ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第参話 A-Part
使徒来襲から三日後。
ＮＥＲＶ本部、ＥＶＡ実験場。
そこに付属する管制室の窓からは初号機の姿が見え、モニターにはプラグスーツを着てエントリープラグに入っているシンジが映し出されていた。
起動手順は滞りなく進んでいたのだが。
「……シンクロ率、１．１％……です」
マヤの報告にリツコは溜息を吐き、ミサトは頭を掻き毟った。
「リツコぉ。どーなってんのよ。最初の時より低くなってるじゃないの」
「シンジ君、右手を動かしてみてくれる？」
『はい』
ミサトを無視してリツコがシンジに話し掛けると、初号機の手が上がり掌をワキワキと動かしてみせる。
「問題は無いのね？」
『何を以って問題と言うのか分かりませんが……取敢えず、自分の思う通りに動いてくれています。何ならタップダンスでも踊ってみましょうか？』
「……面白そうだけど止めておいてもらえる？ ここが壊れるから」
シンジの冗談を軽く返し、リツコはモニターのデータに目を走らせる。
「システムに異常は無し。極低いとはいえシンクロしていない訳じゃない。本来なら動く筈の無いシンクロ率だというのにＥＶＡが動く。どうなっていると言うの……」
もう一度溜息を吐いて、リツコはキーボードを叩き始めた。
リツコの呟きが聞こえたプラグ内のシンジは、少し気の毒になった。
シンジは神経接続を介した通常の“コア”との“シンクロ”をしていない。“ＥＶＡそのもの”とＡＴフィールドを介して魂のレベルで“シンクロ”しているのだった。より高いレベルとも言えるそのシンクロは、当然の事ながらＮＥＲＶの持つ技術では察知出来はしない。
また、そのシンクロは通常シンクロ１００％時以上の力をＥＶＡに発揮させる事が可能だった。いや、その気になれば４００％すら凌駕するだろう（もっとも、ＮＥＲＶに手の内を見せない為に、十分以上のセーブをしているが）。
そしてそれは、エントリープラグにシンジが入っている必要も無い。
何故シンジにそれが可能かと言えば、既に“ファウスト”とそれを行なっていたからだ。
『恐らく……』とシンジは考える。
（師匠は分かってて、僕にファウストを預けたんだろうな）
何も話してはくれなかったが、ＮＥＲＶの事もＥＶＡの事も全て知っていて自分を鍛えたのだろう。言ってみれば、登山に必要な体力を付けさせ、知識・技術を教え、道具を与えた上で、どの山にどう登るか（或いは登らないか）はシンジの自由意志に任せたのだ。
（まずはＮＥＲＶ――父さんが――が何を求めているのか、どこに行こうとしているのか。それを見極めないと）
ＮＥＲＶが唱える御題目が表向きの物であろう事は、ゲンドウ達との話し合いで見当が付いていた。だがそれは人を幸せにするようなものではないだろう。
（別に世界の為、人類の為なんて言わない。でも、どうやら僕がそれと無関係ではいられないようだし）
まあ、イザとなれば逃げてしまえばいい、そう結論付ける。
そんな事を考えるシンジに、不機嫌そうな気配が伝わってくる。
（なんだ、スルト……退屈なのか？ ……まあ、無理も無いか。こんな穴倉に閉じ込められているんじゃ）
苦笑しながらシンジは新たな相棒を宥める。
（そうだね、いずれ“別の身体”でも造って上げるよ）
ちなみにもう一人の“相棒”は本日留守番。
昨日買い込んできたパーツで、パソコンを自宅で組み立て中だったりする。
と、突然ミサトの声が聞こえてくる。
『シンジ君？ 気分はどう？ 具合は悪くない？』
「……問題ありませんが、何か？」
『リツコの方がね、詰まっちゃってんのよ。だもんだから、このまま戦闘シュミレーションの方をやってみたいと思うんだけど、どうかな？』
「僕は構いませんけど」
『おっけー。んじゃ、ライフルを取ってくれる？』
言われて足元からＥＶＡサイズの銃を取り上げる。
銃口を覗くと穴が空いていなかった。トリガーを引くとそこがピカピカ光る。
「……ビームライフルですか？」
『残念だけどそれは模擬銃よ。本物はでっかい鉄砲なの』
ガンシューティングゲーム用の銃みたいな物か、と納得する。試しに構えてみたり、各部の動作を確かめてみる。
『おおっ？ 手馴れてるじゃない。ひょっとしてマニア？』
まさか「生身で、本物を撃った事がありますから」とは言えず、苦笑して誤魔化す。とはいえ、先日リツコに銃を突き付けた事もあるので、既に怪しまれてはいるだろうが。
「大体分かりました。始めて下さい」
『オッケー。マヤちゃん、やっちゃって』
『はい。シンジ君驚かないでね』
マヤの声を合図に、プラグ内の光景が実験場内のものから街並みを映したものに替わる。
「ほぉ〜〜……」
シンジが小さく感嘆の声を出す。
『ライフルの照準は“○”で表示されるわ。目標をそれに入れてスイッチを押せば弾が当たるわ』
『簡単に言う』と思いながら手近のビルに照準を合わせ、フルオートで全弾叩き込んでみる。仮想空間上のビルは砕かれ、あっと言う間に廃墟になる。
「……良く出来てる」
流石に普通のゲームでは、ここまではしないだろう。
『こらこら、遊ばないの。それじゃ始めるわよ』
残弾数を表示するゲージがフルになり、続いて前方に“使徒”が現れる。シンジは動こうとしない使徒を照準にいれ、断続して弾を浴びせる。体中に命中弾を与えられた使徒は、やがて爆発する。
『やっるぅー、シンジ君』
わざとなのかどうか、なにやら感心した様子のミサトが言う。
「……ゲームとしちゃ派手で面白いのかもしれませんが、現実でこう簡単にいくとは思えませんけど」
『いいのよ。今はとにかく慣れてもらうのが先だから』
「……了解」
後で現実に合わせて修正していく、という事と理解してシンジは頷いた。同時に『上手く手を抜いてやらないと』とも思っていたが。
シミュレーション――とその後のＡＴフィールド展開実験――を終えたシンジは、ブリーフィングルームでリツコの質問を受けていた。一応シンジは真面目に答えていたが、得られた結果はリツコにとってあまり芳しい物ではなかった。
「……シンジ君、あなたを精密検査させてもらえないかしら？」
「お断りします。改造や洗脳、自爆装置の埋め込みをされるのは御免ですから」
「…………」
冗談にしても笑えない拒絶の言葉に、リツコは顔を引き攣らせるが何も言わなかった。ミサトやマヤの方が却って何か言いたげな顔をしていたが。
既に着替えていたシンジは背凭れに体を預けて、リツコが考え込む様子を眺めていたが、ふと尋ねた。
「そう言えば、ＥＶＡに乗る為の資質ってどんなものなんですか？」
シンジの質問にリツコは顔を上げる。
「そうね。幾つかあるんだけど、最大なのはその為の遺伝子を持っているか否か、と言う事ね」
「……で、それは候補者を検査する事無く判る事なんですか？」
「……どういう事かしら？」
リツコの声が低くなる。横で聞いていたミサトとマヤも興味深げな顔になった。
「司令が言っていましたよ。僕がＥＶＡに乗れる事は調べるまでも無く判っていた、って」
「ちょ、ちょっとリツコ！ それどういう事なの！？ パイロットの選出はマルドゥック機関が行っているんじゃ……？！」
リツコは驚いたミサトが噛み付いてくるのも構わず、シンジを睨み付けるように見詰めた。シンジは気圧された様子も無く、その視線を受け止める。
実のところ、ゲンドウはそんな事を実際に“言った”訳ではない。シンジの言を否定しなかっただけであり、今シンジがリツコに言ったのはハッタリである。
「…………ノーコメントよ」
暫しの沈黙の後、リツコは答えた。
だが、リツコの無言はシンジにとって十分な収穫になった。
（やはり初号機には何かある。それも僕に秘密にしなければならないものが……）
シンジはこれで満足したが、出来ない者がここにはいた。
「リツコ……アンタ、なにを知ってんの？」
「……機密事項よ、葛城一尉。あなたに言う訳にはいかないわ」
睨み合う二人を、マヤは何も出来ずオロオロと見ていた。
そんな張り詰めた部屋の空気に、シンジののんびりした声が伝わる。
「もう何も無いようでしたら、今日はこれで失礼させて貰いますけど……」
その声にリツコはミサトへの視線を解く。
「そうね。もう私の方からは何も無いわ。御苦労様。
……それと、シンジ君の正式なＰＡＳＳが出来たから持っていって。マヤ……？」
「ハ、ハイッ！」
声を掛けられたマヤは少し飛び上がり、慌ててブリーフケースからカードを取り出しシンジに渡した。
受取ったそれを眺め回すシンジを見て、ミサトの方も何事かを思い出した。
「そうそう、シンジ君。第３新東京・第壱中学にあなたの転入手続きをしておくから。今度からそこに通うのよ」
「中学校ですか……。いいですよ、面倒臭い。大体、学校にはあまり良い思い出が無いんですよ……」
言われたシンジは顔を顰めて断るが、ミサトはそれを許さなかった。
「文句を言わない！ アンタは子供なのよ！ 日本には義務教育って物があるの！」
「…………分かりました」
『子供に戦争をさせている』とか『義務教育の“義務”は親が子供に教育を受けさせる義務だ』とか思う事は色々あったが、シンジは渋々承諾した。
「……それと、私の携帯を返してもらえないかしら？」
リツコは、先日シンジに強奪された携帯の返却を求めた。
「分かりました、明日持ってきます」
言ってからシンジは首を傾げた。
「そう言えば昨夜……その電話に碇司令から『今晩私の部屋に来い』と連絡が入ったんですが、赤木さんは司令とそういう関係なんですか？」
「なっ！！」
「「ええぇーーーーーーーーーーーーーーーっ！！」」
シンジの爆弾発言に三人が被爆する。
「な・な・な・な・な……！」
「リ、リツコ……しゅ、趣味が悪すぎるわよ……」
「セ、センパイ……フケツですっ！！」
「お、大きなお世話よ、ミサト！
マヤ！ 潔癖症は生きていくのが辛いわよ！！」
赤くなるリツコ、蒼褪めるミサトに、黄色い声を張り上げるマヤ。
三者三様のパニック模様に対して、それを引き起こした人物は『我関セズ』とばかりに平然としていた。
「まあまあ、人の色恋沙汰に他人が口を出すのは野暮でしょう。二人とも大人なんですし、碇司令も今は一人身ですから法的にも道義的にも問題はありませんよ」
「シンジ君良いの！？ リツコが“お義母さん”になるかもしれないのよ！？」
「……なりませんよ」
「へっ！？」
意味が分らなかったミサトは首を傾げる。
それを気にする事無く「さて」とばかりに立ち上がったシンジは、次の訓練について意見を述べる。
「そうだ、試験や訓練は基本的に週一回で良いですか？ 他に何かあったらその時は随時応相談、と言う事で」
「……そうね。それでいいわ」
マヤを抑えつつリツコが答える。
今のところシンジの『低シンクロ状態での起動』について、手掛かりも掴めていない。分析の時間も必要だし、対照としてレイと零号機とのデータが手に入るのを待った方が良いとの判断もあった為、リツコはそれを承諾した。が、納得出来なかった者が約一名。
「ちょっとシンジ君！ そんな事、勝手に決めないで！」
「……何か問題でも？」
平然と応えるシンジにミサトが掴みかかる。
「そういう事はあなたじゃなくて、私達が決める事よ！ あなたはサードチルドレンなのよ！ そして私は作戦部長！ あなたは私に従う義務があるの！」
顔に掛かる唾に顔を顰めながら、シンジはリツコに視線を向け尋ねる。
「ひょっとして、通達が行っていないんですか？」
「そんな事は無いわ。技術部には来てるもの。作戦部に行っていない筈が無いわ」
そう言うリツコの横で、マヤが頷いてみせる。
「……なによ、通達って？」
「貴女は僕に命令する権利は無いし、僕は貴女に従う義務は無い、という事です」
「！？ 勝手な事言ってんじゃないわよ、この！！」
『訳分からん』という顔をしたミサトだったが、キレかかりシンジを締め上げようとする。が、
「っ！？」
金属の感触に下顎を突き上げられて身体を硬直させ、思わず手を離す。
シンジはミサトからまたも奪った銃を突き付け、冷たく告げる。
「残念ですが、僕には勝手な事を言う権利があるんです」
「それって――」
言葉を続けようとしたミサトだが、不意に足を払われ――今度は受け身を取れたが――床に倒れる。
「……学習能力が無いわね……」
それを見てリツコは思わずこめかみを揉む。
「電話を借ります」
シンジもそれ以上ミサトに目もくれず、壁際の受話器を取る。
「リツコ……通達って何？」
「ミサト、ちゃんと回ってきた書類には目を通しなさい」
立上がりながら訊いてくるミサトに呆れて答えたリツコは、「日向君の苦労が思いやられるわね……」と口の中で付け加える。
やがて、電話で何事かを話していたシンジは振り返り、ミサトに声を掛ける。
「……葛城さん。冬月さんがお話したい事があるそうです」
「へっ！？ 副司令が？」
ミサトは首を捻りながら、シンジから受話器を受取った。
「葛城です。――――はっ、申し訳ありません。――――ど、どういう事ですか？ ――――そ、そんな！ それでは……――――そうですか。――――は、はい……分かりました。
――――えっ？ ええぇっ！！？ ――――し、失礼しました。しかし……――――は、はい。――――はい。――――まことに申し訳ありませんでした。以後注意いたします。――――はい。……では……」
ミサトが力無く受話器を戻すと、リツコが一応尋ねる。大方の見当は付いていたが。
「で？ 何ですって、副司令？」
「減俸……三ヶ月……」
ミサトはがっくり膝をつき、滂沱と涙を流し始める。
「ヱビチュが……ローンが……」と譫言のように呟き続けるミサトに、三人は其々の視線を向ける。
「無様ね」
「自業自得でしょうか。やっぱり」
「『自得』と言うより『自爆』ですね。ところで『ヱビチュ』って何です？」
「ミサトの主食よ」
三人の温かいコメントに感激したのか、ミサトは更に涙を流した。
試験と訓練を終えたシンジは、レイの病室に足を運んでいた。
ベッドの脇に椅子を置き、購買部で買い込んだ林檎をコンバットナイフで剥いていく。
ＮＥＲＶにある購買部は、職場環境が生活の場から離れた所にある為品揃えが豊富である。また、泊り込みをする職員も少なくないので、嗜好品の類も充分にある。
「はい、どうぞ」
綺麗に切った林檎を皿に載せ、枕元に置きながらレイに勧める。
「……あなた、何故ここに来るの？」
それには手を出さずレイが訊く。
「ん？ 君が気になったからだけど」
皮やナイフを片しながらシンジは何でもないかのように言う。『一応、怪我を治した者の責任もあるし』とは口に出さない。
（何せ、他の人間に『治癒』を使った事はないからなぁ）
内心で苦笑いする。自分自身や動物を相手になら経験があるのだが。
「よく分からないわ……」
「まあ、僕が勝手に来ているだけだから、気にしなくて良いよ。もっとも、迷惑なら止めるけど」
「……問題無いわ」
レイの返事に「そう」と答えると、シンジは林檎を一切れ摘む。
「綾波さん食べないの？」
「…………」
シンジが言うと、レイも無言で林檎に手を伸ばす。レイがそれを口にするのを見て、シンジも齧り出す。
「うん、甘さも酸味も程々……中々美味しいね？」
一切れを食べ終え、同意を求めたシンジだったが、
「おいしい？ ……何？」
レイの答えに絶句する。
「何って……美味しいって言うのは、食べて心地良いと言うか……」
そこまで言ってレイを見るが、レイの方は何も言わずこちらを見ている。シンジは暫くどう説明したものかと考えていたが、やがて尋ねる。
「えっと、綾波さん……それを食べて、『もっと食べたい』とか『また食べたい』とか思う？」
訊かれたレイはまだ少し残った林檎の欠片に目をやり、暫し考える。
「……もっと食べたいわ」
それを聞いてシンジは一つ頷き、微笑みながら言う。
「じゃあ、それは綾波さんが『美味しい』と感じているんだよ」
「……そう」
レイは手にした欠片を口に入れ咀嚼すると、新たな一切れを取る。シンジは人が――特に女の子が――物を食べるのをマジマジと見詰めるものではない、とレイから視線を外し窓の外を見る。外に広がるのは空の無い空間だったが、ガラス越しに午後の穏やかな日の光が入ってくる。部屋の中にはレイが林檎を齧るほんの微かな音だけが響き、緩やかに時が流れる。
この場の空気が――レイには理解出来なかったが――不思議と心地良かった。そしてその心地良さにレイは戸惑いを感じていた。
切った林檎が全てレイの口の中に消えると、シンジは尋ねる。
「もっと食べる？」
コクンと頷くレイを見て、新たな林檎を手に取る。それを剥きながらシンジは先程からの疑問を口にする。
「綾波さんって、いつもどんな物を食べてるの？」
「……栄養ブロックとビタミン剤」
シンジの手が止まる。
「な、何それ？」
その答えには流石に驚く。シンジのその様子にレイは少し首を傾ける。
「綾波さんはそれで平気なの？」
「……食事は栄養を摂取する為の手段……問題無いわ」
「問題無いって……」
「愚か者め！」と心の中で美食倶楽部の主が叫び、シンジは呻く。
「……誰がそんな事を言ったの？」
「赤木博士」
それを聞いたシンジの脳裏に似非金髪ではなく、髭眼鏡の姿が浮かぶ。それがリツコの独断という事はあるまい。まず間違い無くゲンドウの意志が入っている筈である。
しかし、シンジは取敢えず何も言わず、手の動きを再開させる。
切り分けた林檎を皿に載せ、レイがそれを口に運ぶのを見てから話し掛ける。
「綾波さん。それって……君があまりまともな扱いを受けているとは思えないんだけど。少なくとも、世界を守る為のパイロットにする仕打ちじゃない」
どんな軍隊でも――それがまともな物なら――ここまで酷い事はするまい。と言うより、そんな事をしたら、まず間違い無く反乱が起きるだろう。
「……そう？」
だがレイ自身に自覚した様子は見られない。
シンジは考えを巡らす。
（どういう事だ？ 綾波さんの様子や彼女を助けたと言う事から考えると、父さんにとって彼女はそれなりに大事なものである事は間違い無い――と思う。にも関わらずこの扱いは何だ？ 父さんはどういう目的があって、彼女に何を求めているんだ？ 綾波さんは殆ど無条件で父さんを信じているみたいだし……）
思わずレイを見詰めたシンジは、不意に思い付く。
（ひょっとして……綾波さんの、いわゆる肉体が目的！？ うわっ、サイッテー……）
『雌犬調教』とか『監禁女子○学生』とか（もっと穏やかなところで『光源氏計画』とか）、謎のフレーズが頭を過ぎる。
続いてＴＶニュースで見られるような映像が脳裏にイメージされる。
ＮＥＲＶ本部前に詰め掛ける報道陣。
やがて正面玄関に、頭と手錠を掛けられた手を隠され、数人に周りを囲まれた男が現れる。
忽ち浴びせられる無数のフラッシュ。
人込みを掻き分けて、待機していた車の後部座席に乗せられる男。
車が発進し、その進路上にいた者達が慌てて避ける。
それを背景に、なにやら沈痛そうな表情でカメラに向って解説するキャスター。
某副司令のコメント：「まったく、恥を掻かせおって……」
某Ｅ計画責任者のコメント：「無様ね……」
某オペレーターのコメント：「フケツ……」
（いやだなぁ……身内から性犯罪者を出すなんて）
そう思ってしまったシンジだが、頭を振って考え直す。
（いや待て、結論はまだ早い。僕は父さんの事をそれ程知っている訳じゃない。
いみじくも自分で言ったじゃないか。『理解する時間は無かった』って……
父さんが敵となるか味方となるかはともかく、まずは理解する事が先決だな）
気が付くと顔を顰めるシンジをレイが見詰めていた。
まさか、『綾波さんの肉体』云々と言う訳にもいかず、シンジは慌てて言葉を捜す。
「えーーと、うん。多分それは碇司令が指示しての事だと思うんだけど。それって何て言うか……動物に餌をやっていると言うか、燃料を補給してると言うか……」
そこまで言って、一度言葉を切る。
「司令が綾波さんの事をどう考えているにしても、やっぱり――少なくとも綾波さんの“人格”を尊重しているとは思えないよ」
シンジがそう言うと、レイは俯く。先程とは異なる沈黙が部屋を満たす。
が、やがてシンジは口を開いた。
「綾波さんは……何で碇司令に従うの？ 何故ＥＶＡに乗るの？」
「……絆だから」
「絆って……別にそれが唯一のモノじゃないだろ？」
「私には……それしかないもの……」
それを聞いてシンジは絶句する。が、同時に理解した。
（そう言う事か……）
過酷な扱いをされる一方で、ゲンドウにだけは優しさを見せられる。そんな事をされればレイがゲンドウに縋りたくなるのも当然だろう。
（女の子にこうまでして……。何を望んでいるんだ？ ――父さん）
苦々しく思う。が、仮面のような無表情でシーツを見詰め続けるレイの横顔を見て考える。
（綾波さん自身、葛藤が無い訳ではない、って事か……）
そして天井を振り仰ぎ、頭を掻きながら溜息を一つ吐く。
（まあ、放って置く訳にもいかないか、これは……）
「……別に“絆”が無くても生きてはいけるし、欲しければ手に入れれば良い。
言うだろ、――“人間根も無く蔕も無く、路上を漂う塵の如し。”って」
顔を向けるレイに、シンジは笑って続ける。
「風のままに転がって、この身は形を保ち得ない。
この世の者は皆兄弟、血に拘る事は無い。
楽しむ時は楽しんで、皆と共に酒を飲もう。
青春は二度と戻らず、朝が一日一度のように……」
最後の部分――道徳屋が好んで誤解したがる――を敢えて言わず、シンジはそこで言葉を切る。
「――まず、自分で探してみる事だよ」
「さがす……」
レイが僅かに戸惑ったような声で言う。
（――と言われても、何をどうしたら良いかすら分からないのか……）
シンジはレイのその様子に、『どういう育てられ方をしたんだ』と内心で唸り声を上げる。
暫く沈黙を続けていたシンジだが、やがて椅子から立上がる。何かを振り払うように頭を振り、真剣な表情でレイを見る。
「綾波さん……。綾波さんが望むなら、僕が“絆”となるよ？」
片手を差し伸べながらそう告げる。
言われたレイは顔を上げ驚きの表情でシンジを見た。
「どうする？ 綾波さんが自分で考え、自分で決めて」
シンジの顔と差し出された手を交互に視線を移す。
やがてオズオズと手を伸ばし、シンジの手に触れる。
その手を取り、握り締めながらシンジは微笑む。
「じゃあ、これからよろしく。綾波さん」
レイの病室を出たシンジは、廊下の壁に寄り掛かり腕を組む。
（と、言ったものの……どうしたら良いのかな……？）
実の所、シンジは人付き合いが得意ではない。幼少の頃から内向的な性格であったし、ここ数年は修行に明け暮れていて他人と関わる事が殆ど無かった。
有体に言えばシンジは『人間嫌い』である。現在は修行（によって得た力）の御蔭で心身共に余裕があり、『自分は自分、他人は他人』と割切っているので問題は無いのだが。
（まあ、焦る事も無いか。ゆっくりやっていけば良い。
……僕自身『社会復帰』の為のリハビリにもなる……かなぁ？）
壁から背中を離し、苦笑する。
（でもこうなると……無責任な事は出来ないよな……）
自分だけなら『いざという時は逃げてしまえば良い』と、これまでは気楽に考えていたのだが。
（父さんの不始末の尻拭いを、僕がやらされる様なのが気になるけど……）
ゆっくりと歩き出しながらゲンドウの事に意識を向ける。
（父さん――か……。さて、理解するとは言ったものの……
普通なら『まず会話から』なんだろうけど、いきなり親子の縁を切ってしまったし）
些か頭に血が上っていたとは言え、少し考えが足りなかったか、と反省する。
（まあ、会話が出来なくなった訳ではないけど……。まず、父さんの周りにいる人達から攻めてみるか……）
そんな事を考えているシンジの目に、その当人が前方から近付いてくるのが見えた。
（……どうしてこのタイミングで現れるかな……）
『ひょっとして監視カメラでずっと覗いていたのか？』と考え、気分が悪くなる。それでも別に衝突などするつもりは無かったので、進路を譲り――相手は廊下のど真中を歩いていたので――擦れ違う寸前に一礼しようとした。
「ここで何をしている」
しかし、ゲンドウの方はそれで済ますつもりが無かったのか、態々立ち止まり横柄な口調でシンジに言った。
（喧嘩を売ってんのか、この髭）
と思いつつシンジは口を開く。
「踊りを踊ってるように見えますか？」
シンジの揶揄にゲンドウの片頬が僅かに引き攣る。
「……ここはお前が来る所ではない。帰れ」
シンジは、帰ろうとしている人間に「帰れ」も無いものだが、と失笑する。だが、大人しく帰る気も無くなり、臨戦体制を整える。
「他人に僕の行動をとやかく言われる筋合いはありませんよ。
――ましてや性犯罪者ごときに」
その言葉を聞いてゲンドウの身体に、殆ど判らないほど微かな緊張が走る。しかし、それを見て取ったシンジは嘲るような表情を浮かべる。
「ふん、図星か……。少々権力があるからって、いつまでも後ろに手が回らないで済むと思わない方が良いんじゃない？」
「……お前には関係無い」
ちなみにシンジはレイの事を指摘しているつもりだが、ゲンドウはリツコの事だと思っていた。
「まあ、お互い“他人”であるし、確かに関係無い――と言いたいところだけど、犯罪を見て見ぬ振りをすれば同罪だろ。それに世間様は無関係と思ってはくれないよ――母さんの時みたいにね」
「…………」
無言のままのゲンドウから瘴気が立ち昇り、シンジを威圧する。しかし、シンジは全く気圧される事無く続ける。
「『妻殺しの男の息子』に加えて『変態性犯罪者の息子』なんてレッテルが貼られた日には、こっちも身を隠すしか無くなるじゃないか」
「――貴様っ！！」
シンジの言葉が急所に入ったのか、ゲンドウは激昂し殴り掛かる。
シンジは僅かに首を捻って拳を躱し、その腕を取る。そして「正当防衛だね……」と囁きながら、空いた手でショートアッパーをゲンドウの腹に叩き込んだ。
「かっ……は……」
蹌踉いて後退し腰を屈めて腹を押さえた事で、良い位置にゲンドウの頭部が来る。その頬を裏拳で打ち抜くと、ゲンドウは身体を半回転させて床に崩れ落ちた。
シンジは倒れたゲンドウの髪を掴み、無理矢理顔を自分に向けさせる。サングラスを失ったゲンドウは、真っ向から睨み付けるシンジから視線を逸らした。
「確認しておきますが、僕と貴方の立場は対等……ＮＥＲＶ司令の権威は通用しないし、親でもなければ子でもない。ただの個人としても敬意を払うに値しない。そして、この通り単純な暴力でも敵わない。
――貴方は僕にとって“裸の王様”なんですよ」
「…………」
ゲンドウは何も応えない。痛みはあるのだろうが、それでも矜持故か呻く事も無かったが。
「……詰まらないね。怖くて子供の目も見られないの？」
本当に詰まらなそうに呟く。
そこへ騒ぎを聞きつけたのか、数人の看護婦が駆けて来た。
「ちょっと、あなた達！ 何をやっているんですか！？」
それを見てシンジはゲンドウから手を離し、一歩後退して看護婦達に告げる。
「大した事じゃありません。この酔っ払いが一寸絡んできたので……」
そう言うと座り込んだままのゲンドウに顔を向ける。
「ＮＥＲＶの司令というのは、昼間から酒を飲んで遊んでいられる程暇なんですか？ 帰って仕事でもしたらどうです？」
“ＮＥＲＶ司令”という言葉を聞いて、看護婦達は絶句したり顔を蒼くしたりする。
ゲンドウは口の端から垂れた血を手で拭うと、やや蹌踉きながら立ち上がる。そして無言のままシンジの方を見る事無く歩き出す。出口に向おうとするゲンドウの前から看護婦達は慌てて飛退いた。
ゲンドウの背中が見えなくなると、シンジは言葉を出せないままの看護婦に声を掛ける。
「どうも、お騒がせして申し訳ありませんでした」
それを聞いた看護婦は気を取り直し、一言二言シンジに注意するとその場から去って行った。
残されたシンジは天井を仰ぎ、大きく溜息を吐く。
（はぁ〜……。『理解しよう』と思ったら、いきなりこれか。何やってるんだろうな僕）
自分の意外な程の気の短さに、些か自己嫌悪に陥り掛ける。
目を戻すと床にゲンドウのサングラスが落ちているのが見えた。近寄って摘み上げ、玩びながらそれを眺める。
（とは言え、いきなりあんな態度で来られちゃ……。あれで、僕を威圧出来るつもりだったのかな……）
第３新東京に来た初日の事を考えれば、そんな物はシンジに通用しないと判りそうなものではあるが。
（まあ、確かに師匠に修行を付けてもらっていなければ、今頃いい様に利用されていたか……）
手にしたサングラスのブリッジを指先で圧し折る。
（何れにせよ、父さんは僕の敵にしかならないという事か……？）
シンジは手近にあったゴミ箱に、壊したサングラスを苦い想いと共に放り込むと歩き出した。
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