ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第壱話 B-Part
「で、初号機はどうなの？」
「Ｂ型装備のまま現在冷却中」
「それ、ほんとに動くの？ まだ一度も動いた事無いんでしょう？」
「起動確率は０．００００００００１％。……Ｏ９システムとはよく言ったものだわ」
「それって動かないって事？」
「あら失礼ね。０ではなくってよ」
「数字の上ではね。でも、どの道動きませんでしたじゃ、もう済まされないわ」
前を行く二人の会話を聞きそれを心に留めながら、シンジは同時に別の事を考えていた。
（二人で喋っている暇があるのなら、僕に説明してくれても良いと思うんだけどなぁ……
何か嫌な感じがするな……）
やがて三人は一つの扉をくぐる。扉が閉まるとそこは真っ暗になるが、音の反響などからそこがかなり広い空間である事は見当が付く。もっともシンジは明かりが無くとも、そこにある“存在”を認識していたが。
照明が点灯すると、そこにある存在が目にも明らかになる。シンジは黙ってそれを見詰めた。
「これは人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器。人造人間ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ。その初号機。建造は極秘裏に行なわれた。我々人類の最後の切り札よ」
沈黙したまま何の反応も見せないシンジに焦れたのか、リツコが声を掛ける。
「人造人間……ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ……」
シンジはそれだけ呟くと、再び思考に沈んだ。
（……ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ……“使徒”と似た存在……でも、構成は通常の物質だな。Ｓ２機関も無いようだし……これを人が造った？
……なら“使徒”も人が造ったものなのか？ そんな技術が人類にあったのか？ ……それに誰があんなのをデザインしたんだろう……あさり○しとお？
……ＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮには希薄とはいえ自我があるみたいだな。これならひょっとして接触する事が出来るかも……）
考える事に集中していたシンジが肩を揺すられそちらに顔を向けると、ミサトが困った顔でこちらを見ていた。
「……なんですか、ミサトさん？」
「……シンジ君、お父さんが来てるんだけど……」
ミサトが指差すのに釣られて顔を上げると、初号機の頭上に設けられたブースに髭面にサングラスの男が居た。シンジは三十秒程その男を見詰め、漸くそれが自分の父親であると認識したが、
「……ああ、父さんか。久しぶり」
それだけ言って手をヒラヒラさせると、再び初号機に顔を戻した。
ゲンドウはそれを見て片頬をひくつかせるが、押さえ込んで“命令”を下した。
「……出撃」
それを聞いたシンジがもう一度顔を上げると同時に、ミサトが叫んだ。
「出撃！？ 零号機は凍結中でしょ？ ……まさか、初号機を使うつもりなの？」
「他に方法は無いわ」
そんなミサトにリツコが冷たく言う。
「だってレイはまだ動かせないでしょ？ パイロットがいないわ」
「さっき届いたわ」
「……マジなの？」
「碇シンジ君。あなたが乗るのよ」
そう言うリツコにシンジは胡散臭気な目を向ける。
「待って。レイでさえＥＶＡとシンクロするのに７ヶ月も掛かったんでしょ？
今来たばかりのこの子にはとてもムリよ！」
「座っていればいいわ。それ以上は望みません」
「しかしっ！」
「今は使徒撃退が最優先事項です。その為には誰であれ、ＥＶＡと僅かでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法はないわ。解っている筈よ。葛城一尉」
「……そうね」
結局リツコの言葉に納得してしまうミサトを見て、シンジは内心で失笑する。
（ミサトさん……コレに乗せる為に父さんが僕を呼んだ事は知っていた――少なくとも見当は付いていたでしょうに。……『私は知らなかったし、シンジ君を乗せるつもりは無かった。でも、事情が事情だから仕方無い』とでも言うつもりかな、この人）
シンジはそこまで考えるとゲンドウに向かって言った。
「父さん、この為に僕を呼んだの？ これに乗せて“使徒”って奴と戦わせる為に？」
「そうだ」
平然と言ってのけるゲンドウに、シンジはわざとらしく溜息を吐いて見せた。
「本気――いや、正気なの父さん？ ……自転車だって初めて乗るには練習が要るし、ただの歩兵だって戦えるようになるには訓練が要る。なのに初めて見たコレにいきなり乗って、ぶっつけ本番で戦え、と？ ……悪いけど医者に診てもらう事を勧めるよ。精神科のね」
シンジの毒舌にゲンドウだけでなく、ミサトとリツコも顔を顰める。
「大体なんで僕なのさ？ こういうのって、ちゃんと訓練した軍人とかがするべきだろう？」
まさか、この三年間の事情を知っている訳じゃあるまい。そう思いながら言う。
「他の人間には無理だからな」
「どういう事さ？ 事情を説明してくれる？」
「そんな時間は無い」
「あーのーねーー」
シンジはミサトとリツコの方をチラリと見て続ける。
「ミサトさんもリツコさんも事情を知っていたみたいだけど、権限が無いという事で話してもらえなかった。時間が無い、って言うのならミサトさんにでも権限を与えておけば良かっただけの話じゃないか。はっきり言って父さんのミスだよ、これは」
ゲンドウの勝手な理屈にシンジはいい加減頭に来始めている。もっとも、ミサト達に説明をさせなかった理由は見当が付く。途中で自分に逃げられる訳にはいかないから、といった所だろう。その姑息さにも腹が立つ。
「とにかく、事情の説明も無しに、こんな訳の分からない物に乗るつもりは無いから」
言い切るシンジを無視してゲンドウが言う。
「説明を受けろ」
「……って、事情を説明してくれるの？」
「操縦のだ」
会話を噛み合わす気の無いゲンドウに、シンジは一気に脱力してしまう。
（だ、駄目だ。あんなダメダメ人間に付き合っていたら、こっちまでダメ人間になってしまう……）
そんなシンジの様子を見て、ゲンドウは更に勝手な台詞を吐く。
「乗るなら早くしろ。でなければ――帰れ」
脱力したままのシンジはゲンドウに力無く手を振った。
「分かった――帰るよ。さよなら父さん。もう二度と会わないと思う」
そう言って出口に向おうとするシンジの肩をミサトが掴む。
「ちょっと待って、シンジ君。いいのそれで？」
「いいも何も……」
シンジは苦笑する。
「これ以上、人間の言葉を理解出来ない馬鹿と付き合う気はありませんよ、僕は」
「でもっ……」
ミサトが言い掛けた時、シンジに警告が入った。
《警報。“使徒”がそちらに向けて遠距離攻撃を行なうようです。注意して下さい》
それを聞いたシンジが身構えるのに数瞬遅れて、ケイジ全体が揺れる。
「奴め。ここに気付いたか」
振動が続く天井を見上げてゲンドウが呟く。
「ジンジ君、時間が無いわ」
「乗りなさい」
リツコが促し、ミサトが命令する。が、シンジは二人に詰まらなそうに言う。
「何故です？ 僕は乗る気は無いですし、父さんは帰れと言いました。両者共に意見が一致したのですから、問題無いと思いますが？ そういう訳ですから失礼します」
しかしシンジのその台詞にミサトが納得する訳が無く、ミサトは少し腰を屈めシンジの顔を覗き込むようにして言う。
「駄目よ、逃げちゃ。お父さんから――何より自分から」
立派な台詞だが、シンジは何の感慨も呼び起こされなかった。それどころか益々ミサトに対する評価を下げただけだった。
「……いいですか、葛城さん？ 最初からアレに乗るつもりでここに来て、それが今になって『嫌だ』と言い出したなら、そりゃあ『逃げる』と言われても仕方ありません。ですが碌な説明も出来ない馬鹿に愛想を尽かして帰る事を『逃げる』と言うんですか、貴女は？」
シンジは噛んで含めるようにミサトに説明する。それに全く反論出来ないミサトであったが、それでもシンジを逃がさないように肩を掴んだ。
「……冬月、レイを起こしてくれ」
下の様子を見下ろしていたゲンドウが、モニターの冬月に命令する。
『使えるかね？』
「死んでいる訳ではない」
『分かった』
「あの、いい加減離してもらえませんか？」
振り解こうとしても肩を離そうとしないミサトに、実力行使に出る事を考え始めたシンジだったが、ケイジに新たな人間が入ってきたのを見てそちらに顔を向けた。
ストレッチャーに乗せて運ばれて来たシンジは少し驚いた顔をする。それは彼女が昼間の街で見掛けた幻影の少女であったのと、彼女の気配に違和感を感じた為だが、そうとは知らないミサトはシンジの表情に“脈あり！”と見て言い募る。
「シンジ君！ あなたがＥＶＡに乗らなければ、あの娘が乗る事になるの！ 怪我した女の子を乗せて良いと思うの！？ 恥ずかしいと思わないの！？」
「あの娘を乗せろと命令したのは父さんであり、乗せようとしているのは貴女達でしょう？ なら、まず恥じるべきは父さんであり、貴女達です。僕に押し付けないで下さい」
苦痛に耐えなんとか身を起こそうとする少女を見ながら冷たく返すシンジに、ミサトは何も言い返せず立ち竦む。
「葛城一尉、臆病者に用は無い」
「しかし！」
冷厳に――見掛けは――言うゲンドウにミサトは反論しようとする。その様子を横目で見ながらシンジは鼻で笑う。
（ふん、とんだ茶番だ。父さんめ、どうあっても僕を乗せる気だな。多分、最後は操縦席に放り込むつもりだろう。まあ、乗るのは構わないけど、ここは“無理矢理乗せられた”という形を取った方が良いかな……
それにしても、怪我した女の子をダシにするなんて、つくづく下衆な男だな父さんは）
と、再び警告が入る。
《第二撃、いきます》
先程より激しい振動がケイジを襲う。それに対して警戒していたシンジは、頭上のライトが落下しようとしているのを見て悪態を吐く。
「くそっ！」
瞬時に判断してミサトをＬＣＬのプールに突き飛ばすと、自身は少女――レイの所に行き、その身体を掬い上げ更に落下地点から離れる。
それに僅かに遅れてＬＣＬの中から初号機の手が現れ、その手の甲でもってライトを弾いた。
「ぶはっ……って、きゃあっ！！」
ＬＣＬに落とされたミサトはそれだけならば大した事は無かったのだが、初号機によって起こされた波に揉まれ、更に弾かれたライトが近くに落ちて悲鳴を上げる。
「まさか！？ 有り得ないわ！ エントリープラグも挿入してないのよ！ 動く筈ないわ！」
その騒ぎから離れた所に居たリツコは困惑の声を上げる。
「げほげほ、インターフェースも無しに反応している――と言うより守った――つうか守ろうとしたの――彼を？ けほっ……いける！」
ミサトはＬＣＬのプールで立ち泳ぎしながら叫んでいた。その姿は、守ろうとした対象に逃げられ手を翳したまま固まっている初号機と相まって、かなり間の抜けた様をケイジに晒していた。
一方、シンジは初号機やミサトを無視してレイの怪我を診ていた。苦痛の呻きを漏らすレイにシンジは舌打ちする。
（よくもまあ、この怪我で動かしたもんだ。ホントに命に拘りかねないぞ、これは。
取敢えず治癒は……全快にしちゃ拙いな。動かしても差支えない、といった程度にしておくか）
考えつつレイに生体エネルギーを送り込み、同時に治癒力を加速してやる事で傷を塞いでいく。痛みが小さくなったのかレイの呼吸が穏やかなものになり、やがて薄らと目を開ける。
「……あなたは……」
「もう大丈夫だと思う。でも、暫く眠っていて。眠っている間に全部片付いていると思うから」
微かな声で尋ねるレイにシンジはそう言って微笑むと、経絡を突いてレイを眠らせた。
（これで誰が何をしようが、半日程眠っている筈。さてと）
シンジはレイをそっと横たえると立ち上がり、出口に向おうとする。しかし、その前にプールから這い上がったミサトがＬＣＬを滴らせながら立塞がり、シンジの行く手を阻んだ。
「待ちなさいシンジ君。どこ行くの？」
「どこって、帰るんですけど」
ミサトに濡れた手で触られるのを警戒して、シンジは間合いを取る。
「駄目よ！ この戦いには人類の存亡が懸かっているの。シンジ君じゃなきゃ出来ない事なのよ！」
「そういう事は“子供”じゃなく“大人”がやるのが筋っていうものでしょう。それに何で僕じゃなけりゃいけないんです？ ちゃんと自分自身で試した上で言ってるんでしょうね？」
「それは……！」
言われてミサトは絶句する。確かに自分がＥＶＡに乗れるか試した事は無い。簡単に言えば、リツコが『無理だ』と言っているからである。
動かなくなったミサトをそれ以上相手にする事無く足を進めたシンジだったが、出口を黒服を着た男達に塞がれ歩みを止めた。
「あの、邪魔なんで退いてもらえますか？」
臆する事無く黒服達に頼むシンジ。しかし黒服達はそれに答えず、内二人がシンジの脇に進むと両腕を取り、宇宙人を捕まえたＦＢＩの如くシンジを引き摺り始めた。
「おやおや……」
呆れ声を出しながらもシンジは別段抵抗する事は無かったが、
（やっぱりこうなったか。まあ、この程度の相手はどうとでもなるけど、今の所は大人しくしておこうか。
逃げるのはいつでも出来るし、まずは父さんが何を企んでいるか見極めないと……）
そんな事を考えつつ、大きな溜息を吐いた。
エントリープラグに放り込まれたシンジは、取敢えず大人しくシートに座っていた。しかし、ＬＣＬが注水開始されたのを見て顔を顰めた。
「何ですかこの液体は？ プールに入ってたのと同じ奴みたいですけど……」
『それはＬＣＬって言うものよ。肺に満たせば直接血液に酸素を取り込んでくれるわ』
リツコの説明を聞きＬＣＬを掌で掬って匂いを嗅ぎ、少し舐めてみる。
「血の匂いと味がする……」
『我慢しなさい！ 男の子でしょう！』
シンジの呟きにミサトが叫ぶように答える。シンジが無理矢理プラグに入られたのを見て些かショックを受けていたミサトだが、発令所に来るまでに見事に気持ちを切り換えていた。
「葛城さん……先程の水泳は楽しかったですか？」
『う゛っ……！」
しかし、シンジの反撃にあっさり轟沈する。
やがてＬＣＬはプラグ内を満たし、シンジは目を閉じると言われた通りゆっくりと肺の空気を吐き出しＬＣＬを取り込んでいく。呼吸が落ち着くとシンジは体の力を完全に抜く。
（さて、どうなるか分からないけど、初号機意識と接触してみようか）
シンジは意識を静めると、自身のＡＴフィールドをゆっくりとソレに伸ばしていった。と、シンジを喰らい尽くそうとするかのような凶暴な気配がシンジを襲った。シンジのＡＴフィールドを犯し引き裂かんとするソレを、いなし、受け流しながらシンジは慎重に気配を探っていた。
（くっ……いきなり御挨拶だね。……よし、見付けた……大人しく――しろ！」
初号機の意識の中心を見付けたシンジは、一気に自分の意識を押し込んでいった。それに驚いたのか初号機からの侵食が止まる。
（ふう、僕は君を傷付けたりするつもりは無いんだ。話を聞いてくれないかな？）
それに対する応えは戸惑い。
（僕はシンジ。君は何者だい？）
更に大きな戸惑いが返ってきたが、シンジはその奥に不安や寂寥を感じた。
（……そうか、こいつは自分が何者か解らないんだ。だから不安で、寂しくて……）
シンジは理解した。
初号機は赤子のようなものだ。彼ににしてみれば目の前に現れたものに戯れ付いただけの事だった。“戯れる”と表現するには些か乱暴なものではあったが。
（なら、僕は君に名前をあげよう。君が君で在れるように。
そして君と共にいよう。君が寂しくないように）
興味を惹かれたような初号機の気配。
その様子にシンジは可笑しくなり、クスリと笑った。
（そうだね……では、君の名は“スルト”だ。神々の黄昏において神々を滅ぼし、世界を火の海に沈めた炎の巨人。君はこれから神の使いと戦わなければならないらしい。ならばこの名も相応しいだろう？）
それに応えるのは、文字通り心の底からの歓喜。初めて自分を知り、そして自分を知ってくれる存在があることに彼は狂喜した。
（では僕と縁を結ぼう。決して違える事の無い盟約を……）
そして二人は互いのＡＴフィールドを交わす。古の戦士達が互いの血を混ぜ、盟約としたように……
発令所でもＥＶＡ初号機の発進プロセスが進められていた。
「主電源接続」
「全回路動力伝達」
「第二次コンタクトに入ります。Ａ１０神経接続異常無し」
「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス」
「初期コンタクト全て問題無し。双方向回線開きます。シンクロ率……えぇっ？」
「どうしたの、マヤ？」
表示されたシンクロ値を見て驚くマヤにリツコが声を掛ける。
「それが……シンクロ率１．６％……です。ＥＶＡ初号機起動しません」
「何ですって！」
「どういう事よリツコ！」
慌てて自分もコンソールに着いたリツコに、声を荒げてミサトが尋ねる。
「シンジ君のシンクロ率が起動レベルに達していないのよ！ マヤ、あなたは１番から２５６番までのシステムをチェックして！」
「はいっ！」
ミサトに怒鳴り返したリツコは、マヤに指示を与えつつ自分も別のシステムチェックを開始する。
「ちょっと、シンジ君はＥＶＡを動かせるんじゃなかったの！？ 今更動かせないんじゃ困るのよ！」
「煩いわよミサト。黙ってて！」
リツコは喚くだけのミサトを一喝してキーボードを叩き続け、何も出来ないミサトは苛々と爪を噛むしかなかった。
（くっ！ だから訓練をしてない素人を乗せるのは無理だったのよ！）
ミサトはケイジでの自分の台詞を心の棚の一番遠い所に放って、勝手な考えを巡らしていた。
発令所最上部は下の喧騒と切り離されていた。もっともそこにいる二人の内心は、見た目程穏やかなものではなかったが。
「碇、どういう事だ。このままではシナリオが始まりもしないぞ？」
「ああ……シンジめ。役立たずが……」
組んだ両手の奥に隠した口の中で歯を噛み鳴らしながら、ゲンドウは勝手極まる台詞を吐いていた。
「あれぇ！？」
暇――と言う訳ではないが、リツコ・マヤ程忙しくないオペレーターの一人、青葉シゲルが突然声を上げた。
「何なの！？」
それが癇に障ったミサトは青葉に怒声を叩き付ける。
「そ、それがＡＴフィールドの反応です。……極微弱ですが初号機から」
別に悪い事をした訳ではないのだが、青葉はつい首を竦めて答える。
「リツコ！？」
「解ってるわ！ 発生部位の特定は出来る！？」
「駄目です、反応が弱過ぎて。……あっ！ 反応消えました」
「もう！ 一体どうなってるのよっ！」
ヒステリックに叫ぶミサトに答える者は――そして答えられる者はその場にいなかった。
「おや？」
目を開いたシンジは、プラグ内に外部の様子が映し出されているのを見て声を出した。また、繋ぎっぱなしの通信回線から騒々しい声――特にミサトの――が聞こえてくるのに気付いて顔を顰めた。だがいつまでもそのままでいる訳にはいかないと、発令所に話し掛ける。
「もしもーし、どうなってるんですかー？ 葛城さーん？」
暫く呼び掛けを続けていると、漸く応えが返って来た。
『煩いわね！ 今取り込み中よ！』
プラグ内に響くミサトの大声に、シンジはわざとらしく耳を塞いでみせた。
「随分勝手ですね。人を無理矢理こんな所に閉じ込めておいて」
シンジは嘲笑した。
「座っているだけでいい、と言うから大人しくしていましたけど、いい加減にしてくれませんか？」
『仕方無いでしょ！ ＥＶＡは動かない、原因は不明！ なんだから！』
「諦めたらどうです？ 元々動かせる確率は十億分の一しかなかったんですから。人間諦めが肝心です」
『くっ！ リツコ、初号機のパーソナルパターンをレイのに書き換えるのにどのくらい掛かる！？』
シンジの嫌味に舌打ちしたミサトはリツコに尋ねる。その諦めの悪さに苦笑したシンジは意識を別の者に向ける。
《ファウスト、“使徒”の様子は？》
《市街地に侵入しました。現在街の中心部に向って移動中》
《了解。……そうそう、ファウスト。紹介しておくけど、僕が今乗っているのはＥＶＡＮＧＥＬＩＯＮ初号機、名前は“スルト”だ、スルト、今僕と“話し”ているのは“ファウスト”。言わば君の兄貴分だ》
シンジの言葉に初号機から戸惑ったような気配が伝わってくる。それに微笑みながらシンジは続ける。
《まあ、追々理解していけばいいさ》
《よろしく、兄弟》
ファウストの挨拶にもう一度笑うと、シンジは表情を引き締める。
（さて、いつまでもこうしている訳にはいかないし……）
いきなり響いてきた破壊音に、発令所の人間はギョッとしてモニターに目をやった。そこには再固定した筈の右腕を挙げ、しきりに手を動かしている初号機があった。
唖然としてそれを見詰めるミサト達の耳に、スピーカーからシンジの声が入って来た。
『……動くじゃないですか』
詰まらなそうに言うシンジにミサトは慌てて尋ねた。
「ちょ、ちょっとシンジ君！ あなた動かせるの！？」
『そうみたいですね』
言ってシンジは初号機の中指をおっ立てたり、親指で喉を掻き切ってそれを下に向ける仕草をしてみせる。
「ちょっとリツコ！ どうなってんの！？」
「そんな、有り得ないわ！ このシンクロ率で起動する筈は無いのよ！」
悲鳴じみた答えを返すリツコだったが、ミサトは直ぐに気持ちを切り換える。
「原因を詮索するのは後よ！ 動くんならどうでもいいわ！ 直ぐに発進よ！」
ミサトの言葉に、周りのオペレータ達は弾かれたように発進準備を再開する。
「発進準備」
「第１ロックボルト外せ」
「解除確認」
「アンビリカルブリッジ移動開始」
「第２ロックボルト外せ」
「第１拘束具を除去、同じく第２拘束具を除去」
「１番から１５番までの安全装置を解除」
「内部電源充電完了」
「内部用電源用コンセント異常無し」
「了解。ＥＶＡ初号機射出口へ」
「進路クリア。オールグリーン」
「発進準備完了」
「了解」
最終報告にミサトは頷き、司令席を振り仰ぐ。
「構いませんね？」
「勿論だ、使徒を倒さぬ限り我々に未来は無い」
「碇、本当にいいのか……？」
冬月の小声の問いにゲンドウは何も答えず、表情を動かす事も無かった。
「発進！」
ミサトの命令により、リフトに乗った初号機が上昇していく。
やがて夜の帳に包まれた第３新東京を映し出したモニターに初号機が現れ、使徒と対峙する。
それを見ながらミサトは呟く。
「……シンジ君、死なないでよ……」
その言葉は偽りではなかったが、――“子供”を死地に送り出しておいて今更な台詞ではあった。
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