ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
六第話 A-Part
文字通り身を焼く苦痛に苛まれ無音の絶叫を上げながら、シンジの脳の冷静な部分は事態を打開する為全力で動いていた。胸を光に撃たれる初号機――スルトも、その痛みに身動きすら出来ないが、シンジの方は苦痛に慣れていた。
現状を認識すると、辛うじてＡＴフィールドを初号機の前面に展開する。
こんな状態では流石に充分なフィールドを張る事は出来ない。光条は容易くそれを貫通する。それでも、その圧力を僅かなりと減衰させる事は出来た。
《スルト、とにかくＡＴフィールド全力展開！ コントロールは僕がやる！》
苦痛が多少和らぐと、シンジは一息吐く間も無くスルトに呼び掛ける。
その声に応じ前面の赤い壁が次第に強く輝き同時に収束していくと、胸に当たる光条も細くなっていき、遂には完全に防ぎきる。
しかし光条の圧力、そしてＡＴフィールドとの干渉で生じた高熱は、シンジ達をフィールドの維持に手一杯とさせた。
発令所と繋がっているかも確認出来ず、シンジは声を絞り出す。
「葛城さん……こっちは防ぐだけで精一杯です。ロックを――」
「――解除して下さい」と言い掛けたが、ミサトはやはり聞いていなかった。聞こえていなかったのかもしれないが。
『戻して、早く！！』
その指示と共に、初号機ごとリフトが沈み込んでいく。
「あのスットコドッコイが……」
ビームの照射が途切れたのを感じ、ＡＴフィールドを解きながら、シンジは力無くそう呟く。
動けさえすれば戦闘は充分に可能だったし、そのつもりでいた。だが人間、一度切れてしまった緊張を再び繋ぐのは容易い事ではない。程度の差こそあれ、シンジとて同様だった。
「今は、これまでだな……」
未だ熱いままのＬＣＬに耐えながら呟く。
（……きっと、葛城さんの通信簿には“他人の話を聞かない”、と書かれていたに違いない）
頭の片隅でそんな事も考えた。
地上から初号機が消えるのと同時に、後方のビルが火柱を上げる様子をモニターは映し出した。
「目標完黙！」
「シンジ君は！」
「生きています！」
ミサトの問いに日向が吠えるように応える。
「ＬＣＬ強制冷却！」
「パイロット、心拍・脳波、正常に戻りつつあります」
高温になったＬＣＬを冷ますべくリツコが指示を出し、マヤは目の前の情報を読み取り報告する。それを聞いたミサトは安堵の息を吐くと、シンジに呼び掛けた。
「シンジ君！？ シンジ君、しっかりして！」
『…………』
俯いたシンジは何も応えない。
「生きてるんでしょシンジ君！ 返事しなさいっ！」
「よしなさい、ミサト！」
リツコが宥めるがミサトは黙らない。本気で心配している所為ではあろうが。
「シンジ君！」
『この――』
「えっ？ なに！？」
『――ド阿呆！！』
シンジの怒声に発令所の全ての人間の動きが止まった。
ややあって、ミサトが不満気な声を出す。
「……な、何よ」
『“何”じゃない。ＥＶＡは決戦兵器、言わば切り札でしょう。それを能力不明の敵の目の前に放り出す指揮官が、どこにいますか！？』
（（（（ここに……））））
その言葉に発令所中の視線が集中し、ミサトはそのプレッシャーに押され思わず後退る。
『大体、僕は発進は駄目だと言った筈です。それを、人の話を聞きもしないで……』
「で、でも……っ」
『でももクソも無い！ 分かっているんですか？ これは明確な“契約違反”ですよ？』
「うぅっ……」
ミサトは『ま、また、減俸なの……？』と内心で涙を流しながら完黙する。
続いてシンジはリツコに視線を向ける。
『赤木さん。先程攻撃を受ける寸前、“まさか”って言いましたよね？』
「……ええ」
『“まさか”使徒が遠距離攻撃能力を持っている事を、全く考慮していなかったんじゃないでしょうね？ 前々回の使徒はビームを撃ってきましたが？』
「……そうね」
『それに拘束具を強化したんでしょう？ 仕様変更をしたら、きちんと伝えて下さい。分かっていれば手の打ちようがあったんです』
「……ごめんなさい」
ミサトの事を『無様ね……』などと声に出さず評していたリツコだったが、シンジに向けられた矛先に目線を落すしかなかった。
更にシンジは目標を項垂れたリツコから、司令塔最上部に変える。
『……部下に至らない所があれば、フォローしてやるのが上司の役目でしょう？ ――碇司令？』
「…………」
『まったく、猿山のボス猿じゃあるまいし、高い所で偉そうにしていりゃ良い、ってもんじゃないでしょう？』
あまりに辛辣な台詞に、発令所の下部にいた者達は思わず首を竦める。同時に否定出来ないその評に、内心で深く頷かざるを得なかった。
「シ、シンジ君！ それは些か口が過ぎるのではないかね！？」
黙したままのゲンドウに代わり、冬月が慌てて嗜める。
『ああ、済みません。確かに失礼でしたね――――“猿”に』
シンジの謝罪にホッとしかけた冬月だったが、最後の一言に全身を硬直させる。
『人間は良いですねぇ。これが動物なら群れの危機に身体を張って戦わないリーダーなんて、リーダーと認められないのに……。人間のリーダーは子供を戦わせて高みの見物ですか？ まったく良い御身分です。
そもそも何でこんな“無能”が、人類の命運を握る組織の司令官をやっていられるんです？ 金ですか？ コネですか？ ……大方、国連事務総長にケツでも差出し――』
「――通信を切れ！」
なおも続くシンジの悪口雑言を、冬月は回線を切る事で封じた。
シンジの姿が消えた発令所に、何とも言えない沈黙が漂う。
誰もが自分の仕事を忘れ、意識を後上方に向けている。それを向けられた人物は無言のまま、いつものポーズを取っていたが、横にいる冬月には口の前で組んだ手が僅かに震えているようにも見えた。
何と声を掛けて良いか判らぬ冬月が逡巡している内に、ゲンドウの方が口を開いた。
「……冬月」
「な、何だ……？」
「……後を頼む」
「う、うむ」
言い捨てるとゲンドウは立ち上がり、司令塔の専用リフトに乗り込んだ。
（まさか、シンジ君を殴りに行くんじゃないだろうな。返り討ちに遭うのがオチだぞ……？）
その光景を想像しつつ、ゲンドウの姿が消えるのを、冬月は脂汗を流しながら見送った。が、直ぐに我に返ると振向き、眼下のオペレーター達に指示を飛ばす。
「何をしている！ 敵はまだ目の前にいるのだぞ！」
冬月の一喝に、凍り付いていた者達は再起動し、次々と報告と指示が飛び交い始める。それを耳にし更に自身も指示を出しながら、冬月は下のミサトに目を留めた。
やや意気消沈したその様子に、
（やれやれ、今回は流石に彼女だけ減俸という訳にはいかんか……）
冬月は盛大に嘆息しつつ、こめかみを揉んだ。
冬月の思いに関係無く、モニター上では邪魔者のいなくなった使徒が第３新東京中心に到達し、その直下にあるＮＥＲＶ本部に向け掘削シールド状の器官を伸ばしているのが見えた。
散々ＮＥＲＶ首脳を罵ったシンジだったが、プラグの照明が落ちると意識を切り換えた。
流石にシンジも釜茹でに――それも味方のミスで――されかけたとあっては、寛大な気分にはなれなかったが、それでもその事を一先ず頭の片隅に置いておくと、息吐く間も無く自分と初号機の状態を調べる。
初号機は装甲が融解したものの、中枢への影響は軽微。シンジ自身も高熱による損傷が身体の各所にあるが修復可能、行動に支障無し。ただし、両者共に消耗が甚だしい。
それを確認すると、シンジは漸く緊張を解く事を自分に許した。
《スルト……大丈夫……？》
シンジの問い掛けに、力無い応えが返ってくる。それでも無事であるのが判ると、次にシンジはファウストに意識を繋ぐ。
《ファウスト、使徒は……？》
《現在、ＮＥＲＶ本部直上で停止。ドリルを用いて装甲板を穿孔中です》
《ドリルで穴開け？ ……そりゃまた悠長な》
《本部到達は、約十二時間後です》
シンジとしては肩を竦めるしかない。
（取敢えず葛城さんの御手並み拝見、だな。期待は出来ないけど……）
今回、当てにした――少なくとも自分が出来た程度の予測を、彼女が行うのを期待した――のは失敗だった。期待など、二度とするまい。
溜息を吐くシンジにファウストが話し掛ける。
《……やはり、私が援護しましょうか？》
《いや……ＮＥＲＶの目的が判った以上、益々こちらの手の内を見せる訳にはいかない。ギリギリまでやってみる》
《分かりました》
素っ気無い物言いであったが、こちらを気遣う気配を感じシンジは顔を綻ばせた。
プラグスーツのままのレイは、ケイジに戻ってきた初号機を見詰めていた。少し息が上がっている。
ケイジ内に固定された初号機の胸部装甲は溶け爛れ、未だ熱を持ったままのそれは周囲の空気を歪めていた。
やがて背面装甲がスライドし、イジェクトされたプラグの各所からＬＣＬが噴出す。ハッチが開き蒸気が湧き上がると、レイは知らず身を乗り出した。
プラグから現れた少年は何度か軽く頭を振ると、駆け寄った整備員達の手を借りアンビリカルブリッジに降り立った。次いでやってきた医療班には二言三言話し拒絶するように手を振ると、彼等から離れる。
身体のあちこちの具合を調べるようにゆっくりと手足を動かしていた少年は、自分を見詰める視線に気付いたのか顔を上げた。レイに目を留め片手を挙げ、口は笑みを形作る。
それを見たレイも手を胸の前に挙げ、小さく振った。
ＥＶＡ初号機を模したバルーンが、ボートに牽引され湖の上を進んでいく。
ダミーバルーンが銃を構える仕草をすると、対岸から放たれた光によってそれは一瞬で消滅し、その後方で水柱が上がった。
トンネルから引き出された自走砲が狙いを定め、レーザーを発射する。
目標に到達した光線は、しかしその直前で明後日の方向に弾かれ、逆にその軌跡を辿ってきた光が周りの大地ごと自走砲を火柱に変えた。
「……なるほどね」
報告を耳に入れつつ、モニターを注視していたミサトは不敵に微笑んだ。
（どうしてこれを最初にやらないんだ？）
発令所に来ていたシンジは、頭痛を感じて額を掌で押さえた。
同時に、自分が受けた攻撃と合わせて、幾つか気付いた事を脳裏で並べてみる。
第五使徒、ラミエル。
雷の天使の名に相応しく、その加粒子砲は極めて強力であるが、手に負えないものではない。
射撃精度は正確である事。
発射までにある程度のタイムラグがある事。
内部に持つ加速器は一つである為、恐らく同時異方攻撃は出来ないだろうという事。
穴掘りに加粒子砲を用いない――それが何故かは判らないが――事から、その仰角・俯角はそれ程大きくないだろうという事。
（…………付け込む隙はある、か……）
シンジはミサトの後頭部に目を遣り、内心で呟いた。
「これまで採取したデータによりますと、目標は一定距離内の外敵を自動排除するものと推測されます」
作戦課・第２分析室では、ミサト達が先程の威力偵察の再現映像を見詰めていた。
「エリア侵入と同時に加粒子砲で１００％狙い撃ち。ＥＶＡによる近接戦闘は危険過ぎますね」
「ＡＴフィールドはどう？」
言わずもがなの日向の意見を聞き流し、ミサトは指でペンを弄ぶ。
「健在です。位相空間を肉眼で確認出来る程強力なものが展開されています」
「誘導火砲、爆撃などの、生半可な攻撃では泣きを見るだけですね。こりゃ」
「攻守ともにほぼパーペキ。まさに空中要塞ね……。で、問題のシールドは？」
「現在、目標は我々の直上、第三新東京市０エリアに侵攻。直径１７．５ｍの巨大シールドがジオフロント内のＮＥＲＶ本部に向かい、穿孔中です」
「敵はここ、ＮＥＲＶ本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」
「しゃらくさい！！ ……で、到達予想時刻は？」
「明朝、午前００時０６分５４秒。その時刻には２２層、全ての装甲防御を貫通して、ＮＥＲＶ本部へ到達するものと思われます」
ミサトは時計に目を遣り呟く。
「あと十時間足らずか……」
「被害は第二装甲板までで食い止められているわね。熱による影響はあるものの機能中枢に問題は無し。装甲板の換装だけで済みそうね」
ケイジ内でコーヒーを片手に、リツコは取り外され移動していく胸部を見て僅かな安堵を滲ませて言う。
「シンジ君がＡＴフィールドで防いだお陰ですね。……でも凄いですよね、あんな状態からＡＴフィールドを張るなんて」
「……そうね」
感心するマヤに素っ気無く答えたリツコだったが、内心ではマヤ以上に驚いていた。
加粒子ビームの直撃によるショックと高熱。
それによって味わったであろう苦痛。
シンジはそれに耐えて意識を保ち、尚且つＡＴフィールドを展開してみせたのだ。
驚くべき事にそのフィールドは加粒子砲を完全に防いでいた（身動きは取れなくなったようだが）。
一体、彼はどれ程の精神力を有しているのだろう？
果たしてそんな子を、ゲンドウは――未だに利用出来るつもりなのか？
リツコは空恐ろしい思いに囚われた。
『三時間後には換装作業、終了予定です』
オペレーターの報告が響き、我に返ったリツコは小さく身震いしてその思いを振り払った。
「初号機機専属パイロットは？」
分析室のミサトは、ふと思い付いて尋ねたが、
「――ここにいますよ」
「ぬひょうっ！？？」
思い掛けず後から掛けられた声に驚いて、椅子から飛び上がり奇妙な悲鳴を上げた。
「シ、シンジ君？ い、い、いつの間に？」
背凭れにしがみ付いて転げ落ちるのを防いだミサトは、幽霊を見るような目をしながらシンジに尋ねる。
「初めからいましたよ」
シンジは部屋に入った時に一礼しておいた日向に、目線で同意を求めながら答えた。
「……全然気が付かなかった。……気配が無かったわよ」
「それで――僕に何か？」
ミサトの驚きを無視し、シンジが言う。
「いやまあ……何してるかな〜〜って……」
先程散々罵られた気不味さで、今迄シンジの容態すら確認しなかった事が極まり悪く、ミサトは言葉を濁した。
「敵、シールド到達まで、あと９時間５５分」
「……じょ、状況は芳しくないわね」
丁度良いタイミングで入ってきたオペレーターの報告に、ミサトはこれ幸いと話を切り替えモニターの方に身体を向ける。
ミサトのその様子に、シンジは日向に肩を竦めて見せ、日向は苦笑しながらミサトに話を合わせる。
「……白旗でも上げますか？」
「そ、その前にちょっち……やってみたい事があるの。……シンジ君、これから作戦を立てなきゃならないから、外に出ててくれる？」
何とか気を取り直したミサトは、そう言ってやや引き攣り気味の笑みを浮かべた。
分析室から追い出されたシンジは別段文句も無く、休憩所へ行きベンチに腰を下ろしていた。顎に手を当て考え込むシンジから少し離れた所には、レイがちょこんと座っていたが、集中するシンジはそれに気付かない。
シンジは発令所と分析室で見た映像に違和感を覚え、その元を探ろうとしていた。
脳裏に初号機で発進する時の状況を浮かべる。
リフトで打ち出される初号機。
「目標内部に、高エネルギー反応！」
「なんですって！？」
青葉の報告とミサトの驚愕。
「円周部を加速！ 収束していきます！」
「まさか……！」
地上に現れる初号機。
「ダメ、避けてっ！！」
使徒から放たれる光。
苦痛。
絶叫。
「――！？」
違和感の正体に思い当たる。
使徒は……初号機が地下にいる内から攻撃態勢に入っていた。
「あいつ――」
思わず声が漏れる。
「――第３新東京に来る前からＥＶＡを“知って”いて、ＥＶＡを“敵”と認識している！？」
手を顎から離し、顔を上げる。
「……使徒は、以前の使徒の記憶を何らかの手段で引き継いでいるのか……？」
使徒が自己進化能力を有している事は既に分かっている。ならば、以前の使徒の記憶を得た使徒は、当然ここに来る前に“進化”している可能性が高い。
戦慄したシンジだったが、同時に安堵もした。
これまでＮＥＲＶの目を誤魔化す為に戦いで手を抜いてきたが、結果としてそれが正解だった。
シンジは身体の力を抜き壁に背中を預けると、天井に向けて長い息を吐いた。
そんなシンジをレイは表情を変えずに見ている。
（ま、それならそれで、やり方を考えれば良い……）
そう考えていて、別の事に思い当たる。
（葛城さん、この事に気付いているかな？）
これまでの彼女の言動を思い出してみる。
（…………気付いてないな――絶対）
シンジは、また頭が痛くなった。
「目標のレンジ外、超々長距離からの直接射撃かね？」
「そうです。目標のＡＴフィールドを中和せず、高エネルギー収束体による一点突破しか方法はありません」
司令公務室でゲンドウの前に立ち、自信満々で作戦を述べるミサト。それに半ば呆れたように応えた冬月だったが、更に尋ねる。
「ＭＡＧＩはどう言っている？」
「ＭＡＧＩによる回答は、賛成２、条件付き賛成１でした」
「勝算は８．７％か」
「最も高い数値です」
「……反対する理由はない。やりたまえ、葛城一尉」
いつものポーズのまま一言も発せず、二人のやり取りを聞いていたゲンドウが決断を下す。
「はい！」
ゲンドウの了承を得たミサトは、自信を湛えた笑みを浮かべて敬礼すると、踵を返して部屋を出て行った。
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