ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第参話 C-Part
ＮＥＲＶや自宅のゴタゴタが一通り片付くと、シンジは市立第壱中学に通う事になった。ミサトに言われた当初は消極的だったシンジだったが、或いはカモフラージュになるかと思い直した。
そう言う訳であるから、シンジはクラスメイトと積極的に関わるつもりは無かった。初日の挨拶も無難に済ませ、休み時間に質問をしてくる者達にも一応答えはしたものの、壁を作って一定以上相手が踏み込んでこないようにしていた。
目立った事と言えば、同じクラスであったレイとは機会があれば話をするようにしていた事である。また、昼食を食べないレイを見て（彼女の食事事情を思い出し）、翌日から自分の分と共にレイの弁当を作ってくるようになった。それを見たクラスメイトは好奇心丸出しでシンジを問い詰めようとしたが、シンジはまるで取り合わなかった（レイに話し掛けようとするものはいなかった）。
ちなみにシンジはＮＥＲＶの監視システムを見付け次第破壊するようにしていた。それは当然学校にも仕掛けてあり、特に教室にあったものは初日の内に片付けていた。ＮＥＲＶは暫くは壊された機械を直していたが、シンジの破壊スピードに追い付かなくなり、いつしかそれを放置する事が多くなった（シンジが修理人を襲撃する所為もあるが）。
こうしてシンジは次第に日常の中に埋没していった。
しかし、シンジにはやらねばならない事が多々あった。
「ふぃーーーーー……」
シンジは自宅のリビングに置かれたパソコンの前から離れ、床に転がった。
「……手強い」
ＮＥＲＶでの訓練は週一回と言ったシンジであったが、実のところ毎日の様にＮＥＲＶに行っていた。目的は勿論ＮＥＲＶの調査と情報収集である。まずは正攻法と資料室やアクセス可能なデータベースを漁ったりしていたが、肝心な事――表向き以外のＮＥＲＶの目的や、ＥＶＡの機密――に触れる事は当然ながら出来なかった。
そこでここ暫く、シンジはＮＥＲＶのセントラルコンピューター“ＭＡＧＩ”にハッキングを試みていた。が、結果はあまり芳しいものではない。今のところは、こちらの尻尾を掴ませてもいないが。
「お茶にしませんか、シンジ」
「うん……ありがと」
床で寝転ぶシンジにファウストが声を掛け、シンジはノロノロと身を起こす。
目の前に置かれた湯飲みに口を付けて一息吐く。
「あまり、上手くいっていないようですが」
「まあ……ね。なにせ、性能が段違いだ。世界最高を自負するのも伊達じゃない」
「なんでしたら私も手伝いますが」
「うん、ファウストの処理能力ならまず間違い無く墜せると思う。最終的には力を貸してもらうよ。ただ、今後の事を考えると、ただ侵入してデータを奪取するんじゃなく、ＭＡＧＩをこっちの手の内に入れたい。……ＮＥＲＶに気付かれる事無くね」
ＭＡＧＩは独立・連動した三台・三系統のコンピューターで構成されている。其々“ＭＥＬＣＨＩＯＲ”“ＢＡＬＴＨＡＳＡＲ”“ＣＡＳＰＥＲ”と呼ばれるそれは、相互に監視を行なっている。したがって、その内の一台を墜しても、直ちに他の二台により人間に警報が発せられる事になる。それではこちらの目的に合致しない。
「これは最優先でやらなければならないけど、今直ぐと言う訳でもない。急いては事を仕損じると言うし、ここはじっくりやるさ」
「手は考えてある」と付け加え、シンジは茶を飲み干した。
第壱中学、２−Ａの教室では、また一日が始まろうとしていた。
昨夜の事を話し合う者達や、ここ暫く姿を見せない級友を心配する者。極普通の日常の学校の光景がそこにあった。――カメラを片手にプラモデルと戯れている約一名の存在は、普通であるかどうか疑問であったが。
その普通とは言い難い若干一名――相田ケンスケに、クラス委員長である洞木ヒカリがなにやら話し掛けていると黒ジャージを着た人物が教室に入ってきた。
「おはようさん。ケンスケ、イインチョ」
「お、おはよう、鈴原」
「よう、トウジ」
三人は互いに挨拶を交わす。黒ジャージ――鈴原トウジは教室を見渡すと呟くように言う。
「なんや、随分減ったみたいやな」
「疎開だよ、疎開。みんな転校しちゃったよ。街中であれだけ派手に戦争されちゃぁね」
「喜んどるのはお前だけやろな、生でドンパチ見られるよってに」
付き合いきれん、といった調子でトウジがケンスケに言う。
「まぁね……トウジはどうしてたの？ こんなに休んじゃってさ。この間の騒ぎで、巻き添えでも食ったの？」
「妹の奴がな……」
ケンスケの質問にトウジが顔を歪める。
「……瓦礫の下敷きになってもうて。命は助かったんやけど、ずっと入院しとんのや。……ウチんとこ、おとんもおじんも研究所勤めやろ？ 今、職場を離れる訳にはいかんしな。……わしがおらんと、あいつ病院で一人になってまうからな」
「ふーん……」
トウジの嘆息にケンスケが相槌を打つ。
「……しっかしあのロボットのパイロット、ほんまヘボやな！ 無茶苦茶腹立つわ！ 味方が暴れてどないするっちゅうんじゃ！！」
今にも目の前にいない誰かに殴り掛かりそうな口調で吐き捨てる。
「その事なんだけど……一つ噂があってさ」
「噂？ なんやねん」
「トウジが休んでる間に転校生が来てさ。ホラ、あいつ」
そう言って窓際の席を指差す。トウジがそちらに顔を向けると、レイの前の席にシンジが座り二人してぼんやり外を眺めていた。騒がしい教室にあって、そこだけ穏やかな空気が流れている。時折シンジが何事か語り掛け、レイが言葉短く返事をしている。それは会話とは言い難いものだったが、レイに迷惑そうな様子は無くシンジも気にしていなかった。
「……なんや、綾波がヒトと話してるとこなんて初めて見たで。んで、あっちの男が転校生なんか？ あいつがどないしたんや？」
「妙だと思わない？ こんな時期に転校してくるなんてさ」
「……つまり、あいつがロボットのパイロットやないか、ちゅーことか」
トウジはシンジを胡散臭そうな顔で睨み付けた。
授業中、シンジは内職に勤しんでいた。
もっとも、この教室できちんと教師の話に耳を傾けているのは極少数派で、当の教師にしてからが授業――ちなみに数学――に関係無いセカンドインパクトの話をしていたのだが。
自分のノートパソコンに相当な速さで何やら打ち込んでいたシンジは、メールが着信したのに気が付いた。指を止めてメールを確認してみる。
『碇君があのロボットのパイロットというのはホント？ ：Ｙ／Ｎ』
シンジは顔を顰める。どうしたものか考えている内に催促が来る。
『ホントなんでしょ？ ：Ｙ／Ｎ』
放って置いた方が良いとも思ったが、一つ考えて返事を打ち込む。
『はちみつクマさん』
直後、教室の各所で生徒達が妙な顔をして首を捻る光景が見られた。
それ以上質問メールが来ない事を確認したシンジは再び内職に没頭する。
ただ一人、意味を理解した者が妖しく眼鏡を光らせていた。
「……転校生。お前、こないだのロボットのパイロット言うんはホンマなんか？」
授業後、校舎裏に呼び出されたシンジはトウジに詰問されていた。
「何でそんな事を訊くのかな？」
「いいから答えぃ！」
問答無用といった調子のトウジの様子に、シンジは溜息を吐く。
「……どうやら、そうらしいね」
ブンッと音を立てて顔面に迫った拳を、シンジは易々と躱す。
「っ！！？」
躱されるとは思っていなかったのか、ニ三歩蹈鞴を踏んだトウジだったが、直ぐに体勢を立て直して更にニ撃三撃を叩き込もうとする。
その全てを掠らせもしなかったシンジだが、やがて打ち込まれた拳を音も無く掌で受け止めた。
「いきなり何をするのかな？ 理由を聞かせて欲しいね」
「や、やかましい！ わしはお前を殴らないかん。殴っとかな気が済まへんのや！」
あっさりと自分のパンチが止められた事に内心驚きながらもトウジが喚く。
目の前のトウジには何を聞いても無駄と判断したシンジは、何故か一緒に付いて来ているケンスケに顔を向け、無言で答えを要求する。
「悪いね。こないだの騒ぎで、あいつの妹さん怪我しちゃってさ。ま、そういう事だから」
（何が「そういう事」なのかな……？）
簡単に言ったケンスケの言葉にシンジは顔を顰める。はっきり言ってトウジの主張など八つ当たりにしか聞こえなかった。とは言え、妹が傷付けられて怒る気持ちも解らないではないが。
「一つ質問していいかな？」
「な、なんじゃ？」
「あの日、避難警報が出たのはお昼頃。僕が戦ったのは夜になってから。……妹さんはその時、何処で何をしていたのかな？」
「わ、わしの妹が悪い言うんか！？」
「全部とは言わないけど、かなり悪いね」
「おんどりゃぁ！！」
冷静に指摘するシンジにトウジが激昂する。シンジにとってトウジが向ける怒りは、かなり理屈に合わないものだった。それでも、と思い直す。
（普通の中学生じゃあこんなもんか……。
ま、いいか。素人に殴られても大した事無いし。それでこいつの気が済むのなら。――痛いけど）
そう考えて、掴んでいたトウジの拳を押すようにして離す。それまで何とかしてシンジの手を外そうともがいていたトウジは、バランスを崩しヨロヨロと後退る。それでも何とか踏ん張り、再びシンジの顔面に拳を送り込む。
今度はシンジは避けなかった。
まともにトウジのパンチを喰らい、地面に倒れる。――実際は倒れて見せた、のだが。
「……今度からは足元をよお見て戦うんやな！」
倒れたままのシンジにトウジが捨て台詞を吐き、その場から立去ろうとする。一発殴られて済まそうとしたシンジだったが、それを聞いて考えを変えた。
「……面白い冗談だね」
「なんやと！」
後ろから聞こえてきたシンジの声に、トウジは足を止め振り返る。シンジは身を起こしながら続ける。
「僕がやっているのは殺し合いなんだよ。……訊くけど、君は銃を持った暴漢を相手にした時、足元を気にして戦えるのかい？」
「そ、そんなん根性でなんとかせぇや！」
冷めきったシンジの言葉にトウジは思わず唾を飲み込むが、何とか気を取り直して怒鳴る。それを聞いたシンジは目を細める。
「へぇ〜……。じゃあ、試してみようか」
「な――」
気付いた時にはシンジが無造作に間合いを詰めていた。
「――んじゃ！」
視界に入った何かを脳が認識する前に、トウジの反射神経は頭を僅かに傾けさせていた。
蹌踉くように後ろに下がると、シンジの一本抜手が先程までトウジの眼球のあった位置に止まっていた。
生暖かい何かが流れる感触に、トウジはこめかみに手をやり、手に付いてきた紅い液体を見て戦慄する。
「ふーん。避けたんだ。偉い偉い」
ギリギリで避けられると見切って放った抜手だったが、シンジはわざとらしく誉めてみせる。
「め、目ぇなんぞ狙いおって……な、何しくさるんじゃ！」
背中に冷汗を流しながらもトウジは怒鳴る。
「何って……言ったろ、殺し合いだって」
冷ややかに言って、シンジは股間に向けて前蹴りを放つ。
「……根性ババ色やな、おんどれ！」
トウジは慌てて飛び離れると気を取り直し、お返しとばかりにシンジの金的を狙う。
（見え見えだね……）
だがシンジは半身になってそれを躱して蹴り足を取り、半歩前に出ると胸倉を掴みつつ軸足を払う。
「くはっ！！」
背中を地面に叩き付けられ――シンジは頭を打ち付けないように注意したが――トウジは肺の中の空気を吐き出す。そのまま取った足を捻ってトウジを腹這いにさせると、シンジは逆エビに固めながらアキレス腱を極めた。
「があっ！」
「ト、トウジ！」
トウジが苦鳴を、ケンスケが悲鳴を上げる。それを聞いてシンジはやや力を緩めた。
「――足元には注意出来たかい？」
「っ！？」
シンジの問いにトウジの動きが止まる。
「もし君がロボットに乗っていて、これが使徒――怪物との戦いだったら……君は何人ぐらい人間を潰したんだろうね？」
「…………」
トウジは何も言えなくなる。
「それに、もし僕があの時の戦いで、妹さんを見付けて庇ったとしたら――」
シンジはそこで言葉を切る。
「……何をしているの？」
振向くといつの間に来たのか、レイが直ぐ傍に立っていた。
「ああ、ちょっとしたプロレスごっこだよ」
「ぷろれす……」
レイが小さく首を傾げるのを見てシンジはクスリと笑った。
「ところで綾波さん、何かあったの？」
「……非常召集」
「……了解」
それを聞いたシンジは表情を引き締め、トウジの足を離して立ち上がった。
「じゃあ、行こうか」
「ええ」
シンジはレイと連れ立って歩き出そうとしたが、途中で立ち止まり振り返った。
「じゃあ、――黒ジャージ君。続きは次回の講釈で」
そう言って改めて立去るシンジを見送り、それまで何も出来なかったケンスケがトウジに声を掛ける。
「だ、大丈夫か、トウジ」
「お、おう……いつつ……」
呻きながら身を起こすトウジに手を貸しながら、ケンスケは呟くように言う。
「それにしてもあの転校生……トウジを簡単に手玉に取るなんて只者じゃないぞ。一発殴られたのもわざとだろうな」
「……何が言いたいんや」
「ヘボパイロットなんてとんでもない、って事さ」
「…………」
無言になったトウジの耳に、サイレンの音が入ってきた。
ジオフロントに向かう直通列車の中、シンジとレイは無言で座席に座っていた。
といってもそこには妙な緊張感がある訳ではない。ここ数週間でのいつも通りの二人の状態だった。
そんな時、珍しくレイの方から口を開いた。
「……碇君」
「ん、何？」
「ぷろれす、って何？」
レイの質問にシンジは些か呆気に取られる。しかし何にせよ、レイの方から質問をしてくるのは良い傾向だと思い直し微笑む。
「プロレスって言うのはプロフェッショナル・レスリングの略だけど、かなり見世物としての要素が入った格闘技だね。人によっては『あんなの格闘技じゃない』と言うけど、結構ファンも多いんだ」
「そう……。何故、学校でプロレスをしていたの？」
「あれは冗談だよ」
シンジは生真面目なレイの質問に思わず笑う。
「冗談……？」
「実際は喧嘩――かな？ そう大した事じゃないけど」
「…………」
何か言いたそうなレイを見て、シンジは続ける。
「――黒ジャージ君の妹さんが、この前の使徒との戦いで怪我をしたそうでね。で、僕がもっと上手にＥＶＡで戦っていれば、そんな事にはならなかった……ってね」
それを聞いてレイは首を傾げる。ＥＶＡと使徒のサイズの戦いにおいて、周りに人間がいたとしても気が付くのは難しい。ましてや戦いの最中、それを庇うのは更に困難である。
「あなたは何もミスはしていないわ」
前回の戦闘の記録はレイも見たが、それを思い出しながら言う。
「そうだね。僕も人を傷付けるつもりで戦ったわけではないし、あの戦いは最善とは言えなくとも、まあそこそこの戦いだったと思う」
理由はどうあれ怪我人が出たとしたら、指揮していた――民間人の避難に責任を持った――連中の所為だよな、と思う。
「でも……その時の事実は『戦闘に女の子が巻き込まれて怪我をした』――だけど、黒ジャージ君にとっての真実は『ヘボなパイロットが妹を怪我させた』なのさ」
「……分からない」
「人間の数だけ真実――事実に対する解釈がある、って事だよ。そして誰もが『自分の解釈こそが正しい』と思っているのさ」
そう言ってシンジは首を傾げているレイの頭を撫でた。
（そして、それは綾波さんも同じ事だ……）
大人しく撫でられているレイの横顔を見ながら、シンジは声には出さず呟いていた。
発令所のモニターには小豆色の烏賊というか、足の退化した蟻のような使徒が映し出されていた。
「碇司令の居ぬ間に第四の使徒襲来。以外と早かったわね」
「前は十五年のブランク。今回は、たったの三週間ですからね」
「こっちの都合はお構いなしか……。女性に嫌われるタイプね」
ミサトと日向がどうでもいい事を口に出す。そうは見えないが、実際は結構緊張しているのかもしれない。
「税金の無駄使いだな・・・」
ゲンドウが不在中の指揮官である冬月は、効果を見せない通常兵器による攻撃にやれやれといった感じで呟く。
「委員会から、再びＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮの出動要請が来ています」
「うるさい奴らね。言われなくても出撃させるわよ」
青葉の報告にミサトはぼやくように応える。
既にエントリーを済ませたシンジと通信回線を繋ぐ。
「シンジ君、出撃いいわね？」
『いいですよ』
ミサトの確認に、目を瞑ったシンジはやる気を見せずに言う。
「よくって？ 敵のＡＴフィールドを中和しつつ、パレットライフルの一斉射。練習通り、大丈夫ね？」
『まあ、何とかなるでしょう』
リツコの指示にもやはりどうでも良さげに答えるシンジに、ミサトが頭に血を昇らせる。
「何やってんの！ もっと気合を入れなさい！ これは戦争なのよ！」
それを聞いたシンジは目を開けミサトを見る。中学生に“戦争”をさせようとしているのが分かっているのだろうか。
『……勿論分かってますよ。戦争。――そう、戦争だ。素晴らしい。戦争。戦争。戦争だ』
そう言って禍々しくニヤリと笑ってみせるシンジに、ミサトは思わず脂汗を流す。
「エ、ＥＶＡ初号機、発進！！」
それでも何とか気を取り直して命令を下すと、初号機は地上に向けて射出された。
地上に出て使徒と相対したシンジは顔を顰めていた。
「コアが見えない……」
《コアは奴の“喉元”にあります》
シンジの呟きに、使徒を監視・情報収集していたファウストが答える。
「弱点をガードしている訳か」
使徒は威嚇するかの様に頭部を突き出している為、シンジの位置からではコアが陰になってしまっている。さて、どうするか、と考えていると発令所から通信が入る。
『何やってるのシンジ君！ 攻撃しなさい！』
何も考えていないミサトの指示にシンジは呆れる。
「それとも命令しているつもりなのかな」
《おそらく、その銃では効果が無いと思いますが》
「だろうね。でもまあ、やって見せなけりゃ納得しないだろ」
シンジは肩を竦めて、今度はスルトに言う。
《それじゃ、ＡＴフィールドの中和をお願い》
『初号機、ＡＴフィールドを展開。使徒の位相空間を中和しました』
発令所でマヤが解説しているのが聞こえる。
「じゃ、ファイア、と」
気合の入っていない掛け声と共にパレットライフルを発砲。ＥＶＡのサイズでは近距離といって良い位置にいる使徒に、連続して着弾するが、
『馬鹿！！ 爆煙で敵が見えない！！』
ミサトが喚く。
もっとも、シンジにはしっかり“視えて”いた。一旦射撃を止めると、その位置から離れる。一瞬遅れて、光る物が先程まで初号機がいた場所を襲う。
効かないと分かっていたが、牽制の為もう一連射を使徒に叩き込むと、更に距離を取る。
「葛城さん」
一息吐いたシンジは発令所に連絡を入れる。
『なに？』
「劣化ウランを弾に使ったら、防がれた時、爆煙が上がるのは当然でしょう」
『そ、そうね……』
シンジの冷たい声にミサトが言葉を詰まらせる。
「で、馬鹿って誰の事です？」
『え、え〜〜と……リ、リツコかな？』
それを聞いた隣の親友が「ミサト……後で覚えてなさいよ……」と呟くのが耳に入り、ミサトはダラダラと冷汗を流した。
「なるほど……。それでは馬鹿の赤木さん――略してバカギさん？」
『…………何かしら？』
「弾種は他に無いんですか？」
『……御免なさい。それだけよ』
シンジの質問にリツコは頬を引き攣らせながら答える。
「そうですか」
それを聞いたシンジは、あっさりライフルを手放してしまう。
『あっ、こらっ！ 何やってんの！ ライフルを拾いなさい！』
なにやら喚き立てるミサトの声を隅に追いやって、使徒に意識を向ける。
こちらを牽制しているのか“光の鞭”をくねらせる使徒を見ながら、シンジは考える。
「……取敢えず試してみるか」
呟いてプログナイフを取り出し、慎重に摺足で使徒に近付いていく。
ある所まで近付いた時、シンジは“気配”を感じてその場から飛び離れ、薙ぎ払うように振られた光の鞭は近くのビルを輪切りにする。
再び間合いを取ったシンジは相手を窺う。
「あれが奴の間合いか……。それにしても凄い威力だな、あの鞭。音速を超えてなかったか？」
《ええ、確実に》
シンジの呟きにファウストが合いの手を入れる。
「厄介だな……」
ぼやきながらもシンジは気を抜く事は無く、素早く次の手を考えていた。触手はともかく本体の機動力は大した事が無い。ならば如何にして相手の懐に入り込むかなのだが。
（問答無用で殲滅する：ＮＥＲＶにこちらの手の内を見せたくない――却下。
例えば掌にＡＴフィールドを収束させ盾にして攻撃を防ぐ：棒状武器ならともかく鞭を相手にしてはあまり意味が無い――却下。
触手の方を先に片付ける：触手は伸縮自在。多分切り落しても直ぐ再生する――却下。
そもそも避けるのならともかく、受けるのは難しい――となると……）
呼吸と意識を落ち着かせ、使徒に集中しながらタイミングを計る。
アンビリカルケーブルをパージし、使徒に向けて走り出す。誰かが何か喚いているが気にも止めない。
間合いに入り鞭が襲い掛かろうとした寸前、シンジは初号機の身体を沈めスライディングさせた。
鞭が空を切り、初号機の下で路面が白煙を上げる。
足先が使徒に届く直前、初号機は逆立ちするかのように身を起こし、相手の喉元のコアに蹴りを放つ。
「ちぃ！！」
蹴りは見事に目標を捉えコアには罅が入るが、シンジは舌打ちする。
使徒は自らの膨大な重量を、全て地面で支えていた訳ではなかった。浮遊・飛行と同じ原理で自重をかなりの割合で打ち消していたらしい。その為、蹴りのエネルギーはシンジが計算した通りにはコアに伝わらず、使徒の身体を浮き上がらせる。
シンジは直ぐさま初号機の身を起こし、蹴り飛ばされ郊外に向かって放物線を描く使徒を追撃する。
山腹に叩き付けられた使徒にあと少しという所まで迫り、プログナイフを投げ付けようとした初号機はそこで動きを止めた。
「どうしたの！」
ミサトの叫びと同時に、初号機からの拡大映像が発令所に送られてくる。
使徒の隣で薄らと土を被り腰を抜かしている二人の少年の映像に続いて、二人の個人データが表示される。
「シンジ君のクラスメイト！？」
「何故こんな所に？」
ミサトとリツコは驚きの声を上げるが、咄嗟に対処が思い付かない。
「くそっ！」
二人を見付けたシンジは悪態を吐く。思わず『いっその事、潰れてくれれば面倒が無かったのに』と物騒な事を考えてしまうが、直ぐに決断する。
《ファウスト、二人をカバー！ スルト、御免！》
心の中で叫ぶと初号機に両手で身体の前――顔面から胸元――を防御させ、使徒に近付き叫ぶ。
「来いっ！！」
その叫びが解ったのか使徒は二本の触手を伸ばし、初号機の隙だらけの腹部を刺し貫く。
「ぐぅっ……！」
焼け火箸を突っ込まれたような痛みに流石に呻き声を漏らす。それでも動きを止める事無く、片手で自らの腹を貫いている触手を二本纏めて掴み取る。
「でやあぁぁぁぁーー！！」
そのまま身体を捻るようにして、使徒を山肌から（トウジ達から離れる様に）引き離す。
投げ飛ばされるように引き出された使徒だったが、触手を掴まれていた為一瞬空中に停止する。
「殺！」
次の瞬間、触手を引きつつ、プログナイフを文字通り殺意を込めて突き出す。
ナイフは既にコアに生じていた罅に正確に突き込まれ、柄元まで埋まる。
使徒の触手が何度か痙攣を繰返しながら次第に力を失っていき、宿していた光も薄れていく。
それを確認すると振り払うように使徒を投げ捨て、身を翻してトウジ達を庇う体勢を取った。
予想していた爆発は起きなかった。
「ふぅ〜〜……」
それを確認すると初号機の身を起こさせ、シンジは大きく息を吐く。
《……二人は生きてる？》
《無事です》
《そうか……。御免、スルト。痛かったろ》
シンジはファウストの答えに安堵しつつ、スルトに謝罪した。
（相手が素直な奴でよかった。“突いて”くるんじゃなく、“斬り”にきたらヤバかった……）
気持ちを切り替えると未だ感じる痛みを無視し、地面の二人に初号機を向き直らせる。
「やあ、黒ジャージ君にメガネ君。こんな所でピクニックかい？」
外部スピーカーから聞こえるシンジの皮肉に、漸く顔を上げた二人は硬直する。
「あの時、言ったよね。『僕がやっているのは殺し合い』、『足元を気になど出来ない』って。聞いただろ？」
ガクガクと頭を縦に振る二人。
「それでもシェルターから出てきたという事は――死にたい、って事かな？」
今度は横に、先程に勝る勢いで首を振る。
「つまり、僕が言った事を理解出来なかったんだね。……『馬鹿は死ななきゃ治らない』と言うし――いっぺん死んでみる？」
言いつつ初号機の拳を振り上げると、涙で顔をグシャグシャにした二人は必死で首を横に振りつつ、抜けた腰でズリズリと後退する。
「――だったら馬鹿な事をするなっ！！」
シンジの一喝に抱き合って飛び上がった二人は、そろってズボンの股間を黒々と湿らせた。
その様子を見たシンジは緊張を解き、シートに身を預ける。
それを待っていたかのように内蔵電源が０になり、プラグ内の明りが消える。
目を閉じ闇の中に揺蕩うシンジの耳に、発令所からの呼び掛けが入ってきたが、シンジは暫くそれを無視していた。
ケイジに収容されたシンジはプラグから這い出し、やってきた整備員達に詫びる。
「すいません。初号機を傷付けてしまって」
言われた整備員は少し面食らった顔をしたが、直ぐ笑顔になる。
「なーに、良いって事さ。ＥＶＡは修理が効くんだから。それよりお前さんが無事で良かった」
「ええ、何とか勝てました」
「まあ、ここは俺達に任せて、お前さんは休みな」
「はい。では、よろしくお願いします」
「おう！」
シンジは丁寧に礼をすると初号機から離れた。
下に降りると不機嫌そうな顔をしたミサトが立っていた。
「どうして私の命――指示を無視したの！？」
いきなりの台詞にシンジは首を傾げる。命令と言わない辺りはミサトも“契約”を頭に入れているようだが。
「指示って……何か有りましたっけ？」
「何ってライフルを捨てたでしょう！ こっちが拾えって言ってるのに聞かないし！
おまけに勝手にケーブルを外すし！ 何考えてんのよ！」
些かヒステリックに叫ぶミサトに、シンジは呆れる。
（一々説明しなけりゃ、あの行動の意味が解らないのか？ ……よくこれで作戦部長が務まるな）
シンジは溜息を吐いて口を開く。
「効かない武器は邪魔になるだけですし、ケーブルを外したのは出来るだけ機動力を上げたかったからです。……御理解頂けましたか？」
「――そういう事じゃなくて、私の指示に従いなさい、って言ってんのよ！」
「…………」
「な、何よ……」
一瞬言葉に詰まったミサトだったが、それでもなお言い募る。が、シンジに冷めきった目で睨まれ口篭もる。
「指示に対しては僕の判断が優先される……それが“契約”です。僕を従わせたければ、納得出来る正当な指示を出して下さい――作戦部長殿」
棘どころか剣を生やしたシンジの皮肉にミサトが硬直する。
「それに……シェルターに入った民間人が簡単に外に出てこられるなんて、第３新東京の避難体制はどうなっているんです？」
「そ、そうよ！ 民間人をあんな風に脅かすなんて、やり過ぎよシンジ君！」
シンジに指摘されたミサトだったが、話を無理矢理捻じ曲げ責任を転嫁しようとする。
「……あれくらい、いい薬ですよ。そもそも彼等が出てこなければ済んだ事ですし、そうすれば初号機が傷付く事も無かった……
とすれば、それは民間人の避難を担当している部署の責任という事になりますが――それってやっぱり作戦部ですか、部長さん？」
「……うぐぅ」
「……それでは失礼します」
『可愛くない』と思いながらもそれについては何も言わず、シンジは一礼してその場を離れようとする。
「ま、待ちなさい！」
それでもまだ何か有るのか、ミサトは脇を通り過ぎようとしたシンジの肩を掴んだ。
が、一瞬動きが止まったかと思うと崩れ落ちる。
「……まったく。この人はやる事もやらないで、人に文句ばっかり……。何考えてるんだ？」
音も無く鳩尾を突いて相手を黙らせたシンジは、床に転がったミサトの両足を掴んで引き摺り始めた。そして作業の邪魔にならないようケイジの隅に――スカートが捲れて下着が丸出しになったままのを――放り出し、自分はシャワーと着替えに向かった。
シンジが立去った後、一部始終を見ていた整備員達にミサトをどうにかしようとする者はいなかった。約一時間後、ミサトは中々戻らない事を心配して探しに来た日向に発見されるまで、パンツを晒しながらその場に放置されていた。
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