『葛城ミサトを愛するが故に』
ＮＥＲＶ作戦部長補佐であり、発令所のオペレーターである日向マコトが昼食を摂る為に食堂に入ったのは、肝心の昼休みが疾うに過ぎた頃だった。
食券を買い、カウンターで注文の料理を受取ってから、テーブルの方へ向かった。飯時になれば喧騒に満たされるそこも、今ではひっそりとしている。
この時間帯にここに来る事が多い日向は、それが嫌いではなかった。券売機の前やカウンターで待たずに済むし、空いている席を探さないで済むからだ。もっとも、殆んどのメニューが「売り切れ」になっていて、選択の余地が無いのは困りものだが。
今日も月見うどん――馴染みのおばちゃんが「サービスだよ」と言って乗っけてくれたコロッケが入った――を乗せたトレイを持ち、適当な席に座ろうとした日向は、そこにもう一人客がいる事に気付いた。
カレーが盛られていたのだろう、黄色く汚れた空の皿を前に、食後の一服を楽しむ。そんな贅沢を楽しんでいるようだ。
だらしなく服を着崩し無精髭を生やしたその男は、日向を認めると笑って見せた。
「やあ、日向二尉。今頃昼飯かい？」
「……あなたもそうじゃないんですか？ 加持一尉」
「そうだな。……丁度お喋りの相手が欲しかったんだ。こっちに来ないか？」
「……では」
応えて日向はそちらに向かう。と、この場には似つかわしくない匂いに気付き、足を止める。草と土の匂い。
日向の様子に何かを察した加持は、軽く自分の全身を眺め回した。
「さっきまで畑を耕していてね」
そう言って苦笑する加持の靴を見る事が出来れば、それが泥に塗れている事が判ったろう。
「西瓜――ですか……？」
対面の席に座りながら尋ねる。それにはどこか咎めるような響きがあった。
「ああ。今の特殊監察部は碌な仕事が無いからな」
「それは、作戦部も同じですが……」
割箸を使って卵を潰すと、まずは一口汁を啜る。その様子を見ながら加持はポツリと呟く。
「……葛城か」
「ええ、葛城さんです」
暇な筈の作戦部に所属する日向が、何故こんな遅くに昼食を摂る羽目になったかと言えば、それは彼の上司たる葛城ミサトに書類仕事を押付けられた為だった。そして、それは今日に限った事ではない。
「使徒が来ていた頃ならいざ知らず、今はそんな事していたら、クビになるんじゃないか？」
自身の事は棚に上げて論評する加持。その顔が、ふと遠くを見詰めるような感じになる。
「使徒――か……。人類の存亡を懸けた戦い。若く美しい女性指揮官である葛城ミサトと、その元で戦う健気な少年少女達。襲い掛かる無慈悲で強大な敵。――まるでアニメのようだな」
「僕は、そうは思いませんね」
箸を休めて、日向は言った。
「いつ終わるかも分からない戦い。敵の正体は不明……彼等がどこから来て、いつ現れるかも。他の軍事組織との連携は、全く取れていない。いや、敵対してるも同然でした。いつだったか、筑波に陽電子砲を徴発に行った時なんか、睨み殺されるかと思いましたよ」
「偉大なる葛城ミサトが余り好きでは無いようだな」
灰皿に煙草を押付ながら加持は言う。ミサトの事を、牟田口廉也か辻正信並には尊敬しているような口振りだった。
「どうなんでしょうね……。あの人の為なら何でも出来る、と思った事もあります。しかし――ああ、あの人は偉大なんでしょう。どこか、僕の軍事的な識見が欠けている部分で。加持一尉、あなたはあの戦いに、どんな意義があったと思われますか？ 良ければ教えて下さい。別に、葛城さんの偉大さでも構いません」
「葛城の偉大さは、まずアイツが特撮やアニメの『戦隊モノ』の『隊長』だという事だ」
加持は顎を撫でながら、真面目腐った顔で言った。
「アイツは、自分の不屈の闘志と、人類防衛の使命に燃える子供達の力があれば、どんな強敵であろうと打ち砕けると考えた。何たる天才！ 俺のような凡俗には、とても思い付けないね。どうしても、あの年頃の子供達が傷付き易い事を、ましてやそんな子供達を最前線に立たせる事は無茶だと考えてしまう。アイツはそのような問題を全て無視する、強靭な精神力を持っていた」
「全くですね。あの偉大な人物の精神力には感服します。あの人は、チルドレンのメンタルケアなど作戦部長が考える事ではない、と思っているんです。自分は総司令からＥＶＡ――チルドレンをいかに戦わせるかについての指揮権を与えられたのであり、他の全ては余技に過ぎない、と。……その割にシンジ君達を自宅に引き取って、保護者面するのは解せませんが。いずれにせよ、全くもって偉大と言う他はありません」
「卓見だな」
肯定しながら、加持は内心で『保護者になったのは“偽善”だろう』と付け加える。胸ポケットからマイルドセブンのパッケージを取り出し、一本抜いて火を点けると続けた。
「……あの当時、特殊監察部においてさえも、葛城の偉大さが語られない日は無かった。
アイツは、ＥＶＡのＡＴフィールドが必ず子供達を守ると信じて作戦を立てていたし、その一撃が必ず使徒のコアを貫くと信じて攻撃を命じていた。常人にはとても真似出来ない行為だよ！
真に偉大な人物だけが為し得る判断だ。我らが偉大なるＮＥＲＶ総司令、歴史に余人無き天才的将帥たる彼のみが、葛城を理解している事も驚くには当たらない。偉大な人物とは、真に偉大な人物によってのみ理解されるんだから」
「ええ」
日向は頷いた。
「僕等のような小人は、どうしても現実のしがらみに捉えられてしまいます。
子供達には専門のカウンセラーを付けてやった方が良いと思うし、可能なら家政婦でも用意して――特にシンジ君が葛城さんの世話に追い捲られないようにしてやりたいとも思います。
それに、内蔵電源だけでは五分しか動けないＥＶＡには、しっかりと支援をしてやらなければなりません。“汎用人型決戦兵器”と言っても、出来る事には限りがありますし。そうでなければチルドレンに、ヘラクレスの苦行並みの困難を押付ける事になりますからね」
「例えば、シンジ君が余りにも義務の遂行に熱心であるが故に、初号機と我身を以って威力偵察を行なうというような」
「はい。いや僕のような者は、あの戦いにすら何の意味も無かったのではないかと思ってしまう程です。葛城さんの御父上、故葛城博士がノコノコと南極になど行かなければ良かったのではないか。そんな冒涜的な思いすら、抱いてしまうんです」
それを聞いた加持は、楽しそうに笑った。笑いながら水の入ったコップを手に取る。
と、口に運ぼうとしたその手が止まった。
ギシリと音を立て、首を巡らす。
視線の先には、当の本人がいた。
「ふ〜〜ん……。アンタ達、アタシの事をそんな風に思ってたんだ？」
「か、葛城……」
いつの間に来ていたのか、おどろおどろしい雰囲気を纏って仁王立ちしたミサトに、固まった二人は脳裏で警告灯を明滅させる。第一次直上会戦でのシンジは、きっとこんな気分だったのだろう。
それでも加持はこの場を切り抜ける為、何とか舌を回転させようと試みる。
「い、いや葛城……これは日向二尉が……」
「『特殊監察部は仕事が無い』と、こういう事を話してるんだぁ」
殆んど初めから聞かれていた事を知り、加持は言い逃れがほぼ不可能である事を悟った。
こうなれば日向を犠牲にしてでも、我が身の安全を図るしかない。一瞬で判断し、椅子を蹴倒し立ち上がる。
とにかく少しでも早くここから離れる事だ。後に残された日向が第一の標的となる事で、逃走の時間が稼げる。逃げ出す事が出来れば、ほとぼりが冷めるのを待てば良い。大丈夫。自分はＳＥＥＬＥやＮＥＲＶの追及からも、逃れ切ったのだから。
加持の逃走は、ミサトが投擲した丼が後頭部に命中した０．５秒後に終了した。
椅子に座ったまま凍り付いた日向と、床に這い蹲って呻く加持を、ミサトは冷たい目で睨め付ける。
「で、二人共……。覚悟は完了したかしら？」
その問いに、応えは無かった。
ゼルエルが暴れた直後のような食堂に残された、屍二つ。
いや、自ら作った血溜まり倒れ込みながらも、それは辛うじて身動ぎする。
何とか頭を上げ、顔を加持に向ける日向。
「……加持さん。あ、あなたは葛城さんと恋人であり続けるつもりですか……？」
頭も上げられず、それでも口は日向以上に無事な加持。
「……どうだろうな、自信は無いよ。俺は極めて現実的な人間なんだ。もし、現実より観念を重んじる場合があるとしたなら、それは酷く限られた状況下で。そういう事になるだろうな」
「……例えば、葛城さんを愛するが故に、とでも言うような？」
「……例えば、葛城を愛するが故に、とでも言うように」
そこまで言って、二人は完全に沈黙した。
騒ぎの間中避難していた食堂のおばちゃんは、それを見ると深々と溜息を吐き、医務室に連絡すべく内線電話の受話器を取るのだった。
おしまい
あとがき
えーと、これは佐藤大輔著の「レッドサン・ブラッククロス Vol.２」の作中で、登場人物が「砂漠の狐」ことエルヴィン・ロンメルについて語り合っているシーンのパロディです。どうも、佐藤御大はロンメルに対する評価が低いらしく……
それはともかく、拙作は戦いが全て終了し補完計画も乗り切り、皆が新たな生活を送り出し……といった設定での話です。ですが「ＲＳＢＣ」を読んでおられない方には、余り面白くないかもしれなかった事をお詫びいたします。
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