ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
第壱話 A-Part
「蒼い空、白い雲……」
目の前の光景をぼんやりと眺めながら呟く。
「空を切り裂くヒコーキとミサイル……」
右手の缶コーヒーを持ち上げ、クイッと呷る。
「そして謎の巨大怪獣……」
空にした缶を脇に置くと、手を後頭部で組み胸を反らす。
「どうなってるんだろうね、これは？」
シンジの視線の先には巨大な人型のモノが悠然と歩いていた。そしてそれに攻撃を加えているＶＴＯＬ戦闘機の群れ。だが、人型はその攻撃にもまるで堪えた様子は無く、それどころか戦闘機を蝿であるかの如く無造作に叩き落している。
「どうしますか？」
シンジの脇に控えたファウストが尋ねる。
「ん〜〜、取敢えず放っておこう」
「よろしいのですか？ あの飛行機はこの国の軍隊のもののようですが」
「だからと言って軍隊が正しいかどうか分からないし。別にあの怪獣は街を破壊する意図は無いようだしね。怪獣には怪獣の都合がある、ってものさ」
「分かりました」
「それより気になるのは、さっきの女の子だよ。実体じゃなかったようだけど、どこかで見た覚えがあるんだ。アルビノの人なんて初めて見た筈なのに……」
首を捻るシンジだったがどうしても思い当たらず、その内にその事を心の棚に上げてしまった。
二人はのんびりと戦闘の見物を続ける。と言ってものんびり見えるのは外見だけで、実際は至って真面目に戦闘の様子――特に怪獣の方――を観察していたのだが。
やがてシンジは軽く顔を顰めた。
「それにしてもあの怪獣…… 高密度エーテル体の身体にＳ２機関を搭載、おまけにＡＴフィールドを展開可能……か。まさか師匠が造ったんじゃないだろうね」
「そのようなデータはありませんが……。しかし、いずれも私に使用されているものより旧式……なのでしょうか。身体の強度、エネルギー及びフィールドの出力が格段に低いようです。それにアレは明確な自我を持っていないようです」
「そうだね。未だにこっちに気が付いて無いようだし、僕一人でも相手が出来そうだ」
ひょっとして師匠が言っていた『面白い事』とはアレの事か、とも思ったが、どうもピンと来ない。取敢えずアレとコンタクトを取ってみようかと腰を上げた時、ファウストが警告を発した。
「シンジ。車両が急速接近中です。乗っているのは女性が一名。恐らく迎えではないかと」
「分かった。消えていて」
シンジの言葉と共にファウストの巨体が掻き消える。
と同時に、撃墜された戦闘機が突っ込んでくるのが見えた。その方向や予想される爆発の範囲を瞬時に判断したシンジは、さっさと手近の遮蔽物に飛び込んだ。
「ごめーん、お待たせ。……って、あら？」
シンジのピンチに格好良く登場した（と、自分では思っている）ミサトは、ドアを開けた所にシンジが居ないのに気付いて、車外に身を乗り出した。
「あっれー？ さっきまでここに……」
「……貴女が迎えの方ですか？」
「きゃっ！？」
サングラスを外し周りを見回すミサトは、突然掛けられた声に小さく悲鳴を上げた。
「い、碇シンジ君ね？ 乗って！」
「はい」
取繕う様に言うミサトに、シンジは落ち着いて答えると助手席側に回り乗り込む。それを確認したミサトはアクセルを全開にしてルノーを発進させた。
大抵の人間が悲鳴を上げそうな乱暴な運転だったが、シンジは慌てる事無くダッシュボードや窓枠に手を付いて体を支える。ミサトはその様子を横目で見ながら、
（あー、びっくりした。全然気配がしなかったわ、さっき）
などと考えつつ、ルノーを爆走させ戦場から離れていった。
先程の街から離れた丘の上に車を止め、ミサトは双眼鏡を街の方へ向けていた。
その視界から戦闘機が外れていくのを見て、身を乗り出しつつミサトは悲鳴じみた大声を上げる。
「ちょっと……まさか、ｎ２地雷を使うわけぇ！？」
一方、そのミサトの下で潰されているシンジは、大声とのダブルパンチに憮然としていた。
慌てて運転席に戻りルノーを急発進させたミサトだったが、やがて閃光が外を満たすと同時にブレーキを踏みシンジに声を掛けたが、
「シンジ君、伏せて！！ って、シンジ君！？」
顔を向けた先には、無人の助手席があった。
そして、一瞬遅れて爆風がルノーを襲った。
爆発の陰になる丘の斜面の窪地からシンジは身を起こした。ミサトがルノーを発進させる直前、車から飛び出し、ここを見付けて伏せたのだ。
口の中に入った――鼓膜を破らないよう口を開けていた為――砂利を吐き出し、服に付いた土を叩き落とすとシンジは大きく息を吐いた。
《大丈夫ですか、シンジ？》
姿を消したままのファウストが音声に拠らずシンジを気遣う。
「大丈夫だよ、怪我は無い。埃っぽくなっちゃったけどね」
《ＡＴフィールドを張ればよろしいのに……》
「うーん、あの程度なら張る必要は無いと思ったんだけど」
そう言って道路に向いつつ、爆心地の方へ意識を向ける。
「……アレは未だ健在、か」
《多少はダメージを与えたようですが、大半がＡＴフィールドで防がれたようです》
「その程度は、直ぐ修復出来るか」
道路に上がり爆心地と反対の方へ目を向けると、予想通りの光景にシンジは溜息を吐いた。
「……やっぱり、横転してるよなぁ」
《……装甲車ではありませんから。因みに彼女は生きているようです》
「助けない訳にはいかないか」
シンジはもう一度溜息を吐くと、横転したルノーに向って駆け出した。
「生きてますか〜？」
判っていても一応訊いてみる。
「生きているわよ〜」
応えるのは不機嫌そうな声。
「それは結構。取敢えず大きな怪我はないようですが、動けるようなら外に出て下さい」
「う〜〜……」
唸り声を上げながらノソノソと這出てくるミサト。シンジはそれに手を貸してミサトを車外に引張り出す。
車外に出てきたミサトが体の埃を払う様子を見て、改めて“異常無し”と判断したシンジはルノーを元に戻そうとしたが、
「なーんで、車から居なくなってるのよぉ」
ミサトの恨みがましい声に、顔を向けた。
「何でって、乗用車の中では反って危険、と判断したからですけど……それより車を起しますから、少し離れていて下さい」
そう言ってシンジはルノーの屋根に手を付き、何度か車体を揺するように動かすと最後に一気に力を加え、車を元に戻した。
「ち、力があるのね、シンジ君」
「大した事はありませんよ、葛城さん。要はタイミングですから」
それを見て驚くミサトに、シンジは手を叩きながら何でも無いように答える。
「そ、そう……。あっ、私の事はミサトでいいわよ。改めてよろしくね、碇シンジ君」
「はい、よろしくお願いします」
ルノーは放置車から略奪したバッテリーで、取敢えず順調に走っていた。それについて、シンジは特に意見を述べなかった。呆れて何も言う気が起きなかっただけだが。
それは置いておいて、シンジはミサトに尋ねる。
「さっきの怪獣ですが……アレは何かご存知ですか？」
「私達はアレを“使徒”と呼んでいるわ」
「シト？ ……十二使徒とか平和の使徒とか、その“使徒”ですか？」
「そう。神の使いの名を冠した、人類の敵」
「人類の敵……って、どこかの国が造ったんじゃないんですか？」
「違うわ。正体不明。何時、何処で、誰が造ったかも不明。判っているのはアレが人類を滅ぼそうとしている、という事だけ」
「はあ、そうですか」
言いながら、シンジは今一つ納得出来なかった。
（見たところあの“使徒”って奴は、ただ歩いていただけのようだったけど……。戦闘機を墜としたのも、言わば身に掛かる火の粉を払っただけじゃないかな。流石にサイズがサイズだから、歩いているだけで被害が出るのは何だけど。
大体、正体不明の相手を、何でいきなり“人類の敵”と認めるんだ……）
考えるシンジであったが、今の情報だけでは判断が出来ない、とそれについての結論は保留しておく。
「ところで、ミサトさんは父とどういう関係なんですか？」
「ふふっ、何だと思う？」
シンジの質問に、逆にミサトは悪戯っぽく尋ね返す。
「……愛人とか、妾とか、二号さんとか……」
「んなわけないでしょ！！」
シンジの斬り返しにミサトは大声を上げる。
「私は貴方のお父さんの部下！ んっでもってお父さんは私の上司！ Do you understand？」
「了解しました。それでは、今日僕を迎えに来たのは公務ですか？ それとも私用ですか？」
ムキになるミサトだが、シンジは至って冷静だった。それを見てミサトも思わず気が殺がれてしまう。
「……公務よ」
公務ならあの大遅刻はかなり拙いんじゃないか、と思いつつシンジは更に質問をする。
「それでは、父が僕を呼んだ理由について、何かご存知ですか？」
「……向うに着いたら分かるわ……」
「それは“知らない”という意味ですか？ それとも“権限が無い”？」
「えっと、“権限が無い”、かな？」
「そうですか……。それと肝心な事を忘れていましたが、僕達は何処に向かっているんですか？」
「それは……って、ちょっち待ってね」
ルノーは地下道から、カートレインに入ろうとしていた。
ミサトとの会話が途切れたシンジは、相棒に意識を向ける。
《ファウスト。君は外でアレの監視をしていて》
《了解しました。シンジ、気を付けて下さい》
《大丈夫だよ。それとアレの事だけど、“使徒”って呼ぶんだそうだ》
《使徒……ですか》
《そう。正体は不明だそうだけど》
《では、私がアレに接触して調べましょうか？》
《いや……取敢えず監視に留めておいて。何か状況に変化があったら連絡を》
《分かりました》
「特務機関ＮＥＲＶ？」
カートレインに乗り込んだ二人は会話を再開していた。
「そ、国連直属の非公開組織」
「父のいるところですね」
「まっねー。お父さんの仕事、知ってる？」
「仕事ですか……」
ミサトの質問にシンジが考え込む。
「……すいません。父は一度も仕事について話してくれた事が無いので……。ずっと昔に先生が教えてくれた事があるんですが……。確か……世界を……世界……」
シンジは首を捻りながら暫く唸っていたが、一つ手を打って言った。
「そう、“世界征服を企む悪の組織の首領”、だったかな？ ちょっと自信が無いんですけど」
シンジの答えを聞いて思わずコケるミサト。しかし、
（確かにあの髭親爺は正義の味方って柄じゃないわね……って、それじゃ私は悪の組織の女幹部かい！！）
などと心の中で、一人“ノリツッコミ”をしていた。それでも何とか気を取り直し話を続ける。
「ちょ、ちょっとハズレね。……ひょっとして、お父さんが嫌いなの？」
「嫌う程理解する時間は無かったですよ。なにせこの十年間、殆どほったらかしにされていましたから。特にここ三年は、思い出す事も無かったです。父から手紙が来た時は、“碇ゲンドウ”って誰か、暫く思い付けなかったくらいですし」
肩を竦めながらどうでもよさげに言うシンジに、ミサトはこめかみから汗を垂らした。
「そ、そうなの……。あっ、そうそう。お父さんからＩＤ貰ってない？」
言われたシンジはバッグからクリップでカードが止められた手紙を出し、ミサトに手渡した。
「ありがと……じゃあ、これ読んどいて」
ミサトは手紙を受取ると、替わりに表に『ようこそＮＥＲＶ江』、裏には『極秘』と書かれた冊子を寄越した。
広げられた手紙には書き殴られたような文字で、ただ『来い ゲンドウ』とだけあった。それを見たミサトは内心溜息を吐く。
（はあ〜、これじゃあ息子が親に無関心になるのも無理ないわねぇ。会わせて大丈夫かしら？）
冊子を読み始めたシンジを横目で見ながら、ミサトは些か不安になる。それでもシンジをゲンドウの所に連れて行かない訳にはいかないと解っていたが。
やがて二人の目に、電灯の物とは別の光が入って来た。
「ジオフロント……」
目の前に広がった光景に、思わずシンジの口から声が漏れる。
「そ、世界再建の要、人類の砦となる所よ」
誇らし気なミサトの言葉にシンジが首を傾げる。
「どしたの？」
シンジの様子にミサトが怪訝そうに声を掛ける。
「地下に潜み、御使いに抗うモノ共の砦……万魔殿ですね。さしずめ父さんは魔王……というのはイメージじゃないな、蝿の王といったところでしょうか」
シンジの評に、否定の言葉を出せないミサトだった。
ただミサトに言う事はなかったが、シンジが首を傾げたのは、目の前の風景に記憶層を刺激された為でもあったが。
シンジとミサトはＮＥＲＶ本部に入っていた。未だ目的地に着いてはいなかったが。
（はあ〜、ここが僕の墓穴にならなけりゃいいけど……）
シンジはファウストから『使徒が行動を再開した』との連絡を貰っていた。だというのに自分は何をするでもなく歩き廻っている。溜息も出ようというものである。もっとも、たとえ生埋めになったとしても、何とかする自信はあるのだが。
もう一つシンジが気になっているのは、地下から感じる存在である。外の使徒と似た気配を――それも一つではなく複数――察知していた。
自分の考えに耽るシンジを後ろに従えたミサトは、何やらブツブツ言っていたが突然大声を上げた。
「そうよ、システムは有効に利用しなくちゃね！」
そう言って携帯を取り出すミサトを見てシンジは盛大な溜息を吐いた。
（だったら、初めから使って欲しいよなぁ……）
何とかエレベーターの所に辿り着き、そこで待つ二人。
やがて到着を報せる音と共に扉が開き、中から金髪の女性が現れた。ただし東洋系の顔立ちと、染め忘れたのか黒いままの眉毛で、一目で似非金髪だと判る。
「この非常時に何やってたの、葛城一尉？」
「ごめーん、リツコ。ちょっち迷っちゃって……」
現れるなり刺の生えた言葉を投げ付けるリツコに、ミサトはバツが悪そうに答える。リツコは溜息を一つ吐いてミサトから視線を外し、シンジに目をやる。
「例の男の子ね？」
「そ、マルドゥック機関の報告書によるサードチルドレン、碇シンジ君よ」
シンジは聞きなれない言葉――“マルドゥック機関”と“サードチルドレン”――に、僅かに眉を顰める。が、リツコはそれに気が付かなかったのか、構わずシンジに話し掛ける。
「そう。私はここで技術部長を務めている赤木リツコよ。よろしく、碇シンジ君」
「あ、はい。よろしくお願いします、赤木さん」
「リツコで結構よ」
「分かりました」
取敢えず挨拶をしたシンジは、先程からの疑問をリツコにぶつける。
「あの、さっき僕の事を“サードチルドレン”と言いましたが、“サードチルドレン”って何ですか？」
「悪いけど、説明は後でするわ。付いて来て」
「はあ……」
シンジは気の抜けた返事をしてミサトの方に顔を向けるが、ミサトが苦笑しながら小さく首を振るのを見て、僅かに肩を竦めてリツコに従った。
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