ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第弐話 A-Part
「いいわね、シンジ君」
『ここまでやっておいて、今更良いも悪いも無いでしょう？』
シンジの皮肉にミサトは顔を引き攣らせる。
「最終安全装置解除！ ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ初号機、リフトオフ！」
ミサトの号令と共に拘束が解除され、初号機がゆっくりと一歩を踏み出す。
「シンジ君、今は歩く事だけ――」
「――考えて」とリツコが続けようとした瞬間、初号機は横っ飛びにビルの陰に飛び込み、一瞬遅れて使徒からの光線が先程まで初号機がいた空間を通過する。更に一拍遅れて響く爆発音。
『ふうっ……。赤木さん、何か言いましたか？』
伏せたままの初号機からシンジが尋ねる。
「えっ！？ い、いえ、何でもないわ……」
『そうですか』
取繕うようなリツコに答えながらシンジは初号機の身を起こそうとして、その背中から引き摺っている物に気付いた。それを手に取らせながらリツコに訊く。
『……何ですか、これ？』
「それは電力供給用のアンビリカルケーブルよ」
『……電気コードですか？』
シンジの直截的な物言いにリツコの唇の端がピクリと動く。
「そ、そうよ。ＥＶＡは有線供給される電気で動くの。内蔵電源も有るけど、稼働時間はフルパワーで一分、ゲインを利用しても五分が限界よ」
その答えにシンジは『それのどこが“汎用兵器”なんだ？ 局地戦限定じゃないか』、と思ったがそれは口にせず別の事を訊く。
『では、こいつの武器は？』
「肩のウェポンラックにプログレッシブナイフがあるわ。今出すから」
リツコの言葉と共にウェポンラックが開き、現れたプログナイフを初号機が引き抜く。
『ナイフですか……。飛び道具はないんですか？ ビームとかミサイルとか……？』
「無いわ。他は全て開発中」
『まったく、飛び道具を持った相手にナイフ一本で戦え、って言うんですか……』
シンジの思い切り呆れてた言葉に、発令所の面々――特にオペレーター達は――気不味そうな表情をするが、ミサトはそれを誤魔化すかのようにシンジに命令する。
「シンジ君！ 奴の胸の赤いとこが弱点だと思うわ！ そこを狙って！」
それを聞いたシンジは初号機を片膝立ちにさせたままビルの陰から使徒――様子を窺っているのか動こうとしない――を見て、胸の赤い球体を確認する。
『はぁ、それで“ナイフ”ですか？』
「……なによそれ？」
シンジの言う事が理解出来ず、ミサトが訊き返す。
『だって……「タマぁ取ったらあぁっ！」、って……』
「……違うわよっ！！」
一瞬、ヤクザ映画の一場面が脳裏に浮かんだミサト（と他数名）だったが、それを振り払って叫んだ。
『せめて長ドスにして欲しかったですねぇ……』
「違うって言ってるでしょ！」
『ま、ともかく武器がナイフだけじゃ、相手の懐に飛び込まなければ意味がありません。援護をお願いします。
……そうですね、ミサイルか何かを、第一波は奴の正面に。第二波を背中に。僕は第二波の着弾と同時に突っ込みますので』
声を荒げるミサトを無視してシンジが冷静に言うが、シンジのその要請に発令所の大人達は答えを返さない。
『……もしもし？』
シンジの再度の問い掛けにミサトが漸く声を出す。
「あ、あははは…… ごめんね、シンジ君。現在、兵装ビルは稼動状態に無いの」
シンジは“兵装ビル”という単語は判らなかったが、取敢えず“援護出来ない”という事は理解出来た。
『……えっと、自衛隊とかは？』
「あーーー、それも指揮権がＮＥＲＶに移っちゃってるから……」
『だったら向うに頭を下げれば良いだろう』と思ったが、シンジはただ一言で済ませた。
『……………………………………………………馬鹿？』
シンジのジト目と侮蔑の言葉に耐えられず、大人達の大半は目を伏せ冷汗を流し、余りの下らなさにシンジもそれ以上突っ込む気が起きなかった。
（まったく……僕が素人だったら、一体どうするつもりだったんだろう……？）
そんなシンジにこの街のどこかにいる筈のファウストから声が届く。
《よろしければ、私が援護しましょうか？》
《いや、大丈夫だよ。このＮＥＲＶってとこは信用出来ない。手の内は見せない方がいい》
《判りました、御武運を》
その言葉にシンジは一つ頷くと、初号機を立ち上がらせようとしてある事に気付いた。
「そう言えば……葛城さん？」
『な、なに？』
「今更なんですけど、こんな街中でドンパチをやらかして良いんですか？ 近くに人間はいないんでしょうね？ それに公共物の破壊とかは大丈夫なんですか？」
『え？ ああ、大丈夫よ。住民はシェルターに避難してるから。それと建物の破壊は止むを得ないわ』
「そうですか」
それを聞いたシンジは改めて初号機を立ち上がらせ、アンビリカルケーブルをプログナイフで切断する。
『ちょっと、シンジ君！ 何やってんの！』
無造作に立ったまま動かない初号機にミサトが苛ついて叫ぶのと、使徒の眼窩が輝くのは同時だった。
が、初号機は半瞬早く身体一つ分横に避け、続いてアンダースローでプログナイフを投擲する。ナイフは光線を撃ち終えた使徒の眼窩に吸い込まれるように突き刺さり、初号機はそれに続いて使徒へと突進する。
あと数歩で使徒に接触しようとした初号機だが、その眼前に八角形の光の波紋が現れその突進を阻まれる。
『ＡＴフィールド！』
それを見てリツコが叫び声を上げる。
だが、光は一瞬で掻き消え初号機は更に前進する。
その初号機を使徒は左手に生み出した“光の槍”で串刺しにしようとするが、初号機は僅かに身を屈めつつ右手で上に弾き使徒の懐に潜り込む。そして地面を大きく陥没させつつ踏み込み、渾身の肘打ちを使徒のコアに叩き込んだ。
一撃でコアを砕かれた使徒はその破片を撒き散らしながら吹き飛び、後方の建物を盛大に巻き込んで倒れた。
「ちょっと……。何なのよあれは……」
モニターに目を釘付けにしながらミサトが呆然と呟く。
「……初号機、ＡＴフィールドの発生を確認しました。瞬間ですが、強度は使徒の五倍強、です……」
マヤは目の前に表示されたデータを掠れた声で告げた。
「そんな……。その一瞬で使徒のＡＴフィールドを中和――いえ、破壊したと言うの……？」
見た光景が信じられないのか、リツコが喘ぐように言う。
「どういう事だ、碇。まともにシンクロしていないのにあの力は……異常だぞ……？」
「…………」
冬月の言葉にゲンドウは沈黙を以って答えた。
と、モニターの中で使徒が身動ぎしたかと思うと、いきなり初号機に飛び掛った。
だが、シンジは油断していなかった。また、少々距離も遠かった。
初号機が半身になってそれを避けると、使徒は初号機を捕らえ損ねてかなり離れた場所に着地した。
続いてモニターが閃光に満たされる。
「自爆！？」
ミサトが反射的に手で目を覆いながら叫ぶ。
第３新東京に立ち昇る十字の火柱。しかし、使徒を避けて直ぐに間合いを取った初号機に被害を及ぼす事は無かった。
『あのー、これで終わりですか？』
音を失った発令所にシンジの声が響く。
それに気を取り直したミサトは、頭を一つ振って周りに命令を下す。
「現状を報告して！」
「……パターン青、消滅。使徒、殲滅を確認！」
「……初号機、損傷ありません！」
ミサトの声にオペレーターが動き始める。彼等の報告に頷いたミサトはシンジに告げる。
「シンジ君、回収用のリフトを指示するわ。そっちに向って頂戴」
『分かりました』
ミサトに肩を叩かれた日向がキーボードを叩き始めると、続いてモニターの初号機が動き出した。それを見てミサトはリツコに小声で尋ねる。
「……リツコ……何なのよ、初号機のあの動きは……。それともあれはシンジ君の力なの？」
「分からないわ……調べてみないと……」
リツコは目を妖しく光らせながらそう答えた。
「ふうーー……」
リフトに初号機の身を預けさせたシンジは、体の力を抜き大きく息を吐いた。
《シンジ、御苦労様です》
《いや、やったのはスルトだよ。御苦労様》
シンジの言葉に嬉し気な気配が返ってきた。
《しかし、中々の力ですね》
《うん。でも、戦い方を知らないようだからね。これからその辺を教えていかないと。
……これからよろしく、スルト》
その言葉にスルトが首を捻るような気配を感じて、シンジは微笑んだ。
《ああ、それとファウスト。済まないけど、さっきの使徒のサンプルを回収しておいて。全部でなくて良いから、赤い球体の部分》
《了解。……ところで、暫くここに滞在するおつもりですか？》
（逃げるのは簡単だけど、面倒な事になりそうだしね。まあ、条件はちゃんと付けるけど）
《分かりました》
ファウストの意識が離れると、シンジはもう一度息を吐き誰にも聞かれないように心の中で呟いた。
（さて、これからどうなる事やら……。意味の無い戦いはしたくないんだけどなぁ……）
ＮＥＲＶ本部に戻り、シャワーを浴びて服を着替えたシンジは、目の前に現れた二人の女性を見て小さく眉を顰めた。
「御苦労様、シンジ君」
「いや、まったくです」
笑顔で話し掛けたミサトだが、シンジに皮肉を返され頬を引き攣らせる。
「す、済まないんだけど、ちょっと付いて来てもらえるかしら？」
「なんでしょうか？」
「精密検査よ。ＥＶＡに乗った事で異常が無いか調べるの」
ミサトに替わってリツコが言う。
「あのＥＶＡって奴は、乗ると身体に異常が出るようなものなんですか？」
「ち、違うわよ！ 私達はシンジ君の事を心配して……！」
慌てて反論するミサトだが、シンジは鼻で笑ってそれを遮る。
「『戦争ほど健康に悪い物は無い』ですよ。人を――それも中学生を無理矢理戦わせておいて、よくそんな台詞が出てきますね」
そう言われてミサトは絶句し、リツコも言葉が無い。
「……それでは、僕はこれで失礼します。さようなら」
固まった二人を一瞥すると、シンジは一つ頭を下げてそこから離れようとする。
ミサトは一拍置いて再起動すると、脇を通り過ぎようとしていたシンジの肩を急いで掴まえた。
「ちょっと、シンジ君！ どこへ行くの！？」
「どこって、帰るんです」
掴まれた肩を迷惑気に見ながらシンジが答える。
「駄目よ！ あなたはＥＶＡのパイロット、サードチルドレンなのよ！ ここにいてもらわないと困るのよ！」
「何ですか、その“サードチルドレン”っていうのは。人に勝手な番号を付けないで下さい。それに、もう使徒は倒したんだから良いでしょう」
「使徒はあれだけじゃないの！ 使徒を倒すのはＥＶＡしかないし、使徒を倒さなければ人類が滅亡するのよ！」
「ほぉ〜、そいつは豪儀ですね。ですが僕は自分の命を懸けてまで人類を守る気にはなれません……今日みたいな扱いを受けてまでね」
殆んど喚いているようなミサトだったが、シンジの冷たい言葉に何も言えなくなる。だが、何とか声を絞り出して言う。
「……あなたが乗らなければ、怪我したレイが乗るしかないわ。怪我した女の子にそんな事させて、恥ずかしくないの！？」
「“レイ”ってあのアルビノの娘ですか？ ……そうですね。怪我した女の子を平気で戦場に出そうとする父親を持って、僕はとても恥ずかしいです。
という訳で、そんな父さんと関わりたくないので、僕は帰ります」
痛烈な皮肉に何も反論出来ないミサトは多くも無い忍耐を使い果たし、とうとう感情を爆発させた。
「いい加減にしなさい！ こっちは子供の我儘に付き合ってなんかいられないのよ！」
「生憎ですが、こっちは大人の勝手な理屈に付き合う気はありません」
「くっ！！」
頭に血を上らせたミサトはシンジの頬を殴ろうとするが、
「っ！？」
寸前で手首を掴んで止められ、驚きに目を見開く。
「口で敵わなくなると暴力ですか。言っておきますが、人を殴る時はそれなりの覚悟をした方が良いですよ」
シンジは低い声でそう言いながら、掴んだミサトの手を締め上げる。ミサトはシンジの細身の身体からは予想も出来ない握力と氷のような気配に驚き、何とかシンジの手を振り解こうともがく。
ミサトが後ろに体重を掛けた瞬間シンジは掴んでいた手を離し、ミサトがバランスを崩すと今度は逆の手と襟首を掴み同時に足を払った。
高々と足を舞わせたミサトは何とか受け身を取ろうとしたが、シンジにそれを許されずまともに背中を床に打ち付ける。
その痛みに悶絶するミサトに一片の同情も見せず、シンジはミサトのジャケットの内側から拳銃を奪った。そのままミサトの脇腹を蹴飛ばし腹這いにさせると、背中から心臓の辺りを踏み付ける。同時に流れるような動作で銃の安全装置を外し、遊底を引いて初弾を薬室に送り込む。
「ミサト……っ！？」
思わず友人の名を呼んだリツコだったが、鼻先に銃口を突き付けられ口を閉じた。
「……動かないで下さい。下手に動けば、この似非金髪が赤毛になりますよ。
葛城さんも大人しくしていて下さい。心臓を踏み砕きますよ」
冷ややかなシンジの警告に、近くで様子を見ていた黒服達は懐に手を入れたまま動きを止め、もがいていたミサトも踏み付ける足に体重を掛けられ、小さな悲鳴を上げて大人しくなる。
「さて、黒服の皆さん。懐から手を抜き、膝立ちになって頭の上で壁に手を付いてもらえますか？ でないと今日がこの二人の命日になります」
「……言う通りにして……」
ピクリとも動かない銃口と、それ以上にシンジの全てを凍らせるような瞳に怯え、リツコは全身から汗を垂らし声を震わせながら言う。その言葉に従い、黒服達はゆっくりと指示された姿勢を取る。
「おや、震えているんですか？ 人類滅亡がどうとか言いながら、肝が据わっていませんね」
シンジの揶揄にホンの僅かに緊張が溶けたリツコは、精一杯の虚勢を掻き集めて答える。
「こんな事をして良いと思ってるの？」
「先に手を出したのはそちらでしょう？ 僕は他人の意志と人権を尊重しない輩は、意志と人権を無視されても止むを得ない、と思ってるんです。それに、これはＮＥＲＶの流儀なんでしょう？ 無理を通して道理を引っ込ませるのが？」
シンジはリツコの虚勢を鼻で笑い飛ばし、これまでのＮＥＲＶの行為を皮肉る。それに反論出来ないリツコは黙るしかなかった。
「さて、どうやら貴女達では話にならないようですね。父さんと話しますので連絡してもらえますか？」
「……司令を脅迫するつもり？」
「それは父さんの出方次第ですね。ああ、言っておきますが、僕は出来るだけ紳士的に物事を運びたいんです……貴女達と違ってね」
「…………」
リツコはそれ以上何も言えず、ゆっくりと携帯を取り出し司令執務室にいる筈のゲンドウにコールする。ボタンを押し終わるとシンジをチラリと見たが、『余計な事は言うな』と言わんばかりのシンジの目に押され、視線を落とした。
「――――赤木です。サードチルドレンが司令に面会を求めているのですが」
シンジは“サードチルドレン”という言葉に眉を顰めたが、何も言わなかった。
「――――いえ、検査を拒否しています。――――はい ……では、今から連れて行きます」
ゲンドウとの話が終わるとリツコは携帯を耳から離し、シンジに向き直る。
「……お会いになるそうよ」
「結構。では案内をお願いします。……ああ、それは預かっておきますよ。
……葛城さんもいつまでも寝ていないで、さっさと起きて下さい」
シンジはリツコから携帯を受取ると、ミサトの背中から足を除けた。ノロノロと立ち上がるミサトを一歩離れて油断無く見ているシンジに、リツコは報告書に無いその様子を疑問に思い、自然とそれを口に出した。
「……シンジ君、強いのね。どこかで格闘技を習ったの？」
その問いに、シンジは少し首を傾げると答えた。
「通信教育でちょっと……」
「通信教育って……どこの？」
「電波です」
「で、電波！？」
リツコはその突拍子も無い答えに、声を大きくする。
「ええ、良く来るんです、この辺に。ビビッと」
自分のこめかみを指差すシンジを見て、思わず脂汗を流すリツコとミサト。そんな二人に構わずシンジは続ける。
「赤木さんも……僕と同じですよね……？」
「お、同じって？」
「解るでしょう？」
「わ、解らないわよ……」
「赤木さんも……使えるんでしょ？」
「な、何を？」
「電波……。凄く――才能がありますよ？」
「な、無いわよ……そんなもの……」
「そうですか……でも――しちゃえば、使えるようになるかも……」
「し、しちゃうって……？」
「しますか？ ――良いですよ、赤木さんなら……」
そう言って笑い掛けるシンジに、リツコは思わず一歩退いてしまう。脇で見ていたミサトは当人に酷く無礼な想像をしながら、
（あ、あんまり否定出来ないわよ、リツコ……）
などと内心で呟いていた。
「え、遠慮しておくわ、シンジ君……」
「そうですか……」
落胆する（振りを見せる）シンジを見て、リツコは「これでこの話はお終い」とばかりにやや声を大きくして言う。
「さ、さあ、案内するわ。付いて来て！」
「分かりました」
リツコは踵を返して歩き出し、ミサトは「置いていかれてなるものか」と言わんばかりに慌ててそれに続く。シンジはゆっくりと二人の後ろに付いて歩き出しながら、ミサトに尋ねた。
「葛城さんはどうですか？」
「へっ！？」
「電波――――」
「わーーーーっ！ 無いです！ 全く無し！ 才能も興味も全然無いデス！ ハイッ！」
「……残念です」
叫ぶように否定するミサトの様子を心の中で爆笑しながら、シンジは表面は至って真面目な顔でそう答えた。そんなシンジにファウストが苦笑交じりの声を掛ける。
《よろしいのですか？ 『手の内を明かさない』、のでは？》
《う〜ん、仕方無いよ。流石に僕も、ここの連中には頭に来たしね。それに、どの道使徒との戦いで疑いを持たれてるだろうし。でも、取敢えずは誤魔化せた……かな？》
丁度横に来た黒服達の後頭部を殴って気絶させながら、シンジは応えた。
《……そうでしょうか？》
《まあ、赤木さんは時間が経てば頭が冷えるかな？ でも、葛城さんは……暫く楽しめそうだ……》
そう言って銃を背中のベルトに差しつつ――内心で――クスクス笑うシンジに、ファウストは『師匠が師匠なら弟子も弟子だ』などと考えていた。
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