第十使徒サハクィエルの降臨に備え、特別宣言Ｄ−１７の発令により、第３新東京から市民の姿が消えた。
同時にＮＥＲＶ本部でも非戦闘員及びＤ級勤務者の退去が行われた。
人の少なくなった本部内。
リツコは化粧室で、「落下してくる使徒を、三体のＥＶＡで受け止める」というミサトの無謀な作戦を非難していた。だが、ミサトはそれを振り払うように言い放つ。
「現責任者は私です。……やる事はやっときたいの。使徒殲滅は私の仕事です」
ミサトのその台詞に、事情を知っているリツコは冷笑する。
「仕事？ 笑わせるわね。自分の為でしょ？ あなたの使徒への復讐は」
痛い所を突いた筈のリツコのその言葉に、しかしミサトの反応はリツコが予想したものと全く異なっていた。
「…………」
怪訝そうに自分を見詰めるミサトに、リツコは反って居心地の悪さを感じた。
「……何よ……？」
「何って、こっちの台詞よ。“使徒への復讐”って何？」
「えっ！？」
戸惑うリツコ。
「だ、だって……葛城調査隊が全滅して――あなたのお父さんが亡くなられたのは、第一使徒の所為でしょ？ そしてあなたがあそこでの唯一の生存者……」
「ああ……」
リツコの言葉に漸く納得したのかミサトが頷く。
「なんだ、アンタも世間向けのそんな与太話を信じてたの？ 意外だわ……」
「よ、与太話って何よ。……それじゃあセカンドインパクトは――あの時あそこで何があったというの！？」
自分が知っていた筈の真実を否定され、リツコはミサトに食って掛かる。
そんなリツコを宥めながらミサトは溜息を吐く。
「まさかリツコが知らなかったとはね……。アタシ、言ってなかったけ……。
まあいいわ。アレは……あそこに現れたのは――」
一旦言葉を切ったミサトに、リツコも思わず唾を飲み込む。
また来た――
「――“ペギラ”よ」
「……………………はぁ！？」
思ってもみなかった言葉がミサトの口から出され、それを聞いたリツコは間の抜けた返事をする。
「だから、ペギラよ」
再び繰返されたミサトの言葉に、頭痛を感じたリツコは額に手を当てる。
「……なに馬鹿な事を言ってるのよ…………」
そんなリツコの様子を見たミサトはポツリと呟く。
「リツコは信じてくれないんだ……」
冗談の欠片も感じられないその言葉に、リツコは思わずミサトの顔を見詰める。
ミサトは鏡に映った自分自身に目を向けていたが、それを見てはいなかった。
どこか遠くを見ていると判る視線のまま、言葉を紡いでいく。
「確かにあの時の私の記憶は混乱しているわ……。気付いたのは父さんがアタシを脱出用カプセルに入れてくれた時……。その時、父さんが言ったの。『また来た、ペギラ……』って」
リツコはなんと言って良いか判らず、ただ顔面を引き攣らせる。
「次にカプセルが開いた時、アタシは見たの……。アレが……ペギラが翼を広げて飛び去るのを……」
言葉を止めたミサトの顔が険しくなり、リツコに振向く。
「アタシが復讐を願っているのは否定しないわ。でも勘違いしないで。私の相手は使徒ではなく、ペギラよ……」
「……ミサト、馬鹿な事を言ってないで――」
「リツコが信じてくれないならそれでも良いわ。でも、アタシは復讐を止めるつもりは無い。アタシはペギラを倒してみせる！」
ミサトはリツコの言葉を遮りそれだけ言うと、無言のまま足音高く化粧室を出て行った。
「……ミサト……どうしちゃったというの……」
一人残されたリツコは、その場に呆然と立ち竦んだままミサトを見送るしかなかった。
覚束ない足取りでリツコは廊下を進む。
その頭の中では、先程のミサトとの会話がグルグルと駆け廻っていた。
（……ペギラなんて……冗談じゃないわ……ミサトが私をからかっているのよ……ええ、そうよ……ペギラなんて……冗談じゃないわ……）
先程から全く進んでいない思考の輪を、携帯の呼び出しが断ち切った。
「……赤木です」
相手のナンバーを確かめもせず、それを耳に当てる。
『冬月だ。直ぐに司令執務室に来てくれたまえ』
「えっ！？ あ、はい。直ちに」
頭の片隅で違和感を感じながら通話を切る。
だがそれを確かめる事無く、リツコは歩調を速めて司令執務室に向かった。
部屋の中はいつもと同じく薄暗かった。
いつものポーズで机に佇むゲンドウの前に足を進めると、リツコは口を開く。
「御用は何でしょうか？ 司令」
「うむ、他でもない……アレの進捗状況だが」
ゲンドウではなく、その横に立つ冬月がリツコに質問する。
「アレと言いますと……ダミーシステムでしょうか？」
こんな時に尋ねる事だろうか、と内心で首を傾げながらリツコが確認する。
だが、ゲンドウと冬月はリツコのその答えに揃って驚いた顔をし、――ゲンドウは僅かに眉を上げただけだが――顔を見合わせた。
「……何を言っておるのかね赤木君」
「……違う……のですか？」
リツコは冬月の意図が掴めず、尋ね返す。
「アレと言ったら、“ペギミンＨ”に決まっているだろう」
「…………………………………………はぁ！？」
大凡この部屋では初めての台詞をリツコは口にした。
「ペ、ペギミンＨ……と申しますと……？」
恐る恐る尋ねたリツコに、ゲンドウと冬月は再び顔を見合わせる。
「……ペギミンＨは、ペギラを倒す事が出来る物質だ」
何を今更、と言わんばかりの顔で冬月が説明する。
「……アレだけが我々人類の唯一の希望だ。それは君も判っている筈だ」
ゲンドウも低い声でそう告げた。
それに頷きながら冬月が続ける。
「南極大陸が消滅した現在、例の苔も失われた。今の我々に出来るのは、僅かなサンプルから抽出されたペギミンＨを参考にして人工合成し、これを大量生産する事だけだ――――だ、大丈夫かね、赤木君！？」
リツコが真っ青な顔をしているのに気付き、冬月は慌てて気遣う。
「だ、大丈夫です……少し眩暈がしただけで……」
机に手を付き、何とか身体を支えながらリツコは答える。
「そんな顔をして大丈夫な訳が無いだろう！ 直ぐに医務室に行きたまえ。何なら人を呼ぶが……」
「いえ、ホントに大丈夫ですので……」
心配する冬月に、リツコは気丈に答える。
「赤木博士……報告は後で構わない。文書で提出するように」
「……はい」
ゲンドウの言葉を受けたリツコは一礼し、僅かに蹌踉ながら部屋を出て行く。
その後姿を冬月は心配そうに見送った。
――ゲンドウがどんな顔をしているかは……誰にも分からなかった。
司令執務室を出たリツコは、暫く進むと足を止め壁に背中を預け、天井を仰いだ。
「……どうなっているのよ、一体……？ ペギラですって……？ 冗談じゃないわよ……」
他人が聞いたら泣いているとしか思えない声で呟いた。
そのまま無言で佇む。
数分後、漸く気を取り直しそこから離れようとしたリツコの耳に、彼女を呼ぶマヤの声が入ってきた。
「センパイ、ここに居たんですか！」
「……マヤ、何かあったの？」
トコトコと駆け寄ってくるマヤに顔を向け、リツコが尋ねる。
「はい、ペギミンＨの量産第四工程の事なんですが……――ひっ！」
言い掛けたマヤだったが、リツコに据わりきった目で睨まれ悲鳴を上げる。
「……マヤ？ 今、何て言ったのかしら……？」
「えっ……？ ペ、ペギミンＨの……」
「……ペギミンＨってなぁに？」
「そ、それは……ペギ――ひぃぃっ！！」
肉を抉るが如く肩を掴まれ、マヤはまたも悲鳴を上げる。
「……いいことマヤ。そんなモノはこの世に居ないの。……そう、そんなモノは存在しないのよ！」
地獄の底から響いてくるようなリツコの声に、マヤはガクガクと頷くしかない。
マヤの様子に満足したのか、リツコは彼女を解放する。
掴まれていた肩を放されたマヤは、腰を抜かし尻をペタンと床につけ、リツコはそんなマヤの様子を顧みる事無く、幽鬼のような足取りでその場を離れた。
呆然とするマヤの耳に、リツコの呪詛じみた声が聞こえた。
「そうよ！ そんなモノが存在する筈が無いわ……。そうよペギラなんて……ペギラなんて〜〜〜〜！！」
……残念な事に、リツコの要望は叶えられる事は無かった。
「赤木博士、パレットライフル用のペギミンＨ弾の事ですが……」
「対空ミサイルのペギミンＨ弾頭が……」
「ペギラ用メーザー砲の試験について……」
「戦自から徴発したウルトラホークとジェットビートル……」
「スーパーＸの調整が……」
リツコは耳を両手で塞いだまま化粧室に駆け込んだ。
脇目も振らず個室に飛び込み、しっかりと鍵を掛ける。
鍵が掛かった事を確認すると大きく息を吐き、便座の蓋に腰を下ろす。
「……落着きなさい赤木リツコ、落着くのよ。……私はＥ計画の責任者であって、ペギラの事なんて知らないわ。……大体、ペギラなんてこの世に居る筈が無いのよ」
頭を抱えるようにしてそれを念じ、同時に呼吸を整えていく。
昇った血が頭から降りるに従って、意識も明晰さを取戻していくのを自覚する。
と、ある事が頭に浮かぶ。
「そうよ！ 司令と副司令は南極に“槍”を取りに行っている筈よ！ ここに居る筈が無いわ！」
重大な事に気付いたリツコは思わず両手を打ち合わせる。
「つまり、私は今夢を見ている訳ね。それを自覚できると言う事は明晰夢かしら？
……とにかくそういう事なら、目を覚ましさえすれば元通りね」
呟くと安堵の溜息を吐き、両手の指をこめかみに当てる。
「これは夢……これは夢……これは夢……これは夢……これは夢……これは夢…………」
自己暗示を掛けるように同じ言葉を繰返すリツコの意識は、次第に闇に飲まれていった……。
…………
「……リツコ……リツコってば！」
身体を揺すられ意識を取戻したリツコの目の前に、ミサトの顔があった。
「……あ」
辺りを見回すと、そこは発令所だった。
「私……眠ってたの……？」
「ええ。立ったまま寝てるなんて、余程疲れていたんでしょうけど――」
笑いかけていたミサトの顔が引き締まる。
「――来たわよ」
ミサトが正面のモニターに顔を向けるのに釣られて、リツコもそちらに目をやる。
「目標、最大望遠で確認！」
「距離、およそ二万五千！」
オペレーターの報告に、発令所内が一段と緊張に満たされる。
だが、リツコの顔は引き攣り、その脳は目の前に映し出された現実を受取るのを拒絶しようとする。
モニターに映し出されたソレは――
「お出でなすったわね……」
牙を生やした狂猛な顔を持ち――
「十五年ぶりだね……」
巨大な蝙蝠の如き翼を広げた――
「ああ、間違いない――」
まさに怪獣と呼ぶに相応しい――
「――“ペギラ”だ……」
「いやぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーー……………………！！」
おしまい
あとがき
すまん、ネタ古すぎ……
戻る