ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第四話 A-Part
第３新東京が雨に煙る。
そんな中、コンフォート１７マンションに朝早くから訪れた客があった。
「…………」
「……ほら、トウジ。何やってんだよ」
「お、おう……」
玄関の前で立ち竦むトウジの肩をケンスケが突付き、それに促され唾を飲み込み意を決してチャイムを押す。
一回。そして暫く待って、もう一回。
しかし室内からは何の反応も見られない。
「……やっぱ、留守なんやろか」
「うーん。ＮＥＲＶの方に行っているのかなあ……？」
そう答えつつ郵便受けを覗いて見るケンスケを横目に、トウジは扉の脇に目をやった。
「ん？」
目に付いたのは天井からピアノ線で吊られた小さな札。
「なんや？」
取敢えずそれを手にしてみると、表面に『ＮＥＲＶ ｇｏ ｔｏ ｈｅｌｌ！』の文字。
「なんや、こりゃ？」
「……どうした、トウジ？」
トウジが何やら弄り回しているのを見て、ケンスケが声を掛ける。
「ん……？ 『ねるふ ごー とぅー へる』やと。なんやろな、これ？」
何の気なしにそれを引張ってみるトウジだが、軍事オタクであるケンスケは閃くものがあり慌てて警告する。
「ま、待てっ、トウジ！ それは……！」
「な、なにっ！？」
廊下から聞こえた鈍い“爆発音”に、出勤前の着替え中だったミサトは拳銃を取り出そうとして、それがシンジに奪われたままである事を思い出し動きを止めた。仕方無く台所から包丁――滅多に使う事の無い――を持ち出し、玄関の扉に身を寄せ慎重に外の気配を探る。
「…………」
「……クァ？」
いつの間にやら傍に来て、ミサトの真似をする温泉ペンギンのペンペン。
外で何も動くものが無い事を確認すると、慎重に扉を開け様子を窺う。
「！！？」
シンジの家の玄関先に倒れている二つの人影を見付け、他に誰もいない事が判るとそちらに駆け寄った。
「……ちょっと！？ アナタ達大丈夫！？ ――ペンペンお水持って来て！」
「クェッ！」
二人をざっと見て怪我が無い事を確認すると、ミサトはペンペンに言い付ける。言われたペンペンは慌てて葛城邸に行き、暫くするとコップに水を入れて戻ってきた。
「ちっが〜〜う！！ バケツで持って来なさいっ！」
「クェ〜〜！」
「あーもー、しょうがないわねーー！」
無茶な要求にペンペンが抗議すると、ミサトは立ち上がり自宅に飛び込んだ。
「ぶわっ！？ なんやなんや！？」
「て、敵が……ベトコンが……！？」
顔に大量の水を掛けられてトウジとケンスケは目を覚ました。
「……大丈夫、アナタ達？」
はっきりしてきた二人の目に、水を滴らせるバケツを持ったミサトの姿が映った。
「大丈夫？」
「お、おう……」
「な、なんとか……」
再び確認するミサトに、二人は漸く声を出す。
「アナタ達、シンジ君のクラスメイトよね？ 確か……鈴原君に相田君」
「――あ、あん時はどうもすんませんでしたっ！」
立ち上がり直立不動になったトウジは深々と頭を下げ、一拍遅れてケンスケもそれに倣う。
「いいのよ、それはもう。……それよりアナタ達はどうしてこんな所で倒れてたの？」
「それは……」
「た、多分、ブービートラップだと思うんですけど……」
トウジの方は何が起きたか全く理解出来ていないようだったが、ケンスケは自分の推測を述べた。
「ブ、ブービートラップ〜〜！？」
「は、はい。…………あ、これだ」
普段聞く事の無い言葉にミサトは声を上げ、辺りを見回したケンスケは廊下に落ちていた札とピアノ線を見付けそれを拾い上げる。
「これをトウジが引張ったら、いきなり凄い衝撃があって……後は憶えてません」
ケンスケに渡された札に書かれた文字を見て、ミサトは顔を引き攣らせる。
（……シ、シンジ君の仕業ね。……な、何て事すんのよ、あのクソ餓鬼〜〜！）
恐らく非致死性のスタン・グレネードを――どうやって調達したのか知らないが――仕掛けたのだろう。これが手榴弾であったら死体が二つ転がっていた筈だ。
それに、書かれた文字から考えると、明らかにＮＥＲＶの職員を狙ったものである。ミサトは頭を抱えたくなると同時に戦慄していた。まかり間違えば、ここに転がっていたのは自分だったかもしれない。
「ま、まあ……怪我が無くて良かったわ。ところでシンジ君に用なんでしょ？ シンジ君は居ないのかしら？」
それでも何とか気を取り直したミサトは二人に質問する。
「はい……。あれから転校生ががずっと休んどるんで、気になって見に寄らせてもらったんですが……」
「そう、気を使わせて悪いわね……。――って、シンジ君、学校に行ってないのっ！？」
トウジの言葉に何気なく頷いたミサトだったが、その意味を理解すると驚いて掴み掛からんばかりの勢いで尋ねた。その様子に呆気に取られたトウジとケンスケは、顔を見合わせると同時にミサトに肯いてみせた。
「はい」
「もう、四日来とりません」
「――ええぇーーーーーーーーーーーっ！！」
コンフォート１７にミサトの絶叫が響いた。
「リツコォーーーーっ！！」
「――はぁ〜……」
自室で仕事中だったリツコは、ノックもせずに部屋に飛び込んできた親友に溜息を吐いた。
「ミサト……部屋に入るときはノックをして、っていつも言ってるでしょう？」
「ごみんごみん。――で、ちょっち訊きたい事があるんだけど」
全く悪怯れた様子の無いミサトにもう一度溜息を吐くと、リツコは眼鏡を外し体を向けた。
「で、何が訊きたいの？」
「あのさ、シンジ君何処にいるか判んない？ あのコ、携帯持ってないし。保安諜報部の奴ら、言葉を濁して教えてくんないのよ」
「……ま、仕方無いわね。彼等としては『中学生に手玉に取られている』なんて公言出来ないでしょうし」
「……どういう事？」
リツコの言葉にミサトは訝し気な表情になる。
「シンジ君のプライバシーにＮＥＲＶは干渉しない、という契約なのは知ってるわよね？」
「まあね」
「で、彼、ＮＥＲＶの護衛も拒否してるのよ」
「な、何よそれ〜〜！」
ミサトの上げた大声にリツコは顔を顰める。
「……彼にしてみれば、護衛も監視も同じ事なんでしょ。実際、その二つを兼ねている訳だし」
「っ！ ……だからって……」
「こっちだって、そんな事簡単に認める訳無いわよ。でもシンジ君に排除されちゃってるんだから仕方無いでしょ」
声を上げかけたミサトを押さえるように、リツコが言葉を被せる。
「排除――って……？」
「文字通りの意味よ。保安部員がシンジ君に襲われて伸されちゃうのよ。――もっとも、シンジ君がやった、という証拠すら無いんだけど」
「……マジ？」
「大マジよ。保安諜報部の方じゃ出来るだけ見付からないようにして監視を続けているけど、効果無し。最近じゃ積極的にシンジ君が保安部員を狩り出しているみたい」
それを聞いたミサトは溜息を吐き、手近の椅子を引き寄せると力無く座り込んだ。
「あんのクソ餓鬼……何考えてんのよ……。自宅にゃブービートラップを仕掛けるし。
こっちが自分を傷付けられないと思って舐めてんじゃないの」
吐き捨てるようなミサトの台詞に、リツコが眉を上げる。
「……アナタまさか、シンジ君の家に不法侵入しようとしたんじゃないでしょうね」
「んな訳無いでしょ。シンジ君の様子を見に来てくれたクラスメイトが、スタン・グレネードでやられたのよ」
「そう。その位で済んで良かったわ」
「良かった――ですってぇ！」
その言葉に熱り立つち、ミサトがリツコに詰寄る。しかしリツコは平然としてミサトを抑える。
「怪我人はいなかったんでしょ……。彼の留守中、自宅に入ろうとした保安部員がトラップの歓迎を受けて、これまで四人が負傷しているわ」
「…………」
『そりは流石に自業自得ね』と内心思ったミサトだったが、口には出さない。
「それに……」
言ってリツコは机の上から一つの書類を取り上げ、ミサトに渡した。
「何よ？」
「今朝方回ってきた報告書よ」
「……え〜、ナニナニ……。――市内にて六名の負傷者発見。全員が両手両足及び下顎の骨を砕かれていた為、直ちに病院に収容。尋問不可能、また身元を示す物を所持していない為、現在のところ正体不明。武器は所持していなかったものの、現場からは空薬莢が見付かっており、腕から硝煙反応を検出。
――状況からサードチルドレンの誘拐乃至殺害を図ったが、サードの反撃を受けたものと思われる……――って、なにこれ〜〜っ！？」
ミサトは渡された書類に目を通すと絶叫した。
「読んでの通りよ。……手加減されているのは、シンジ君じゃなくてＮＥＲＶの方と言う事ね」
大声に顔を顰めたもののリツコは冷静に返す。
「大体アナタ自身、シンジ君に二度も叩きのめされてるでしょう」
「あぅー」
リツコの突っ込みにミサトはガックリと項垂れる。その様子を『無様ね……』などと思いつつ、リツコは冷ややかに見詰めた。
暫く椅子に身を沈め動きを止めていたミサトだったが、やがて再起動してノロノロと立ち上がる。
「はぁ〜〜……。じゃあ、アタシ戻るわ……」
「シンジ君の居場所を知りたいんじゃないの？」
「今、聞いた通りじゃ、どうしようもないでしょ……」
「そうでもないわよ」
「へっ！？」
ミサトは意外な言葉に驚き、リツコに振り返る。
「どういう事よ？」
「ＭＡＧＩの監視網に時々引っ掛るし、そもそもシンジ君、何処に何しに行くか私に告げていったもの」
「ど、どうしてアタシに教えてくれなかったのよ！」
「訊かれなかったから」
「ア、アンタねぇ〜〜……」
バッサリ斬捨てられてミサトは挫ける。
「――ま、まあ、いいわ。で、何処に行ったのよ？」
「第３新東京の防衛施設やシェルターの視察よ」
「何それ？ それに何でシンジ君がそれをリツコに言うわけ？」
「そういった設備を自分の目で確認したいからってね、私にその場所なんかのデータを貰いに来たのよ」
「ちょっと、……そういう事ならアタシに言うのが筋ってもんでしょうが！」
憤慨するミサトだったが、リツコはそれに冷たく言い返す。
「……勿論、シンジ君は初めに作戦部長の所に行ったそうよ。でも生憎、作戦部長は出勤時間になっても本部に来ていなかったそうでね。仕方無く私の所に来たって言ってたわ」
「……た、たはははは…………」
ゲンドウポーズをしながらジト目で睨むリツコに、ミサトは脂汗を掻きながら笑って誤魔化そうとする。
「ミサト……ただでさえシンジ君のＮＥＲＶに対する信用は地に落ちてるのに、更に地中に潜らせてどうするの？ 作戦部長さん」
「うぐぅ……」
「『あう』だの『うぐ』だの言ってないで、ちゃんと仕事しなさい、仕事」
「は〜〜い……」
「まったく……」
トボトボと部屋を出て行くミサトの背中を見送り、リツコはこめかみを揉みながら吐息混じりに呟いた。
シンジの目の前に黒服が崩れ落ちる。そして少し離れた所にも、もう一人が転がっている。
普段なら適当に放り出すところだが、流石に雨が降っていては気の毒である。“戦利品”を奪うと彼等が乗っていた車に放り込んでおく。
雨に打たれながら放置していた傘と荷物の所に戻ると、それを手にして道路に出る。
顔を上げると解体寸前といった趣の、集合住宅の群れがあった。
住む人の気配をまるで感じないそれを暫く眺めると、そろそろ帰ろうとシンジは歩き出す。
しかし少し行くと、前方から見知った人影が近付いて来るのに気付き足を止める。
「綾波さん」
人影もこちらに気付き立ち止まったのを見て声を掛ける。
「…………」
だがレイの方はそれに答えない。殆ど表情は変わらないが、こんな所でシンジに遭った事を驚いているようにも見える。
「今、学校の帰り？」
「……ええ」
「家、この近くなの？」
「ええ」
そこで会話が途切れる。
雨が二人の傘と地面を叩く音だけが響く。
（……このまま二人で立ちっぱなしと言うのもなんだな。近くに喫茶店でもないかな）
シンジそんな事を考えた時、レイが口を開いた。
「……濡れてる」
「えっ？」
突然の言葉にシンジは一瞬何を言われたか解らなかったが、直ぐに察して自分の髪や肩に触れる。
「ああ。さっきまで傘を差していなかったから」
「…………」
再びレイは沈黙する。シンジの方もレイの意図が掴めず無言になる。
「……来て」
レイはそう言うと急に歩き出し、シンジの脇を通り過ぎる。
「えっ？ ……あ、うん」
言われたシンジは少し驚きつつも踵を返した。
（……さっきの黒服達、僕の監視じゃなくて綾波さんの護衛だったのかな。
……まあ、いいか。あいつらは機会を見付けたら、こまめに駆除していかないと）
レイの後に続きながら、シンジはそんな事を考えていた。
殆ど廃墟といえる団地内に足を踏み入れた時から嫌な予感はしていた。
ゴミが転がる共通廊下を歩き、ある一室の前に辿り着く。
「……ホントにここなの？」
「ええ」
扉の上を見ると、確かに［４０２ 綾波］とある。
シンジも流石に絶句する。
ここに来るまで全く人に遭わなかった。と言うより、不法居住者でも無ければこんな所に住まないだろう。
（ここって心霊スポットになってるんじゃないかな……。で、綾波さんが幽霊だと思われているとか）
そんな事を考えている内にレイが扉を開いて中に入り、シンジは鍵を開けた気配が無かった事に驚きながらもそれに続く。
「お邪魔します……」
シンジは『そう言えば、年頃の女の子の部屋に入るのは初めてだな』と思いながら部屋に入り、部屋の様子が目に映った途端思わず声を上げる。
「――なんじゃ、こりゃぁっ！」
「……？」
シンジの声にレイが振り返る。
「……綾波さん、本当にここに住んでいるの？」
「……ええ」
何でもなさそうに答えるレイに言葉を失いながらも、シンジはレイの食事事情からすれば当然想像出来た事だったと思い直す。少々呆然とした様子のシンジを眺めていたレイだったが、やがて尋ねてくる。
「……なに？」
「な、何って……セカンドインパクト直後じゃあるまいし、今時の日本で女の子をこんな所に一人で住まわせるなんて……」
こんな環境に押し込められたら、普通の女の子――いや男であっても――はおかしくなるだろう。そう思うシンジであったが、
「……問題無いわ」
レイは気にした様子も無く答える。
「問題大有りだよ……。ただでさえ中学生に戦争をさせるだけでも異常なのに、世界で三人しかいない筈のパイロットをこんな所に住まわせる司令官が、何処の世界にいるのさ」
間違い無くこれもゲンドウの指示であろう事を確信しながらシンジが言うと、レイは僅かに俯く。
「…………」
「…………」
義憤に駆られたシンジもその様子を見て何も言えなくなり、レイも沈黙を保った事で部屋に無言の時間が流れる。
やがてシンジの髪から水滴が落ち、床を濡らすと二人の呪縛が解ける。
レイは身を翻し、箪笥からタオルを取り出すとシンジに手渡す。
「あ、ありがと……」
無言で差し出されたそれを受取り、シンジは礼を言う。
髪や服の水気をタオルで拭取りながら、シンジは部屋の中を観察する。
壁は寒々とした打ちっぱなしのコンクリート。
家具と呼べるのはパイプベッドに箪笥、小型冷蔵庫、椅子一つ。
他に目に付いたものは血だらけの包帯が入ったダンボール、冷蔵庫の上の錠剤とビーカー、そして箪笥の上に置かれた罅割れた眼鏡。
改めてこの碌でも無い住環境に内心で溜息を吐くと、シンジはタオルを畳みレイに返す。
「ありがとう。助かったよ」
「…………」
タオルは受取ったもののレイは何も言わず、その場から動く事も無かった。
どこかに座るよう勧められもしなかったので、シンジもそこで立ち竦む。
二人で向かい合ったまま、ただ時間が過ぎる。
「……ええと、綾波さん。僕が学校を休んでいる間、お昼は食べてる？」
「…………」
暫くしてシンジが尋ねると、レイは無言で首を振る。
「……夕食はやっぱり栄養ブロックとビタミン剤？」
「…………」
その質問にはコクンと肯く。
それを見てシンジは天井を振り仰ぎながら頭を掻く。
やがて顔を戻すと、再度質問する。
「今日は夕飯はまだだよね？」
「……ええ」
それを聞いて「よしっ」と頷くと、一つ手を叩く。
「じゃあ、今日の夕飯は奢るよ。僕の手料理だけど」
「えっ？」
「タオルのお礼だよ」
シンジはそう言って笑い、レイの腕を取って促す。
レイは何も言わなかったが、嫌がる素振は見せずシンジの後に付いて行った。
団地の外に出ると、先程伸した黒服達の所に行く。
そして二人を車外に引き摺り出すと、容赦無く雨の中に打ち捨てる。
「綾波さん、乗って」
シンジはレイに声を掛けると運転席に乗込み、シートの位置を調節する。
どうするか迷った様子を見せたレイだったが、助手席側に周るとドアを開け中に入る。
レイが座ったのを確認すると、シンジは車を発進させた。
――黒服を轢いてみたいという欲求を抑えて。
スーパーで食材を買い込んでコンフォート１７に向かう。
途中、中学生のシンジが車を運転しているのを見掛け不審な目を向ける者もいたが、シンジがあまりに堂々としていた為、止められる事は無かった。
自宅に着くと、仕掛けてあった筈のトラップが作動している事に気付いた。だが、溜息を一つ吐いただけで何も言わず、中に入るとレイにも入るよう促す。
「じゃあ、僕は夕飯の支度をするから、綾波さんはリビングで寛いでて」
そう言って自分は台所に入り、材料を広げつつお湯を沸かす。
お茶を用意してリビングに行くと、レイが何をするでもなくちょこんと座り込んでいた。その様子に苦笑しながら、シンジはお茶を淹れる。
「……ご飯が出来るまで時間が掛かるから、退屈ならテレビを点けるか僕の部屋に本があるからそれを読んでて」
レイの部屋にテレビが無かった事を思い出し、いつもどうして過ごしているのかと考えながら勧める。言われてもあまり反応を見せないレイにもう一度苦笑する。
台所に戻ったシンジは、一転不機嫌になる。無論レイに対してではなく、ゲンドウのレイに対する扱いについてだが。
（まったく、あの変態髭眼鏡が……。なにを企んでいるのか知れないけど、碌な事をしないな……）
内心で吐き捨てながら、包丁を俎板に突き刺した。
今日は雨が降って肌寒い為、湯豆腐をメインに献立を組み立てた。――レイが肉を食べられない所為もあったが。
湯豆腐を初めて見たのかレイが戸惑ったり、会話も殆ど無かったが概ね食事は無事に済んだ。
「ごちそうさま」
食べ終えてぺこりと頭を下げるシンジを、レイは不思議そうに眺める。
「ん……？ どうしたの綾波さん」
「…………」
無言のままのレイだったが、シンジは言いたい事を悟った。
「ああ、『頂きます』『ごちそうさま』って言うのは、食前食後の挨拶だよ。
神様を信じてる人達なら食事を与えてくれた神様への感謝だけど、僕の場合は僕の血肉となった他の命への感謝かな。それと……お詫び」
「……感謝」
「生は死の上に成り立っている。モノを食べるというのは、その最たるもの。冗談や遊びでやる事じゃない」
「…………」
「とは言え――」
真面目な顔を緩める。
「――そう、鹿爪らしくするものでもない。食事は生きる楽しみでもある。節度を持って、という事かな」
そう言うと尚も自分を見ているレイに笑ってみせる。
「さて、食器は僕が片付けるから、リビングで待ってて」
シンジは立ち上がり、食器を重ね始める。
そんなシンジをレイは黙って見詰めていた。
食後のお茶を飲みながら、シンジはテーブルに地図を広げ何か書き込んでいる。
それが一段落して顔を上げ息を吐くと、レイが無言でこちらを見ているのに気付いた。
「なに？」
「…………」
「……ああ、これ？」
地図を指差すとレイがコクリと頷く。
「ここ数日、市内の兵装ビルやシェルターを調べてたんだ。明日からは晴れたら山の方に行くつもりだけど……。
データやシミュレーションでも良いんだけど、実際に自分の目で見ておきたくてね」
「……何故？」
「戦いで生き残る為――だね。頭の中で自分で作戦を立てて、出来るだけ戦いをイメージ出来るように」
「それはパイロットの役割ではないわ」
「確かにね」
そう言って苦笑する。
「でもＮＥＲＶは信用出来ない。アテにしたら命が幾つあっても足りやしない」
それを聞いてレイは少し眉を寄せる。シンジも表情を引き締める。
「作戦部には、パイロットにあれこれ指示する以前にやらなければならない事がある。――判るかな？」
シンジの問い掛けにレイは首を傾げる。
「戦場の環境を整える事。パイロットが目の前の戦闘に専念出来るようにする事。
この間の戦いでは――いや、その前の戦いでも、ＮＥＲＶの作戦部はそれを完璧に怠っている。これは重大な――重大過ぎる問題だ」
喉を湿らす為、湯飲みを取り上げ一口飲み込む。
「にも関わらず、教訓を生かす事が無い。その責任者も処罰を受けていない。これはトップの父さ――碇司令からして問題を認識していない――無能であるという事。
だからこの先、奴等は何度でも同じ失敗をやらかす」
“碇司令”という言葉にレイは反応するが、何も言わない。
「もっとも――」
シンジは顔を歪める。
「――碇司令は、パイロットを使い捨ての道具としか思っていないようだから……。パイロットが死ぬのは大した事じゃない、と思っているなら……それも当然かな」
目の前にいない誰かに吐き捨てる。
「だけど、奴が無能にせよ何かを企んでいるにせよ――僕は奴の思惑通り踊ってやるつもりは無い。僕は僕の意志で生きる。邪魔をすると言うのなら、相応の覚悟をしてもらう」
そう結んで、一息にお茶を飲み干す。
湯飲みをテーブルに戻すと、レイが俯いているのに気付く。
「……ごめん。変な話になっちゃったね」
「…………」
レイはそれに応えない。シンジもそれ以上言う事は無く、無言でお茶を淹れ直す。
湯飲みから湯気が立ち昇り、シンジはそれを目で追い掛ける。
時たま、お茶を啜る音が微かに響く。
やがてシンジは再び口を開く。
「そうだ、綾波さん。良ければ、ここに住まない？」
「……え？」
「あんな所に女の子を一人で住まわせるなんて異常だよ。
……幸いここは部屋が余っているし」
「…………」
「……あそこに住むよう“命令”された？ “命令”には逆らえない？」
そう言われてシンジの顔を見詰めたレイだったが、暫くすると視線を落した。
（ふぅ〜……。綾波さんにとって、未だアレの言葉は神の声に等しい訳か……）
身体を堅くするレイを見て、シンジは内心『無理も無いか』と嘆息する。そして初号機でゲンドウを三十六回ほど殲滅――無論想像上で――してから口を開く。
「まあ、今直ぐ結論を出す必要は無いから。ゆっくり考えてみて」
「…………」
レイはそれに答えず、黙って湯飲みを見詰めていた。
Top/Next