ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第五話 B-Part
灯りの無い通路を、二つの人影が音も立てずに歩いていく。
一つの影は２ｍ程の巨体。その先を行く者はそれの肩までも無い。
足元すら見えないというのに、その人影は迷いも恐れも見えない。
やがて、ある一室に辿り着く。
ゆっくりと歩きながら辺りを見回し、目的の物を見付けるとそちらに向かう。
機械の発する僅かな光に、ガラス張りのそれの内部が液体に満たされている事が朧気ながら判る。
小柄な方の人影はそれの表面に指で触れ、暫し無言で佇む。
十分以上そのまま身動ぎもしなかったが、溜息を吐くと踵を返すとその場から離れた。
人影は尚も進んでいく。
下へ、奥へと。
赤い「ＫＥＥＰ ＯＵＴ」の表示にも躊躇いを見せない。
最後の扉が開かれると、巨大な朱い空間が出現する。
どういう光源があるのか明るいそこに、シンジ達は足を踏み入れた。
恐れ気も無く進めた歩みをそれの中央で止め、目の前の者を見上げる。
「……リリス…………か」
下に広がる液体とは対照的な白。
仮面を被り磔にされた巨人は呟きに応える事は無い。
シンジは項垂れるようなリリスの七つ目を見詰めながら、言葉を紡いでいく。
「使徒――別の道を模索した人類……。裏死海文書――予言書モドキ……。ＳＥＥＬＥ――補完計画を企図する組織……。ＮＥＲＶ――その実行機関……。ＥＶＡ――人の手により造り出された使徒……。チルドレン――仕組まれた子供達…………」
口を噤むと痛い程の沈黙の中に、ただリリスから流れ落ちる血の音だけが微かに響く。
シンジの背後を守るように付き従うファウストも、物音を発しない。
歯を食い縛り、胸の所に持ってきた拳を握り締める。
「……自分達のエゴイスティックな理想を実現する為、全人類を諸共に滅ぼすか……。ふざけるな……。そんな大人……修正してやる！」
「……………………似合いませんね」
「……うん」
ファウストの冷静なツッコミに、シンジはあっさりと頷き拳を解いて下におろす。ちょっとした「シンジ君ギャグ」のつもりだったが、あまり出来が良くなかったと反省する。
「さて…………」
暫くの――先程とは違った――沈黙の後、再び口を開く。
「どうしようか……？」
そう言って首を傾げる。
自分に尋ねた訳ではないと分かっているファウストは黙ったままである。
シンジは大方の事情を知ったは良いが、これからどうするか未だ決めていなかった。
取敢えずの選択肢は、“逃げる”か“留まる”かなのだが。
「……正義のヒーローなら、ここでＳＥＥＬＥとＮＥＲＶを倒し人類を守る事を決意するトコだけど……」
はっきり言って自分の柄ではない。
それに使徒とＳＥＥＬＥとＮＥＲＶの三者を相手に戦うのは、シンジと言えども容易な事ではない。間違い無く命懸けのものになるだろう。
そこまでして人類などを守る義理や価値があるかと言えば……
「無いよなぁ……」
頭を掻きながら嘆息せざるを得ない。
「逃げちゃおうか……？」
ＥＶＡに乗る契約をしたとは言え、ある意味ＮＥＲＶはシンジをペテンに掛けたようなものである。契約破棄したところで文句を言われる筋合いは無い。
また、自分が生残る事だけを考えるなら、メリダ島に引っ込んで結界を強化した方が確率が高いし、その方が楽ではある。
「そうした場合、スルトも連れて行く事になるから……ＮＥＲＶが負けて、使徒によるインパクトが起こるかも」
かえってその方が良いかもしれない。少なくともここにあるのがアダムでない以上、ＳＥＥＬＥの目指すサードインパクトよりはマシ――少なくとも人類が“滅亡”するのは免れるかもしれない。流石に、日本は全滅するだろうが。
「人類が滅亡する事自体は大した問題じゃない。問題は、そうなった場合世の中が些か退屈になる、って事……」
万が一ＳＥＥＬＥの望む世界になれば、確かに安息に満ちた平穏な世界にはなるではあろうが、それはシンジの趣味に合わない。
「綾波の事もあるし……。ここまで関わって、今更彼女を見捨てる訳にもいかないか……」
レイを一緒に連れて行くという選択肢も無いではないが、それがレイにとっては良い事かどうかシンジには判断出来ない。
「……結局、やるしかないか……」
シンジは肩を竦める。
逃げないとなったら、ＳＥＥＬＥやＮＥＲＶとやり合うしかない。
実際、連中の目的は下らないし、遣口は気に食わないのも確かである。叩きのめすのに遠慮をする必要は感じない。喧嘩を売ってきたのは向うである。
「なら、精々高値で買ってやるさ……」
そう決めたなら、最早シンジに迷いは無い。ただ、愚痴りたくなるのはどうしようも無かったが。
もう一度リリスを見上げてから、ファウストに向き直り笑い掛ける。
「それにしても、えらい事になりそうだ。これはもう戦争だよ。戦争。中学生が――殆んど全世界を相手に。勘弁して欲しいよ」
「降り掛かる火の粉にしては些か大き過ぎますが……それでも、振り払わない訳にはいかないでしょう。それに、元々ロボットアニメの主人公じみた事をさせられていたのですから、今更変わらないのでは？」
「アニメね……。監督がハッピーエンド至上主義である事を祈るよ。……まったく、馬鹿な親を持つと、子供が苦労をする」
シンジは苦笑を浮かべたが、それを消すとこの場にいない者達に向けて言葉を紡ぐ。
「諸君は更なる戦争を望むか？ 容赦無い総力戦を望むか？ ――よろしい、ならば嵐だ……」
シンジは口を閉じるともう一度苦笑し、僅かに首を傾げ、
「でも……こうなると分かっていたら、もっと大人しくして力を隠しておくべきだったな。
……今更どうしようもないけど」
ぼやくように呟くと踵を返し、頭を掻きながら巨大な牢獄を後にした。
久しぶりに登校し、２−Ａの教室に顔を出したシンジは困惑していた。
挨拶も何も無く、いきなり殴ってくれるよう頼まれれば誰でも面食らうだろう。
ケンスケを始めとするクラスメイトも、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
シンジの隣に座るレイも表情を変える事は無かったが、その紅い瞳を僅かに揺らしてそれを見ていた。
その困惑の元は腕を組み、至って真面目な顔でシンジの目の前に立っている。
シンジは何故か偉そうなその人物に、嘆息しながら告げた。
「……僕は意味も無く人を殴る趣味は無いんだけど。それに君はもう痛い目にあってるだろう？ それで良いじゃないか？」
「それはそれや！ このままじゃわしの気が済まんのや！」
呆れるシンジを見て、トウジの脇からケンスケが口を出す。
「こいつはこーゆー恥ずかしい奴なんだよ。一発殴ってやれば気が済むんだからさ、言う通りにしてやれよ」
「……彼の気を済ます為に、僕の節を曲げろと……？」
頭痛を覚えたシンジは思わず額に手を当てる。どこか、根本で間違っている気がしてならなかった。
（いや……これが普通の中学生というもので、僕の方がおかしいのか……？
……それとも彼は“特殊な趣味”の持ち主なのか？）
シンジは否定出来ない考えに脂汗を流す。
悩んでいるシンジを理解出来ないトウジは、声を張り上げる。
「さ、遠慮せずにドンと来いや！」
それ以上有無を言わせぬトウジの口調に、シンジは溜息を吐いてゆっくりと席を立つ。
「……まったく」
「よっしゃ、来い！」
傍から見ると、どちらが殴ろうとしているか判らない。
それでもシンジは僅かに右足と右肩を引いた。
――後にトウジは「足元から真直ぐに屹立する虹を見た」と述懐した。
（思ったより丈夫だな……）
蹌踉きながら立ち上がるトウジを見て、シンジは半分本気で感心した。
「こ、これで貸し借り無しのアイコやで……」
『本当にそうか！？』と、シンジだけでなくクラスメイト達もそう思わないではなかった。
「……別に僕は貸しだとは思っていなかったけど、君が納得してるなら何も言わないよ」
シンジは苦笑する。
「おう。それからわしの事はトウジでかまわんで」
「うん、分かったトウジ。僕もシンジで良いよ」
『“黒ジャージ君”は気に入らなかったか』と思いながら応えるシンジ。
「それで、や……」
「？」
「……こないだの事は秘密にしといてくれんか？」
小声で頼んでくるトウジに、シンジは怪訝顔になる。
「この間って……？」
「い、いや……解らんならええんや！」
慌てるトウジの様子を見て首を傾げたシンジだったが、これまでの事を思い返して直ぐに――これまでトウジに関ったのは、校舎裏と使徒との戦闘時だけなので――それに気付く。
「ああ……ＥＶＡで脅かした時。二人して小――」
「「わあぁぁぁぁーーーー！！」」
ケンスケの方にチラと視線を向けて言い掛けたシンジを、トウジとケンスケは大声で遮った。
「それ、それや……けど……。頼むわセンセ……」
大汗を掻きながらトウジが両手を合わせて頼み込む。
（別に……多分、生まれて初めて殺されるような目に合ったんだから、失禁くらい大した事じゃないと思うけど……）
そう思わないでもないシンジだったが、
「分かった。何も言わないよ」
トウジのケンスケの真剣な表情に頷いて請け合った。
二人はそれで安堵したが、周りで耳を傾けていたクラスメイト達はまた別だった。
「なあ、鈴原。何か――」
「――そ、そう言や碇。戦いに行く前、トウジに何か言い掛けたよな！ 何が言いたかったんだ！？」
興味津々のクラスメイトの質問に、ケンスケが言葉を被せて誤魔化そうとする。
「ああ、あれ……？ 大した事じゃないよ」
軽く応えるシンジ。
「ただあの時、妹さんを見付けて庇ったとしたら……。その所為で余計被害者が出たり戦いに負けたら、責められるのはやっぱり僕なのかな、と思っただけ」
それを聞いてトウジだけでなく、周りの人間も複雑な表情で其々考え込む。
「……そやな。ほんま悪かったで……」
もう一度トウジが頭を下げる。
「だから、それは良いってば。大体――」
そこまで言ってシンジは口を閉ざす。
（――使徒が来ると判っている場所に、態々一般人を住まわせておくＮＥＲＶが悪い……とは、流石に口に出せないよなぁ……）
内心で苦笑し表情を微かに歪ませるシンジの横顔を、レイは言葉を発する事無く見詰めていた。
まずは、味方を作る事。
シンジがまず考えているのはそれだった。
ただ自分達――シンジ、ファウスト、スルト――が生残る事だけを考えるなら、“三人”だけでも何とかなる。もっとも、“不可能ではない”というレベルだが。
それ以上を望むのなら、どうしても他の人間の協力が必要になる。だが、シンジには人的なコネクションが存在しない。現在の所、関りがあるのはＮＥＲＶと第壱中学（それも２−Ａのみ）だけである。
……無論、中学生は当てにする事など出来ない。となればまずはＮＥＲＶなのだが、ここは半分敵地に近い。余程慎重に接触する必要があるだろう。
（トップの三人――父さんと冬月さんと赤木さんは……まず無理だろうな……。あの人達は全て知った上で事を行なってる訳だし……。
次は葛城さんだけど……。葛城――さんかぁ……）
シンジは嘆息する。
十五年前、南極で全滅した葛城調査隊の唯一の生き残り。
ＮＥＲＶに入ったのは、恐らく使徒への復讐の為。
果たして、そんな人物を味方にして大丈夫だろうか？
（ＳＥＥＬＥの事を知れば、まず間違い無く味方になってくれるだろうけど……）
復讐に目が眩んで暴走されては元も子も無くなる。また、能力的にもその危険を冒すだけのメリットがあるか疑問だった。
恐らくＮＥＲＶ――ゲンドウ達にとってみれば、ミサトの使徒に対する復讐心はＮＥＲＶの対使徒組織としての正当性をアピールする為の道具として丁度良いのだろう。だが、戦闘指揮官の能力は……疑問符を付けざるを得ない。
（まあ、ある種の果断さを持っている事は否定しないけど……それが向かう方向が間違っていると言うか、ずれてると言うか……）
有能なスタッフを付けてやれば、補いが付かない欠点という訳ではない。無論、日向と言う補佐役が居るし、彼の能力は「出来物」といって良い。が、現在のところ副官的な仕事で手一杯の様で、参謀としての仕事は出来ていない。もっとも、それは彼の役割ではないし、その責任は参謀という役どころを創らないＮＥＲＶトップの責任である。
（と言うか、ちゃんとスタッフを付けてやれ。頼むから……。
ひょっとすると赤木さんが参謀代わりなのかな？）
それはともかく、そういった事を勘案するならば、まず味方に付けるべきは使徒に妙な拘りを持たない者――日向や青葉達にした方が良い。ただ、彼等がＳＥＥＬＥと繋がっていないか確認する必要があるが……
「――センセ、寝とるんかいな……？」
掛けられた声と目の前で振られた手に、シンジは我に返り声と手の主に顔を向けた。
「……ん、僕達の番？」
「ちゃうけど、話し掛けてもぼぉっとしとるんでな」
「少し、考え事をね」
答えながらシンジは土手に預けていた背中を剥がし、軽く首を回す。
「おぉっ、綾波の事かぁ〜〜」
「……何で？」
にやけた顔で尋ねるトウジに、シンジは本気で困惑する。
「惚けんでもええて。センセが綾波と仲ええのは皆知っとるこっちゃ」
「皆が考えてるのとは、ちょっと違うと思うけど……」
思春期の少年の短絡な考えに嘆息しつつそう答える。シンジは剥き出しになった顔や手足を焦がす情け容赦無い日差しに目を細めると、顔を横に向けグランドの端にあるプールに目を向けた。
２−Ａの女子達がはしゃいでいるその中で、レイだけはそこから外れぽつねんと体育座りをしている。それを眺めながら再び思いに耽る。
綾波レイ。マルドゥック機関の報告書によって選ばれた最初の被験者、ファーストチルドレン。ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ試作零号機専属操縦士。過去の経歴は白紙、全て抹消済み。――そう、それはＭＡＧＩは元より、ＮＥＲＶの如何なるコンピュータにも（ネットワークにあるものには）存在せず、ＭＡＧＩを掌握したシンジにしても未だ謎の内だった。それでも、ドグマの存在やその他のデータから、ある程度推測出来ない事も無かったが。
重要なのは、それがＳＥＥＬＥに対しても秘されている、という事。つまりはＮＥＲＶ――ゲンドウとＳＥＥＬＥは決して一枚岩ではなく、またおそらくゲンドウにとってレイが何らかのキーであろう、という事。
（実は、父さんは補完計画を阻止する為に、敢えてＳＥＥＬＥに組みしている……っていうんなら、僕も楽なんだけどなあ……）
これまでの事を思い出してみて、それが恐らく妄想でしかなかろう、と結論せざるを得ない。
「……なに熱心な目で見とんねん」
「やっぱ綾波が気になるんじゃないか？」
再び掛けられた――今度はケンスケも加わった――声に、また考えを途切れさせる。
「……だから、そういうんじゃないって」
「あ・や・し・い・ぃ〜〜っ！！」
「せや！ 隠さんともええやろっ！」
シンジが否定するも、二人は尚も追及する。
「綾波の胸っ！！」
「綾波のふとももっ！！」
「「綾波のふ・く・ら・は・ぎ・ぃぃ〜〜〜っ！！」」
「……違うって」
「「のわっ！？」」
鼻息も荒く迫るトウジとケンスケの頭を掴み、シンジが軽く手首を捻ると二人は折り重なって横に転がる。
「ま、綾波の事を考えてたのは確かなんだけどね……」
「なら、ワシらを転がす事はないやんけ」
独言ちる様に呟くシンジに、トウジは体育着の土を叩き落としながら抗議する。
「ごめん。鼻の下伸ばして迫って来たからつい……。ところで、綾波って昔からあんな様子なの、やっぱり？」
「ああ、一年の時に転校して来てからずっとな」
シンジに質問に、ケンスケが眼鏡のズレを直しながら答える。
「一年前に転校ね……」
（多分、父さんにしてみればずっと秘密にしておきたかったけど、ＥＶＡのパイロットとして表に出さなければならない以上、カモフラージュとして学校に通わせざるを得なかったんだろうな……）
「しっかし、綾波も一人も友達おらんと平気なんかいな……？」
腕を組んで首を傾げるトウジをチラリと見遣ると、シンジは軽い溜息と共に言葉を吐き出す。
「友達を作ろうにも作り方を知らない……。いや、そもそも作らないように“命令”されてるのかな……」
「命令？ そないな事、命令する奴がどこにおるっちゅーんや？」
「……真っ当な人間なら、足を踏み入れない方が良い世界に、さ」
ここから電車で十分、徒歩五分という所だけど、とは口に出さず付け加える。
「あん？」
シンジの言う事に更に首を捻るトウジの横で、多少シンジに話を聞いていたケンスケは何とも複雑な顔をしていた。
凍結解除された零号機の再起動実験の準備が進むＮＥＲＶ本部。
ケイジ内に固定された初号機のプラグ内で待機中のシンジは、いつもと異なり初号機内に“居る”筈の存在に心を向けていた。
スルトのサポートを受けて、ＡＴフィールドを初号機のコアに向けそこにあるであろうものを探っていく。
ゆっくりと慎重に。
やがて、微かに異質な存在を探り当てると、更に用心深くそれを調べる。恐らく未だ眠っているであろうそれを起こさぬように。
或いは、この時のシンジと初号機のシンクロ率を見る者がいれば、いつに無い高さを目にしたかもしれない。もっとも、実際はＭＡＧＩを通じてダミーデータが表示されていたが。
（母さん――か……）
それを表す単語を呟いてみても、別段感慨も湧かない。
碇ユイ。
記録では、十年前の起動実験に失敗。初号機に取り込まれた、となっている。それもシンジの目の前で。だが、それを知ってもシンジにとっては記憶の彼方であり、薄情ではあると自分でも思わないでもなかったが、精々『ああ、そんな事もあったかな』といった程度であった。
（今更『初号機の中で生きている』と言ってもなぁ……。ほんと、“今更”でしかないよな……）
ぼやきながらも、何故この事をゲンドウが自分に告げないのか考えてみる。シンクロの事を考えれば、ユイの事を知っていた方が良いように思える。それをしないという事はそれなりの理由が――それもゲンドウにとって都合良く、シンジには都合の悪い事がある筈である。
（母さんを取り込んだものを、僕が拒絶すると思ったのか？ でも、きちんと説明さえしてくれれば、納得しそうなものだけど……）
幾ら考えても判らなかった。
無理矢理でも自分を初号機に放り込んだ理由は想像出来る。恐らくは碇ユイに刺激を与え、覚醒を促す為。それもシンジを危地に置く事で。ただ、何故覚醒させる必要があるのかまでは判らなかったが。
考え込んだシンジだったが、いつまでもそうしている訳にはいかず、ゆっくりと“碇ユイ”から離れ意識を浮かび上がらせた。
「ふぅーーーー……」
空気の代わりにＬＣＬを吐き出したシンジは、スルトの不満気な感情を感じその理由を察した。
（母さんの存在が嫌なのか？ 気持ちも判るけど、元はと言えばお前が自分で取り込んだものだろ？）
シンジが宥めるようにそう言うと、シュンとした気配が伝わってきた。その様子に思わず笑いながらシンジは続ける。
（まあ、自我が未熟な時にやった事だから仕方無い。母さんにも非はあるんだし）
笑いを収めると、“碇ユイ”をどうするか考えを巡らす。流石に“消去”するのは気が咎める。穏便に“封印”か、または“サルベージ”をするか。何れにせよこのままにしておく訳にはいかないだろう。
取敢えず考えを纏めるとシンジは目を開けた。
モニターに映し出されたケイジ内を何となしに視界に入れる。そこには初号機と同じくケイジに固定された零号機があり、背面首筋に半分エントリーされたプラグでは、屈み込んだレイがなにやら作業をしていた。
ぼんやりとその様子を眺めるシンジに目に、新たな人影が映った。
（父さん……）
シンジが少し眉を上げて見守るその前で、ゲンドウはレイに歩み寄り声を掛けたらしい。レイは手を止め振向くと、ゆっくりとアンビリカルブリッジに移る。
（やれやれ、初号機の“手の届く範囲”には来ないか……）
聞く所によるとゲンドウは初号機に掴まえられＬＣＬに沈められた一件以来、初号機に近付かないらしい。それを思い出し、苦笑しながらモニターを見ていたシンジだったが、
「うげっ！？」
目の前の光景に思わず声を上げた。
“笑みを浮かべるゲンドウ”という意外すぎる事象は、シンジに自分の目を疑わせ何度も目を瞬かせる事となった。
モニターでは――つまり初号機の外では、シンジの驚きに関係無く事は進んでいた。
ゲンドウは尚も笑いながらレイに何事か話し掛ける。しかし、レイが俯き口を噤んでいると、ゲンドウも急に表情を堅くする。そして暫く押し黙ったかと思うと、やがて向きを変えやや早足でその場を立去った。
残されたレイは俯いたままその場に立ち尽くしていたが、やがてノロノロとプラグの所に戻り作業を再開する。
「う〜〜む、なんか嫌なものを見てしまった……」
シンジは心の内で『鶴亀鶴亀』と唱えながら、頭を振って“笑うゲンドウ”を頭から追払った。
とにかく心の平穏を取戻すと、先程見た事を反芻する。
（なんでまた、父さんはあれ程綾波に執着するんだか……。かと言って、その一方で平気で道具扱いするし……。訳判んないな……）
首を捻りながらも、ゲンドウにとってのレイの位置付けを思い巡らす。が、モニターに映るレイの横顔に、微かに引っ掛るものを感じてシンジはそれを一旦停止する。
（？ そう言えば綾波って、どこかで見たような……）
ふと思い付いて頭の中でレイの髪と目の色を変えてみる。取敢えず平均的な日本人のものに……。
（――っ！？ 母さん！？）
愕然とする。
ゲンドウはユイの写真を全て捨ててしまった。シンジも持ってはいない。実際に見た記憶も遥か彼方にある。
だが、ＭＡＧＩを漁って幾つかの映像を見付けていた。
目の前の顔は、正しくそれを幼くしたものだった。
（どういう――事だ？ ドグマの事を考えると……母さんのクローンという可能性が高いが……しかし……）
シンジは浮かせ掛けた腰をシートに落す。
（だとすれば父さんが拘るのも無理は無いけど……一体、綾波をどうしようと……？）
『――シンジ君？ シンジ君、どうしたの？』
更に考えを進めようとしたシンジだったが、心配そうなマヤの声に遮られた。
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