ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第参話 B-Part
ＮＥＲＶ司令執務室。
自称「人類を守る正義の組織」ＮＥＲＶだが、ここに満ちている雰囲気は「悪の秘密結社」といった方が相応しい。
「……結論から申し上げます。サード――碇シンジのＤＮＡは、こちらに保管してあったサンプルと１００％一致しました。また司令のＤＮＡとの比較でもそれは肯定されています。
彼は――少なくとも遺伝子的には――碇シンジ本人だと断言出来ます」
リツコの報告に横にいた冬月は「ふむ」と頷いて言う。
「保安諜報部にチェックさせたが、シンジ君が第２新東京にいた当時の記録にはおかしな所は無い」
「しかし、彼の言動はこちらが想定していたものと明らかに異なります。また、彼の戦闘能力も素人の物とは思えません」
それを聞いて冬月は苦い顔をする。
「すると、第３に来るまでの間に、別人と入れ替わったという事かね？ しかしＤＮＡが一致したという事はシンジ君のクローンか？」
「……それは否定出来ません。しかし、その場合でも彼の訓練や教育には相当の期間を費やしている筈です。クローニングはかなり以前に行なわれた事になります。そんな技術を持ち、それが可能な組織は――」
「――ＳＥＥＬＥか……。シンジ君はＳＥＥＬＥに取り込まれているという事か？ どうする、碇？」
冬月がリツコが切った台詞を続け、沈黙したままのこの部屋の主に問う。
ゲンドウは腫れた頬を隠すつもりなのかどうか、相変らず肘を突き口元を組んだ手で隠した例のポーズで座っていた。暫く無言だったゲンドウだが、やがて口を開く。
「サードチルドレンを洗い直す。赤木博士はサードの精密検査を至急行え。保安諜報部には監視を強化させろ」
それを聞いた二人は思わず渋面になる。冬月の場合、ゲンドウが契約にも関わらず「サードチルドレン」という言葉を使っている所為もあったが。
「ですがシンジ君は我々が検査を行なう事を拒否しています。契約がある以上、彼に強制するのは不可能ですが」
「うむ。それにいかなる監視が付く事も拒否している。無理をすれば彼と全面衝突する事になりかねんぞ。今のところ保安諜報部には、出来るだけ離れて見付からないようにしろ、と指示してあるが……」
それでも、昨日も監視チームは襲撃を受けている（シンジの仕業だという物的証拠は無いが）。そして、その際に銃火器が奪われている以上、シンジが今後それを使わないでいるという保証は無い。
安易にシンジと“契約”などするからだ、と二人は言外にゲンドウを責める。それに応えないゲンドウを冬月は暫く見ていたが、やがて大きく溜息を吐く。
「……検査の方は、折をみて私がシンジ君に頼んでみよう」
「お願いします、副司令」
「あまり期待しないでくれ、赤木博士。……しかし、監視の方はどうする。保安諜報部の方も泣きが入っている。今のところ負傷者はいないが、“損害”が馬鹿にならん、とな」
「……可能な限り監視は続ける」
漸く口に出したゲンドウの言葉は、あまり建設的なものとは言えなかった。冬月はもう一度溜息を吐く。
「分かった。だが成果が上がらなくとも、彼等を責めるなよ？」
「ああ」
ゲンドウの返事に冬月は微かに首を振る。気を取り直したリツコが続いて報告をする。
「……本日のシンクロテストの結果ですが、シンクロ率１．１％――やはり起動レベルのシンクロ率は得られませんでした。にも関わらずシンジ君は初号機を動かす事が可能です」
「原因は分かるかね」
「今のところ、全く不明です」
リツコは頭痛でもしそうな声で答える。実際、ここに来る前に頭痛薬を飲んでいたが。
「テストは以後も続けますが……。零号機を用いた起動試験も行なってみる必要があるかもしれません」
「ふむ、動かせる以上、使徒殲滅に差障りは無い訳だが……」
冬月が目線で「どうする？」と問い掛けると、ゲンドウが口を開く。
「今はそれで良い。が、原因は究明しろ」
「分かりました」
「元よりそのつもり」と言わんばかりにリツコが応える。
「……レイによる、初号機の起動試験は可能か？」
「体調は問題無いようです。初号機の準備も今日中に出来ます」
レイの怪我が何故か治っている事は既に報告されている。これもまたリツコにとって頭の痛い事であった。
「では明日行う。準備しろ」
「はい」
「それとダミーシステムの開発を急ぐ。スケジュールを前倒しにしろ」
「……分かりました」
ゲンドウが口を閉じそれ以上言う事は無いと察すると、リツコは一礼して出て行き、司令執務室には二人の男が残された。
「……やれやれ、事が多過ぎるな」
「…………」
冬月の吐息混じりの愚痴にもゲンドウは無言だった。
「しかし、碇。使徒殲滅が最優先とは言え、シンジ君は不確定要素としては大き過ぎるのではないか？」
「……何事にもイレギュラーは存在する。生じたイレギュラーは排除すれば良い」
「その為のレイとダミーかね」
「ああ。全ては修正範囲内だ」
「……シナリオ通り――と言う訳か……」
冬月はゲンドウの言葉に納得した様子を見せるが、
（……だが、本当にそうなのか？ 我々は修正不可能な因子を自ら呼び込んでしまったのではないのか？ シナリオは既に破綻してしまっているのではないか？）
腫れ上ったゲンドウの頬を横目で見ながら、内心の不安を拭えないでいた。
翌日、実験場において、レイによる初号機起動実験が行なわれようとしていた。
管制室には――余程暇なのか――ここでやる事がある訳ではないゲンドウの姿があり、周りのスタッフに無用なプレッシャーを振り撒いていた。
レイは怪我が治ったとはいえ完治と言う訳ではなく、未だ包帯の外れていない状態であったが、レイがそれについて抗議する事は無かった。
準備が進められる中、プラグ内のシートに座ったレイは目を瞑り考え込んでいた。
（ＥＶＡ……私には絆はこれしかない……ＥＶＡが動かなければ私には何も無くなる……
……でも、彼は「絆は探せば良い」と言っていた。……「自分が絆になる」と言っていた。
……何故、私は彼の手を求めたの？ ……分からない）
無意識にシンジの掌の感触を思い出し、自分の掌を擦る。そして、自分のしていた行為に気付き、少し驚く。
「これより、初号機の起動実験を行ないます」
リツコの実験開始を告げる声と共にスタッフが動き出す。
「主電源、全回路接続」
「主電源接続開始。起動用システム作動開始」
「稼働電圧、臨界点まであと０．５、０．２……突破」
「起動システム第２段階へ移行」
「パイロット接合に入ります」
「システムフェイズ２、スタート」
滞りなく起動プロセスが進められていく。
「オールナード・リンク、問題無し」
「チェック２５５０までリストクリア」
「第３次接続準備」
「２５８０までクリア」
「絶対境界線まであと０．９…０．８…０．７…０．６……」
読み上げられる数値と反比例して緊張が高まっていく。
「……０．２…０．１…… シンクロ率２．１％。――駄目です、初号機起動しません！」
あちこちから呻き声が上がる。リツコも落胆の色は隠せず、ゲンドウも心なしか憮然としているように見えた。それでも暴走が起きる事は無かった為か、管制室に僅かな安堵の空気が流れた。
「……マヤ、システム再チェック。レイ、右手を動かしてみてくれる？」
『はい』
それでもシンジの例があると、リツコはレイに回線を繋ぐ。レイからの返事はあったが、初号機は動く気配は見せなかった。
溜息を吐くリツコに、後ろからミサトが声を掛ける。
「う〜ん。シンクロ率はシンジ君より高いのにねえ。なんでレイじゃ動かないのかしら？」
「……１％程度の違いじゃ誤差の範囲内よ。大体、それでＥＶＡを動かすシンジ君が異常で――」
「――動かせないレイが普通」とリツコが続けようとしたのを、マヤの緊張した声が遮った。
「！？ ……パルス逆流！」
「何ですって！？ コンタクト停止、６番までの回路開いて！」
「ダメです！ 信号が届きません！！」
「初号機、神経接続を拒絶しています！」
「制御不能！！」
一気に管制室内は慌しくなる。
「実験中止、電源を落として！」
先の零号機の暴走事故と違い内蔵電源を０にしてあった為、これで直ぐに停止する筈であった。しかし、それを嘲笑うかのような光景にリツコが声を上げる。
「そんな！ どうして停まらないの！？」
強化ガラスの向こうでは、補強してあった筈の拘束具を容易く引き千切る初号機があった。
まるで苦しむかの如く身を捩った初号機は、やがてその手を背中に回しハッチを引き剥がす。更にエントリープラグに手を伸ばし、それを引き摺り出そうとする。
「レイ！」
零号機の暴走時には動揺を見せなかったゲンドウの悲鳴が管制室に響いた。
その頃、シンジはリツコに携帯を返す為、ＮＥＲＶ本部に向かっていた。
ジオフロント内を歩いて本部に入ろうとしていたその時、シンジの脳裏にスルトの声無き叫びが聞こえた。
驚いたシンジが“繋ぐ”と実験場の様子が目に入った。直ぐさま状況を理解し叫ぶ。
《駄目だ、スルト！ 綾波を傷付けるな！》
プラグに掛けていた初号機の手が止まり、実験場内が静かになる。
「……と、停まったの？」
ミサトが恐る々々声を出す。
初号機は停止していた。それを確認したゲンドウが指示を飛ばす。
「何をしている！ レイの救出を急げ！」
その声にスタッフは再起動し、作業を開始する。
と、その時、再び初号機が動き出した。
管制室に振向き獲物を見定めると、それに向かって手を伸ばす。
零号機の一撃には耐えた筈の強化ガラスは、僅かな抵抗も出来ずに敗北しその役目を放棄した。
室内に侵入した巨大な手は他の誰にも見向きもせず、窓際に立っていたゲンドウに掴み掛かる。まるで全ての元凶はゲンドウである、と知っているかの様に。
「ぐあぁっ！！？」
「司令！」
ゲンドウの苦悶とリツコの叫びが重なる。
誰もがゲンドウが血袋となる光景を想像したが、そこで初号機は再び停止した。
しかし、初号機の両手による圧力が無くなった訳ではなく、ゲンドウは苦痛に顔を歪めていた。
「司令！ 早く司令を助けなさい！」
「た、助けるって、どうすれば良いのよぉ！」
あまりの事態にその場にいたトップ二人はパニックに陥りかけ、室内は混沌とした様相を呈してきた。
プラグ内のレイは困惑していた。
実験を開始して暫く、突如として強烈な拒絶の意志が押し寄せ、嘔吐感に口元を押さえていると、電源が落ちプラグは闇で満たされた。
状況が判らないまま、続いて激しい揺動に晒され、轟音に鼓膜を痛め付けられた。
それも治まり、ほっと安堵の息を吐いていると、ほんの微かに誰かが自分に謝罪しているような気配が感じられた。
（……あなた誰？ ……何故私に謝るの？）
しかし、応えは返って来ず、レイはシートに身を任せ目を閉じていた。
ＮＥＲＶ本部に入ったシンジは、呼び出されて実験場に来ていた。
管制室内の惨状をグルリと見渡し、最後に初号機の手に目を留めた。
「……何を遊んでいるんです、あれは？」
掌から突き出ている人間の頭を見て、馬鹿にしたような声を出す。シンジの揶揄に、やはり呼び出され駆け付けていた冬月が顔を顰める。
「遊んでいる訳ではない。レイで初号機の起動を行なおうとしたのだが、失敗し暴走したのだよ」
「ＥＶＡっていうのは暴走すると、ＮＥＲＶ司令を掴まえるんですか。面白いですね。
……そう言えば、ここにはＥＶＡ零号機というのもあって、それも暴走したそうですが、やはりその時も司令が狙われたんですか？」
冬月はそれを聞いて更に顔を歪め、近くにいた――そして前回の実験にもいた――リツコとマヤも複雑な顔をする。それを見たシンジは図星である事を悟り、笑い出す。
「はははっ、どうやら碇司令はＥＶＡに余程嫌われているようですね。ＥＶＡの最大の敵は、使徒ではなくＮＥＲＶ総司令と言う訳ですか。ねえ？」
「…………」
シンジはゲンドウに笑い掛け、ゲンドウはそれに答えず無言を返す。
もう一度笑うとシンジは冬月に確認する。答えは分かってはいたが。
「で、僕に何をしろと？」
「……初号機に乗って動かしてもらいたい。ＥＶＡの指を切断する手もあるが、次の使徒がいつ来るか分からない状況でそんな事をしてはいられないのでね」
「まあ、乗るのは構いませんが、これは“出撃”と見做して良いんですか？」
冬月は頭を抱えたくなった。ゲンドウに対してシンジの好意を期待する事は出来ない。“否”と言えば、シンジはあっさり拒絶するだろう。
「碇の奴、面倒を押し付けおって……」と口の中でゲンドウを罵ったものの、それで事態が変わるわけでもなく、冬月は口を開く。
「ああ。それで頼むよ、シンジ君」
「了解。まあ、今回は半額にまけておきますよ」
「……ありがとう」
シンジの出血大サービスに、しかし冬月はあまり嬉しそうな様子を見せなかった。
深夜。ケイジに戻された初号機は、冷却液に浸かり静かに佇んでいた。
扉が開き、男が一人ケイジに入ってくる。
男はアンビリカルブリッジを渡り初号機の顔の前に立つと、無言でそれを見詰める。
暫く身動きもせずそうしていた男だが、やがて口を開く。
「……お前は……私を拒絶するのか……――」
男が何事かを続けようとした瞬間、赤い水面を割って初号機の手が現れる。
手は驚愕する男を躊躇う事無く掴み、そのまま問答無用でＬＣＬに沈めた。
静かだったケイジにサイレンの音が響き渡った。
冷却液の抜かれたケイジに、冬月とシンジが立っていた。
手を背中で組み苦々しげな顔で冬月はソレを見詰め、自宅で寝ていたところを呼び出されたシンジも不機嫌そうな顔をしていた。
冬月はシンジに一応の事情を説明をしたがそれ以上何も言わず、シンジも特に何も訊かなかった。
「…………」
「…………」
二人が無言のまま時間が過ぎる。
やがてシンジが口を開いた。
「二三日このままにしておいたらどうです？」
「……奇遇だね。私もそれが良いのではないか、と思っていたところだよ」
「…………」
「…………」
再び無言の時間が過ぎ、またシンジが口を開く。
「今回も半額でいいですよ」
「助かるよ、シンジ君」
今度は冬月も感謝を込めて答えた。
「まったく、恥を掻かせおって……」
シンジが着替える為にケイジを出て行くと、冬月は初号機の手に掴まれたままＬＣＬを滴らせ、気を失っているゲンドウを見詰め罵った。
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