を懐に戻しつつミサトに告げた。
「葛城さん。冬月さんが、『減俸三ヶ月』だそうです」
「あ、ああぁ〜〜〜〜……」
それを聞いたミサトはダバダバと涙を流しつつ、そのまま屍になった。
シンジは少し笑って、呆然としているアスカに顔を向ける。
「……という訳で、僕は碇シンジ。一応、ＥＶＡ初号機のパイロット。……で、こっちが友達のスルト。よろしく、惣流さん」
「ガァーー！」
シンジに続いて、その肩にいるスルトも挨拶をする。
（な、なんなの……コイツ……？）
アスカは返事も出来ず、目の前でミサトの背中に腰掛け敬礼の真似事をしているシンジを見詰めていた。
「おやおや、スモウ・レスラーが巡業に来たのかと思っていたが……それはどうやらこちらの勘違いだったようだな」
誰が聞いても嫌味と判る台詞が吐き出される。
艦長が手にしたＩＤカードには、宿酔の時にでも撮ったのか何とも言い難い表情のミサトの写真が張ってあった。おまけに、年齢・ＢＷＨ・体重がマジックで塗り潰されているとあっては、カードの持ち主の神経が疑われても仕方無いだろう。まあ、それ以上に、ブリッジに来る前の騒ぎが影響しているのだろうが。
「……ご理解頂けて幸いですわ、艦長」
ミサトは疲れているのか、反応が今一つ鈍い。写真と同じような顔をしている。
「この度はＥＶＡ弐号機の輸送援助、ありがとうございます。こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」
「ふんっ。大体、この海の上であの人形を動かす要請なんぞ聞いちゃおらん！」
慇懃無礼な台詞と共に差し出された書類を受取り一瞥するが、鼻息を荒くしてミサトを睨む。
「“万一の事態”に対する備え……と理解して頂けますか？」
そう答えたミサトだが、自分の台詞に昨日リツコが口にしたフレーズが混じった事が引っ掛り、顔を顰めた。
「その万一に備えて、我々太平洋艦隊が護衛しておる。いつから国連軍は宅配屋に転職したのかな？」
艦長はミサトの表情の変化に気付かず、傍らの副長に話し掛ける。
「某組織が結成された後だと記憶しておりますが？」
「玩具一つ運ぶのに大層な護衛だよ。太平洋艦隊勢揃いだからな」
「ＥＶＡの重要度を考えると足りないぐらいですが。……ではこの書類にサインを」
「まだだっ」
頑なな艦長に、ミサトの顔の引き攣りが増す。
「ＥＶＡ弐号機及び同操縦者は、ドイツのＮＥＲＶ第三支部より国連海軍が預かっている。君等の勝手は許さん」
「では、いつ引き渡しを？」
「新横須賀に陸揚げしてからだ。海の上は我々の管轄。黙って従って貰おう」
「解りました……。但し、有事の際は我々ＮＥＲＶの指揮権が最優先である事をお忘れなく」
「客は客らしくしていろ」と言わんばかりの艦長に、ミサトは腸が煮え繰り返りそうな思いを抑えてそう言う。既に、リツコの事は頭から飛んでいた。
そこに、小さな笑い声が聞こえ、ブリッジの人間は目を向ける。
「……何かね、少年？」
「シンジ君？」
少し離れた所で口元を押えながら笑うシンジに、艦長とミサトが尋ねる。口を開こうとするシンジに、ミサトは何となく嫌な既視感を覚えた。
「艦長。御忠告申し上げますが、ＮＥＲＶに戦闘指揮を任せるくらいなら、イタリア人にやらせた方が良いですよ」
「ほう」
それを聞いた艦長はニヤリと笑う。どうやらシンジのジョーク（あまりジョークになってないが）が気に入ったらしい。
「なるほど、貴重な忠告を聞かせてもらった。感謝するよ」
「いえ」
ブリッジが笑いに包まれ、シンジも笑顔でそれに応える。が、他のＮＥＲＶの人間にとっては笑い事ではない。無言で怒りに身を震わせる。
ミサトはシンジに何も言えはしなかったものの、アスカの方は遠慮無く何かを怒鳴ろうとしたが、
「よっ！ ……と……？」
新たな人物の出現により気勢を殺がれた。
「……来ちゃ拙かったかな？」
彼は困ったような顔をし、頭を掻きながら周りを見回す。
「加持センパ〜イ♪」
「！！？」
アスカは喜んで甘えた声を上げるが、ミサトは驚愕を顔に貼り付けたまま固まる。
シンジは少しだけ目を細め、さり気無くその男を観察した。
加持リョウジ。
今回ここにいる名目はアスカの護衛だが……実際は“荷物”の運搬人。
という事は、ＳＥＥＬＥとも繋がりが有るのか？
だらしない外見に似合わず、隙は無い。いや、外見をそう装っているだけか。
「加持君、君をブリッジに招待した覚えはないぞ」
「それは失礼」
艦長の叱責を受け流した加持は、シンジの方をチラリと見る。
目が合ったシンジは軽く一礼した。
「ふん……ＮＥＲＶは本当に子供を戦わせているようだな」
「時代が変わったのでしょう。議会もあのロボットに期待していると聞いています」
不満気な艦長を副長が宥める。
「気に喰わん、気に喰わん……まったく気に喰わんぞ！
軍人は子供を戦争から護る為に存在しているのであって、子供に戦争をさせるのは軍人の仕事ではない！」
「はっ……」
艦長からすると、日本人のシンジなどは小学生にしか見えない。軍人としての――或いは人としての良心を刺激された艦長は、ぶつける事の出来ない苛立ちを吐き捨てた。
「なんであんたがここにいんのよ！」
小さな艦内エレベーターの中で、ミサトが加持に食って掛かる。
「アスカの随伴でね。ドイツから出張さ」
「……迂闊だわ。十分考えられる事態だったのに」
シンジは頭の上で行なわれる痴話喧嘩を、些か憮然とした表情で聞き流していた。この箱は四人にはキツイのだ。こんな事なら乗込む前に分かれておくべきだったと後悔する。
ブリッジにも入らず外で遊んでいるスルトが羨ましかった。
目的階で箱を下りたシンジは、他の三人と別方向に行こうとする。
「ちょ、ちょっとシンジ君、どこ行くのよ？」
「一緒に居てもしょうがないんで、艦内見物でもしてきます。何かあったら連絡して下さい」
慌てて呼び止めるミサトを見もせず、シンジは片手を振ると歩いて行った。
食事時間から外れ人影の少ない士官食堂には、本来の乗員ではない三人しかいなかった。
「……今、付き合ってるヤツいるの？」
「それがアナタに関係あるわけ？」
「あれぇ？ つれないなあ……」
それを良い事に――なのか、加持とミサトは痴話喧嘩の続きを繰り広げている。
当然ながら、それから除けられたアスカは面白くない。その様子に気付いたのか、加持は話を変える。
「そう言えば、碇シンジ君。彼と話をしてみたかったんだが……残念だな」
「なぁ〜んで、アンタがそんな事をしたがるのよ。……もしかして女の子だけじゃなく、年下の男の子も守備範囲になったの？」
「そうじゃなくてな……」
加持は苦笑して、無精髭の生えた顎を撫で回す。
「アスカが彼に興味があるらしくてね。言われて俺も色々調べたんだが、大した事が分らなくって……」
「なっ！？」
アスカが両掌をテーブルに叩き付けて立ち上がる。
「何言ってんのよ、加持さんっ！ ア、アタシがあんな奴に興味持つ訳ないじゃない！」
とは言うものの、興味が無いというのは嘘だった。無論の事、好意やそれに類するものではない。ライバル意識――或いは緩やかな敵愾心と言ったところである。
まあまあ、とアスカを宥めながら加持が続ける。
「……何の訓練も無く実戦でＥＶＡを動かし、これまで三体の使徒を屠ってきたサードチルドレ――ンっ！？？」
そこまで言った加持の胸倉を、ミサトが手を伸ばして掴み自分の方へ引き寄せる。お互いの顔に息が掛かる距離で、ミサトが地獄から響くような声を吐き出す。
「……いいこと？ 今度その言葉を言って御覧なさい、アタシがアンタを地獄に送るわよ？」
「こ、言葉って……サード……？ クェーー！？」
「言うなぁっ！！」
加持に掛かるミサトの手が胸倉から首に変わり、加持は絞められた鶏のような声を上げる。加持は盛んにミサトの腕を叩いてギブ・アップの意思を示すが、ミサトはその手を緩めない。
「ちょっと、ミサトっ！ 何すんのよっ！」
慌てたアスカはミサトを止めようとするが、その目に睨まれて自分が停止する。
「……アスカ……アンタもよ？」
ミサトの目は『“必殺”と書いて必ず殺すっ！』と言っていた。アスカは壊れた人形のようにカクカクと頷き、
「……わ、分かったわよ。……分かったから止めて。加持さんが死んじゃう！」
何とか声を絞り出して懇願する。
言われたミサトは、自分の手の中の加持がチアノーゼを呈し始めているのを見て、放り出すように解放した。
「か、加持さん……！ 加持さん……！？」
テーブルに崩れ落ちた加持を、半泣きになりながら揺するアスカ。そのお陰かどうか、加持は暫く経つとどうにか復活した。
「つつっ……。酷いぞ、葛城ぃ……」
「ふんっ！ 自業自得よ」
心配そうなアスカに支えられ、首を擦りながら加持が抗議するが、ミサトは意に介さない。
「自業自得……ってなぁ……」
首を回して調子を確かめる。
「理由は教えてくれるんだろ……？ 何で、サー……ととっ……碇シンジ君をそう呼べないんだ？」
また言い掛けてミサトに睨まれ、慌てて言葉を変える。
「それは、アタシのヱビチュとローンの為よっ！！」
「「はぁっ！？」」
加持の質問に胸を張って答えたミサトだが、意味不明のソレに加持とアスカは更に疑問を増す。
「葛城……お、俺はお前が何を言っているか……判らないぞ？」
加持の言う通り、多分言っている本人しか――後はリツコくらいしか――判らないだろう。が、
「理由は言えないわ。ただ、その言葉を言うな！ 言ったら死なす！ それだけ憶ときゃ良いのよ」
本部の人間でない加持に教える必要無し、と判断したミサトは、強引に押し切った。
加持とアスカは困惑した顔を見合わせる。
とその時、加持の胸で携帯が着信を告げる。ポケットからそれを取り出し表示を見た加持は席を立つ。
「悪いな、ちょっと外させて貰うよ」
「ふん、戻って来なくて良いわよ！」
片手を上げてそう言う加持に、ミサトは憎まれ口を叩いた。
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